8.上客/2
「さぁ、私の気の変わらないうちに、さっさと仕舞って頂戴な。何年も頑張って貯めたお金でしょう? 博打打ちみたいに遣ってしまったら、バチが当たるというものですよ」
桜子は、ふいに涙を浮かべ、素直に
「ありがとうございます」
と言い、その封筒をバッグの底に戻すとファスナーを閉めた。その途中で、ふと思い付く。
「あっ!?」
桜子の瞳孔が開いた。「も、もしかしたら、徹也をっ――!?」
『生き返らせてくれるのか』と問う桜子には答えず、うめは
「あらあら、お喋りが過ぎたわね」
と肩をすくめる。
「さ、話はもういいわ。――ポン太、久しぶりの上客よ。寝ているところを悪いけれど、よろしく頼まれてやっておくれね」
ポン太は、うめからひと声掛かると、
「ふわぁぁーっ」
と大きなアクビをして全身の筋肉を伸ばした。そして混乱した様子の桜子をジロリと見上げ、前脚を舐めては顔を擦る仕草を素早く繰り返す。
座布団から膝でにじり下りたうめは、それを裏返し、表面をポンと叩いた。
「ここにお座りなさい。逢わせて差し上げますよ。その徹也さんに。でも、亡くなった方との再会にはあなた自身の力が必要なの。一生懸命、その方のことを考えていてね」
聞いてきた話とあまりにかけ離れていることに、桜子は戸惑いを隠せない。だが、逢わせると言ったうめの一言に、縋るような目を向けた。
「お、お願いします!」
不安な気持ちの裏返しか、まるで小さな女の子が大事なぬいぐるみを抱き締めるように、持っていたバッグを胸元に抱え込むと、桜子は、高まる緊張に両手の指を握り合わせた。
その間にうめは斜め後ろを向いて、燃え尽きそうだった香に小さなひと欠片を足す。
それまでよりも、もっとはっきりした煙が一筋ツーっと上り始める。ハッカのようでもあり、山椒のようでもあるその香りは、桜子にとっては生まれて初めて嗅ぐもので、鼻や目に強い刺激を感じ、瞬きせずにいられない。
「目に沁みるでしょう? 瞑っていて頂戴な」
どうしていればいいのかよくわからなかったのだが、桜子はバッグを脇に置くと、言われるままに目を瞑り、頭を垂れた。
うめはその隣に膝立ちをし、シワシワの温かな両手で桜子の額と後頭部を押さえる。そうして気を統一してから深く息を吸い、強く念じた。
言葉ではないのだが、その念をもしも文字にするならば、こうだ。
『全知全能の神様、この娘に今一度見せてやって下さい。心に住まう愛しい人の温もりある姿を。……どうか気付かせてやって下さい。いかに自分が、多くの人からの愛を見逃しているかということを。……そして、皆の真の願いを伝え――願わくはこの娘に生きる希望を』
すると、うめの脳裏に、桜子が心底逢いたいと願っている男の姿形が浮かんできた。写真のように鮮やかに、それが動画となって在りし日の身体を取り戻す。
愛しい女を見つめる清々しく温かい表情に、うめ自身も笑みを誘われた。
心の奥行きが一層深まるようなまなざしを見ていると、うめまでが爽やかな風の吹き渡る草原に立ったような心地よさを覚える。その風の温度は、徹也の桜子への愛そのものなのだろう。温かく、とても心地よい風が、うめの頬を撫でて行く。
桜子の脳内の記憶を読み取っているうめの“視界”に、やがて桜子自身の姿も入ってきた。このあたりからは、今晩桜子が見るはずの夢を、先に覗き見ていることになる。
老若二人の女たち。
その傍らにやって来ていたポン太は、じっと桜子を見上げたまま身動き一つせず、息も止めているかのようだ。ヒゲの先が微動していて、空気がかすかに震えるくらいに、低く喉を鳴らし続けている。
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