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  初恋 作者:後藤詩門
第四章
 看護婦のもたらした知らせを、翔太は初めすぐには理解できなかった。

(明菜が……目覚めただって? どういうことだ)

 脳の回転が鈍くなっているというか、ぼんやりと霞がかかっているというか……そんな感じであった。
 まさかこのタイミングで明菜が目覚めるなんて、すぐに信じられる状態じゃなかったのだ。

 今日は翔太の退院の日。明日からは明菜を院長に託して、暫く見舞いには来れないなと考えていた矢先の事なのである。なんというタイミングの良さ……

 この3ヶ月一度も目覚めなかった眠り姫の魔法を、どんな王子様のキスで解いてあげたというのだろうか? 翔太にはまるで分からない。
 いや、そもそも健康体の彼女が眠り続けていた事の方が、現代医学では説明のつかない謎だったわけだから、目覚めるのが自然と言えば自然である。

 しかしだ……

 地下室のあの幽霊、殺された結合双生児の片割れ、つまり翔太の双子の姉あきなの事が気にかかる。
 こんなにあっさりと妹がよくなるなんて、意外としか言いようがない。姉の呪いは……もうとけたのだろうか?

 まぁ、両親によって生きる望みを断たれた彼女の怨みも、実の妹にまでは完全に届かなかったということなのかもしれない。
 考えてみれば、姉の代わりに生を得た翔太はまだ生きているではないか。本来なら最も恨みまれて当然の彼。
 ひょっとしたら姉さんは、ただ自分たち兄弟に会いたいだけで危害を加える気は無かったのかもしれないな、と翔太は思う。
 それなのにあの日、自分たちが逃げようとしたのでついカッとなって明菜を……眠らせてしまった。こんな推理はどうだろうと翔太は考える。

 いや、深読みしすぎか? 翔太はさらに推理してみる。
 それとも、幽霊なんてやっぱりいるはずもなく……全ては錯覚だったのかもしれない。
 両親が突然の亡くなった事も、翔太が奇妙な怪我や病気で入退院を繰り返した事も、地下室であの子に会った事も純然たる偶然であり、そこには何ら非科学的な要素など含まれていないのだ。だから、どこも悪くない明菜が目覚めるのも必然。
 兄と妹はこれまで通り、平穏に、幽霊なんかに怯えることなく仲良く暮らしていけるはず。
 こちらの方が正解なのかも……いや、きっとそうだ。そうに違いない。

 ついに翔太は結論に達した。
 ならば、一刻も早く妹に会おう。会って確かめるのだ!


 こうして今、翔太は妹の目覚めを知らせにきた看護婦に先導され、明菜の病室へと急いでいる。
 走るとまだ足が痛むが、今はそんなこと言ってられない。
 一刻も早く彼女の無事を確かめたい。
 懸命に妹の病室へと急ぐ。

 明菜の部屋には5分もせずに到着した。
 いささか失礼とは思ったが、兄はノックもせずにドアを開け放つ。兄と妹なのだ、こんな時に遠慮はいらないだろう。
 すると、明菜の部屋からふわりと流れ出た冷たい空気が翔太の頬を撫でる。
 人工的な冷気である。ひやりとした感触が心地良い。

 エアコンの効いた室内には数人の看護婦が、一人の女性入院患者と談笑していた。
 ちょうど彼女は翔太に背中を向ける形で立っている。顔は見えない。
 だが彼にはその後ろ姿で十分だった。

 その女性は……長い眠りから目覚めた彼女、そう明菜だ!

 談笑している彼女は、まるで健康な普通の少女のように見える。3月も寝たきりだったとは信じられない回復ぶりだ。

 ずいぶん髪が伸びていた。ショートカットの似合う快活な少女が、こうしてみるとなかなかの淑女ではないか。
 こっちの方がいいな。つい、そんな感想を抱いてしまう翔太。

 その時、看護婦の一人が入り口で佇む翔太に気がついた。

「あら、明菜さん。お兄様がいらしたわよ」

 その言葉に、それまで背を向けて立っていた彼女がくるりと振り向く。
 目と目で見つめ合う二人。間違いない明菜だ。
 彼女の瞳はうれしそうにはにかんでいる。

 本当に良かったと翔太は思う。
 姉に呪われ一生目覚めないのではと、ついさっきまで心配していた自分が馬鹿らしい。まさに杞憂だった。

「明菜、もう良いのかい?」

 兄が両頬にとびっきりのえくぼを作って笑いかける。母親ゆずりの笑顔。
 そんな兄の言葉に、彼女は嬉しそうにうなずいた。
 そして彼女もまた、そのほっぺたに可愛らしいえくぼをつくり微笑み返したのだ。
 魅力的なその笑顔に翔太はドキリとさせられる。

 何だろう、すっかり綺麗になった。まるで……あの子……いや、姉さんみたいに。
 この時、翔太は忘れていた。
 妹がエアコンの冷気を嫌っていたこと。そして彼女はどんなに笑ったとしても、えくぼなどできない体質の女性であったことを。

 大切な事なのに……
 なぜか翔太は思い出せないでいる。
 それよりも今は、この美しい妹から目をそらしたくない。そんな気分だった。

 それは以前にも感じた事のある感情。
 懐かしのデジャブ。
 そうだ、あれは4歳の頃の記憶。
 一目で魂を奪われた初恋の思い出に近い。

 いつの間にか……
 翔太の瞳から生気が消えていた。
 今の彼はまるで操り人形である。
 変身を遂げた妹、明菜の意のままに動く時計仕掛けのマリオネット……

 そんな翔太の様子に、彼女は満足したようにうなずいた。
 そして意地悪そうな笑みを浮かべ、こうつぶやいたのである。

「うふふ、また会えたね翔太。もう二度とあなたを離さないわ。だってあなたは、私の大切な脳を持っている大事な弟なんだから。だから、それを返してもらうまでは……あたを生かしといてあげるわ」


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