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『ゆめや』
作:夢月こもも



8.上客/3


永遠にも感じたその間は、時間にすればほんの数十秒のことだった。
うめは「よし」と言って目を開け、当てていた手を離す。
頭に置かれていたその手が急激に熱くなったことで、桜子は「いよいよ徹也に逢える」と身構えたのだが、すぐさま解放されてしまい、一連のことの速さに驚いた。   
……え? もう終わり?
物言いたげな顔でまぶたを開けた桜子の目に一番に入ってきたのは、出番の終わったポン太が開いた大きな口――酸素補給のための大あくびだった。
「あ、あの……私、まだ何にも……」
うめは、「ウーン。あぁ、しんどい」と腰を伸ばすと、拳でトントンと叩き、軽く咳込んだ。桜子はその背中をさすり、うめが息を整えたところで、遠慮がちに訴える。
「あの、何にも見えませんでした。それに私、まだ生きていますし……」
「あらあら、物騒なことを。『まだ生きている』だなんて、当たり前ですよ」
桜子を見るうめの目が、少しきつくなった。「私は命を取ったりはしませんよ。最近の人は、どうしてそう死に急ぐのでしょうねぇ。自分で命を縮めるようなことをすれば、待っているのは闇よりも暗い闇。地獄よりも恐ろしい世界なのですよ。あなたも考えを改めていただかないとね。昔から『死んで花実(はなみ)が咲くものか』と言うでしょう? 桜子さん」
名を呼ばれて驚く桜子の顔に手を伸ばし、うめは額を人差し指でツンとつつく。
「徹也さんって、とても素敵な人ね。今晩、ゆっくりお話ししていらっしゃいな。夢の中でね」
「え、ゆめ? 夢…………あ」
『うめや』が『夢屋』と呼ばれる真の由縁をようやく察した桜子。それを肯定するようにうめは言い添える。
「そうですよ。だから『ゆめや』と呼ばれているの。徹也さんが今のあなたに何を言いたいか。それを聞いてあげてからでも遅くないと思いますよ。“次”のことを考えるのは」
「はい。……はい」
桜子は言われたことを噛み砕こうとしながら難しい表情で立ち上がると、そのままの顔で頭を下げた。うめは思い出したように呼び止める。
「あ、ちょっと待って。頂戴したいものがあったわ」
「はい?」
 桜子が財布をイメージすると、うめはいいえと微笑む。
「長いこと使ってきた包丁が、ここのところ急に切れなくなって困っていたの。よかったら、あなたがお持ちのその――」
 片手をそっと出した。「その、よく切れそうな包丁を、お礼代わりに置いていっていただけると、それは、それは助かるわ。図々しいお願いですけれど、いいかしら?」
 桜子は目を瞬かせていたが、やがてコックリと頷いた。
「こんなものでよろしければ……」
 白いタオルの細長い包みのまま、柄をうめの手に持たせた。
「年寄りになると、買い物も億劫で。悪いわね、重宝させていただくわ。どうもありがとう」
「い、いえ……こちらこそ、ありがとうございました」
桜子は来た時よりはもう少ししっかりした足取りで、表に歩いて行く。戸口でもう一度振り返り、深々と頭を下げた。

桜子が最後に見せた微笑みに
「早まったりしないで。いいわね」
と口の中で呟いたうめは、引き出しの一番下の鍵を開けると、取り上げた刃物を仕舞い、再び施錠した。
「これでよし、と」
うめはやっとホッとした顔になり、ポン太の頭を撫でる。「ご苦労だったわね。また寿命が伸びてしまったかしら……もうそろそろ、それもおしまいにしてあげたいところなのだけれどね」
今見たばかりの若い二人の映像をまぶたの裏に思い返しながら、うめは座布団を定位置に戻す。「よっこらしょ」
と正座で座り直すと、文机に頬杖をつき、少女のような仕草で顎を載せた。
「若い身空(みそら)で、お気の毒に。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
そして、手の平をやんわりと合わせると、徹也の冥福を静かに祈った。







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