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ノブ、それって空耳 作者:奈備 光
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33 マッシュルームが

 須磨。
 生駒はマンション計画地に木を見に行くついでに、再び叔父を訪ねた。
 叔父は海の家の屋号を覚えていなかったし、大将の名前も覚えていなかった。もちろんもうひとりのバイト君の名前も。
「延治君、それなら浅岡さんに聞いてみたら? 近くに住んどるし、呼べばすぐに来よると思うで」
 叔父と当時の元銀行員は、今では仲のいい碁敵だという。
 それでは、ということになった。

 元銀行員は叔父の言葉通り、すぐにやってきた。
 生駒が当時のバイトの礼を言うと、意外にも覚えているらしく、懐かしがってくれる。
 碁の勝負が始まる前に聞きたいことを済ませてしまうことにした。
 まずは屋号。
「カナヤです」
「カナヤ! どんな字です?」
「屋号としてはカタカナでしたな。大将が金谷さんやから。漁師さんなんですけどね」
 やはり。懸案がひとつほどけてホッとする反面、必然的に力んでしまう。
 果たして同一人物だろうか。
「確か、息子さんがいましたよね」
 生駒は、金谷健吾の職業や年齢などをかいつまんで説明する。
「たぶん、その人でしょうな。息子さんの銀行口座がそのまま残っているはずやから、調べればすぐにフルネームは分かるけど、プライバシーの問題があるから」

 ブログを読み直した生駒は、金谷が漁師の息子であることをすでに知っていた。
 そして生駒の海の家の大将の本業も漁師だった。
 しかも、住まいは同じ垂水。もう間違いない。
 金谷はあの海の家の大将の息子、生駒がかって避けていたあの乱暴な男だったのだ。
「バンドを組んでみたり、雀荘に入り浸ったり。ディスコにもよく顔を出して」
 元銀行員は、大将の息子の人となりを話してくれる。
「大将はいつもどやしつけてましたなあ。大人になってからは、広告関係の仕事についたとか」
 最近の金谷の人物像とは若干ずれてはいるが、永い年月が金谷の社交性を奪っていったのだろう。

「でも、どうしてそんなことをお聞きになるんです? 一昨日も、そんなことを聞きに来た人がいたけど」
 生駒は驚いた。さすが日本の警察だ。

「刑事やないですよ。昔、そこでアルバイトをしたっていう人」
 ええっ。
 予想外の言葉に生駒は一瞬言葉を失った。
 ということは、あの精神虚弱児が?
「もしかして丸山?」
「そう、その人」
 元銀行員は頷いた。
「金谷の大将には、よく学生バイトを紹介しましたからなあ。生駒さんと同じ年の夏、丸山さんも紹介したんです。例の事件があった年ですなぁ」
 なんと、あの男もわざわざ確かめにきていたのだ。
 元銀行員は懐かしさがこみ上げてきたのか、まぶたをすっと細めた。
「それにしても、おふたりともお互いの名前をよく覚えてますなぁ」
 ということは、丸山も生駒の名を出してこの元銀行員に聞いたということだ。
 碁の勝負が始まった。

 駅までの坂道を下りながら、生駒は物思いにふけった。
 金谷と付き合ってもう何年にもなるが、今まで、かつてそんな接点があったということを知らないできた。
 人と人の出会いはほとんどの場合が偶然だが、金谷とはその偶然が二十年ほどの間をあけて、再び巡ってきていたということになる。
 たまたま須磨の海水浴場という話題が出て、ふと記憶の壷を覗きこむと、なんとなく予想していた通りの仕掛けが放り込んであった。
 絡みあい、よじれた釣り糸。
 今、それをようやく解いた。そんな気分だ。

 金谷はあの海の家の大将の息子だった……。だから……。
 しかし、だからどうだというのだ。

 生駒はいつもの堂々巡りの思考に落ち込んでいく。
 現在進行形の伊知と金谷の関係からは、伊知を殺した動機はさほど見えてはこない。
 そして、三十年前の接点が明らかになったからといって、やはり金谷が今になって伊知を殺す理由には結びつかないのだった。

 もし、三十年前の事件が金谷の犯行だったとしたら……。
 当時、一瞬でも金谷があの事件の犯人ではないかと思ったのだ……。
 三十年後の今になって、金谷と親しくしていた伊知が、なにかの弾みでこの男が姉殺しの犯人だと気づいたのだとしたら……。

 金谷の方でも、伊知に気づかれたと知り、口封じをしようとしたのだろうか。
 そう、あのとき。
 テラスで盛り上がっているとき、金谷は海の家の話題が始まると、いつのまにか姿を消した……。

 しかし、とっくに時効になった事件なのに?
 金谷には、伊知を殺すという新たな罪を犯す必要などあっただろうか。
 そうまでして守りたいものがあったのだろうか。

 それに、丸山の存在。
 なんだかややこしい話になってきた。
 単にパーティでの雑談であればそれで済むものを、丸山もわざわざ元銀行員を訪問したという。
 いったい、なんのために?
 同じように推理を? まさか、生駒と親交を深めるために?
 現実的ではない。
 いや、丸山が三十年前の人殺しを……。
 まさか……。
 生駒はため息をついた。

 そして立成まで絡んできた。
 あの胸毛の巨漢は立成だったという。
 立成は伊知にノクターンのオルゴールを贈り、伊知はそれを叩き壊した。

 様々な人間関係が浮かび上がっては来た。
 しかし、枝葉ばかりが茂る。一本の明快な幹の在り処が分かっていない。
 幹はどこにあるのか。
 一本ではなく、複数の幹があるのか。

 須磨駅に着いた。
 いつもと様子が違う。
 あわただしく行きかう人。
 タクシー乗り場にパトカーが数台。
 赤色灯を光らせ、サイレンを鳴らした警察車両がまた一台到着。バクリとドアが開く。警察官らしき男が飛び出すと、コンコースへの階段を駆け登っていった。

 須磨から帰ってくるなり、丸山から電話が架かってきた。至急会いたい、という。
 生駒はすぐに優に連絡を入れた。
「今から丸山が来る」
「カーッ! なぜもっと早く言ってくれないん! すぐ行く!」
というなり、電話を切ってしまった。
 世の中、なんでも自分の思い通りにはいかないぞ、とまるであの日の丸山のような台詞を携帯メールで送っておく。
 もちろん、叔父の家で聞いてきたことも記しておいた。

「すみません。急に押しかけてきて」
 丸山は土産だといって阪急百貨店の紙袋をテーブルの上に置くと、ぐるりと事務所内を見回した。
 生駒はもうこの男にいい印象を持っていない。
 コンビニのアルバイトの件がその主な理由だが、今こうして事務所を眺め回す様子も傍若無人で、いい気はしない。

「狭いでしょう」
「いえ、手ごろな広さじゃないですか。しゃれているし、いかにも建築家らしい事務所ですね」
「建築家らしいって、どういうところが?」
 聞き流せばいいものを、つい聞き咎めたような口調になってしまう。
 先日のパーティの時には感じなかった胡散臭さが、この男のふざけた風貌から発散しているようだった。
 細い指先で、赤茶色に染めた髪とピアスを交互にいじり、落ち着かない目をしばたたせている。
 生駒は冷たい視線を隠すこともせず、丸山を観察した。
「なんとなく。建築雑誌とかいろんなカタログが、そう感じさせるのかなあ」

 目が合った。
 思わず、あの学生たちに給料を支払ってやったのかと聞きそうになったが、それより早く、丸山が改まった調子で口を開いた。
「ところで、伊知さんの事件のことなんですが」
 やはり海の家の同僚だったことを喜び勇んで話しに来たわけではないようだ。
 この男のことだ。それなら開口一番、懐かしさは本物でしたよ、などと言うだろう。

「生駒さんはなにか情報をお持ちでしょうか」
 唐突な切り出し方だ。
「情報というと? まだ犯人は捕まっていないということくらいしか知りませんが」
「そうですか」
 声が弱々しい。
「実は、変な感じなんです」
 数日前、芳川の訪問を受けたという。
 芳川は単なる挨拶だといって世間話をして帰ったという。

「もしかすると税理士の仕事のことで、さりげなくうちの店を見に来られたのかなとは思いましたが、それにしても唐突な感じがしたんです」
 それはない、と生駒は思った。
 税理士が、まして超多忙な芳川が、仕事を頼まれてもいない相手の店や事務所の様子を自らチェックしに行くとは考えられない。
「インタビューのときにお会いしたきりで、パーティのときにもろくすっぽお話もしなかったのに」
と、まだこの自分中心のお坊ちゃまは首をかしげている。

「僕にも分かりませんね」
「はぁ。でも、それだけではないんです。瀬謡さんという方からは電話をもらいまして」
 探るような目で、ちらちらとこちらを伺っている。
「乾杯の音頭をとられたおでん屋のママさんですよ。インタビューもその店で受けられたんでしょう?」
「ええ。それは知っているんですが……」
「それがどうしたんです? なにか気に障ることでも言われましたか?」
 さすがにきつすぎる言い方だと思ったが、生駒はこの男がますます嫌いになっていた。
「いえ、そういうことではないんですが」

 マシュルームの愛想笑い。
 いかにもそれだとわかる稚拙な笑顔。色白で女性的な物腰。
 同僚の女子バイトを追い掛け回していた男。大将にクビにされた男。
 親の遺産を受け継いでコンビニエンスストアを何店も持っている資産家。
 金谷と祥子を取り合い、勝ちを収め……。
 そんなことはどうでもいい。

「じゃ、瀬謡さんはなんと?」
「はい。須磨の海の家のことなどを……」
「はあ?」
 生駒はとぼけてみせる。
「そうなんです……。そんな変なことを……」
 丸山もとぼけている。
 あの日、その変なことを楽しそうに話していたことを忘れたわけではあるまいに。
 しかも、すでにこの男は、自分と生駒が同じ釜の飯を食ったバイト仲間だということを知っているはずなのに。

「そうそう。僕が働いていたのはカナヤっていう屋号の店でしたよ。丸山さんは?」
 こいつの反応を確かめたくなった。
 なぜ丸山がわざわざ元銀行員に会ってそれを聞きたかったのか。そしてそれをなぜいの一番に口にしないのか。
「へえ。そうなんですか」
 丸山はそう言ったきり、考え込むふり。
 至急会いたいと訪ねてきておきながら、なにをしたいのか、まだ意図は見えない。
「僕のところは違うような……。たぶん浜脇とかなんとか……」
 驚いた。
 明らかに嘘をついている。

「残念! 違いましたかぁ」
 半ば予想していた驚きではあったが、オーバーアクションだったためか、丸山があわてて付け加えた。
「もう三十年も前のことですから、よく覚えてなくて」
 どういうことなのだろう。
 この男はカナヤで働いていたことを隠したがっている。
 突然、汗をかき始めたようで、ネクタイを緩めてハンカチを出した。

「暑いですか。すみません。ちょっとクーラーをきつくします。あ、お茶も出さず、失礼しました。気がつかなくて」
 生駒は厨房に立った。考えを整理する時間が必要だ。
「一緒のところだったらおもしろいな、と思っていたのに」
と、投げかけておく。
 暖簾の隙間から見る丸山は、背を丸めてしきりにハンカチで顔を拭っていた。
 こうなったら、元銀行員からすでに聞いているということは伏せておこう。
 丸山に思う存分話をさせてみるのだ。

 アイスコーヒーをテーブルに出し、エアコンのリモコンをいじってから、生駒は話の続きを促した。
「瀬謡さんはなにを聞きたかったんでしょうね」
 努めて優しく声をかけた。
「それが、ある事件のことを覚えているか、というようなことでして」
「ある事件?」
「女の人が殺された事件があったそうなんですが……」
「どんな?」
「ぜんぜん知りません」
 刑事ならこういうときどう追い詰めていくのだろう。
 明らかな尻尾を出すまで泳がせておくのだろうか。黙っていると、
「いったい、どういうことなんでしょう?」と、またあいまいな質問を投げてくる。
 自分勝手なやつだ。テラスで、こいつ自身が最後に出した話題がその事件のことではなかったのか。
「さあ」
「さあって……」

 丸山は困惑したように口ももぐもぐと動かしたが、突如として血相を変えた。
 そしてなんと、ヒッと笑った。
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