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黄色いレインコート麗子 作者:ジュゲ
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第七十三話 先生たち

「上手いこと言うな!」
学年主任の憤りは書道専科のササクラ先生の思わぬ援護射撃に霧散する。
「ササクラ先生、驚かさないで下さい」
彼女は何時も通り体裁だけは繕ったが剣先の鋭い語気をはらんだ。
「すいません。彼の見事な一言に『してやられた!』と思ったものですから。身がしまる思いでした」
僕はなぜか書道は選択しなかった。
我ながら興味が無いんだろうと思う。
「重ねて生意気な口きいてすいませんでした」
オグラ先生は応えなかったが、代わりにササクラ先生が僕に問うた。
「お前の師匠はどこの会に属しているんだ?」
会?どういう意味だ。
「存じ上げません」


「なんだ在野か?一端の事を言うもんだから」
「ざいや?とは何ですか」
「わかんない?・・・なんだ・・・」
彼は今しがたの目の覚めるような感動から一気に気分は盛り下がったようで、いつもの廊下ですれ違った時のような意気揚々としているように見せて内実は冴えない雰囲気に戻っていた。僕は酷く侮辱された気がしたが、彼の僕に対する人物像に甚だ大きな失望感があったことだけは理解できた。
またしても予鈴がタイムアップを告げる。
(くそ・・・ササクラ先生がこなければ・・・もう少し何か聞けたかもしれないのに)
ササクラ先生の評判はお世辞にもよくない。
三十代前半の若い書道専科の先生。
書家らしく、書に燃えているのか指導が厳しいと言われている。
そもそも書道を選択する連中なんて楽をしたいから選んでいる生徒が大半だ。にも関わらず彼はかなり指導が厳しいようで、「こんなことなら選ぶんじゃなかった」とかなり陰口を叩かれている。
血気盛んなのもいいけど僕らと温度差がありすぎる。そう言えばマキとミツは書道を選択していたが文句を言っていた。
「なんなんだササクラは!」
「どうした?」
「書家か何か知らねーが、やれ何だかんだと自由に書かせてくれないんだよ。細かいことをウダウダと言いやがって、先生とは真逆。挙句にテメーは下手だときた。先生の方が何十倍もうまいぞ!しかも本を見ながら手本書きやがって、先生なんか見ないで書けるつーのによ!それで書家なのかよ!」
マキがここまで腹を立てるのも珍しい。
マキは当然僕も書道を選択するだろうと思っていたようだ。
「でも先生の話だと、それが出来る人ってほとんどいないらしいから仕方ないよ。あの先生は特別なんだよ」
「そうなんか。だとしても下手じゃしょーがねーだろ」
「それは言えてる。先生も言ってたよね」
「手本見ようが見まいが下手は困る。だっけ」
「最近もっとキツくて、『似せる努力すら放棄するようなら書かなくていいよ』って言われた」
「それは当時も言ってたろ」
「言ってたっけ?」
「お前がさ、アイツと付き合ってた時」
「憶えてない」
「なんだっけ、ほら『ここは手の運動場じゃないんだから』だったかな」
「僕って結構キツイこと言われてるんだね」
「でもあれはお前が悪いよ。色ボケていたから確かに気が抜けた字書いてた」
「えーマジで?」
「大マジ」
文化祭で何気にササクラ先生の書を見たけど確かに下手だった。
いかにも何かありげに飛沫を飛ばしたり奇妙に跳ね上げたり。
それでいて構造も空間も崩れきっている。恐らく筆の使い方も酷いんだろう。
先生が言うところの”物欲しげな書”の典型に思えた。
「奇妙に書いて妙に見えるのは当然だよね。だって奇妙になるように書いているんだから。それが妙にすら見えないんだったら眼医者に行った方がいいよ。普通にしか見えないのに”何だこれは!?”ってなるから凄いんであって、妙に書いて妙に見えるなんて当たり前すぎて僕ならポカンとしちゃうね」
先生の笑い声が頭の中でこだまする。
(つくづく選択しないで良かった)
「師の名前は?」
ササクラは諦めきれないのか食い下がった。
僕は僅かに躊躇う。
もし先生を侮辱されたなら、それこそキレるかもしれなかったからだが、隠すのもおかしいからと名を告げた。
「えっ・・・嘘だろ・・・まさか、本当か!本当なのか」
完全に惰性で聞いてきたように見えたササクラ先生が目を見開き興奮した口調で僕の肩を掴んだ。テンションは一気に天井を突き破ったかのようだ。
「お静かに!」
それまでヤレヤレという表情で見ていたオグラ先生が耳を抑え静かに、でも強く抗議を表明する。否が応でも皆の注目を浴びる。
「オグラ先生・・・今来ているんですか」
やや放心しているのか。
どうしたんだ。先生との間に何かあったのか?
「ええ・・・まあ」
オグラ先生は何か秘密があると煮え切らない返事をする。
昨日もそうだった。
「お願いです!私も会わせて下さい」
「今は無理です」
「そもそも何で先生が来られているんですか?まさか、校長室の額を依頼されたとか?払える額じゃないですよ。私が間に立ちますから!」
何を言っているんだ。
随分と先走る先生だ。
オグラ先生はそれとなく僕を邪魔そうに見る。
「予鈴はとっくに鳴ってますよ。早く戻って」
「わかりました。失礼しました」
まるでデジャブだ。
今朝もこんな感じで僕だけが仲間はずれにされた。
ササクラ先生は僕などはじめからいなかったかのようにオグラ先生に何やら頼み込んでいる。それをオグラ先生は、まるで集るハエを払うようにあしらっていたように見えた。どうやらオグラ先生はササクラさんのことを良く思っていないようだ。無理もない。学生の僕から見ても彼はガッツキ過ぎに見える。
「失礼しました」
職員室の戸を締める。
「なんですって!」
職員室の奥の方からオグラ先生に凡そ相応しくない声が轟く。
(今朝と同じですやん)
僕は後ろ髪引かれる思いで走り出す。
「なんで逃げるんだよ!」
マキが僕の肩を掴んだ。
今の僕はまるで周りが見えていないようだ。気づかなかった。
振り返った視界には今朝のような光景が映る。
皆が僕を凝視している。
お通夜のような鎮痛な空気が支配。
不意に笑いがこみ上げてくる。
「こういうのも天丼っていうのかな?」
声を出して笑ってしまった。
そんな僕をポカンと見ている。
「戻ろう、授業始まっちゃうよ」
僕は皆の消化不良な顔を見ながら、どうしてか清々しい気持ちになっていた。

二限目の僕はえらく波静かだった。
(僕はおかしくなったんだろうか?)
ササクラ先生の発言が思い出される。
あの自己満に思っていた先生が、僕の先生を知っていた。
あの感じからすると「尊敬?・・・」なんだろうか、少なくとも悪い感じではなかった。それがどこか痛快だったのかもしれない。
(先生はあの世界では有名人なんだろうか?)
思えば僕は先生のことは何も知らない。先生が自分のことは何も言わないからだ。いつものようにいて、いつものように笑っている。アニメキャラのように何時会っても濃紺の作務衣を着ている。外へ出る時も。風呂屋へ行く時も。今日みたいな大事な時も。そう言えば作務衣だけで十着ぐらいあるって聞いた。アニメのキャラも同じ服を沢山用意しているのだろうか。そう考えると笑えてくる。
思い返すと凡そ書道塾らしからぬこともやっていた。
僕は基本的に一人で稽古を受けている。別な教室では大勢の子供がいた。時間が会わない時はそっち行く。小学生が十人ぐらいいて賑やか。昔ながらの古い民家、引き戸の向こうでは皆がゲラゲラと大声で笑っている声がする。書をやっている生徒から水墨画らしきものを書いている子や日本画の図鑑を見ている子もいる。
「水墨画教室もやっているんですか?」
後で聞いたんだけど、
「やってないよ」
先生は言った。
「水墨画を描きたいって言うものだからさ」
「先生は水墨画も描けるんですか?」
「素人だけどね、いちを書家だから」
見せてもらったけど、それは驚くものだった。
「これのどこか素人なんですか!凄いですね・・・」
僕は息を呑んだ。
伝統的な竹林が描かれたものから、一方では活き活きとした蛙やウサギ、創作だろうか木の実がダンスしているものもある。
「お遊びだね。お遊びだから気楽に描ける分、案外いいのが生まれたりしてね。書より水墨画の方が後世に残るかもしれないよ」
子供みたいに舌を出す。
先生の教室は他とは違うようだ。
書いた半紙に赤丸をつけたり修正したりはしない。
僕はそれが普通に思っていけど、違うと後で知った。
生徒の中でも不満に思っている者にも気づいている。
少なくとも母は不満に感じていた。
「ちゃんと指導してくれているのかしら?」
そんな言葉を漏らしていた。
僕は割りとなんでも聞いてしまう方なのか、特に先生との間には禁句は感じていない。先生が全て受け止めてくれるからだろう。
「僕の感覚で言うと、人の作品に赤をつけるなんて失礼なことは出来ないよ」
先生は言った。
「作品・・・でも、練習した紙ですよね」
「僕からしたら作品だよ」
「でも皆は素人なんですから構わないのではないですか?」
「皆は構わないんだろうね。でも僕にとっては構う問題だ」
先生はそれきり黙った。
先生はただ「いいね、いいね」と言って、直ぐ次の手本を書く。
毎回それだけだった。
しかも書いている間はチラッと見るだけで基本的に見ていない。
僕は母に反論出来なかった。
これが指導なんだろうかと問われればわからない。
言えることは「先生の所は楽しい」これに尽きる。
こういうこともあった。
僕の稽古と大人の稽古がダブったようで同席させて頂いた時のこと。
先生は度々こうしたダブルブッキングをやる。
その方は十センチにはなるだろうかという半紙の束を手渡し、先生はそれを銀行員がお札を数えるように素早く見た。
「駄目じゃないか。全然駄目だ。まるでなってない。例えばコレだ」
めくり終わった束を再び手に取ると、どうしてわかるのか素早く目的のものを取り出すと言った。
「ここの点節なんか酷いもんだ。これじゃ誤字になるよ」
そう言って筆を取ると、サラサラっと書き示す。
僕は「何がいけないんだ?」とサッパリわからなかったが、先生が書き上げたのを見て愕然とする。確かに何かが違う。
「ここの引っ掛かりがないと誤字だよ。誤字でもいんだよ。名品にも誤字はあるから。でも、誤字で名品ならいい。これは誤字な上に駄作だ」
ボロカスに言った挙句に笑った。
僕は大人のお弟子さんが怒り出しやしないだろうかヒヤヒヤする。
その方は「なるほど、わかりました」と特に不満もないように見えた。
母や父、学校の先生方が言うのと何かが違った。
(先生は妙な感情は込めていないし、間違ってもいない)
間違ったことは言っていない。
その上で個人的感傷で物を言っているわけでもない。
ただ指摘していただけ。だから違うんだ。
他の大人達は何か別なものを込めて言っている気がする。
(こんなにも違うんだ)
そんな思いが湧いた。
そのことを聞いたこともある。
「先生は僕らには”いいよ、いいよ”だけなのに、あの時の先生は少し怖かったです」
そう言うと、
「人を見て法を説けって言うでしょ、それだよ。彼もまた書家だからね。プロを相手に”いいよ、いいよ”なんて何の参考にもならないから。良い部分はあるよ、でもそれは自分でも解っているだろうから、駄目な部分を正直に正確に言わないと勉強にならないから」
それだけ言った。
(先生が”いいよ”以外のことを言い出してからが本物なんだ)
そんな思いが去来する。

授業を聞いていない点では一限目と同じ。
僕はどうしてか先生との出来ことを授業中ずっと巡らせた。
思い出すのは楽しいことばかり。
もう話しが終わっているかもしれない。
上手くいく可能性なんてあるようには思えないけど。
「妄想は無意味だよ。あるのは現実だけだ」
先生が言っていた。
「現実を認識し、どう対処するか。今、自分にとって好ましくない状況であったとしても、その後どうなるかは誰にもわからない。仮に喜ばしいことになったとしても同じだ。常でないよ生きるっていうのはね。どう捉え、どう行動するかでしかない。一時の不幸が後の大いなる幸福であることは往々にしてあるし、その逆もある。僕が皆に言いたいのは、どうあれまずは”認識力”を高めてもらいたい。一時の不幸に暮れても、歩き出す時は来る。それは早いほうがいいでしょ」
認識力か。
どうなろうと、どう捉え、どう動くか・・・。
「君の我儘だよね」
昨日先生に言われたことが思い出される。
(今にして思うとそうかもしれない・・・)
「思い通りになって喜ぶなんて幼稚だよ。僕なんて思い通りならない方が面白く感じるけどね。そもそもが思い通りにならないものだし。思い通りになったと思ったとしたら凄い狭い視点でしか見ていない証に思うよ。絞っていけば幾らでも思い通りなるからね」
先生の言うことはいちいち難しい。

「起立」

日直が声をかける。
僕は落ちつていた。
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