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黄色いレインコート麗子 作者:ジュゲ
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第六十二話 レイコのウラガワ

 私は裏切らない。
 私は裏切ってはいけない。
 その資格はない。
 絶対にやってはいけない。
 アイツらとは違うから。
 あの豚共とは違う。
 私は裏切らない。
 マーさんを裏切らない。
 大人のマーさんは待っているはず。
(ならどうして来ない)
 忙しいんだ。
 そう・・・忙しい。
 いつもそうだった。
 前もあったじゃないか。
 あの時は三ヶ月だったかしら。
 それとも半年。
 思い出せない。
 思い出したくない。
 永遠とも思えるほどの月日。
 あの時、マーさんは大変だった。
 しかも私の為に奔走していた。
 それを知らずに私は一人で気が変になりそうだった。
 寂しくて、孤独で、辛くて。
 彼がこの高校を探してくれた。
 受かるようにしてくれた。
 このアパートも探してくれた。
 豚共に見つからないように。
 働きながら。
 身体を壊しながら。
(生まれてはじめて神はいると思った)
 使わされたマーさんを。
 私にとっての救世主。私にとっての天使。
 それなのに私は自分の孤独すら受け入れられず彼を疑った。
 死のうと思った。
 こんな私は生きている価値はない。
 でも、その神は言った。泣きながら。
「なら俺のために生きてくれ」
 自分を捨て彼の為に生きるって誓ったのに。
 それがどうだ?
 どうしてこんなにも心がざわつくんだろう。
 ミネちゃんを見る彼の目を見ていると落ち着かない。
(また捨てられる)
 そんな言葉が浮かんだ。
 また?またって誰のこと。
 自称母親とかいうヤツだけだろ。
 捨てたのはそいつだけじゃないか。
 名も知らぬ顔も知らぬ豚一匹。
 他の奴らは私を餌食にしただけ。
 父さんは最後まで私を守ろうとしたくれた。
(弱すぎた)
 弱くて何が悪い。
 弱くて何が悪い!
(弱い優しさは酷だ)
 父さんは何も悪く無い。
 あの豚は父さんの体調を知りながら去ったんだ。
 残酷な。
 親戚とかいう豚共は論外だ。
 もとから頭数にはない。
 身の程知らず。
 厚顔無恥。
 卑怯者共。
(私は彼らとは違う。あの豚共とは違う)
 違うの?本当に。
 豚の子は豚。
 私もあの豚と同じなのか。

(私は彼を裏切ろうとしている)

 だから言ったんだ。
 私と関わらないでって。
 辛くなるだけなのに。
 そうか、私は彼の為に言ったんじゃないんだ・・・。
 自分の為に言ったんだ。
 別れが辛くなる。
 私は今更一体世間の人たちに何を期待しているんだろう。
 あれほど懲りたじゃないか。
 彼らは何もしない。
 厚顔無恥に無責任に言うだけで自らは何もしない。
 隣で飢えている子がいても知らぬふりをするだけ。
 そしてニュースに触れて言うんだ。
「可哀想に」
 煩い。
 黙れ。
 同類の癖に。
(それが何が悪い)
 悪くない。
 自らのことで手一杯なんだ。
 私と同じで。
(ならばせめて黙ってろ!)
 世間とはそんなものだ。
 好き勝手に他人のことを言う。
 でも彼は違う。
 マーさんは違った。
 だからこんな目にあっているじゃないか。
(疫病神!)
 私がおかしい。
 でもあの豚共はなお悪い。
 血の一滴まで啜りとろうとする。
(豚に失礼)
 そうだ、豚に失礼だ。
 あいつらは・・・。

 藪蚊だ。

 アイツらは蚊なんだ。
 あの日のことを思い出す。
 暑い夏だった。
 網戸もない状態で戸を開けると向かいの幼稚園から蚊が飛んでくる。
 暑さで朦朧とする意識の中、私の血を吸うアイツをしばらく見ていた。
 どこまで吸うのか。
 奴らは吸えるだけ吸い、飛べなくなるほど腹いっぱいまで膨らませる。
 驚いたことに飛ぶことも出来ず、これ以上血を吸うことも出来ず、私の胸の上で一休みしている。
 私はゆっくりと羽をつまみ上げ見つめた。
 じたばたすることも出来ずヨロヨロとただもたついている。
 テーブルの上に降ろしてもロクに歩くこともままならない。
 指でゆっくりと押し潰す。
 するとどうだ。
 身体のサイズに相応しくないほどの血を大量に撒き散らす。

 急に怒りが込み上げてきた。

 私は狂ったように叫びながらテーブルを叩く。
 朦朧としながら立ち上がり水道を頭から浴びる。
 自分が獣になったような感じ。
 野良犬のように唸りを上げ小さな鏡に移った自分を睨み返す。
 アイツラは血を吸い、その上で毒まで植え付ける。
 逃げることすら叶わないほど肥え太り指で弾き飛ばしたら、これでもかと血をまき散らす。
 なんという羞悪さ。
 強欲さ。

(死んでたまるか)

 嫌なことを思い出した。
 昔の話。
 済んだこと。
 マーさん、大人マーさん、どこで何をしているの。
 一人で無理をしないで。
 私の為にこれ以上無理をしないで。
 私の側にいて。
(身勝手な女だ)
 彼は私の為にあそこまでやってくれたというのに。
 私は自分の人生すら持て余している。
 彼にもしもの事があったら自分がどうなるかわからない。
 父さんのようになったら。
 私を捨てた豚のようになったら。
 その時はあの飛べないほど肥え太った蚊を全て潰してやりたい。
 汚い腹の血をぶちまけてやる。
 そして自分の人生を終わりにすればいい。

(もしそうなったらマーさんは、子供マーさんはどう思うだろう)

 あー嫌だ嫌だ。
 最低な人間だ私は。
 でも我慢出来るかわからない。
 大人マーさんも社会の食い物にされている。
(それがわからないの?)
 社会の藪蚊共にたかられている。
 いや、あの目はわかっている。
 わかった上で行動している。
 温かい笑みを浮かべて。
 マーさんの温かい笑顔。
 天の微笑み。
 私に守るだけの力があれば。

 TVを見ているのだろうか。
 ここの隣人は不愉快な声で笑う。
 あんな低能な番組を見て何が面白いんだろうか。
(ロクに見たこと無い癖に)
 見なくても音でわかる。
 昔とは違う。
 以前だったらタダでは済まさない。
 ココはマーさんが探してくれた。
 彼の顔に泥を塗りたくない。
 彼に泥を塗るヤツは許さない。
 私であっても。

 夏休みのあの日、子供マーさんはどうして隣人の豚に謝れたんだろう。
 あの度が過ぎた理不尽な罵声に対して。
 でも怒ってはいた。
(この人もこんな顔をするんだ)
 そう思った。
 痺れるような感動が覆う。
 今思い出してもぞくぞくする。
 温室で育った顔。
 穏やかな表情。
 穏やかな声。
 愛を与えられた顔。
 でも彼は怒らなかった。
 臆病だから?
 気が弱いから?
 私に悪いから?
 昔の男達とは違う。
 あの藪蚊共なら乗り込んだ。
 私を守る為にと言った。
 顔面の形が変わるほど殴っていた。
 気持ちよかった。
 ざまーみろと思った。
 幼い私はそれを見て感動していた。
 愚かな子。
 そうだ、あの時も感動していたじゃないか。
 何が違う。
 所詮は勘違いだ。
 どうして子供マーさんは声を張り上げない。
 彼を見ているともどかしい。
 何を考えているの?
 マーさんはミネちゃんに変な顔して笑っているのに私にはしてくれない。
 学校ではわかる。そういう約束だ。
 でも三人で合っている時はいいじゃない。
 私にだけは自然に振る舞ってくれない。
 どこか格好つけている気がする。
 本心で言ってくれない。

「断ったの。拒否したんじゃない」

 そういった時、凄い嬉しそうだった。
(まだ私のこと好きなのかな?)
 幻想を抱いている。
 彼は何も知らない。
 本当の私を知ったらどう思うだろう。
 幻滅するだろう。
 マーさんのお母さん。
 私を見る目からして私を嫌っている。
 女は女をよくわかる。
 それなのにマーさんは今でも私を呼んでくれる。
 お母さんがほとんどいないのはわざと?
 気づいている。
 偶然?
 私は彼を好きなんだろうか。
 人として好き。
 嘘じゃない。
 男性として・・・わからない。
 幼い気がする。
 私はきっと平均的な高校生という幻想を彼に見ているような気がする。
 憧れている。
 普通に生きて、普通に高校生している君に。
(きっと幻滅する)
 彼は私に同情しているに過ぎない。
 私の部屋を見て彼は現実を知っただろう。
(でも彼は何も言わなかった)
 あの後も彼の態度は変わらない。
 どうして?
 どうせ私としたいだけなんでしょ?
 男が考えることはそれしかない。
 目的は果たせないのよ。
 だってそれ以外何もないでしょ。
 それ以外に私に何を求める?
 どうして彼はいつも私を見て嬉しそうなんだろう。
 私を見て彼は笑っている。
 何も知らないから笑っていられる。
 知ったら嫌いになるだろう。

 スズキ先生。

 笑う。
 今と以前じゃまるっきり別人のような扱い。
 なんだっけ。
「制服を買うお金がないなら援助しようか?」
 ふふ、笑う。
 遠回しに言ったつもりかしら。
「その見返りにセックスでも要求するんですか?」
 そう言ったら狼狽えていた。
 顔を真っ赤にして。
 中学の時のアイツの方がまだマシかもしれない。
「当然だろ?」
 何が当然なんだか。
 私にはそれぐらいしか無いから当然と言えば当然か。
 別なクラスの子にぶっ飛ばされてて退職させられたのは痛快だった。
 あの子は今どうしているだろう。
 私と違って人気者だった。
 男なんて皆同じ。
 アクセサリー程度のものでしかないんでしょ?
 したいだけなんでしょ。
 愛してるですって?
 愛って何なんですかね。
 可笑しい。
 知らない癖に言えちゃうんだから。
 私は知らない。だから言わない。言えない。

 高校生のマーさんは私に何を見ているんだろう。
 大人マーさんとは違う。
 彼は私に娘さんの姿を見ている。
 だからわかる。
 私のお父さん。
 私の恋人。
 私の兄。
 じゃあ子供マーさんは?
 彼は言う。
「素敵な声」
 どこが?
 こんな声だから舐められる。
 もっとドスの効いた低い声だったら恫喝がもっと効果的だろうに。
「綺麗だ」
 皆が言う。
 綺麗な花には棘があるのよ。
 そうでなければ藪蚊もたからなかったろうに。
 静かにしていられただろう。
「強い」
 強くもなる。
 それだけ?
 私は疫病神だ。
 皆が不幸になる。
 父さんも。
 嘗て友人と呼んだ子も。
 私を愛していると言った彼らも。
 大人マーさんさえも。
 もう耐えられない。
 もう私と関わらないで欲しい。
 辛い。
 楽になりたい。
 でも神が許さない。
 大人マーさんが許さない。
 捧げると誓ったんだ。
 全てを。
 だから彼の許しが出るまで終わりにしてはいけない。
 捧げたんだから。
 私に決定権はない。

 その私を惑わす。

 子供マーさん。
 高校生のマーさん。
 彼は私に何を見ているの。
 どうして私の心はここに来て動揺するの?
 彼に何を見ている。
 何を感じている。
 どうして彼が嬉しそうにミネちゃんを見るだけで動揺するの。
 自分で断っておいて。
 非道い女。
 アイツラと変わらないじゃないか。
 ミネちゃんは嘘をついている。
 彼を好きなんだ。
 じゃあどうして好きって言わない。
 言ってくれれば楽になるのに。
 きっと彼は申し出を受ける。
 そうしたら私は・・・。

 好きなの?

 好き。
 でも、そういう好きとは違う。
 もう少し話していたい。
 もう少し陽に当たりたい。
 それだけ。
 彼は私の話を楽しそうに聞く。
(やりたいだけでしょ)
 気に入られようとしているだけ。
 やつらと同じだ。
 男なんて所詮は自尊心の塊。
 頼りない上に最後には裏切る。
 口を開ければ言い訳ばかり。
 私は違う。
 私は裏切らない。
「好き」
 って言ったら彼はどういう顔をするんだろう。
 頭の中で嬉しそうに笑う彼。
 嬉しそうな私。
 嬉しいの?
 やっぱり豚の子は豚か。
 その後どうする?
 やっぱりヤルんでしょ。
 その後は?
 幻滅する。
 そして終わり。
 いつもと同じじゃないか。
 いい加減に気づいて麗子。
 私のことを知ったら必ず幻滅する。
 私なら幻滅する。

(怖いのか・・・)

 結局、怖いのは私自身かもしれない。
 また幻滅される。
 あの顔。
 もう見たくない。
 私の身体の傷を見たら彼はどう思うだろうか。
 趣味?
 虐待?
 キモイ?
 そうだ。
 私は彼の心配をしているんじゃないんだ。
 自分のことばかりを心配している。
 最低な女だ。
 彼の人生を歪めようとしている。
 彼にあんな顔で見られたくない。
 もしそうなったら耐えられない。
 諦めてもらわないと。
 だからマーさん、帰ってきて。
 私の迷いを断って。

 お金はいつ返そう。
 彼のお陰で借りたお金はもうある。
 でも返しそびれている。
 これを返したら全てが無かったことになりそうで。
 初めてのアルバイトが私の為に前金だなんて。
 そんなにやりたいのかな。
 私のガリガリな身体を見たらきっとギョッとするだろう。
「なんだお前、気持ち悪いな」
 そう言った男もいた。
 自分でも思う。
 まるで骸骨だ。
 どこがいいんだか。
 利息をつけようかと思ったけど、それは彼に対して失礼だと思いやめた。
 彼はそんなつもりじゃないだろう。たぶん。
 バイトすれば簡単だと思ったんだろうか。
 そうすれば私が靡くと思ったんだろうか。

 いつからだろう人の思いを素直に受け取れなくなったのは。

 元からかもしれない。
 豚の子は豚。
 わからない。
 なんで私は泣いているんだろう。
 確かなモノが欲しい。
 あるじゃないか。
 マーさんが。
 大人のマーさん。
 彼がいてくれさえすれば私はいいのに。
 叶えてくれない。
 いっそ二人でといってくれたらどれだけ嬉しかったか。
 それで人生が破綻してもいい。
 私は。
 でも彼は違った。
「俺はね楽観的って言われてきた。実際そうかもしれない。出て行った奥さんとも子供が出来たから結婚した。それでいいと思った。そこまでは良かったかもしれない。何があってもヘラヘラと生きていくような気がしていた。でも違った。娘が亡くなった時、錯乱したよ。事故であれ故意であれ轢いたヤツを殺してやろうと思った。娘の顔が忘れられない。知ってるよね。愛らしいんだ・・・。パパ・・・パパ・・・見てたよね」
「うん」
「醜態だよ。だから嫁も出て行った。あれなら俺でも出て行く」
「違う!非道い女」
「無理もないよ。最低限、俺が死ぬまで君には生きていて欲しい。願わくば笑顔でね。身勝手な話だけど。でもね、失ってわかったんだ。俺はそれが願いだったんだって。それだけが・・・。叶えられなかった。そんな簡単なことさえ。あんな思いを二度も味わいたくない。勝手な願いだよな」
「わかった」
「麗ちゃんありがと。ありがとう。捨てられた者同士さ、仲良くやろう」
「うん」
「俺たちは今日から家族だ」
「うん!」
 嬉しかった。
 彼がどん底の時、私は産まれて初めて本当の喜びを知った気がする。
 生きてて良かったって。
 同時に残酷だと思った。
 彼が最低になったお陰で私は最高になれたから。
 彼の犠牲の上で私は成り立っている。
 父さんの死、そしてマーさんのご不幸。
(私は疫病神なんだ)
 その彼を裏切っていいわけがない。
 裏切るわけがない。
 今は陽だまりに少し手を向けているだけ。
 少し温まりたいだけ。
 彼が戻ってくれば全てが元通りになる。
 その時、彼はどんな顔を私に向けるんだろうか・・・。
 私の身に起きたことを知ったらどんな顔をするんだろう。
 軽蔑するだろうか。
 彼らのように汚物でも見るように私を見つめるのだろうか。
 アイツラのように罵るんだろうか。
 そうは思いたくないけど・・・。
 でも人というのは本当にわからない。
 彼らだってそうだったから。
 あんな顔は見たくない。
 あんな憎悪はもう浴びたくない。
 高校生の・・・マーさん。
 貴方はどうする?
 私の何がいいの?
 でも、貴方なら許せるかもしれない。
 私の為に身を挺した人だから。
 二人のマーさんと、父さん、アイツを殴り倒してくれた名も知らぬ彼女。
 この四人だけは私にとって生きる理由になる。
 父さんはもういないけど。
 本当にありがとう。
 言葉では言い表せない。
 貴方が望むなら別にいいんだ。やっても。
 最初からわかっていた。
 私にはそれしか返せるものがないんだから。
 でも、本当にそうなのかな。
 それを言ったら全てが裏返りそうで怖い。
 彼は私に何を見ているんだろう。
 何を望んでいるんだろう。

 さようなら・・・か。
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