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2 思い出話をする

「どう? こんな感じでよかった?」

「上出来」と、生駒は微笑んだ。

 生駒延治。大阪市内で建築設計事務所を営んでいる。

 住宅や店舗の設計が中心だが、小規模なマンション設計の仕事も時にはある。数年前に大手設計事務所を飛び出して以来、比較的気楽な毎日を送っているといっていいだろう。

 もちろん継続的に新しい仕事が来るわけではないから、収入はサラリーマン時代に比べて大きく減少したし、それさえ来年も続くという保証はない。

 しかし食わせるべき家族もなく、給料を支払ってやるスタッフもいないので、自分が死なない程度の収入さえあればいい。そんな呑気な考えを、心配してくれる周囲の人たちにばら撒いているのだった。


「なあ、今度のスタッフ仕事も給料はなし?」

「悪いな」

 かろうじてスタッフらしき者といえば、三条優だけ。

 生駒四十八歳。三条優とは二十以上の年齢差。さすがに恋人同士というのははばかられるが、優は生駒の部屋に泊まっていく仲だ。

 本業は歌手だと称しているものの、たまにクラブやイベントで歌う仕事が入るだけで、時間を持て余している。

 それをいいことに、生駒は今日のようにひとりではやりにくい仕事、つまり現場でなにかの寸法を測るというような作業に、優をスタッフとして駆り出したりするのだ。

「いつかきっと、この大きな労働に報いてもらうからね」

 生駒は黙って、洋館と山の緑をバックに優をカメラに収めた。

 優のポーズはどんなときも不自然なところがない。もちろん、撮られることに微塵も抵抗はない。


「でもさ、社長って呼びにくいんやなぁ。ね、ノブ、今から須磨寺?」

「まだ、社長って呼べ」

「ええー、まだ仕事中なん?」

「叔父の家。このすぐ近く。昔からとてもよくしてもらってる」

「甥がたまたま近くに来たからって、女子社員を連れて顔を見せに行くっていう構図ね」

 優がこれ見よがしのため息をついた。


「それより須磨寺に行きたいか?」

「ううん。お寺参りはどうもね。ね、ね、ロープウェイに乗ってさ。明石海峡大橋に沈む夕日を見ながらソフトクリームなんかを」

「台風」

「はぁー、しかたない。ノブの小さいころの話なんかを聞きに行くとするか」

「いらんこと言うなよ」


 叔父の住まいは目と鼻の先だ。

 事前に連絡を入れておいたので、玄関先に打ち水をして待ってくれていた。

 互いに近況の報告などをした後は、生駒が今、敷地を見てきたばかりの新築マンションの話になった。

「とうとうあの芳川さんのお屋敷も取り壊しか」

 芳川とは、立成にその土地を売る現在の所有者である。

「親しくされてたんですか?」

「昔、先代とはな。でも、今はもう。息子さんの代になってからは、あの家に誰も住んでなかったし。屋敷、相当、痛んでたやろ?」

「ええ。実をいうと、あまりこの仕事には乗り気じゃなかったんです。立派なお屋敷だと聞いていましたから、それを取り壊すのはどうかなって。でも、それは杞憂でした」


 見てきた屋敷は、保存に値するものではなかった。

 雨漏りが激しく、吹き抜けとなった広い玄関の床は抜け落ち、きらびやかな輝きを放っていたであろう水色の外壁タイルも、いたるところで剥げ落ちていた。凝った階段の手すりや天然石のマントルピースが、昔の栄華を寂しげに物語っているだけだった。


「かれこれ二十年も空き家やったら、そうもなるわな」

 叔父が自分の家の具合を改めて確認するように、天井を見上げた。

「芳川さんというのはどういう人だったんですか」

「亡くなった先代か? そうやな、海産物の加工会社をやってた。息子は跡を継いでいない。その会社、当時は相当な羽振りで、須磨区の長者番付でもトップクラスやった」

「了輔さんのことは覚えてますか?」

「息子か? いや、覚えていないな。延治君はその人に会ったんじゃないのか? その仕事をすることになったんなら」

「ええ、何度かは」

 数ヶ月前に紹介されている。

 二、三度食事をし、昨夜のパーティの主催者も芳川了輔その人だった。


「叔父さん、ブログってご存知ですか?」

「なんじゃ、それ」

 芳川は思いつきで始めた自分のブログを、インタビュー形式でまとめていた。

 生駒はその十八回目のインタビューを受けたのであり、昨夜のパーティはインタビューを受けた人が二十人になったひとつの区切り、ということで開かれたものだった。


 生駒は話題を変えた。

 叔父の息子や娘のこと、つまり生駒の従兄弟たちの近況。

 おのずと話題は昔話へと向いた。

 生駒と従兄弟たちが一緒に遊んだ子供時分のことへ。


 夏休みのたびに生駒は須磨に滞在し、まだ健在だった祖母に連れられて須磨の海岸で海水浴をしたときのこと。

 姫路の方まで、潮干狩りに連れて行ってもらったときのこと。

 そんな話をしながら、再び須磨浦でのある夕方の情景が脳裏に浮かんできた。


 高校二年の夏休み。

 須磨浦海水浴場の海の家で、生駒は殺人事件の現場を目撃してしまうという、とんでもない経験をしてしまったのだった。

 被害者は海水浴に来ていた女性。

 生駒がアルバイトをしていた海の家の更衣室でその事件は起きたのだった。


「あれは結局、迷宮入りになってしまったな」

と、叔父は屈託なく笑ったが、その話題が出るたびに、生駒の心の中の小さな傷が疼くのだった。

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