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黄色いレインコート麗子 作者:ジュゲ
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第七十五話 騎士

 まるで僕の心境を表しているかのような雨。
 この先を予見するかのように雨脚は強くなっている。
 時折、季節外れの雷鳴も轟いた。
「雨は降るもんだよ。君の気持ちと関係なくね」
 僕が彼女のことを知った頃だったと思う。
 レイさんのことをそれとなく言った時、先生はどうしてそのように応じた。
 どうして先生がそう言ったのは今でもわからないけど、ふと思い出した。
 次はスズキの授業のはず。
 ヤツの顔を見ればある程度の予測は出来るだろう。

 ところが時間になっても来ない。
 チャイムがなり、一分が過ぎ、三分が過ぎ。
 クラスが普段とは違った意味でざわつき出す。
 スズキは時間に正確な人だった。
 いつも丁度の時間に入る。
 冗談めいて「今日は一秒遅れたな」とか「俺の時計では丁度だった」と皆で雑談をした。
 廊下側だったナガミネの話だと電波時計を見て入ってくるようだと言っていた。彼はわざわざ引き戸の前に立ち時間調整をして丁度の時間に入るのだ。何度かクラスの時計を自ら調整したこともある。
 慌ただしい足音。
(この足音は誰だ・・・)
 少なくともスズキは走るような人間ではなかった。
 引き戸から出てきたのは別人。
「えーヨネクラです。スズキ先生は急用の為こられません。この時間は自習となります。プリントを配りますので課題をやって下さい」
(最悪だ・・・)
 話が長引いているのは確実。
 それがいい意味で捉えられない。
(さっきのサイレン・・・あれは未成年なんとかって罪でスズキが逮捕されたとか。それとも先生がスズキに躍りかかって傷害事件とか、そういう類いのものだろうか)
 妄想だけが次々と浮上する。
 凡そ想像が出来ないけど先生は自ら「僕は手が早いから。口より先に手が出ちゃうんだよね~」笑っていたことがある。「ほら、先手必勝って言うでしょ」先生とは似つかわしくない言葉。でも先生は嘘を言わない。だから事実そうなのだろう。あの剣幕からしても頷けないわけでもない。
(妄想はやめないと・・・)
 今はもっと身近な問題がある。
 ここであの先生が去ったら絶対に矛先が僕へ向くって点。
 もうそんな雰囲気を醸し出している。
 後ろに回されるプリントに合わせて僕に好奇の目が向けられているのだ。

(腹を据えよう・・・)

 言えないものは言えない。知らないものは知らない。
「はい、後ろまで回りましたね。静かにやるように。では始め」
 慌ただしく後にする。

 静かになった。

 僕はプリントに目を落とす。
(このままで済んでくれればお慰みだけど・・・)
 誰かが立ち上がった。
(そうなるはずもないか・・・)
 矢継ぎ早にもう一人。
「あのさ」
「座れ」
 僕は顔を上げるのた躊躇った。
「お前じゃないんだよ」
「座れ」
 顔を上げると、ナリタとマキが立っている。
 全員が二人を見た。
 マキの声は静かで、同時に力強かった。
 目はナリタを射るように見ている。
 瞬き一つしない。
「おい」
 ナリタは明らかに僕を見て顎で声をかける。
「座れ」
「さっきからなんだよ・・・お前さ、なんなん?」
「まーまー」
 タンクが割って入る。
「・・・お前さムカつかないの?」
「なんで」
「SNSが閉鎖に追い込まれたのだってアイツが原因だろ」
「俺はそうは思ってない」
「俺は思ってるけどね」
 ナリタといつもつるんでいるミズシマがやや食い気味に言った。
 あの二人は動画サイトに投稿しているらしい。
 僕は同級生の動画には興味がないけどナガミネから聞いた。

「僕は思ってない!」

 ヤスの声。
 下を向いたまま声を張り上げた。

「ヤっさんが泣きながら言うんだ。僕は卑怯者だって」
 あの「名無し事件」の後、ミツから聞いた。

「ヲタクは黙ってシコってろ・・・」
 クスクスとした笑い声と同時に小さいが確実に皆の耳に届いた誰かの声。
 瞬間的に頭が沸騰しそうになるのと辛うじて抑えた。
「ヲタクの何が悪いって言うの!」
 ナガミネが立ち上がる。
「存在そのもの」
 また声がする。別なヤツだ。
「誰だ今言ったの・・・」
 声は低く感情は抑えられていたが、マキが爆発しな気を発する。

「わかった」

 僕は立ち上がった。
「お前は黙ってろ」
 僕の声を力強い言葉でマキが制する。
「コイツに何か聞きたいことがあるヤツ。茶化すヤツ。・・・覚悟しろよ」
 昔マキは酷く荒れていた。
 怒りだすと止まらない。
「自分でもどうにもならないんだ」
 当時言っていた。
 ヤツは先生の所へ行ってから人間が変わった。
「マキ・・・」
「大丈夫だ」
 思いの外冷静さを感じる。
 マキの思いを踏みにじりたくもない。
 でもヤスやナガミネを矢面に立たせて自分だけが難を逃れるなんて。
「お~お~仲のいいことで。こりゃいいネタだね~ナガミネちゃん。お前らさ、ナガミネのオカズ漫画にされたこと知ってる?」
 男たちの笑いと嫌悪感が入り混じった声が漏れる。
(オカズマンガ?なんのことだ)
 ナガミネが目を一杯ひらいたと思うと、肩を震わせ、わっと泣き出す。
 女子が一斉にざわつき出す。
「ちょっと何てこと言うのよ!」
 マイコちゃんの声。
「ほ~ら、事実だろ~。その反応が証拠だよ」
「だからといって言っていいことと悪いことがあるのよ!」
 マイコちゃんにまで・・・。

「ナガミネ!」

 そららの声を打ち消すように僕は声を張り上げる。
「泣くことはない。なんでも描けばいいよ。本人が許可するんだ。他人にとやかく言われる筋合いはないでしょ?マキ、お前も構わないよな」
「ああ、構わないね」
 どっとクラスがどよめく。
 マンガでもなんでも描けばいいさ。
「おっほ~マジかよお前ら。ヤツの漫画読んだことあんの?」
「ないよ、それがどうかした?」
 何を描いていることは本人から聞いたことがある。
 彼女は何度言っても見せてくれなかった。
 見せられないんだと。
「だから言えるんだよ・・・気持ち悪いぞ。お前も知ってるだろ。ボーイズラブっての?そのネタになってんだよお前ら!」
 地鳴りのようにクラスがざわめく。
(マジかい・・・)
 さすがにそれはビックリ。
 そりゃ~見せられないな。
 そもそもああいうのは空想上の美少年がやるもんじゃないのか?
「あんた・・・いい加減しなさいよ」
 マイコちゃんが猫かぶりモードから解き放たれる。
「そうよ!あんまりだよ!」と女子が続いた。
 泣き崩れるナガミネの背中をマイコちゃんがさすっている。
 目はナリタの射殺すかのように睨みつけている。
 よくつるんでいたヤスオカさんは沈んだ表情のまま固まっている。
(どうして彼女は何も言わないんだ・・・友達だろ?)
 こうなったら、何でも言ってやる。

「俺だって・・・ズリネタの一つや二つあるさ!」

 僕の一言が予想外だったのか少したじろいだ。
 その隙間にタンクが入り込む。
「ナリタ、お前は何がしたいんだ?」
「何がって・・・」
「お前が『名無し』じゃねーだろうな・・・」
 タンクがすごむ。
 そもそもガタイのいいタンクが凄むと迫力が違う。
「ちげーよ!」
 結局「名無し」が誰だったか未だにわからない。
「お前か・・・」
 マキが凄んだ。
「ちげーって言ってんだろ!」

 わかった。
 そういうことか。
 彼らの会話を全く異なる視点で僕は聞いた。
 全てはあそこからオカシクなったんだ。
 どうあれヤツは俺が悪いと思っている。
 事実とは違うけど、それは今はどうでもいい。
 多分ミズシマも。
 他に何人かも。
 全部かもしれない。僕が悪いと思っている。それが事実だ。

「SNS閉鎖の件は申し訳なかった。ついでで悪いけど一度ちゃんと誤りたかった。ナリタ君が機会をくれたから丁度良かったよ。タンク、皆、本当にご免。迷惑をかけた。どうあれ僕にも責任がある。申し訳ない!」
 僕は頭を下げた。
 力一杯。

 静まり返る。

 ナガミネのすすり泣く声だけが暫く響き。
 それも止んだ。
(僕のせいだ。それは事実だ)

「プリント・・・やりましょうか?」

 いつものような口調でナメカワさんが声をかける。
 この雰囲気でこの声が出せるんだから本当に彼女は度胸がある。
(僕は不思議とそんな感慨が湧いた)
 彼女の声を聞いて、少なからず冷静じゃなかった自分に気付かされる。
「そうしよ~っと」
 それまで黙っていたサイトウが彼女の声に唯一応じる。
(美男美女、喧嘩せずか)
 そんな言葉が浮かぶ。
 固まった空気の中、次第にそれぞれが自らのミッションに向かい出す。
 僕とマキ、ナリタを除いて。
 廊下で足音が近づく。
 気づいたナリタが座った。

 再び教室のドアが開く。
 さきほどのヨネクラ先生のようだが様子がおかしい。
 教室を見渡し、僕と目があう。
「あーちょっと来て」
 マキがようやく席につく。
「あ・・・はい」
 僕を手招きする。
「他の人はプリントをやるように。採点しますからね」
「えー」
 クラスがいつもの雰囲気でどよめくのを他人事のように聞く。
(なんだろう)
 今朝のことだろうか。
 それとも今の騒ぎか。
 僕は一呼吸する。
「はやまんなよ」
 マキの声が背中に手をかける。
 振り返らずに手を小さく挙げ応えた。
(アイツはまだ僕がレイさんと心中すると思っているようだ)

「授業中にご免ね~」
「いえ」
 ヨネクラ先生の雰囲気はどこか落ち着きがない。
「校長先生がね」
 校長!
「はい」
「貴方を呼んで来て欲しいって言うものだから」
 校長・・・校長にまで事態は波及しているのか。
 想起しただけで気が滅入る。
 退学か停学・・・選べって問いつめられるんだろうか。
 言ったら停学、黙ったら退学。
 海外のテレビで見たことがある。
 司法取引ってやつだ。
 だったら・・・退学でいい。
「どうしてなんですか?」
「さ~」
 わからないのか。
 事が事だけに秘密にされているのかもしれない。
「職員室わかるわよね」
「はい」
「じゃ、行ってもらえるかな。他のクラスに寄る用事があるから」
「わかりました」
「まっすぐいくのよ」
「はい」
 先生と別れると僕は知らず小走りになった。
(事情聴取・・・ではない?)
 もしそうなら先生が一人で行かせるはずはないだろうし。
 次第に速度が上がっていく。
「こ~ら、走らない」
「スイマセン!」
 すれ違いざまに化学の先生に注意されたが僕の足は言うことを聞かなかった。

 職員室の方が賑やか。

 息が切れる。
 三つほど大きく深呼吸。
 自ずと肉体と精神は臨戦態勢に臨む。
 恐れより好奇心の方が強い。
 戸を叩く。

「失礼します」

 皆いる。
 スズキ、オグラ先生、ササクラ先生、本当に校長までいる。
 他にも顔は知っているけど喋ったことはない先生方が二人か三人。
 それに・・・。
(あー・・・レイさん・・・先生・・・)
 今朝一緒に登校してから何時間でもないのに遠い昔のよう。
 レイさん・・・笑っている?
(どうなったんだ・・・・)
 僕はつい先程も腹を決めたばかりなのに動揺していた。
 全く想像が出来ない状態が目に前で展開されている。
 先生とレイさんを中心にスズキや校長、ササクラ先生達がお茶を飲みながら談笑。守衛さんまで輪の中に入って。
「いや、驚いたね~。男子トイレに入ったつもりだったんだけどさ」
 先生が話題の中心のよう。何の話をしているんだ。
「いきんでたら戸が開いて『ギャー』だから」
 全員が笑った。
 レイさんの笑顔はこれか。
「出るもんも出ないよ」
 更に湧く。
 スズキまでも腹を抱えて笑っているじゃないか。
 余計に混乱する。
 今朝の二人、そしてスズキの硬直した顔が思い起こされた。
 繰り出されたであろう話題。
 それらに対して、レイさんとスズキが同じ場所で笑っているなんて考えられない。そんな解決方法なんて絶対にあり得ない。加えて、どうして校長や他の先生方までいるのか。
 普段は無口で温厚な校長までもが目尻の涙を拭いながら笑っている。
「お!」
 先生が僕に気づいたようだ。
「ナイトのお出ましだ~!」
 スズキが叫んだ。
(ナイトウ?)
 僕は後ろを振り返ったが、他に生徒がいるわけでもない。
「スーさん、若いもんをからかうもんじゃないよ」
 先生がスズキに言う。
「そっかそっか」
 スズキは笑っている。
「何ぼっとしてるの、マーちゃんこっちきなよ」
 先生に手招きされた。
「・・・はい。失礼します」
 僕は夢でも見ているんだろうか。 
 先生方の目が一斉に僕に集まる。
 いや、ササクラだけが先生をジッと見つめている。
 まるで・・・恋い焦がれた人を見るように。
 僕なんて眼中にないようだ。
 学年主任の表情も今朝のそれとは打って変わって穏やかで温厚な顔をしている。僕に向けたあの表情とはまるで逆。
 それでも一番驚いたのはスズキだ。
 今朝の来るべき審判に怯えるような表情が微塵もない。
 この場の誰しもが温泉にでもつかって一杯引っ掛けた後のような緩みきった顔。どうして?
「悪いね~授業中に呼び出しちゃって」
 先生は本当に申し訳なさそうに言った。
「いえ・・・」
 先生はまるで普段通り。
「彼ですよ校長先生」
「彼が・・・ああ・・・握手させて下さい」
 校長は立ち上がると感慨を込め僕の手をとり両手で包んだ。
 暖かく柔らかい手。
「貴方みたいな生徒がいて誇りに思います。ありがとう」
 え?何のことだ。
 僕は意味がわからずキョトンとしてしまう。
「来てもらったのは校長先生が是非とも君に会いたいって言うものだから」
 先生は申し訳なさそうにしながら補足した。
 意味がわからない。
 そんな僕らの様子を今朝の守衛さんが暖かい表情で見ている。
 心なしか涙ぐんでいる?
 どうして。
「じゃあ校長先生、スーさん帰るわ。本当に悪かったね、仕事の邪魔しちゃって。申し訳なかった」
 先生が深々と頭を下げる。
(先生が頭を下げる?どうして、なんで先生が謝るんだ)
「頭を上げて下さい。こちらこそ・・・」
 校長が促すと、ゆっくりと顔を上げた。
「寛大な措置に感謝しております」
 先ほどとは打って変わって先生は神妙な面持ちで言った。
「いえ、とんでもない・・・」
 スズキは黙っている。
 この表情からは気まずい以外のものは感じ取れなかったが、少なからずかなり落ち込んでいるように見える。
「また是非とも遊びに来てください」
「そんなこと言っちゃっていいんですか~。また『ギャー』ですよ」
 沈みかけた空気が先生の戯けた物言いで一気に砕ける。
 場が再び笑いに包まれた。
「じゃあレイちゃん帰ろうか~」
「いや彼女は授業があるから」
 スズキが先生に被せる。
「スーさん相変わらず頭堅いね。明日でいいじゃない。もう今更でしょ?それに私服だしさ」
「なんで私服が関係するんだ?」
 学校のこととなると主導権を握れると思ったのか俄然強気な態度だ。
「何だよスーさん知らないのかい。守衛さんが言ってたけど私服による登校はいけないんだよ。ね~?」
「そう・・・ですね」
 守衛さんは気まずそうだ。
「いや、それは知っているけど」
「僕は言い出したら聞かないよ!校長先生~いいよね~?」
「・・・ま、今日はよろしんじゃないですか」
「ほらー!」
「また、はじまった!全く先生はしょうがないな」
 スズキはそう言うとまた大笑い。
 僕が聞いていない会話の脈絡で笑っている感じだ。
(確かに先生は言い出したら聞かない)
 お風呂屋の一件でしみじみ思った。
「先生はこの後ご予定が?」
 それまで黙って笑顔で見つめていたササクラ先生が声をかける。
 今朝の僕に対する侮蔑たっぷりの声色と目線はどこへやら。
 今や飼いならされた猫のようである。
「書くだけだよ」
 筆を握るジェスチャーをする。
「じゃ~どうですか、一杯・・・」
 恐る恐るといった風情で声をかけた。
「いいね!」
「お、私も同行させてもらおうかな・・・」
「スーさん何言ってるの!あんたは授業があるでしょ?今日のあんたはまだ仕事してないんだから!」
「全くなー」
「全くじゃないよ。ん~・・・じゃあどうだい?七時半からってことで」
「あ、私も行きたいです」
「私も」
「いいですね~是非」
 学年主任のオグラ先生や他の先生方、守衛さんまで声を上げる。
(何が一体どうなった・・・わからない) 
 僕は外からは見えないだろうけど、ただ狼狽えていた。
(なんで笑っているんだ・・・解決したってことでいいのかな?聞きたい、これも聞いてはいけない約束になるんだろうか、それともセーフなのか。どうなんだ・・・)
 その一方で彼女の笑顔を見て全てを理解している自分がいた。
 難は逃れたと。
 退学をせずに済んだ。
 呆然と見つめる僕に気づいた彼女。
 今朝のように笑みをたたえ、小さく、静かに頷いた。
 誰にも気付かれないように。
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