挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ノブ、それって空耳 作者:奈備 光
28/43

27 固有振動数



 土佐堀に着いた。
 ゲストハウスに直行するエレベータには乗れない。それは表通りから奥まったもうひとつの小さくて豪華なロビーにあるのだが、暗証番号を入力しないとロビーの扉も、エレベータの扉も開かないシステムになっている。
 携帯電話で立成に連絡を取ると、事務所用エレベータで上がって来いという。

 上には立成と松任が待っていた。
「すみません。お忙しい中を。芳川は所用ができまして」と、松任が恐縮した。
「では、参りましょう」
 事務所の奥の非常階段を通って、二十二階に登った。
 手すりは大量にあると思ったが、それほどでもなかった。
 南側の手すりはいずれも強化ガラスの手すりで、緩んでガタつくというような構造のものではない。緩む可能性のある金属板の手すりが付けられているのは、北側のバルコニーだけだった。
 ちょうど母屋の裏手にあたる位置で、南側のテラスのように「楽しむ」バルコニーではない。空調の室外機が並んでいた。

「あの、松任さん。このたびはご愁傷さまで」
 生駒は松任に頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。その節は、ご参列いただきまして……。ああいう場でしたので、お声を掛けることができなくて、失礼しました」
「松任さんは伊知さんの娘さんだったんですね。知りませんでした」
「はい……」
 松任の口ぶりは、言わないで欲しかったというように聞こえた。

 立成が眼を剥いていた。
「ん? お、おい!」
 立成の地声だが、こんなときの質問は、それだけで追及されているような気分になる。
 立成は生駒を睨みつけていたが、これは松任本人の口から話すべきことだろう。
 黙っていると、松任は仕方がないというように、
「私の母なんです」とだけ言って、うつむいた。
「……そうだったんですか」
 松任の口が重いことに立成も気づいたのか、それ以上は聞かなかった。
 黙ってしまったふたりを背にして、生駒は中腰になって手すりを確かめ始めた。

「あ、これ」
 金属板ががたついているのが見つかった。
「これがあの音の原因じゃないかな」
 立成もしゃがみ込んで板を叩いてみる。
 金属板はアルミ製で、直径八ミリほどの小さな穴が規則正しく開いている。いわゆるパンチィングメタル板。 縦横約九十センチの正方形で、白い塗装が施されている。
 それが手すりの柱や、横枠に取り付けられた金物にビス止めされているのだが、そのビスが軒並み緩んでいた。ところどころ抜け落ちてしまっているビス穴もある。

「これも」
 立成が隣のパンチングメタルを叩く。
「次のもだ」
 結局、連続して五枚のパンチングメタルのビスが緩んでいた。
「これだな。原因は」
 立成が満足そうにうなずいた。
 松任が不安そうに聞く。
「どうしてこれで、あんな音が鳴るんでしょう。笛のような原理でしょうか」

 立成が解説を始めた。
「笛とは少し違います。笛はいわば風切り音でしょう。このパンチングメタルの穴を風が通り過ぎるときに音を立てる、ということも考えられますが、その場合はもう少し甲高い音がするんじゃないかな。ピューとかピーンとか。でも、先日の音はどちらかというと、ブーンというような唸り音でしたでしょう。しかも連続的に鳴り続けていた。風切り音なら、あんなふうに鳴り続けることはないと思うんですな。風向きが完全に一定ということはありませんから」

 生駒はビスの緩み具合を丹念に調べた。
「ハハア。ほら、これを見てください」
 パンチングメタルの左側を止めているビスは完璧に締め付けられていたが、上下のビスと右側のビスはいずれも緩んでいた。

 立成に代わって、今度は生駒が説明する。
「この板そのものが風で振動して、音をたてていたんですね。固有振動数といって、どんな物体でもそうなんですが、この板ならではの一定の振動数があるわけです。あっ、調律をされているんですからその辺はお分かりですよね」
 松任が微妙な顔つきをして頷いた。
「一本のピアノの弦は強く叩こうが弱く叩こうが、同じ高さの音、つまり同じ振動数で震えるというわけです。もちろん張り方が変われば振動数は変わります。この板にも同じことが言えるんですね」
「なるほど、そういうことですか」
「このパネルは、どれも同じ大きさで同じ材質、同じ厚みです。それがどれも同じように、左側だけでとめられていたことになります。現状から見る結果論ですよ」
「はい」
「いずれも上下と右側のビスが緩んでいた。ということは、その部分は完全にフリーになっていた。そして、この五枚のパンチングメタルの板は、同じ振動数の音を出した、ということです」
「へえ。そんなことがあるんですね」
「だから、あんなに大きな音がしたんでしょう」
「この5枚のパネルが同じ音を……」
「ということで、あの日、風向きとか風の強さとは無関係に同じ高さの音が鳴り続けた、というわけですな」
と、立成が付け加えた。

 松任は音が出る仕組みが理解できたのだろう。 パンチングメタルを指で弾いて耳を近づけたりしている。
 しかし、どことなく上の空だ。
「立成さんもお詳しいですね」
 生駒は松任が気になりながらも、立成をとりあえずは喜ばしておいた。
「そうだろ。実は、わしのマンションでも同じ目にあったんだ」
と言いつつ、立成も松任の様子が気になったようで、ちらちらと見ている。

「さ、二十三階も見に行ってみましょう」
 こちらでも同じ症状の手すりを発見した。
 二十三階の北側にある唯一のバルコニー、娯楽室に設けられたバルコニーの手すりだった。

「やれやれ、同じ場所か」
 バルコニーから身を乗り出すと、土佐掘川が真下に見えた。
「ほんとですね」
 二十二階の五枚と二十三階の五枚はほぼ同じ位置だった。

「これは、今日直してしまうというわけにはいきませんな。ビスがない。業者を呼んで、全部のビスを締め直させた方がいいでしょう」
 立成の提案に、松任が礼を言った。
「すぐにされたほうがいい。今度また強い風が吹いたら、音が鳴るというだけではすまないかもしれません。板が外れて落下すれば危険です」
「はい。分かりました」

 そうしているうちに芳川が戻ってきた。
「どうも、すみませんでした。それで、音の原因、いかがでした?」
 生駒と立成が説明を繰り返した。

「あるんですねえ。そういう手抜き工事が」
「あ、いや。手抜きというより施工不良ですね」
 つまらないことに反応してしまった、と生駒は思ったが、やはり、
「どう違うんです?」と、芳川に質問されてしまった。
「意図したのかどうか、という違いです」
 生駒はさらりと応えて、ビス止め作業に専念した。
「クーラーを入れてきます」
 松任がゲストハウスに戻っていった。優がトイレを借りたいと、松任についていった。

 ふたりの姿が消えるなり、立成が声を落として聞いた。
「このゲストハウスには社員の方は誰でも自由に出入りできるんですか?」
 芳川が怪訝な顔で見返した。
「いえね。少々変でしょう。このパンチングメタル。十枚とも全く同じ位置、つまり上下と右側のビスが緩んでいるわけで。それも二十二階、二十三階と、ほぼ同じ場所の手すりが」

 芳川が少し憮然として応えた。
「事務所のものは誰でも自由に出入りできますよ。鍵は誰でも持ち出せるところにぶら下げているし、セキュリティの暗証番号もほとんどのものが知っています。業者が食材などを持ち込んだりするので、誰もが対応できるようにするためです。昼休みにここで昼寝をしているものさえいます。好ましいことではないのですが、うちの唯一の福利施設という意味で、目をつぶっています」
「なるほど」
「しかし、うちの社員がこの手すりのビスを緩めた、とは考えられないでしょう。そうする意図が分からない」
「すみません。芳川さんがそう言われるのなら、違うのでしょう」
 生駒は、立成の失礼な問いを緩和しようとした。
 しかし、立成はお構い無しに芳川を質問攻めにしている。
「出入りの業者はどうですか?」

 手すりを眺めている芳川の目線は、驚くほど醒めているように感じた。
 先ほどの松任と同じように、本当はもうこれ以上は関わって欲しくないのに、というようなニュアンスのある表情だった。

「いたずら目的で。手すりが外れたところで、下は川ですから、たいした惨事にならないかもと」
 ここは外部犯行説にしておく方が気が楽だ。立成も微妙な逃げ口を作りながら話している。確かに、社員に不信があるなら、芳川自身が管理を強化するだろう。
「そうかもしれません……」
 思い当たる節があるのか、少し考えていたが、急に明るい声を出して、
「あ、生駒さん、すみません。もう結構ですよ。後はうちの社員にやらせますから。どうもありがとうございました!」
と、腕を取り、立ち上がらせて、頭を下げた。
cont_access.php?citi_cont_id=127017837&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ