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ノブ、それって空耳 作者:奈備 光
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8 酒コレクションと螺旋階段

 パーティは芳川のウィットに富んだ挨拶やカナダ、人留学生のフルート演奏などを交えながら順調に進んでいった。
 ひととおり料理を口に入れたころになると、多くのものがグラス片手にテラスに出たり、ゲストハウスの見学に繰り出したりしていた。

「その節はどうも」と松任は、生駒に近づいていった。
 今日はこの着物のせいで、自分が移動する方にいくつもの目が動くのが分かる。
 コンパニオン役を買って出たのだが、さすがにこの着物は派手過ぎたかもしれない。松任はなんとなく恥ずかしく、動き回っていないと肩が凝りそうだった。
「こちらの方は?」
「三条といいます。うちのスタッフです」
 生駒がパパラッチでのインタビューのときと同じように、ゆっくりと渋い声を出した。
 声をかけるのは誰でもよかったのだが、生駒が連れているこの娘が自分の着物を好意的な目で見つめてくれていたことがうれしかった。
「どうぞよろしく」
 松任はゲストハウスを案内しようと申し出た。

 たちまち、「あこがれるわぁ」と三条がため息をついた。
 リビングのすぐ横、アーチ型の開口部の奥にある独立したキッチンだ。
 この家は自分のものではないが、松任は誇らしかった。
 キッチンのリニューアルは、あなたの方が使う機会が多いでしょう、と芳川夫人から任されたものだったからだ。

 中央には大きな調理台。すでにデザートや果物が盛り付けてある。
 システムキッチンの天板は乳白色の大理石。システム全体がイタリアからの輸入品。
 正面にはカウンターのある大きな窓があり、テラスが一望できる。

「外に向かってオープンなんですね。テラスでパーティをすることも想定していたのかなっ」
 三条がうきうきした声で、生駒と話している。
「台風が恨めしいですね」

「ゲストハウスの管理はどうされているんですか?」
 生駒からの質問だ。
 現実的なことを聞いてくる。彼は建築家だ。間取りやインテリアの説明はしないでおこう。

「うわ!」と三条が小さく叫んだ。キッチンの付属室の棚には、食材や贈答品がぎっしり詰まっていた。
「厚かましく覗くなよ」と、たしなめる生駒。
「はーい。じゃ、次、行こう!」
 三条は自分より年齢は下のようだが、からっとした性格のようでうらやましい。
 すらりとした長身に、短めにカットしたストレートヘア。つややかな黒い髪がまぶしいくらいにおしゃれ。
 白いブラウスの下に、たまご色のシャツ。ウコン色のパンツに白いパンプス。全体としてとてもさわやかだ。

 生駒の方はといえば、髪を後ろに撫でつけているが、薄くなった頭頂部が目につく。
 顎の下に溜めた肉はまだそれほど多くはないが、明らかに中年太り。エラの張った大きな顔は我が強そうだ。
 そしていつものように墨色一色。

 「立派なものだね」「うわ、すごい!」などといいながら、ふたりは見るからに仲がよさそうだ。
 芳川と自分も、周りからそう思われているのだろうか。

 まずは下の階を順に見ていく。どの部屋も普通のマンションに比べてふたまわりほど広い。
「あ、こんなところも開放してあるんだ」
「どうぞ。主寝室です」
 キングサイズのベッドが二本並んでいるが、狭苦しさは感じない。専用のトイレと浴室を持ち、ドレスルームも付属している。

 芳川はここで休んだことは何度もあるようだが、夫人はどうだろう。
 まさかと思うが、あの女は……。今日、みんなの前で恥をかけばいい……。
 松任は、思わず浮かんだ暗い感情をあわてて消し去って、
「ミニバーも設えられているんですよ」と、サイドボード脇の隠し扉を開いてみせた。

 ふとサイドボードの上に置かれた紙片に目がとまった。
 松任は紙片に印字された短い文章を目で追った。
「インタビューブログにはミラーサイトがあります。こちらの方もぜひ」
 紙片には、そう記されてあった。
 ん? それは聞いていないが……。

 それにしても、芳川はなぜこんな部屋にメッセージを残しておくという、安手のミステリーのような仕掛けをしたのだろうか。
 ミラーサイトがあるのなら、彼ならもっとスマートに直接的なアピールをするはずだが……。

「へえ。ムードも満点」
 三条がスイッチを捻っている。
 壁の間接照明が濃くなり薄くなり、淡い光を天井に広げた。
「はい。じゃ、反対側に参りましょうか」
 松任はミラーサイトの紙片をそのままにして部屋を出た。
「あ、離れですね」と、三条が目を輝かせた。

 パーティのメイン会場であるリビングを通り抜け、低い天井の渡り廊下を通っていく。南側のテラスと北側の屋上庭園の結節点にあたる廊下だ。
「ここはなんの部屋だろ」
 まず三条が足を踏み入れた。
 リビングに次いで広い空間である。一部は二層分の吹き抜け。巨大な開口部に厚いカーテン。

 芳川と金谷ら数名の客が談笑していた。
「サブリビングです。私はバーと呼んでいます」
 芳川が解説してくれた。
 確かにバーに見えなくもない。床は真っ黒なカーペット敷きでゆったりとしたソファは落ち着いた赤。ブラケットのほのかな明かりが壁のリトグラフを照らしている。
 部屋の中央にはグランドピアノ。今夜は蓋が開けられていた。

「私は無趣味でしてね。これといったものがないので」
 芳川が照れたようにいう。
「世界中の安い酒を持って帰ることだけが趣味、といえるようなものでして」
「へえ。なるほど」
 そう応えて、生駒がボトルシェルフに近づいていった。色とりどりのボトルがぎっしり収納されている。

「おいしいかどうかというより、安いからとか、ボトルのデザインやラベルがきれいだからとか、まあ、そんないい加減な基準で選んだものです。いかがです? 生駒さん、少しお飲みになりませんか。どれでもお好きなものを。今、私の一番のお奨めは」
 芳川が手に持っていたボトルを生駒に見せようとした。
「そんな大切なものを、とてもとても」
と、生駒は尻込みする。
「トンとお酒の味がわからないもので。もったいないです」

 感想を求められては困ると思ったのか、あまり酒に強くないからなのか、生駒はそう弁解してボトルシェルフから視線をはずし、空間を眺め始めた。
「建築家として見た場合、どうですか? この家は」
 金谷が生駒に声をかけた。
 家の主人を前にしてその問いはないだろう。しかし、芳川は微笑んで、生駒の言葉を待っている。

「ちょっと見ただけの専門家の意見より、住まい手の満足感の方が大切です。でも、強いていうなら、丁寧に考えられた間取りだと思いますね。要所が締まっていて」
 などと、生駒はそつのない言い方をした。

 金谷が感心する。
「なるほど、そういう見方をするんですね。僕なんか、あ、この壁紙はきれいだなとか、豪華な大理石を使っているなとか、パーツごとに、自分の好き嫌いに照らし合わせた感想しかありませんでしたよ」
「建築を考える側ならではのご意見ですね」
 芳川も幾分ほっとしたような反応だ。
「でも、生駒さんのセンスでいうと、どうです?」
 金谷はしつこい。
 少し酔っているようだ。

 建築家は少し困った顔をしたが、芳川を前にして、しっかり応えなくてはいけないと思ったのだろう。
「全体として、表面的な豪華さを抑えたという印象ですね。つまり、いい材料をここぞというところにうまく使っているけれども、ことさらにそれを見せびらかさず、ということですね。ジャパネスクテイストも盛り込みながらモダンな感じ。少しドライすぎるかなとは思いますが、靴のままというスタイルがそう感じさせるのかもしれません。平たくいえばアットホームな感じがあまりしない。迎賓館という用途なので、それがいいのでしょう」
「お褒めいただいたということですね。ありがとうございます」
 芳川は微笑んで、金谷には「こっちのはいかがです?」と、さらに酒を勧めた。

「まあ、壮観ね」
 女性の三人組がバーに入ってきた。
 瀬謡佐知子とその娘、出席者リストによれば美咲と記されてあった。
 そして私の母……。

 瀬謡は地味なデザインのピンクのワンピース。美咲はベージュ色のスーツ。と、この親子は落ちついた服装だが、母はひまわりの花柄が大きく描かれた真っ青なシャツに白いパンツ姿。髪には大きくウェーブするパーマをあて、化粧も濃く、ネックレスが目立っている。精一杯おしゃれをしてきた賞を出すとすれば、この人が金賞を獲得するだろうが、趣味がいいとは言えない。

「そのお着物、とても素敵ですね」
 瀬謡が声をかけてきた。
「ありがとうございます」
「近頃はこういう柄もあるんですね」
 レンタルですなどと謙遜しては、せっかく褒めていただいた人に悪い。
「いいよねえ。こういうのが着れて、しかも似合う方は。ね、馨」
 瀬謡が母に同意を求めた。
「ええ。とてもいいセンス」

 ここにいる人は誰も、私たちが親子だということを知らない。
 ただ、隠さなくてはならない理由などはない。
 それに、たとえ私が親不孝者だったとしても、ここ数年間はまともに口もきいていないとしても、それは元通りになるきっかけが掴めないでいるだけのことだ。
 母はどう思っているのだろう。
 目が笑っている。
 でも、今ここで私を娘だと公表する気はないらしい。

 背後で芳川が生駒と話をしていた。
「生駒さんとお近づきになるのがもう少し早ければ、ここの内装のやりかえをお願いできましたのに。残念です」
 母の視線が私から離れ、生駒に移っていった。
 少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
 今日、ふたりきりになったときに……。

「私も残念です。ですが、関守町のご実家のプロジェクトに参加させていただいて、ありがとうございます」
「いやぁ、あれは立成さんのお仕事であって、私が口を挟むものではありません。でも、私としても、生駒さんが関わってくださって本当に良かったと思っています。次回の打ち合わせ、楽しみにしていますよ」

 金谷の酔った目が好奇心に輝き、
「関守町というのは須磨区の?」と割って入った。
「そう。先日話してた物件」
「ふうん、そうだったのか。芳川さんのご実家だったのか」
「言わなかったかな?」
 母が話に加わった。
「物件の用途はなんですの? もし、店舗もあるようでしたら」
 営業トークだ。身を乗り出している。

「伊知さんの出番はないな。十数戸の賃貸マンションだから」
 生駒が母を押し留めるようにいった。
 口ぶりからすれば、生駒は金谷だけでなく、母とも親しい仲なのかもしれない。
「モデルルームの家具とか、あるんじゃない? ね、芳川先生、私の実家も神戸でして。垂水なんですよ」
「ええ。存じてますよ」
 そう。母はインタビューのときにそう話した筈だ。ブログに書かれてある。
 営業活動のつもりで、芳川との接点をなんとか探そうとしているのだ。
 ただ、あの物件に関して営業するなら、相手は立成だ。
 紹介してあげようか、と松任は思った。

「じゃ、私たちは二階を拝見させていただきます」と、生駒が出て行こうとする。母に巻き込まれる前に退散、ということだろう。

「こちらからもいけますよ」
 松任は、部屋の奥に生駒と三条を案内した。
「ミラーサイトも持っておられるんですね」
 後ろから母の声がする。
 知っていたのだ。あのメモを見たのかもしれない。
 生駒が振り返る。金谷も芳川に目を向ける。
 彼らも明らかに知っていたようだ。

 バーの隅のバーチカルブラインドを引いた。
「いつもは隠してあるんですよ」
 芳川の言葉と共に、螺旋階段が現れた。
 青い塗装の鉄パイプの塔。
 インテリアデザイナーは黒いカーペットに白い壁というモノトーンな空間に、この青色で変化をつけようとしたのだろう。間延びした印象になりがちな吹き抜け空間を引き締めていた。
「う、怖わ」
 三条が階段に足をかけてつぶやいた。段板がガラスでできている。

 芳川はミラーサイトのことに関しては、なにも口にしなかった。
 また、だれもそれ以上、聞こうとはしなかった。
 まずは探してみてください、という芳川の意図だと判断したのだろう。松任はそう感じた。

 螺旋階段を登っていった生駒は、と見ると、登りきったところで吹き抜け空間を見回している。
 目が合い、会釈してくる。案内をありがとうと。
 松任は三人組と金谷の相手をすることにした。

 芳川は母の営業トークをかわして、酒のコレクションの説明を始めている。三人はめいめい棚のボトルを何本か手にとって見ていたが、相手が女性だからか、芳川は酒を勧めようとはしなかった。

 母が他の客と談笑し始めた。
 エンジン音という母のブログの話題から始まって、車談義になっていく。
 「車っていうのはいいですよね」などと、言っているうちはよかったが、しまいには事故歴自慢のような話になった。
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