物語は幸せに終わる
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私は我儘で傲慢で嫌な女だった。
何でも思い通りにできるだけの地位も持っていた。私は末席とはいえ、この国の王女だった。何年か前に戦争には負けたが、そんなことは私には関係ない。全く問題ではない。
私が我儘を身につけ始めた4歳の頃、兄のデズモンドの友達候補として寄せ集められた貴族の子息達の中に一際美しい少年がいた。漆黒の髪に、同じ色か、より昏い色をした少年は、顎まで伸びた鬱陶しそうな髪でなるべく顔を隠していた。隠されていた顔は、風が吹いた時に拝んだ。見えた瞬間は時が止まったようだった。
---なんて美しい人なのだろう。
すっきり通った鼻筋に、薄い唇。子供らしさの欠片もない大人びた表情。危うい魅力に私は取り憑かれたように目が離せなくなってしまった。デズモンドお兄様と目を合わせないように注意深くあちらこちらへ逃げる彼を見るのも楽しかった。光を写さないほどに昏く澱んだ瞳に私を写させてみたかった。
彼…ローエンを欲しいと言えば誰もが驚いた。彼が偏屈な人間だとは既に誰もが知る事実だったらしい。私は子どもらしい我儘で彼が良いと主張し、まんまと彼を婚約者として据える事に成功した。
そうして子供らしく彼を婚約者として振り回しつつ、私は我儘だけではなく傲慢さも身につけていった。彼は婚約者となってからは必要最低限しか私に接触しなかった。私はそれが面白くなかった。事あるごとに彼を城に呼びつけては無茶なおねだりをして、彼の昏い瞳がさらに澱んでいくのを見て悦に入った。王家に逆らうことなどできない彼は、私に髪を切れと言われれば仕方なく切り、女と話すなと言われればそれに従った。
「お嬢様、こちらの本をよろしければお読みください。城下では大層人気ですのよ」
そう侍女に言われて渡された本は、本を読むのが嫌いな私には十分分厚いと呼べるものだった。17歳になった私はそれはそれは美しく成長した。自分の中の自尊心と傲慢さ、悪虐とも言えるほどの苛烈さはすくすくと成長し、それはそれは酷い姫となった。その証拠に、私付きの侍女は長続きした試しがない。私の我儘と、脅すような命令に我慢ならないと逃げ帰るばかりだった。
「嫌よ、こんなもの」
「ローエン様もお読みになって感激なさったとのことです」
「…そう、少しくらい読んでも良いかもね」
ついでに私はとても単純だった。
本の内容はとてもシンプルで、悪逆非道で我儘放題の王女様が民に反旗を翻され、婚約者だった美青年に引導を渡されるというストーリーだった。私は侍女が何を言いたいのか察した。私がまるでその王女だと言いたかったのだろう。私は怒った。怒ってデズモンドお兄様に言いつけた。侍女はまんまと牢獄に放り込まれた。その話をぷりぷり怒ってローエンに告げると、ローエンは仄昏く嗤った。
「…僕もその話は好きですけどね。…彼女の最期は見ものだ」
ゾッと背筋が凍りついた。ローエンは間違いなく、私を王女に、自分を婚約者に置き換えている。私は目の前が真っ暗になった。ローエンは婚約を喜んではいなくとも、少なくとも私を憎からず思っていると思っていた。だけどどうやら違うようだ…
「僕ならあんな結末にはしないけれど」
首を晒し者にするだけでは飽き足らないらしい。ローエンの言葉に私はすっかり強くなった。
あの手この手で牢獄から件の侍女を取り戻し、私は泣きながら赦しを乞うた。私が憎まれるべき存在であることを自覚し、ローエンに嫌われないように立派な心優しい王女になろうと誓った。私にそんなことを思わせるほど勇敢な侍女は、私の先生になった。その先生…侍女のエリザは私に何冊も本を読ませ、教養を積ませた。道徳的な本を読み聞かせ、私がいかにローエンを虐げていたか知らしめた。私はぐうの音が出ないほどに打ちひしがれた。それまでの自分の行いが恥ずかしく、とてもローエンに顔を合わせる気になれなかった。ローエンは呼ばれなかったら決して姿を現せなかった。これは私が今までしてきたことの報いだと思った。わたしはたとえ舞踏会が開かれようと、ローエンをパートナーに選ばずデズモンドお兄様にくっ付いて回った。ローエンは同じ舞踏会の会場で、どの令嬢とも踊らずにいつもの昏い瞳を退屈そうに向けていた。当然私は眼中にないようだった。
それでも私は決して婚約を解消しなかった。
いつか、私が恥ずかしくないような素敵な王女になったら。いつか彼が本当に私を好きになってくれたら。そんな願いを捨て切れなかった。
私とは反対に、唯一血の繋がっている兄のデズモンドは悪逆非道を絵に描いたような王子へ育った。花街で浮名を流しては借金を作り、父や母を心配させていた。酒に溺れては手当たり次第に物に当たり、稀に女にも手を上げた。デズモンドの側近として職についたローエンは、私を見る瞳と同じ昏さで兄を見下ろしていた。侮蔑の色合いを見せていたローエンの瞳が怖くて私は近寄れなかった。もうあんな瞳で見られると、心がおれる。
「ローエン殿もお可哀想に。あの我儘姫のお相手だけではなく王子の尻拭いまでさせられて」
「出世株なのに気苦労が多いな」
城を気紛れに歩いていると、騎士の訓練場の裏についた。騎士たちが噂話をしている。はしたないとは思いつつも、私は柱に隠れて聞き耳を立てた。
「なんでも、王女よりは王子のほうが楽だと」
「ほう」
「何が何でも婚約からは逃げたいらしく、デズモンド王子に着いて国を出るおつもりらしい」
「国を?…ということはあの噂は本当なのか?」
「らしい。デズモンド王子は隣国へ嫁ぐそうだ」
「嫁ぐって!他に言い方はないのか」
その噂は、本当だ。兄は隣国で隣国の王女と結婚する。でもローエンが付いていくとは聞いていない。
「あちらにいる限り姫とは結婚しなくて済むからな」
「じゃあ二度とお戻りにならないのか」
「そりゃあ、あの姫じゃあな」
ぽろり、と涙が溢れた。私は心を入れ替えて頑張ってきたが、それは全く理解されなかった。私が積み上げてきた悪評はおいそれと消えるものではなかったらしい。ローエンは私が嫌いなのだ。あの兄の方が良いと思うくらいに。
私は久しぶりにローエンを部屋に呼び出した。
ローエンは久しぶりだというのに無感情に無表情のまま、昏い瞳で私を見ていた。
「知らなかった。ローエンはお兄様に着いて隣国へ行くのね」
「…はい」
いつも一拍置いてから言葉を紡ぐところも好きだった。
「そうすれば私と結婚なんてしなくて済むものね」
「…そうですね」
否定はしなかった。彼は慎重に私の出方を伺う振りをしながら、的確に私を傷つける言葉を吐き出していた。今までの私ならその程度の言葉を振り切って、独占欲丸出しの言葉を吐いただろう。だけど私はもう。
「あなたと婚約を解消します」
これ以上嫌われたくない。
ローエンは一瞬、瞳に迷いを見せた。私はたまらず、元の不遜で傲慢な私が顔を出すのを止められなかった。
「顔も見たくない!はやくどこかへ消えてよ!」
「…仰せのままに、殿下」
ローエンは礼もしなかった。昏い瞳を閉じて、回れ右をして早足に部屋から消えた。
かくして王子と側近は2人で国を離れ、隣国へ赴いた。そして戦争が起こった。なんでも隣国の第一王女がクーデターを起こし、父王を屠ったそうだ。そして国を乗っ取ろうと画策していた我が国に宣戦布告し、即刻攻め入った。こんな予定では、と父達は狼狽え、デズモンドお兄様を始めとする王族の、際限無い贅沢のせいで磨耗していた国家予算ではとても隣国の攻撃に耐え切れなかった。あっという間だった。隣国の将軍が我が城に土足で攻め入り、王族はみな地下の牢獄へ閉じ込められた。
きっとローエンはもう死んだことだろう。敵国の真っ只中にいたのだから。伝え聞いた話では、隣国の新しい王は我が国の王族を1人残らず公開処刑とするらしい。見せしめのように、1人また1人と、父から順番に毎日1人ずつ牢から消えていった。私は末席だから、1番最後だった。毎日死へのカウントダウンが続き、迫り来る死の恐怖に気が狂いそうだった。私は善人になろうと努力したが、元が悪人だったらしい。その証拠に私の命は風前の灯火だった。地下は陽が差し込まなくて日付の感覚が分からない。1人になって何日、何時間経ったのか分からない。孤独と恐怖に私は目を閉じて、ローエンのことを考えてやり過ごした。
来世でローエンに会えるなら怖くはない。次は嫌われないように、美しい心で生まれたい。
「リビエラ殿下」
「…ローエン?」
食事が喉を通らなくなって、諦めた看守は食事を出すのをやめた。水もほとんどのんでいないせいで、声が上手く出なかった。
目の前には、牢獄の外にはローエンがいた。見違えるほど立派な格好をしていた。肩には見たことのない勲章がいくつも付いていた。
「そう、おまえ、裏切って、いたのね」
ひゅ、と喉が空気を吸った。ローエンは隣国でそれなりに良い待遇を受けているらしい。彼の目はいつもより昏くなかった。彼はボロ切れを纏い、痩せて窶れた私を満足そうに見下ろした。
「さぞ、かし、良い気分、でしょうね」
「ええ…あなたは位を失いました。…平民です」
「笑いに、来たの…でしょう。笑えば…良いわ」
ローエンはクッと可笑しそうに唇を曲げて、喉を鳴らして笑った。嘲っていた。さぞかし可笑しいだろう。さぞかし嬉しいだろう。もはや抵抗する気力もない。喉が、渇いた。私は久しぶりに生理的な欲求を思い出した。
「構わないわ。もう死ぬもの。…最期にお前が見られて、よかったわ。思い残すこともない」
「ええ、勿論貴方は死刑です。…王族は例外なく斬首刑と決まっていますから」
ひどくお腹が空いた。
それに、とても、眠い。足が萎えてもう動かない。手にも力が入らない。私はかろうじて背中を壁につけて座っていた。瞼が閉じてしまいそうなくらい重かった。私は、このまま死ぬのだろうか。栄養失調?飢餓?またはその両方?私にはもうわからない。泣きそうなのに、体に水分が無くて泣くことすらできなかった。泣くほどの体力も、もう残っていないようだ。
「…ですから、貴女を貰い受けることにしました」
「そ、う…それは、よ、かったわ、…ね、」
瞼が、ゆっくり落ちた。彼の言葉は殆ど聞き取れなくて。ただ、眠かった。眠りに落ちるのか、死に落ちるのか。わたしはきちんと彼を祝福できただろうか。彼は、彼を苦しめた私が死ぬ瞬間を楽しめただろうか。最期の瞬間まで王女であれただろうか。
「リビエラ?…リビエラ!リビエラ!」
彼が私の生死を確認する声だけが最期まで聞こえていた。私はその瞬間とても幸福だった。最期の最期に彼の瞳に私を写し込むことができたのだ。これを幸せと言わずに何と呼ぶ?
結論から言うと、私は死ななかった。
といっても、殆ど死んでいた。死ぬつもりであの牢にいたことで、私はありとあらゆる延命措置を拒んでいた。栄養摂取然り、睡眠然り。底冷えする寒い季節であったのに、毛布の一枚すら被らず、ただぼうっと自分の罪を見直していた。ただただ死にたかった。ローエンがとっくの昔に死んでいると思っていたし、私にこれ以上生きる価値も、居場所もないことはわかっていた。生きるつもりも、なかった。腐っても王女、民の気の済むままに野垂死にするなり、殺されるなりする覚悟があったようだ。
それが、何故か。ローエンによって意識が落ちたと見るやいなや、即座に連れ出され、そのまま御典医に蘇生されたらしい。といっても、大したことはできず、点滴でひたすら栄養を入れていたようだ。そして私はローエンによって、祖国から連れ出されていた。次に目を覚ました時は、隣国のお城だった。隣国とはいえ…併合されてしまっていたのでこちらも我が国といえる。
目がさめるのに、2週間かかったらしい。相変わらず起きた時は舌がうまく回らなかったし、視界も悪かった。
「リビエラ…!僕が分かる?」
「…ロ、エ、……?」
声のした方を向く、けれど姿は朧げで。首を動かすだけでもやっとの事で、手も足も動く気配がなかった。
「…どうして…どうして、君はそんな人間になったの」
ローエンの声は、悲しげだった。
「…生きる気力を感じられないと、医者が言っていた。…そんな繊細な人だった?」
返事をするのも、億劫だった。私はローエンが独白するまま、ただ聞いた。たぶんローエンも返事を求めていない。
「…高々1ヶ月牢獄にいたくらいで死ぬ人か?…僕が知る君はもっと自分に忠実で、傲慢で、不遜で、我儘だった。…悪い扱いなんて1つもされていなかった筈なのに、どうして、」
貴人が地下牢に閉じ込められるのはどう考えても悪い扱いだろうけれど。それでも、きちんと生き延びるだけの手筈は整っていた。毛布だってうず高く積まれるほど置いてあったし、食事も不足はしていなかった。姉だって最期の晩餐はリクエストしたものを食べていた。母は泣きながらワインを飲んでいた。ただ私が手をつけなかっただけだ。お風呂の代わりに小さなタライにお湯を張って、清潔な布で拭いて良いと言われた。全て拒否したのは、私だ。
「あく、ぎゃ、く、ひどう…の、王女…は、首を、おとされ、国に、へいわが、おとず、れま、し…た」
途切れ途切れに擦り切れるほど読んだ物語を暗唱する。急に喉を使ったせいか、血の味がした。ごふっ、と咳き込み、喉から血が飛ぶのがわかった。
「そんな、そんな…!そんなつもりじゃ!」
ローエンは妙に慌てて叫ぶように捲し立てた。
「ロ、エ…うら、ぎり、」
ローエンの裏切りが全ての終わりだった。私は国の財政がとても苦しく、釣り上がる税金に怒りを抱いていた民衆を、知っていた。ローエンが裏切らなければいけなかった。国を救うために、ローエンこそが。国を裏切っていたのは、むしろ私たち王族の方だった。
正しいことをしたと言いたかったけれど、言葉はそこで途切れて、意識が落ちた。
次に目が覚めた時は、一言も話さないローエンに抱き起こされて、生まれたばかりの雛のように口に流動食を流し込まれた。ほんの少し食べただけで吐き出してしまいそうになり、殆ど受け付けなかった。そうしてまた眠りに落ちて、起きれば食事…というより給餌が始まる。少しずつ私は体力を回復していった。そうして私は自分が最早王族ではないことを自覚していった。目が見えるようになり、周りがよく見えるようになると、窓からの景色を眺めた。ローエンはあれ以降一言も話さなかった。日に5食に分けて少しずつ食事を摂り、眠る。足が動くようになるにはまだかかるらしい。他は良く動くようになった。
「…貴女はもはや王族でも、貴族でもありません」
ローエンがやっと話し始めた。私は気が重かった。わざわざ気が重くなる話題を提供するあたり、やはり私のことが嫌いなのだろう。
「ですから私の妾として迎えます」
徹底的に痛めつけるつもりのようだった。自尊心の高いあの頃の私だったなら、そんな待遇受け入れられなかっただろう。癇癪を起こして喚き散らしたに違いない。だけど私は、ローエンの言う通り、もうそんな我儘を言える立場ではない。…奴隷と変わらない。
祖国であれほどコケにしていた私を奴隷のように扱うのはさぞかし気分の良いことだろう。
「仰せのままに」
私は自分の立場を、弁えている。
それでも彼は、私を妾として扱うことはなかった。私を彼の新しい屋敷へ連れ帰り、真新しいベッドに寝かせただけだった。彼は私の動かない足をさすっては、二度と動かなくて良いのにと呪った。
それは私も同じ意見だった。
足さえ動かなければ、それを理由に彼の屋敷に滞在しても、良いと思えた。連れ帰られて、逃げられないのだと。こんな扱いをされても私は彼が好きだった。嫌いでもなんでも、なんらかの感情を向けられるのは気分が良かった。
たまに彼は女性を家に連れ帰り、大袈裟に談笑していた。私の部屋の隣で、大いに盛り上がっていた。彼が妻を探しているのは明白だ。お見合いの一環なのか、代わる代わる若い令嬢がやってきていた。
ここから出たくないと思っているのに、どこかで彼が本妻を取ることに恐怖を覚えた。足が動けば、私はここから出て国に帰らなければいけない。兄や姉のように殺されなくてはならない。それが私の義務だ。それを考えると頭が重くなって、彼の本妻の話を一瞬だけ遠くにやることができた。
「…足はどう?」
「今朝からは感覚があります」
「…そう」
何日か経つと、足に鈍く痺れた感覚が戻った。ローエンは不安そうに私の足をさすった。毎日こうして見舞いにくるのは不思議だった。
「国はどうなりましたか」
私が小さく聞くと、ローエンはぐっと顎を引いた。
「…税金がこの国と同じ水準に戻った…それに、前より豊かになった、と思う。…まだ併合して間がないから、何とも」
「そうですか」
「…僕は、君が民のことをほんの少しでも考えていたのが信じられない」
「エリザのお陰ですわ」
「…彼女は好き?…もし必要ならば」
「とても好きです。でも、彼女には好きに生きて欲しいと思います」
「…彼女も君に会いたいと思うから」
ローエンはそう言うと、本当に次の日にはエリザを連れてきた。エリザは大泣きして、私の窶れた姿を自分のせいだと責めた。何をそう責めるのは分からないけれど、エリザは何も悪くないと慰めた。足が必ず動くようにするとエリザは息を巻いていた。足が動かなくても良いのだと言うと、エリザよりローエンが驚いていた。エリザはまた大泣きした。
「姫様が…!私の姫様が…!」
「エリザ、泣かないで…私は咎人なのよ…足が動かないくらい、なんでもないことだわ…」
「でも姫様…こんな酷い…!」
当たり前の報いを受けただけなのに。
エリザはひどく気負ってしまった。それから毎日、エリザに足を動かされ、時には少しずつ力を入れて立てるように訓練された。歩くつもりが毛頭ない私は、わざと転んでエリザを心配させてベッドに戻ってみせた。
「きっと国民は怒り心頭でしょうね。だって首が1つ足らないんだもの」
「リビエラ様…貴女はそんなことを考えなくて良いのです。全て上手くいきますから」
「足が治らなければいいのに」
またエリザを泣かせてしまった。
次の日からエリザはもっと厳しく私の足を治そうとした。マッサージの時間は倍に増えたし、転んでもベッドに戻してくれなくなった。ここで出る食事も栄養満点で、足はみるみる元の…とまではいかないが、それなりに元に戻った。脹脛にうっすら筋肉がつき始めている。階段の上り下りはできないが、庭を散歩するくらいなら1人でも大丈夫だった。
「妾という割には何もなさらないのね」
いつも通り見舞いにやってきたローエンにちくりと言うと、ローエンはいつもの無表情から攻撃的な表情に変化した。
「…そうしてほしい?」
「ここにいる理由が欲しいと、そう思いました」
「…理由…?…貴女らしくない」
「私は恥知らずではありません。自分の置かれた状況はよくよく理解しております」
「…そうだね。…君はまるで分かっていない」
会話がかみ合わず、私は顔を顰めた。
ローエンはそのままふらりと部屋から立ち去った。私は覚悟していたが、その夜は何もなかった。肩透かしを食らったようで、ホッとすれば良いのか、残念なのか、分からなかった。ただ昔のように無邪気に一緒に居られないのは、嫌という程理解していた。
(ローエン、お前は私の物なのだから決して他の女と口をきいてはいけないわ。お母様とも、お姉様ともよ)
(顔が見たいわ…髪を切って)
(水曜日は必ず会いに来るのよ)
自分がした嫌がらせはあまりに稚拙だった。ローエンは王族に逆らえず、ただ漫然とその言葉に従った。ローエンが姉君ととても仲が良かったことも、ローエンが目立たないように顔を隠したがっていたことを知っていた。全て知った上で行動を制限した。水曜日には楽しみにしている剣の授業があったことも。
夢の中ではいつもローエンと仲睦まじく過ごしているのに、起きている間は1つも実践できなかった。ローエンは夢の中では柔らかく笑う人だったけれど、現実のローエンはいつも冷たく私を見下ろしていた。
「もうお一人で立てると伺いました。お辛いようでしたらお声掛けくださいね」
「あの、これは」
翌朝になると、この国の貴族然とした同じ年頃の女性が私の部屋を占拠していた。所狭しと積まれた雑貨類を見て、私は悟った。
「…ローエンには何も言わないでくださいませ」
「…?」
私はゆっくりと立ち上がって、そのまま部屋を出た。ぽかんと口を開けた貴族の女性はそのまま私を見送った。
ローエンは私を追い出そうとしたのだ。新しい人が私の部屋に入る。ローエンはきっと、生意気を言った私に立場を分からせたのだろう。寝室は二階にあったから、私は屋敷から出るのに階段を使う必要があった。階段を降りれるかどうか心配だった。まだ降りてみたことがなかったのだ。私は意を決して、一段降りてみた。その瞬間に足が、筋肉が、耐えれなかった。そのままカクンと足が折れて、私は物の見事に階段から落ちていった。ものすごい騒音に家中が気付いたらしく、頭を打って意識を朦朧とさせている私はまたエリザを大泣きさせていた。エリザだけではなく執事やあの女性まで大慌ての大騒ぎになった。
「…どうしてこうなるの?」
「大変失礼致しました」
ローエンは静かに怒っていた。件の女性には一旦お引き取り願ったらしい。相変わらず彼女の私物が所狭しと置かれた居心地の悪い部屋で私は休まされていた。
「…あの人は酷いことをした?」
「…」
この部屋の状況を、私がわかっていないとでも?私はツンと顔を逸らした。
「私はいつまでここにいるのですか」
ぶっきらぼうに問うと、ローエンは昏い瞳を瞬いた。
「…僕には意味がわからない」
「あの方がここに住まわれるのでしょう」
「…あの方?」
「今日こちらへいらした方です」
貴族の可愛らしい女性のこと。私は辛くて目に涙が溜まるのを止められなかった。ローエンは狼狽えていた。私はローエンの前では泣きたくなかった。ぐっと堪えて、涙が零れ落ちないように息を止めた。
「…マリア嬢のこと?…もしかしてこの荷物が彼女の物だと?」
ローエンは天を仰いだ。
「君は馬鹿だ」
ローエンはそのままふらりと立ち上がって部屋から出て行った。悔しいのか悲しいのか、我慢していた涙がぼろっと溢れて、部屋はまたひっそりと静まり返った。
翌朝、エリザが私を起こしに来た。階下から姦しい…可愛らしい笑い声が聞こえた。どうやら昨日の令嬢はまたこちらへやってきているらしい。私が不満そうに眉を顰めると、エリザまで笑い出した。新しい主人となる令嬢を、エリザまで気に入ってしまったらしい。エリザを泣かせてばかりの私よりは…
「また暗い顔をなさって!」
「1人にしてほしいわ」
「そうは参りません」
エリザは楽しげだった。エリザは部屋中に散乱している箱のうちの1つから美しいガラス瓶を取り出した。中には並々と香油が注がれており、エリザが蓋を開けると芳しい百合の香りが部屋に満ちた。百合は私の1番好きな花だ。
「何をしているの?」
「これで髪を梳かすととても綺麗な艶が出るんですよ」
「いけないわ。それはあの人の物よ…」
「マリア様のことですか?」
マリア。昨日ローエンもそう言っていた。私はまた涙がぼろっと出てしまった。エリザは私が泣いてしまったことに慌てて美しいガラス瓶を手から取り落とした。がしゃん!とガラスの砕ける甲高い音が響き、中身の香油が部屋にぶちまけられた。百合の濃い香りが、部屋どころか廊下まで漏れた。
「あらあら、お部屋を掃除しなくちゃいけないようですね」
「…マリア嬢、申し訳ないが隣の部屋でお願いできるだろうか」
「私は構いませんよ」
騒ぎを聞きつけたローエンと件のマリア嬢は揃って私の部屋へ現れた。マリア嬢は泣いている私を立ち上がらせ、割れているガラスに注意しながら隣の部屋へ移した。
マリア嬢はにっこりと微笑んだ。薔薇の花のような美しい女性は、私の痩せ細った腕をそっと握ってみせる。
「リビエラ様。私はマリア・ローズヒルズ・ラインラルドと申します。巷ではブルーローズと呼ばれておりますが、ご存知でしょうか?」
「ブルー…ローズ」
令嬢は小首を傾げた。よくよく見れば、令嬢の髪が男性と変わらないほどに短い。髪が短い女性は、私の知る限りでは、ローズと呼ばれる女性としては珍しく仕事を持つ人しかいない。ローズとは、ローズヒルズ家のうら若き令嬢に与えられる称号だった。誰よりもオシャレでとびきり美しい女性に与えられる称号。今現在のローズは、青をイメージカラーとするマリア嬢だった。マリア・ブルーローズといえば、稀代のローズと名高い、非常に誉れ高い女性だ。ローズの異名は隣の国まで轟いていた。何度かローエンに、ローズに服を見繕ってほしいものだと叶わない我儘を言って困らせたことがある。
「お分かりいただけましたか?」
「ええ…よく、分かりました」
敵わない…とっても敵わない。領地も、爵位も持たない敗戦国の王女…それも処刑間近の私には彼女に敵うところがただの1つもなかった。国にいた頃の美しさも栄養失調から全て霞んでしまっているし、みすぼらしい病人服に化粧もしていなければ、髪も傷んでパサパサ。輝くばかりのこのマリア嬢と、何1つ張り合えない。
「お世話になりました、とお伝えください…」
「あ、やっぱり分かってませんね!お待ちください」
消え去ろうと歩き出すとマリア嬢は即座に私の腕を掴みなおした。
「私は貴方のお洋服をお持ちしたのです。…あら、まだ誤解してますね?ご安心ください、私には婚約者がおりますから」
「…」
「ローエン様ではありませんからご心配なく!」
「でも、どうして…」
「どうして?…あら、本当になぁんにも伝えてないのですね。ちょっとローエン様をぶん殴ってきますので暫しお待ちください」
マリア嬢はあっという間に消えた。隣の私の部屋から、マリア嬢の怒鳴り声が漏れた。私は客間のソファにすとんと腰を落として、安心して、少し泣いた。ローエンはマリア嬢と結婚しない。ローエンはまだ、私の。
頬を腫らしたローエンがマリア嬢に連れられていた。衝立が設けられ、それを挟んで私は病人服を脱がされる。マリア嬢とその侍女はテキパキと私の身体中のサイズを測り、王女だった頃のサイズをエリザに聞いた。ローエンはその様子を衝立の向こう側で見ていた。私がこれ以上マリア嬢に質問をしないように見張っているのだという。
マリア嬢が私の部屋に置いてあるものは全て私の物だと教えてくれた。マリア嬢が、私の絵姿を見て似合いそうだと思ったものや、ローエンやエリザから聞いた私の好みのものを持ち寄ってくれたらしい。プレゼントの山を1つ1つ開けていくと、本当に私の好みのものばかり揃っていた。マリア嬢の噂は本当らしい。
「受け取れません」
「…気に入らない?」
お金の出所がローエンだと分かると、貰うのは気が引けた。
「…気に入らないなら、全部交換させるから」
「違います。返す当てがありません。私の現状はよくお分かりでしょう」
「…君は僕の物になったのだから、僕がどう着飾らせても良いのでは?」
「………貴方の気がすむのなら、異存はありません」
宝の山が手に入ると思うと、少し頬が緩んだ。昔から憧れていた、ローズに似合うものを選んでもらうという行為は私の自尊心をくすぐった。ローズはそう簡単に来てくれる人ではないからだ。私のためだけに、来てくれた。
ローエンは満足そうに私の隣に座った。
「君が喜ぶなら」
「私が喜んでも」
「…僕は嬉しく思うよ。…昔、君が僕に言ったお願いが、やっと1つ叶ったね」
(隣の国のローズという方に、ドレスを見繕ってほしいわ!ドレスだけじゃなくて全部ローズヒルズのものが良い!貿易商から買うにしても、流行がすぐに変わってしまうのだもの。ローエン、買ってきてよ!ねえ!)
頭の中に昔のおねだりが反芻した。
「…ドレスが届いたら外に出よう」
ローエンは小さく笑った。
「ねえ、変じゃない?」
約1週間で、マリア嬢はドレスを揃えた。持ち寄られたドレスは全て完璧に私に似合うものばかり。祖国では絶対に手に入らないオシャレで最先端で、素晴らしく着心地の良いドレスに私は感服した。ドレスが届いたら外に出るという約束は、本当だったらしい。エリザが私に真新しい、可愛らしいクリーム色に蔓草模様と、春らしい小花があしらわれたドレスを着付けてくれた。私はくるくる回って、不備がないかを確認する。エリザは何度も何度も嬉しそうに微笑みながら答えてくれた。
「とってもお似合いです。どこも変ではありませんよ」
足の具合も良くなってきた。階段も手摺を持てば1人で上り下りできるようになった。肉付きも少しずつ良くなってきている。荒れていた髪も肌も、ローズヒルズのものを使い始めるとすぐに効果が現れ、王女の時の肌に戻りつつあった。エリザは今日は化粧をしてくれた。全てローズヒルズ製。最高級の品だ。陶器の人形のように綺麗になった私は、ここ最近で1番機嫌が良かった。
ドアが控えめにノックされ、エリザが出迎えた。いつもよりめかし込んだとみられるローエンが私を迎えに来ていた。エリザが取り付いで、私は歩き出す。恭しく手を差し伸べられ、私は王女然としてその手に寄り添った。
「綺麗だよ」
珍しく、考え込まずに彼はそう言った。
「ローエンもとっても素敵!」
私は心からの笑顔でそう言った。ローエンは昏い瞳を眩しそうに細めた。
街へは行かず、ローエンは街から離れた公園へ私を連れて行った。湖の近くで馬車を降り、ちょっとした絨毯を置いて座る。太陽の光で湖面はキラキラと輝き、木々の美しい緑を写し込んだ。
「…体調は?」
「もう、何とも」
「…良かった。足も、もう動くね」
ローエンは私を気遣った。ローエンはあの日呪った私の足を、愛おしげに撫でた。その瞬間に思い出す、私の罪。断頭台が脳裏に過ぎった。
「最期まで良くしてくれてありがとう…。まるで夢だわ…」
甘美な夢。ローエンは、私を酷くは扱わなかった。婚約者だった頃よりずっと優しくしてくれた。
いつまでも私は罪を先延ばしにしては、いけない。
「…また君は間違った想像をしているのだろうね」
ローエンが嘆息するのは、殆ど聞こえていなかった。
ローエンは私が寒がったりしないように、私にブランケットを被せて後ろからぎゅっと抱きしめて温めてくれた。
湖畔での想い出は一生忘れない。この生涯で1番幸福な出来事だった。
その日の夜に、私はローエンの屋敷から出て行った。
ローエンの屋敷がどこにあるのか、大まかな見当は付いていた。窓から見える景色の向こう側には大きな城が聳えている。つまりここは、王都だ。
ローエンは私を街へ連れ出さなかったけれど、ここはそもそも街の中なのだ。大通りをずうっと歩けばいずれ私は城へと辿り着くだろう。私の荷物は非常にシンプルだった。マリア嬢が用意してくれた闇色の美しいドレスに、雨の日用の、フードがついた外套。すっぽりと頭を覆って、私は静まり返った街を歩き始めた。治安の良い街だった。夜半に出歩く人はほとんどない。大通りを一本抜ければきっと夜でも活動している人がいるだろうけれど…大通りに限って言えばとても静かだった。
かくして、私の目論見通りに事は運んだ。私は休み休み歩き、朝日が昇るころにようやく城の足元へ辿り着いた。警備の衛兵が胡散臭そうに私を見ている。マリア嬢が選んでくれた歩きやすいブーツは、擦り切れてぼろぼろになった。美しいドレスの裾もほつれている。私は息を整え、フードを脱ぐ。衛兵に精一杯威厳のある声で告げた。
「ガーディン国の第14王女、リビエラでございます。陛下に謁見を申し込みますわ」
私の目論見は、またしても上手くいった。
まだ日が昇り切らないほどに薄暗かったが、私は謁見の間に通された。私の、民族独特の浅黒い肌に、この国でも問題児だったデズモンドお兄様譲りの顔立ちは、直ぐに私が本物の王族だと信じさせるだけの証拠となったらしい。
「なんというか…愚か?」
この国の若き女王、アリシア陛下は欠伸を我慢せずに大口を開いた。そして私に向かって首を傾げた。アリシア陛下は寝巻きのまま、寝癖すら直さずにやってきた。
「大人しくしていれば良かったのに…別に私は気にもしないというのに。私どころか誰も。王族とはいえ似たような顔の処刑対象が20人を超えたら、1人や2人欠けても覚えてもいないと、私なら思うが。お父上…というか王族の血が濃すぎる」
「…そういうわけには参りません」
「律儀な人。人生損ばかりでは?」
アリシア陛下は眠そうに目を擦った。
「足が動くようになったのは僥倖。貴方のお馬鹿な婚約者の不手際は御愁傷様。私の関知しない話だからもう帰ってくれない?私はとても眠い」
アリシア陛下は心底どうでも良さそうに立ち上がって、さっさと部屋へと帰ってしまった。残された私は、どうすれば良いのか、分からなくなってしまった。アリシア陛下は私に、路傍の石のように、まるで関心がなかった。国民にとってもその筈だと言った。…私が?悪逆非道を絵に描いたような我儘な王女が?
このまま国まで歩いて帰ろうか。
野垂死ぬならそれも一興。
私はまたふらりと立ち上がった。
「…次はどちらへ?」
「国へ…」
日が昇りきっていないような時間なのに。身なりの整ったローエンが謁見の間にいた。ローエンは、当たり前のように私の前に立ちふさがる。
「…陛下も言ったでしょう?…貴女の首がないことなんて誰も気付かないと」
「いいえ。だって私は」
「…国庫を使い切ったのはデズモンド王子だけではありません。…貴女のお姉様も、お母上も、みんな浪費ばかりでした。その分を税金で回収しようとして…民の不満は溜まりに溜まり、反乱が起こるかどうかの瀬戸際。その矛先をこの国との戦争に向けて…完全に負けました。…負けて、王族の首を持って民を鎮め、この国の一部となって生きることになりました」
私は歯を食いしばって泣きそうになる衝動に耐えた。
「…貴女は今まで一度でも、民を困らせるような悪逆非道な行いをしましたか?」
「貴方に酷いことをしてきたわ」
「…僕は、婚約者です」
「嫌々そうさせただけよ…私は我儘で手のつけられないお姫様だったわ」
「ええ、それは認めます。…我儘の多い姫でした。…ですが、それだけです。民を苦しめる人ではありませんでした。…尤も、それは無関心だっただけなのでしょうが。…でもそれが功を奏して…貴方は民の制裁の対象から見事に外れました」
「ほ、んとうに…?」
「何故僕があんな詰まらない本を読ませたと思いますか」
「あの本は、貴方が私に?」
エリザが持ってきた、悪逆非道の王女の物語。あの本を読んで私は改心した。
「彼らと同じでは貴女を救えなかった。貴女は違わなければならなかった。…貴女があんなに単純だとは思わなかったけれど」
「単純、だなんて、」
「あの話を真に受けて、牢獄で死のうとまでしておいて!」
ローエンは激昂した。私は驚いて後ずさる。
「…僕のことを避けるようになったのはどうして?」
「エリザに教えられて…私は私が恥ずかしくて堪らなかった…」
「エリザも僕も、そう思うような教育はしていない」
ローエンの怒りは静かになった。静かに、それでも怒りは煮えたぎっていた。
「…貴女が心変わりしたとは思わなかったけれど、僕は気分が悪かった。…だから、敢えて牢獄に暫く入ってもらった。…たっぷり反省して、僕に助けられて、大人しく喜んで腕に収まると思った」
「わたし…」
「…でも君は、死を選んだ」
静かに、ローエンは言葉を落とした。私は目頭が熱くなってきた。反論したいのに、言葉が出ない。
「…僕には理解できない。…それまでの君は、到底あんな所で死を選ぶ人間には見えなかった。…貴人には相応しくないけれど、きちんと世話はさせた。それなのに」
ローエンは一瞬言葉に詰まって、首を振った。
「…僕は猛省した。…二度と君を失わない。…でも君は人が変わってしまった。…誰なんだ、君は。どうして死を選ぶ?何が君をそうさせる?…余程裏切り者の僕が嫌なのか?」
「裏切り者だなんて、思っていないわ…」
か細い声だった。ローエンは、黙って耳を傾けた。
「あの時は、ローエンはとっくに死んでしまったと思っていた。来世での私はきっと素直で性格の良い人に生まれ変わって、今度はローエンに嫌われないようにしたいと、そう思っていた」
ローエンは、呻いた。私は独白を止めない。相変わらず小さな声で、ひっそりと話す。
「ローエン、貴方の裏切りは正しい行いだったと思う。私の家族が民を深く傷付けていたのは、知っていました。止められなかった私にも責任を感じていて…」
「…君は何も悪くない」
「それでも責任を負うのが王族の役目です。…死の間際に貴方に会えて本当に嬉しかった。思い残すことがなかった。家族が1人また1人と死んでいくのを見るのが耐えられなかった。早く、死んでしまいたかった…」
「それは、申し訳ないことを、した」
「ずっと私は死なねばならないと思っていました。白状すれば、貴方の隣にいるといつも私の中の悪逆非道な王女の姿を隠せません。私は悪魔のような女です。家族たちと何も変わりません」
奥歯を噛み締めて涙を飲み込んだ。ローエンはゆっくりと私に近付き、溜息を吐き出す。
「…リビエラ王女。貴方は自己評価が異常に低い。そのくせにプライドが高い。…無茶苦茶な人間です。…元々は自己評価の高いお人だったと記憶していますが、僕の教育で打ち砕かれてしまったのでしょう。…だからあなたはまだちぐはぐな中身をしている」
「それが」
「お気付きでしょう?貴方の首を欲しがる人はいない」
「……」
「でもプライドが邪魔をして、素直に生き延びないと言えないのですね」
「…それは」
「知っていますよ、貴女が善人になりきれないことも、我儘なところも。…貴女の我儘なんて王子に比べたら可愛いものです。…それに、心根から真に善人などいないでしょう。貴女は普通の女の子です」
否定の言葉が、続かない。
言い淀んだ私に、ローエンは止めを刺した。
「…紙の上では、貴女には死んでもらいました。獄中で発狂して死んだと。…だから首は無くて良いのです。…貴女はもう王女ではありません」
「生きてて良いの…?」
「…何のために僕がこの国の貴族になったと?…貴女を助け出し、求婚するためですよ」
ローエンは王族にするように、ゆっくりと跪いた。わたしの手を恭しく取り上げ、息が止まるほど美しい微笑みを浮かべる。
ああ、それは、私がこの生涯を掛けて見たかった表情だ。
彼の瞳には、昏く光るものが映っていた。私の涙が朝日を反射して彼の瞳に光を与えていた。
「…何もかも僕の不手際です。…貴女に大切なことを伝えていませんでした。…そうするだけの勇気が無かった僕をお許しください」
「ゆ、るすわ、」
「…貴女を愛しています。…結婚してくださいますか」
「ええ、…ええ!す、するわ…!するに決まっているもの!」
私は跪いたままの彼の胸に飛び込んだ。溢れ出した涙を彼のお高い外套で押さえつけ、ついでに鼻水も擦り付けておいた。ローエンはちょっぴり照れくさそうに笑った。
後日談、というほどのものではない。
私は結局、名前を改めることになった。リビエラという名前は亡国で戦禍に没した王女の名前だからだ。私の名前は簡単に、リビーとなった。
ローエンは伯爵位を戴いており、領地も与えられた。領地は元々彼の家の領地だった所だ。ローエンは領地を運営しながら、祖国と新しい祖国の結び付きを強めるため精力的に活動した。勿論私も、微力ながらお手伝いした。
デズモンドお兄様にも会いに行った。お兄様は、妻に見事に尻に敷かれていた。小さい上に難しい領の運営を、妻が仕切り、デズモンドお兄様がお手伝いをしているらしい。デズモンドお兄様は身も心も丸くなっていた。私とローエンを祝福してくれた。
私の我儘は鳴りを潜められなかった。ローエンが我儘を言うくらい元気が良い私が好きだと言ったから、直すのは辞めた。
こうして悪逆非道の王女は、婚約者に引導を渡されて、幸せに暮らしたのでした。
ふぁ、ファンタジーだから…