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ノブ、それって空耳 作者:奈備 光
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25 ガールフレンド

 瀬謡は立成と向き合って座っていた。立成の事務所に近い本町にある珈琲専門店である。
「最近、忙しくてな。で、なんだ? 話って」
 瀬謡は鞄から一枚の写真を取り出した。
「これ、立成さん?」
 数人の若者が写っていた。
「あ、わしだ」
 意外にもあっさり、立成はそこに写った男性が自分の若かったころだと認めた。
「やっぱり」
 瀬謡は思わずため息をついた。
 これで馨の大昔の彼氏が立成ではないか、という疑問は解けた。

 古いアルバムからこの写真を見つけ出していた。
 当時流行っていたダンスパーティでのボックス席で撮影したもの。大学生だったころの瀬謡や馨の顔が見える。
 そして馨の姉、美弥子の顔も。

「この人はどなたか、ご存知?」
「ん? これは……」
 立成は言葉を切って、目を吊り上げた。
「なにが聞きたいんだ?」
「いいから、いいから」と、ことさらさりげなく促す。
「井畑馨さん」
 やはり立成は、あっさり応える。
「じゃ、これは?」
 ダメ押しだ。美弥子の胸に指を置いた。

「知っているんやろ。鎌かけなくてもいいぞ」
「やっぱり。馨の彼氏は、あんただったんだ」
「彼氏っていう言い方がふさわしいかどうかは別やけどな」
「あの事件のあった日、美弥子さんと海水浴に行った?」
「ああ」
 瀬謡は肩の力が抜けていくのを感じた。

「お、これ、あんたか」
 立成が無理にはしゃいだ声で、瀬謡の若かりし頃の顔を見ている。
 しかし、リラックスしていない証拠に、やたらとタバコを口に持っていく。

「ねえ、あのプレゼントさぁ」
 馨が死んだ今となっては、もうどうでもいいと言って欲しい。
「なんだったのさ」
 しかし立成は黙ったまま。
 それどころか睨みつけてくる。
 馨が殺されたことによって、贈り物をしたこと自体が、触れて欲しくない誤算のひとつになってしまったのだろう。
「反応はどうだった?」
 これにも無言。
「ふう。なんだか、気が抜けちゃったわね」
 瀬謡は自分の気持ちとして言ったつもりだったが、これには立成も、ああ、と同調した。
「誰にも話してないだろな。……警察にも」
「もちろんさ」

 三十年前、生駒の当時の観察が的を得ているなら、立成は馨のボーイフレンドでありながら、姉の美弥子にも手を出していたということになる。
 ただ、立成が美弥子を殺したわけではないし、今、馨を殺す動機にもならない。馨が立成を恨むことはあっても、その逆は考えられないからだ。

 しかし立成はなぜ、当時の怨みを掘り起こすことになるかもしれないと分かっていて、プレゼントなど贈ったのだろう。
 昔のプレイボーイ癖が出ただけだとしたら、気にすることもないのだが。

 そんな漠然とした不信感を持って立成に臨んでいるのだが、瀬謡はその感覚が全く大きくなっていかないことに気づいていた。
「変な気分だよねえ」
 立成はなんとなく怪しい。
 しかしリアリティに欠ける。
 そんな気分を持て余しながら、瀬謡の口は動いた。
「なにが?」
「あたしたち、三十年くらい前に会ったことがあるんだって思うと」
「ああ。でもあんたのことはあまり記憶にない。悪いけど」
「フン、あたしもさ。大学はどこだった?」

 瀬謡と立成は、互いに相手を思い出すための話をした。
 それはむなしい結果となったが、記憶を呼び戻す接点がたとえあったとしても、たいして楽しい気分になるようなことでもなかったろう。

「いつ知ったんだい? 馨が大昔の恋人だって」
「だから、恋人っていうのは抵抗がある」
「そう? そんな記憶があるけど」
「ま、向こうがそう言ってたんなら」
「で?」
「先日のパーティの準備をしていて。いや、正直に言うと、数ヶ月前から。ブログを読んで、もしや、とは思っていたんだ。バイク好きの変わった女の人。名は馨。実家は垂水で……」
「で、プレゼントを?」
「百%の自信がなかったから、わしの名前は言って欲しくなかった」
「そんなもんかな」

 生駒が言ったように、金谷からのワンポイント紹介がきっかけではなかったらしい。
「で、再会を果たした感想は?」
「そうやなあ。一言でいえば、驚いたな」
「おばちゃんになってた?」
「面影はそれなりにあるような、ないような」
「フフ。それで、パーティの日、なにか話したんだろ?」
 二階の廊下で交わしたやり取り。立成、ぼそぼそと語る。

「ということだったのさ。名乗らない方がよかったかもな」
「なぜ?」
「振られたみたいだから」
「振られた、かぁ……。あんた、まだそんなことを」
「わしは……」
 立成が窓の外に目をやった。
「ま、いいさ。そういうことや」
 御堂筋のイチョウ並木が濃い緑陰をつくり、その間に車が列を作っている。

「あの頃さ」
「もう、聞くなよ」
 立成にとって、触れられたくないことに違いない。
「青春の数え切れないほどの後悔のひとつ?」
「まあな。そういうことにしておいてくれ」
「今は、馨とは何の関係もないんだね」
「ない」
 瀬謡は、再び立成の表情に意識を集中した。
「で、その後は?」
「後って?」
「馨に、わしがあの立成だって言った後。娯楽室のバルコニーで涼んでいたんだろ。金谷さんは」
「ああ、その話か。あいつ、ぐったりと手すりにもたれててな。ああいうのを、痛恨の思いに打ちひしがれてっていうんだろな。雨が吹き込んでいるってのに。声をかけたら、震えだしてな」
「なにか話した?」
「いいや。たいしたことはなにも。傷を負った男に野暮なことは言わなかったよ」
「傷ねえ。三角関係か……。いまどき、そんな言い方はしないか。なんだかかわいそうだね。もういい歳なのに、酒に飲まれて昔の女がふたりもいる前で、みっともないところを見せてしまって」
「自分で収拾もつけられんくせに」
「そうだね」
「もう帰ったほうがいいぞって、下まで送って行ってやった」

 瀬謡は伝票をつまんだ。
 そろそろ美弥子との関係を聞くタイミングだった。
 ところが、立成から、
「おっ、もう帰るのか?」
と、今までのぼそぼそ声とは別人のような張りのある声が出た。
「ごめんね。つまらないことで時間をとらせて」
「ええぞ、そんなことは。それより、もっと大事な話でもあるのかと思ったぞ」
「大事な話?」
「彼女が殺された事件のことに決まってるだろ」
 声が喫茶店の中に響く。
「またお店に来てちょうだい。今日はもう急ぐから。ところで、昔、美弥子さんとはどういう関係だったんだい?」
 立成の眼がギロリと動いた。
 しかし、瀬謡の顔にその視線を当てた、ままなにも言わない。
 図星だった。
 のそりと立ち上がる。
 瀬謡の手から伝票を奪うと勘定を済ませ、近いうちに店を覗くとだけ言い残して去っていった。
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