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ノブ、それって空耳 作者:奈備 光
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38 おでん屋の静寂

「ふう! なんど来ても緊張するなあ。警察署の面談室っていうのは。ノブ、まだ時間ある? お昼でも食べよか」
「おまえも緊張することがあるのか。飯は、そうやな、パパラッチ以外で」
「ええよ、どこでも。でも、しっかり食べなあかんね。今日の晩御飯、喉を通らへんかもしれへんから」
 大阪駅の近くにある曽根崎警察署の前だ。伊知の事件と金谷の事件の合同捜査本部が置かれてある。
 先日頼んでおいた調査結果を聞きに来たのだ。結果は想像していたとおりだった。
 そしてもうひとつの依頼をしていた。ある品物の鑑定を頼んでいたのだ。

「ん? 今日の晩?」
「瀬謡さんのところへ行くんやんか。言ってなかった?」
「聞いてない。このところ二日に一回のペースだぞ。おでん屋も警察も。精が出るな」
「他人事みたいな言い方するやんか。いよいよ大詰めやのに」
 そう。基本的な推理の骨格は完成しつつあった。もう幹は見えている。

「大詰めか。おぼろげに見えてはきたけど」
「そう。後は、若干の物証が欲しいだけ」
「でも、今夜はだめだ。大切な打ち合わせがある」
「ええのん? 私に任せておいて」
「任せられるかい」
「今夜、あの薄汚い頭を叩き割ってやる」
「おいおい、早まるなよ。まだ……」
「ノン。今夜よ。巧遅は拙速に如かず。新しい被害者が出る前に」
「仕事が……」
「行かれへんの? ええやん、打ち合わせなんかほったらかして」
「くそ! くそ!」
「どうするん?」

 阿倍野区の工事現場で打ち合わせをしている最中に、優から連絡が入った。今すぐ来いという。
「例の鑑定は? 彼女は無事?」
「両方とも丸。詳しいことは今は話せない」
 施工図の打ち合わせの続きは明朝ということにして、生駒は「すみよし」に駆けつけた。
 「本日貸し切り」と書いた紙切れが引き戸に貼り付けてあった。

「よう!」
と、ことさら陽気に入っていくと、当然のことながらいつもと様子が違う。
 優と並んで立成が座っている。
 丸山と松任はカウンターの反対側に離れて座り、瑠奈は一番奥の席にひとりで座っていた。
 なるほど、携帯で詳しいことは話せなかったはずだ。
「みんなに来てもらった」
と、優が笑ったが、さすがに参加者の表情は硬い。

「もうすぐ税理士センセも来るよ」
 なんだか楽しそうな言い方ではないか。パーティの二次会でもあるまいし。
「それまでしばし、ご歓談を」
と、冗談めかして言うが、どんな歓談をすればいいというのだ。

 そう言った優自身が眼を閉じてうつむいた。
 瀬謡もいつものようにおしゃべりをする気はないようで、丸椅子に座って眼だけでテレビを見ている。
「とりあえずビール」
 立成が生駒に代わって注文してくれる。
「飲むだろ?」
「とうぜん。立成さんはもう飲んでるじゃないですか」
 しかし、立成の焼酎のグラスもまったく減ってはいなかった。

 気まずい沈黙はあまり長くは続かなかった。
 引き戸をがらりと開けて最後のゲスト、芳川が入ってきたからだ。皆さんおそろいですな、と笑顔を見せたものの、声に喜びはない。もちろん、今からここで始まることの内容を理解しているのだ。ちょっと悩んで、入口に近い席にひとりで座った。
「お待たせしました。始めましょうか」
 優が顔を上げて宣言する。
「なにが始まるんです?」
 丸山はおどけているのか、本気で不安なのか、泣き出しそうな顔をしている。
「犯人探しですよ」
 優のシラッとした声。
「じゃ、ノブ。始めて」
 なに! 僕がやるのか?
 それにノブ?

 優と眼が合った。
 もう微笑みのかけらもない。
 やがてその瞳が催促するように揺らめいた。

 やれやれ。やれるところまでやってみるか。
 優と、それなりの推理は展開してある。最後の仕上げの結果は正確に聞いてはいないが、勝算はあるのだろう。
「伊知さんが殺された事件を僕たちが知ったのは、ここで飲んでいた九月八日のことでした」
 生駒は話し始めた。

 伊知馨の死亡推定時刻は三日の夜から四日の深夜にかけて。雨が降り続いていたおかげで、絞りきれなかった。
 しかし、傍らに落ちていたバッグの中から、伊丹空港の近くの駐車場の領収書が発見され、その結果、四日の夜十時過ぎから四日の深夜にかけて、と犯行時刻は絞られる。死体に新しいピクニックシートが掛けられていたことから、断定はできないまでも、計画的な犯行だと思われた。
 犯人は比較的見つかりにくい植栽帯の中に伊知の死体を隠したが、より見つかりにくい、つまり発見を遅らせられるところはほかにもあった。機械駐車の地下ピットである。
 機械に向かって一番右端。伊知の車が停めてあるパレットの下。
 伊知のアルファロメオは左ハンドルだが、他の車はすべて国産車。また、この機械式駐車場はバックして駐車させる。
 すなわち、地下ピットの一番奥の隅なら目に付きにくいわけである。車に乗り込むときや降りるときにピットの中は目に入るだろうが、国産車なら右側から出入りするため、車の左側の下には視線が届かないというわけだ。
 なぜ犯人は、死体を隠すに好都合なそんな地下ピットが目の前にありながら、植栽帯の中に隠したのだろうか。
 その理由は簡単だ。
 後で比較的早い時期に、死体をより見つかりにくいところへ運ぶつもりだったからではないだろうか。

 ひとつ疑問点があった。
 伊知は二日と三日は札幌出張。三日の夜には大阪に帰ってきて、四日の昼には瀬謡の娘の結婚披露宴に出席する予定が入っていた。
 ところが伊知は飛行機に乗り遅れたからと、会社にメールを入れた。永年の友人である瀬謡にはなんの連絡も入れずに。
 そして犯行は四日の夜。
 そこにどこか釈然としない気持ちが残った。その点については、とりあえずひとつめの課題として置いておく。

 乱暴な言い方をすると、あの時点で、犯人候補はそれほどいなかった。
 端的にいうと金谷だけ。
 伊知と金谷は、いってみれば交際関係にあった。しかもふたりは、小学生のころからの幼馴染。互いのことはよく知っていたに違いない。
 ところが、パーティの日のふたりの様子は他人行儀なものだった。丸山とのいさかいを伊知が仲裁したことで、ふたりが親密な関係にあるかもしれないということを誰もが知ることにはなったが、それまでは互いに知らん顔。
 後に、ふたりが別れていた話が瀬謡からもたらされたが、そのことでますます金谷が怪しいと思われた。

 しかしその仮設には疑問な点もあった。
 金谷は丸山祥子を愛していて、どうせ殺すなら丸山を、ということだ。
 つまり、伊知の事件は単純な交際関係の清算などではないのでは、という疑問だ。
 ただ、いずれにしろ伊知と金谷との関係にスポットは当たった。
 もうひとつ、気になっていたことがある。塊田瑠奈に聞いたところ、金谷はインタビューのとき、海の家のことを話していたという。

「そこで私は、三十年前に海の家のアルバイトを紹介してくれた銀行マンに会いに行きました。確かめたかったのは、その店の屋号がなんだったのかという点と、丸山さんが同じ海の家で働いていたのかどうかという点です。そして金谷さんがカナヤという屋号の海の家の息子であるということ、そして同じ夏に私と丸山さんがその店でアルバイトとして働いていたということが分かりました」

 生駒は丸山を横目で見たが、うつむいたままだ。
 ここで反論されると、事件とは関係のないくだらない解説が必要になるが、その心配はないようだ。
「話をややこしくするつもりはないのですが、わたしたちが考えた様々な仮説を織り交ぜながらお話しますので、あまり神経質にならず、我慢して聞いてください。ここからは反論もあるでしょうが、黙って最後まで聞いてください」
 生駒はビールを口にし、一息入れて、再び話し出した。

 しかも、思いもかけないことも判明した。
 実は、生駒と丸山が働いていた三十年前の夏に、ひとりの女性がその海の家で殺されるという事件があった。若い女性が首を絞めて殺されたのだが、死んだ女性は伊知馨の姉だということが分かったのである。
 ということで、伊知の姉、美弥子が殺された三十年前の事件と、今回の事件には関連性があるかもしれないという思いが強くなった。生駒と丸山、金谷には、偶然というにはあまりにもできすぎた伊知との関係があったということである。

 ところが金谷も死んでしまう。
 他殺か自殺か、はたまた事故死か、ということだが、ここで事故死とは考えにくい。
 いくらなんでも偶然に過ぎるからだ。最も飛びつきやすい結論は自殺。伊知を殺した挙句に自分の命も、というわけである。現に金谷は、四日の夜に会いたいというメールを伊知の携帯に送っていた。

「ちょっと話はそれますが、そもそも、三十年もの時を隔てたこのたくさんの人の輪を、全くの偶然と片付けてしまってもいいものだろうか。誰かに仕組まれた、と考えるべきではないか。そういう思いがありました。まず、こう考えました。あくまで仮説としてです」

 インタビューの二番手は伊知馨。
 数人おいて丸山、そしてまた数人おいて金谷と続く。
 ここまでは明らかに偶然だったのでしょう。
 ただ金谷が生駒を芳川に紹介しようとしたとき、ある人から立成さんを推薦されたのだが、と言ったのです。

 そのとき、それは金谷の作り話だろう、次は立成を、という生駒への示唆のつもりだったのだろう、立成との関係をなんとかして修復したかったのだろう、そう考えたのです。
 そう、事件が起きるまでは。

 しかし今は、金谷に立成を推薦した人物は実際にいて、なんらかの意図を持っていたと考えています。
 たとえば、そのものずばり、迷宮入りとなった「三十年前の事件のある関係者を集める」という意図を持った人物がいたと。

 推理の後半に明らかになったある事実によって、ますますその人物とその意図が見えてきたように思うのです。ただ、この問題も少し先延ばしにしておきます。二つ目の課題というわけです。

 とはいえ、こういうことは、推理を展開する上でのちっぽけな要素にしかすぎなません。
 当然のことながら、もっとも大きな疑問は、なぜふたりは殺されたのかという点です。
 逆に言うと、誰がどんな理由でふたりを殺したのか、ということです。

 仮設が必要でした。
 まずその前提として、金谷が不倫関係の清算のために伊知を殺し、自ら命を絶ったという説は破棄します。いろいろな部分で辻褄が合わず、説得力がないからです。

「その最大の理由はもう少し後で言います」
 聴衆に反応はなし。
 生駒は小さなため息をついて、話を前に進めた。

「つまりふたりとも殺された、しかも同一犯によって。そう考える方が無理がない。もちろんその根元には、三十年前の事件、あるいは海の家での出来事、もっと広く言えば過去、に関係するなにかがあるということです」
 生駒の声が、狭いおでん屋の店内に流れては、参加者の耳に吸い込まれて消えていった。
 テレビの音は小さいが聞こえている。店の前を車が通っていく音も聞こえる。
 しかし静寂。
 まるで松任の話に出てきたミラノのドォオモの静寂のように、生駒の落ち着いた声がおでん屋の静けさを際立たせていた。
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