7.願い/2
徹也の葬儀後、昼も夜もなく、眠ることも食べることも受け付けなくなった身体で、アパートに引きこもっていた桜子だったが、圭子に強く引っ張り出され、美容師としての仕事は続けていた。
だが、とてつもなく深い哀しみがいつも胸にあるにもかかわらず、桜子はその後もやはり泣けなかった。現実と認めたくない気持ちが、涙腺を遮断しているのかも知れない。
ただ、徹也を思うと呼吸は乱れ、過換気でパニックに陥った。重苦しいものを吐き出せずに、身体中が毒素に侵されて行くような感覚に、悪寒がつきまとった。
いつしか桜子は亡き恋人の後を追うことばかりを考えるようになっていた。
正確に言えば、望んでいるのはもう一度徹也に逢うこと。一言も交わせずにこの世を去ってしまった婚約者の、最後の声を聞くこと。
その桜子が実行を僅かながら躊躇い、心を揺らしているのは、「あの世」というところで、逢いたい魂と「確実に逢うことが出来るのか、その保証がないせいだった。
映画好きの桜子は、今までに数多くの作品を観てきた。その中の最も印象的な一本に、
「魂同士は、互いを認識しない」
と物語るシーンがあった。
またそのことは、貪るように読んだ霊能力者の著書にも記されている。
「自殺した者は、すべて地獄行きだ」とも。
……でも、徹也はきっと天国にいる……。真っ直ぐ天国に行くにはどうしたら……どうしたら…………。
カチカチの考えに囚われていた桜子の思考は、追い込まれるように日々狭まっていった。
桜子が『夢屋』で願うことは、もう決まっている。
「もう一度、徹也に逢いたいんです。どんな手段でも構いません。もう一度、徹也に逢わせて下さい」
そう願えば、徹也を生き返らせることが出来ない限りは、自分が天国にいる徹也の元へ行くこととなるだろう。イコール、命の終わりに結び付くはずだ。
……それでいい。早く、そうしたい。
桜子は昨夜、これが最後と思い、実家に戻った。
半年前の徹也の事故以来、まるで腫れ物に触るように接してくる父と母。先に結婚している妹は、いつも連れ立って動く夫婦なのだが、桜子の前に二人揃って顔を出すのが申し訳ないと思うのか、今回は一人で泊まりに来ていた。
その時の桜子は、本当はとても笑顔を作れる心境ではなかった。我が儘と知りつつも、出来れば少しも楽にならない胸の内を聞いてもらいたかった。哀しみを分かち合ってくれる存在が欲しかった。
だが――。
「私を指名してくれるお客さんが増えたのよー! 『腕がいい』って評判で、忙しすぎて困っちゃうわ! もう落ち込んでいる暇もないくらいなの! 店だって、やっぱりいつか持ちたいし、頑張らなくちゃ!」
胃が絞られるように苦しかったのだが、頑張って明るく振る舞った桜子に、家族はとりあえずほっと一息ついたようだ。
「元気そうでよかった。なぁ、母さん」
「ホントね。この子の笑った顔、久しぶりに見たわ」
「お姉ちゃん。さ、食べなよ。もっと、ふっくらしなくちゃ」
桜子が顔を作れば作るほど、まわりもそれに合わせて陽気な声を上げた。不自然なまでに。
……私のせいで、皆に無理をさせている。やっぱり、そうなのよね。
食卓を囲む笑顔の面々をそっと見渡しながら、もうこの場に顔を出さないことが自分から家族への思いやりにも思えてしまった。
……父さんも、母さんも、作り物の私に安心して……。本当の私は、きっともう、この家のお荷物なだけ。ごめんね、皆。親不孝で、ごめんなさい。
それは明らかに大きな誤解なのだが、桜子は一人そっと頷く。最後の決断を取り止める理由は、見つからなかった。
そうして桜子は今、この『うめや』の前に立っている。心を落ち着ける時間を数分取ると同時に、この世にいよいよ別れを告げる勇気をも奮い起こしていた。
「徹也……やっとこの日が来たわ。逢おうね。もうすぐ逢いに行くから。必ず、私を見つけてね」
胸に手を当てて、そう呟いた。もしもここで駄目なら、事故現場へ向かうつもりだ。今は、もう立派なビルが建つその場所――徹也が倒れた場所に行き、そこで――。
どんな説が“後追い”を否定しようと、自分のこれからに希望を見出せない桜子には、もうそれしか頭になかった。
深呼吸を数度繰り返し、やっと覚悟を決める。
使い込まれてメッキが剥がれた分、妙に照り光っているドアノブを掴んでそっと引くと、木切れが扉の上部に当たって「カタン」と音を立てた。
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