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黄色いレインコート麗子 作者:ジュゲ
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第七十二話 理不尽

 スズキを見た瞬間に抑えていた憤りがマグマのように湧き上がる。
 真っ赤な血が全身を駆け巡り噴出口である僕の表情となって出る刹那、先生が口を開いた。

「よースーさん元気かい!久しぶりだね~」

 職員室中に響く大きな声。
 その声に行き場を失った憤りは一気に沈下した。
(本当に先生のお弟子さんだったのか・・・)
 先生はまるで我が家のようにズカズカと中へ入っていく。
 度胸が座っているのか無神経なのか。
 こういう所は本当に羨ましい。
 ところがスズキは険しい顔で眉をしかめている。
(やっぱり人違いなんじゃ・・・)
 容赦のない不信感を全身に纏い先生に歩み寄った。

「あー!なんだ先生、驚いた~!」

(良かった・・・・全く、こっちのセリフだよ!)
 驚かせるなよ。鈍いんだよ。
(本当に知り合いだったんだ・・・)
 それにしてもスズキでもああいう顔するんだな。
 意外だった。
 あんな笑顔、初めて見たような気がする。
「書いているかい?」
「それなりに書いているよ」
「へ~約束を守ったんだ」
 二人は笑っている。
 それにしても先生の方がスズキよりずっと年下なのに。
(これは・・・上手くいくんじゃないか?)
「ところで・・・」
 スズキはレイさんを見た。
「彼女は僕の弟子なんだよ」
 その瞬間にスズキの空気感がガラッと変わった。
 和やかな雰囲気から瞬時に緊張が走ったのがわかる。
 レイさんは頭を下げたが表情は無かった。
(彼女は弟子じゃないでしょうよ・・・)
 息を呑む。
 職員室が静寂に満ちていく。
 先生は何故か黙っていた。
 授業開始前の五分前予鈴が鳴る。

「あ~・・・そうなんだ」

 予鈴に背中を押されたか、辛うじてスズキが言った。
 ただし何かを察したようで非常に弱々しいものだった。
「あの・・・」 
 僕が口を開こうとすると、
「マーちゃんありがとう。じゃ、君は授業があるだろうから」
(え!?ここまで来てそれは無いんじゃないか!)
「そうだな・・・お前はもういいぞ」
 スズキは慌てている。
 先生は仁王像のような迫力で僕を見る。
(何も言うな、黙って下がれ)
 顔が全てを物語っている。
(このまま引き下がっていいのか・・・納得出来ない)
 でも、先生と約束しただろ。
(黙っていればいんだろ。一緒に理由を聞いちゃいけないとは言われていない!)
 それは屁理屈だ。
(先生だって好き勝手に何時も言うだろ。僕も好き勝手にやる)
 それは誰の為に。
(彼女の為だ。先生は余りにも無理やり過ぎる)
 僕は自身の綱引きに固まってしまう。
 視線が彷徨いレイさんが映る。
 彼女は僕を見つめ静かな表情のまま頷いた。
 綱が切れた。
 自分の中の激しい引っ張り合いが一気に途切れた。

「わかりました・・・失礼しました」

 ここまでだ。
 ここまでなんだ。
(後を頼みました。レイさんをどうにか救って下さい・・・)
 僕こそが部外者なんだ。
「スーさん、ここじゃなんだから、どこかいいかな?」
 少し遠くで先生の声が聞こえる。
「あ、ああ、そうだな・・・」
 スズキ先生の声が一層弱々しい。
「失礼しました」
 僕は頭を下げ戸を閉める。
 職員室は再び静かになった。
 僕は聞くでもなく戸の前に佇んだ。

「いい加減にしろおおおおおおお!」

 今まで聞いたことがないような怒声が轟く。
 先生の声。
 職員室の引き戸がガタガタと揺れる。
(まさか衝撃波!)
 外で突風が吹いた。
 そう言えば今朝から曇り空で風が強い。
 まるで季節外れの台風みたいだった。
 地球の天候が益々おかしくなっている。
 窓は不気味な唸り声を上げた。
「何してるの?予鈴は鳴りましたよ。教室に戻りなさい」
 オグラ先生。
「あ、すいません」
「何なの今の声・・・」
 先生は誰に言うとでもなく呟いた。
「さ、早く教室に戻って。あなた達も」
 視線の先を見ると、ナガミネ、マイコちゃん、マキ、ヤス、ミツが少し離れた所にいる。僕を凝視していた。
「はい」
 僕が小走りに歩き出すと皆が寄ってきて思い思いに声を発する。
「何があったの?今の声なに?それと中途半端な侍みたいな格好した人何なの?浮浪者?」
「あの大っきな大人は誰?刀鍛冶みたいな格好してたけど。レイちゃんも一緒だったよね?」
「おい、なんで先生が俺らの学校に来ているんだ?何があった。それと、まさかあの私服のってユウレイなのか?おっそろしいぐらい美人なんだが」
「ついに天岩戸が開いたんだね!そしてパンドラの箱が開放され世界に混乱を呼ぶ!」
「ちょっとマッキー!それどういう意味?」
「女神の守護神、作務衣の大魔神現わる!さすがですマーちゃん。それにしても我らの女神は美しい・・・」
「どういう意味って、一般論だよ!実際、すげー美人だったろ」
「マーちゃんどうしちゃったの、しっかりして。顔真っ青だよ?」
「そうだけど!・・・浮気者」
「女神は美しくて当然です!」
「浮気じゃねーだろ!」
「ちょっと皆黙ってよ、マーちゃんが大変なんだから」
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫なの?ねー」
「マーちゃん、マーちゃん」
「これは・・・大魔神に魂を差し出したんですよ・・・召喚の見返りに」
「なんという尊い犠牲を・・・」
 聞こえていなかった。
 誰にも何も応えられなかった。
 静かに頷くレイさんの表情だけが脳裏に焼き付いている。
 僕は”祈るような気持ち”という言葉を初めて体感していた。

 授業が頭に入らない。
 まるで別世界にいるようだ。
 頭がフワフワする。
 身体の感覚が乏しい。
 右に左に、身体が揺らめいていように思えて、でも実際には揺れていない。
 地震なのか?
 それとも僕が揺れているのか?
(いや、僕は揺れていないし、地震でもない) 
 揺れているような感覚があるだけだ。
 一方で頭がやけに重い。
 そして熱い。
 ボヤっとする。
 勝手に映像が浮かんでは消える。
 レイさんの硬い表情。
 先生の怒号。
 雨の日のレイさん。
 悲しそうな顔。
 穏やかな顔。
 笑った顔。
 冷めた顔。
(いかん・・・涙が落ちそうだ) 
 どうしちゃったんだ僕は。
 止まらない。どんどん勝手に頭の中に・・・。
 記憶の洪水。
 悲しいわけでもないのに涙が出てきた。

「嬉しかった」

 レイさんの声が脳裏を過る。
(あ、駄目だ、涙が・・・)
 終わったわけじゃない。
 先生がいる。
(他人任せ)
 煩い。
(困ったら先生か)
 だからなんだ。
(今回ばかりは先生でも無理だろ)
 先生はヤル人だ。
(全員退学。先生まで巻き込んで・・・最低だなお前)
 煩い。
 頭の中で声が聞こえてきた。
 これは・・・先生の声か。

「人にはそれぞれ持ち場があって生まれてくると思うんだよ。好むと好まざるとにかかわらずね。僕はね、人間に貴賎はないと思う。職業にもね。持ち場をどう守るか、遂行するかでしかないと思うよ。どこを見ているか、何を標榜するか・・・。出来るかどうかは別だよ。出来るかどうかは才能が関わってくるからね。才能は選べないし、ない才能は埋まらない。誰しも道の途中で終わると思うんだ。君たちの言う天才でもね。天才といえる人なんてそんなにいるとは思えないんだけど。ともかく、自分の持ち場に気づき、道の途中をどう生きるか・・・それしかないと思うんだ。そこに美が内在する。易きに流れる道に美は宿らないよ。良し悪しじゃなくてね。その点で言えば、やっぱり平等なんだと思う。才能は関係ないよ。君はよく僕は才能がないって簡単に言うけど、本当に無いと思ってないでしょ?無いのを知るっていうのは、相当にヤッた後でわかるもんだし、無いのがわかったら自ずと黙るもんだ。君は無いことすら知らないと思うんだ。無いと仮定し、有って欲しいと願っている。実に虫のいい話だ。僕からしたらえらくみっともないよ。心が動いたらトコトンやってみるんだよ。トコトンはヤリたくないなら最初からやらないことだね。好きや嫌い程度では浅い。弱いよ。でも、うっかり手を出してしまったらトコトンやるんだ。それが責任だ。自分に対するね。他人は関係ない。そこまでいかないと才能があるかないかなんて判らないと思う。自分の持ち場はつくるもんじゃなくて自ずと出来るもんだ。他人は見ているよ。基本的外れであってもね。他人様の話は聞いたほうがいい。自分はわからないものだからね。言われなくなったら終いだよ。でも他人様の話は半分だよ。タンスに仕舞うように自分の心の片隅に置くだけでいい。真に受けない方がいい。まずもって的を射ていないから。相手の言葉から探るんだよ。客観的自分を。そもそも真実なんてものはない。真実を求めている時点で不自由だよ。全ては不完全だ。不完全だということを重々承知した上で求めるものだ。皆あれだ、知らないってことを知らないんだね」

 なんで僕の頭に先生の言葉がスラスラと流れてきたんだ。
 それにどういう意味だ。
 よくわからない。わからないのに、なんで覚えているんだ。
(引っ掛かるんだ)
 それとも僕が勝手に作り上げているのか。
 指が痛い。
 いつの間にか指を噛んでいた。
 あー落ち着かない苛々する。
 頭を掻きむしる。
「どうしました気分でも悪いんですか?」
 オイカワ先生は僕を指し示し見ていた。
 先生の悪いクセだ。
 人を指し棒で物のように指すだけで名前を呼ばない。
「なんでもありません」
「顔色が悪いですよ」
「平気です」
「そうですか・・・じゃあ、ついでに答えて」
「わかりません」
「・・・聞いてましたか?」
「聞いてませんでした」
「ちゃんと聞くように」
 高圧的な物言い。
「・・・努めます」
「努め・・・・まあいいわ。では、ナメカワさん」
「はい」
 自分で自分の感情が制御できない。
 皆が僕を見ている。
 瞬間的に様々な感情が感じ取れた。
 大半が「今朝の二人はなんなんだ」といった感じだろう。
(まずい・・・)
 そうだ、僕の仕事はまだ終わってない。
 聞かないこと、沈黙すること、これが残っていた。
 僕の行動はまるっきりオカシイじゃないか。
(休み時間は一人になった方がいいな)
 目立つ行動は控えないと。
(持ち場だ。先生は先生の持ち場、僕には僕の持ち場。三人は同じ船)
 一心同体。
 急に僕は意味不明な混乱や不安感から開放された。
 憑き物が落ちたように軽くなる。

 休み時間と同時に僕は席を立った。

 マキやナガミネの声が教室から聞こえる。
「あ、おい!」
 マキの声がすがるように響いたが時既に遅し。
 職員室へと走った。
(どうなった・・・)
 僕は肉の塊となって無心に走った。
 途中で「走らない!」と誰かの声が聞こえた気がするけど関係ない。
 何て聞けばいんだ。
 出たとこ勝負だ。
「失礼します」
 息を整える間もなく、戸を二度叩き職員室へと入る。
 辺りを見渡す。
 スズキ、先生、レイさん、三人ともいない。
 そもそもスズキは一限目三組で授業だったんじゃないか?
 先生はちゃんと話せたんだろうか。
 しばし戸口で辺りを見渡す僕に三年の先生が気づいた。
「誰を探してますか」
 僕は咄嗟に、
「オグラ先生です」と言った。
 なんでオグラ先生なのか、自分でもわからない。
 スズキと言うべきだったんじゃないか。
 担任も副担任もいない。
 でも、オグラ先生は学年主任だから僕が呼んでも何ら不思議ではない。
 幸か不幸かオグラ先生はいた。
(オグラ先生は一緒じゃなかったのか・・・)
「あ、オグラ先生、彼が・・・」
 その先生はやや含みをもった言い方で僕を示唆した。
「ありがとうございます」
 自分で驚くほどハキハキ応え、会釈した。
「あー・・・どうされました?」
 先生は困った顔を浮かべていたが、それを打ち消すように辛うじて笑顔をつくり歩いて来る。この先生は笑顔が板についている。まるで女優みたいに。でも、女優なら三流だ。笑顔を作っているだけで心がついて来ていない気がしていた。
「こちらへ」
 そして僕を手招きし、うず高く積まれた書類のビルの谷間へ招いた。
 先生のデスクのようだ。
「二人は帰ったのですか?」
「二人?」
「今朝の・・・」
「あー・・・そうでしたか。三人で来たというのは貴方ですね」
「はい」
「まだ・・・・おりますよ」
(いるのか)
「それがどうかされました?」
「どうなったのかと思いまして・・・・」
「どうなったかとは?」
「今朝、急に先生が・・・あ、私の書道教室の先生なんですけど」
「なんなんですかあの人は?」
 彼女は珍しく嫌悪感を露わにする。
「え?」
「貴方ね、部外者を勝手に校内に連れ込んでどういうつもりですか」
「はい」
「何の為に警備を強化していると思っているんですか?何の為に守衛がいるとお考えですか?」
 オグラ先生は次第にヒートアップする。いつもスカしている彼女にしては珍しく感情的になっていた。
「申し訳ありませんでした」
 意外なほど素直に謝れた。深々と頭を下げる。
 勿論、口先だけだ。
 いや、そうでもない。
 何割かは本当に悪いことをしたと思っている。
「まあいいです・・・。二人から・・・何か聞いてますか?」
「何をですか?」
「こちらが聞いているんです」
「聞いてません。それを知りたくて来たんです」
 先生は当然僕も何かをしっているだろうという予測をしていたのか拍子抜けだったようだ。途端、態度を変えた。
「そうですか・・・では、いいんです。ご免なさいね、急に大きな声だしたりして」
 この先生のこういう所に虫酸が走る。
「いえ、こちらこそすいませんでした。ところで、何かあったんですか?」
「何も聞いていないならいいんです。こちらからは言えることをありませんから」
「そうですか・・・」
「ところで二人とはどういう関係なの?」
「先生は・・・男性の方は書道塾の先生です」
「格好だけは尤もらしいですけど、無茶苦茶ですね」
「先生は・・・(先生の何がわかるんだ)立派な方です。僕が唯一信頼出来る大人です(テメーより何百倍もな)」
 彼女は眉をひそめたが、蝿が目の前を通り過ぎた程度の関心しか示さなかったようだ。
「それはそうと、もう一人はクラスメイトでしたね。彼女はどうして制服を着てこなかったんですか?」
「先生と二人で突然行ったものですから着替える間がなかったと思います」
「ところで・・・彼女が停学で自宅待機だったことを昨日伝えましたよね。行かないようにとも・・・」
 普段穏やかそうに見えて背筋も通った先生だったけど、何となく癇に障る理由がわかった気がする。そもそも学年主任と口を聞く機会なんて滅多なことではなかった。こうして一対一で話してみてわかる。僕は彼女からいつも高圧的なものを感じていたんだ。無意味に丁寧な物言いが余計にその背後にある精神性を強化させて感じられた。
「私の先生が彼女に合わせて欲しいと言ったものですから」
「校外の人に言ったのですか?」
「すいません。同じ門下生なものですから」
 僕を丸め込もうとでも考えていたのか、捲し立てようと構えていた気勢が萎えたように見えた。已む無しと感じたのだろうか。オグラ先生は一息ため息をつくと、
「こんなことは言いたくありませんが、貴方の先生は些か常識がないようですね」
 嫌悪感の衣を着せて僕に投げつけた。
「先生は本物の書家です。普通だとしたら、それは果たして書家なんでしょうか・・・」
 言ったと同時に僕は「しまった!」と思った。
 生意気そのものの物言いだったからだ。
 その感覚の通り、平静を装っていた彼女の顔がみるみる紅潮する。
(虎の尾を踏んだ)
 僕は直感したが後の祭り。
「なんですかその言い方は!」
 化けの皮が剥げたな。
「生意気な口を聞いて申し訳ありませんでした」
 ところが、自分でも驚くほどハッキリとした口調で謝罪し頭を下げた。
 続くであろうと思えた言葉の竜巻は行き場を探し彷徨っている。
「貴方ね・・・」
「すいませんでした!」
 更に大きな声を発し、身体をくの字に曲げる。
(僕のせいで二人に迷惑はかけられない)
 それだけが僕の心を占めていた。
+注意+
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