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決意の潜行
 翌日、PCCのアラーム音で、労働時間からきっかり三時間前に眠りから起こされると、ルーチンになった支度をして、家を後にした。指定された「クラスB−2 アルファタワー47フロア」へ出向き決められた労働をこなす。

 労働はその名目ゆえ、配慮として肉体を行使するような単純作業ではないものの、達成感と目標を見いだせないという点においては似たようなものだ。こんな時間で人間の社会性と個人の尊厳を実感し、精神を健康に保てるとはとてもじゃないが思えない。

 規定の八時間をただこなすだけに注力し、労働を終える。

 ビルを出ると無人タクシーを捕まえて、例の住所を告げると、やはり立ち入り進入禁止区域に指定されていたらしく、その手前で降ろされた。

 労働中はその使用が禁止されているため自律プログラム以外のプログラムを休止させておいたPCCを立ち上げ、ネットに繋ぐと地図を呼び出す。二十一世紀の姿をした廃墟を両の足で歩く。

 錆びて腐食したフェンスを何とか素手でねじ切り、瓦礫を踏み越えると、ようやく目的のビルのたどり着いた。

 運良く倒壊を免れたビルは緑一色に覆われ元の壁面の色など伺い知ることはできない。蔦とシダに覆われていないのは辛うじて正面玄関にそびえる自動ドアだけだ。しかしこの地域一帯はとうに排他地域に指定され電力の供給もなされていないはずだ。

 周りを見渡して、大地に斜めに立つ電柱が目に留まる。現在のネイションはセントラル管理による電源供給がなされており、あんな有線による送電など潰えて久しい。

 本来の意図に反して鍵の役割を果たしている、打ち捨てられた文明の長物の前で俺は立ち尽くしていた。

 電源が来ていないのでは自動ドアは使いものにならないと思い、どうやって中に入ったものかと悩んでいると、自動ドアのガラス越しに広がるビルのエントランスに明かりが灯っていく。そうこうしている内に、軋んだ音を立てながらドアが開いていく。どうやら、セントラルからの供給ではないルートで電気が通っているらしい。

 エントランスまで行き、背中越しに再び軋んだ音を聞きながら、周囲を見渡す。

 照明はついているが、光を取り入れるための窓は全て植物によって覆われているので、中はお世辞にも明るいとはいえない。

 フッと音もなく、いくつかの照明が消えた。

 消えることなく灯り続けている照明はどうやら道しるべの役割となっているらしく、右手に見える細長い通路だけがぼんやりと暗がりに浮かぶように照らされていた。

 監視カメラがあるようにも見えないが、とりあえず俺はビルの主の無愛想な歓迎を受けることにした。

 薄暗い通路を進むと突き当たりでエレベーターが見えてくる。俺がそこまでたどり着いた時ちょうどエレベーターの扉が開いた。実際に俺の動きに合わせているんだろう。エレベーターに乗ると階数のボタンが無かった。あるのはただ△印のボタンのみ。素直にそのボタンを押すと、エレベーターは一度ガクンと揺れてから重々しい音と共に上昇を開始した。その揺れと音にエレベーターが反重力式でないことに驚くが、旧世紀のビルにそんなものがあるはずもないと思い直す。

 チンっと言うこれまたレトロな音ともにエレベーターが止まる。エレベーターか真っ直ぐに伸びる薄暗いリノリウムの廊下が目に入った。



 エレベーターから真っ直ぐに伸びる薄暗いリノリウムの廊下を進んでいくと、突き当たりに部屋があった。

 今度は自動ドアじゃないその観音開きの扉を開くと、飛び込んできた光のまぶしさに目が眩む。そこは先ほどまでの薄暗い廊下と違い、光に満ちていた。

 二十畳ほどのその空間は白い光で満たされているが、電球は見あたらない。壁や天井が発光しているのだとすぐわかった。壁、床、天井などに光陰乾湿寒暖調節の素子が組み込まれた現代の一般的な造りだからだ。部屋の中心には椅子が備え付けられており、それ以外の調度品は見当たらない。

 だだっ広い部屋に椅子一つ。どうすればいいかわからず立ち尽くす俺の脳内に通信のアラームが響いた。

「こんにちは。ようこそID38485bbo9福見マルセオさん」

 俺が通信回線を開くより早く脳内に声が響く。脳内通信回線の強制オープンの権限などセントラルぐらいにしか認められていないはずだが。

「福見さんの疑念はごもっともですが、ここに至る過程やこのような環境。野暮な詮索は無用でお願いできますか?」

 まともでない事など端から覚悟の上じゃないかと自分に言い聞かせ、無機質な声の主に従う。

「わかった。余計な詮索はしない。俺はあんたの言う「リアル」ってのが何なのかが気になるだけなんだ」

「いいでしょう。早速ではありますが「リアル」を提供させて頂きます」

「ああ、頼む」

 この時正直な気持ちを言えば、様々な疑問が頭をよぎっていた。匿名システムを掻い潜ったID付きの書き込みに始まり、排他地域に構えられた施設や個人の脳内通信システムへのハッキング。いくつの法に抵触するのか。そもそも技術的にそんな事が可能なのか?

「では、これよりとあるゲームを提供させていただきます」

 俺の内心の不安などお構いなしといった具合で、無機質な声は説明を続ける。

「これより福見さんにプレイしていただくゲームは福見さんのPCC及び小型擬脳素子のEPD(ElmentalPersonalityDate)にアクセスさせていただくことで初めてプレイが可能になります。PCCと小型擬脳素子の外部アクセスをオープンにしたまま部屋の中央の椅子へ」

 エレメンタルパーソナリティデータだと。なんだ、それは。PCCと小型擬脳素子にそんなデータ領域があるなんて聞いたがことない。

「さぁ、福見さん」

 俺はもう一度思考を停止させた。わからないことを聞き始めればきりがないし、わかった所で何になるというのか。

 案内に従って、外部アクセスをオープンにして椅子に腰掛ける。
「それでは、どうぞお楽しみください」
 目を閉じPCCのコンソールビューを開き、外部アクセスからゲームのデータを受け取る。「ICSystemFile」と銘打たれたファイルを開き、俺は「リアル」を感じられるという謎のゲームのヴァーチャル世界へと感覚ごと落ちていった。



 行き着いた先は上下左右ありとあらゆる方向感覚のない世界。あるのはただ何もない空間だけと言う世界だった。

 眼前にシステムメッセージが浮かび上がる。

――プレーヤーID38485bbo9福見マルセオ。
――EPDにアクセス。パス入力。
――拒絶。エラー。
――ルート改変。
――クリア。
――EPDのシステムデータへの移入に成功。キャラクタデータ更新。
――各感覚器官及び神経系との疑似リンク構築。
――エラー。セントラルによるPPC機能制限。
――再試行。
――エラー。
――PPCの疑似感覚疑似神経の構築上限規制を解除。クリア。
――疑似感覚及び疑似神経のシンクロ理論上限値設定。
――完了。
――プレイ空間構築の為一度再起動を行います。

 流れるようにしてシステムメッセージが浮かんでは消えていく。それらを流し読みしながら、俺はこのゲームのカラクリを何となくではあるが把握していた。

 一般的に流通しているヴァーチャルゲームはいかにリアルな世界が用意されていようと、そこで得られる体験には制限がかかっている。それがセントラルによるPPCの機能制限である。小型擬脳素子とリンクし理論上すべての五感を脳内で再現できるPPCはしかし、悪用を防ぐために疑似感覚の構築をある一定の割合までと制限されているのだ。例えばゲーム内で脳を打ち抜かれるような事態になった時、実際に体に損傷が無くとも、脳を打たれたという疑似衝撃を受けただけで人間はショック死をしてしまう為である。

 対してこの「IC」とか言うゲームはヴァーチャル世界との神経接続の際にその機能制限を取っ払うという、本来なら許されざるイリーガルな処置を行っているのだ。つまりこの世界はゲームでありながら、痛みを感じ、おそらく場合によっては死にもする。そんな真のリアリティを伴ったゲームというわけだ。

 再起動のためブラックアウトしたゲーム世界が再び構築される。

 目の前に現れた光景は白と黒の二色だった。大小さまざまな白い構造物が無秩序に並んでいる。黒はその陰だ。

――ICのルールはただ一つ、この遮蔽物の立ち並ぶヴァーチャル空間でサバイバルをしていただきます。生き残れるのはただ一人。それだけです。

 ごくごく簡素な説明だけを残してシステムメッセージが消える。しかしそれで十分だった。無機質な白い遮蔽物のみのゲームフィールドはすこし臨場感に欠けるが、おそらく疑似感覚をフルに再現するための処置に多大なメモリを費やしているのだろうから仕方がないだろう。相手は誰か、どんな武器があるのか?そんな説明もなされていないが、それを探りながらというのもゲームの一部に違いない。

 俺は手の甲に爪を強く突き立ててみた。鋭い痛みが走り、切れた皮膚からは血が滲む。痛みを十分に感じることを確かめると、はやる気持ちを抑えリアルなヴァーチャルの世界を歩き始めた。


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