ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  初恋 作者:後藤詩門
第三章
 妹の明菜が気を失ってから3ヶ月が過ぎた。
 今日は両足を骨折して入院していた翔太の退院の日である。すっかり板についた入院生活ともお別れ。
 そんなわけで彼は今、海南総合病院の院長室に挨拶をするため出向いていた。

「やあ、やっと治ったかぁ翔太君。退院おめでとう」

「はい、ありがとうございます。院長先生」

 好々爺然とした病院長の田中が、相好を崩して喜んでくれている。
 ありがたいものだと翔太は思う。実は翔太が産まれる時、赤ちゃんの彼を取り上げてくれたのが田中なのだ。院長としても翔太には特別な思い入れがあるのだろう。

「せっかく来たんだ。少しゆっくりしていきなさい」

 などと言うとお茶と茶菓子を出してくれた。この申し出を翔太は快く応じることにする。
 のんびりと一口、緑茶をすする二人。しばらくは世間話に花を咲かせていたが、自然と会話の流れはあの事になる。

「それにしても……今回は大変だったねぇ翔太君」

 しみじみと語る老人の瞳には心からの気遣いがあった。妹、明菜のことである。

「どうもすみません院長先生。僕だけじゃなく妹までご迷惑をおかけしまして」

「何を言ってるんだ水くさい。明菜ちゃんの事は任せておきなさい。それに私と君は長い付き合いじゃないか。遠慮なんかせず困った時はいつでも言いなさいよ」

 その言葉に、ついつい目頭を熱くする翔太。嬉しかった。
 この3ヶ月もの間、一回も目覚めなかった妹を心底心配していたのだ。
 これまでは同じ病院の中、彼もちょくちょく見舞いにこれた。しかし、明日からは仕事が始まる。
 ただでさえ骨折治療で長期休暇をとった後である。妹の見舞いのためにそう何度も会社を休むことはできない。それが気が気ではなかった。
 正直、院長の言葉に救われた気がする。

「お願いします、先生!」

 深々と頭を下げる青年に、老人はにこやかな笑顔でうなずいた。

「ああ、任せたまえ」

 そして翔太の肩にその手を伸ばし、ポンと一つ軽く叩く。
 しわがれた院長の痩せた手が、翔太には何だか重たく感じる。
 大丈夫。早くに両親は亡くしたが、俺にはこんなに親身になってくれる人がいる。大丈夫だ。そんな安心感を与える重みであった。

 だが、そんな翔太の心の支えになる院長ではあったが、彼自身まったく不安が無いわけではない。
 むしろ、これから明菜をどう治療してよいか迷いがあった。
 なぜなら彼女はまったくの健康体だったからだ。精密検査でも異常無し。ただ目が覚めないだけというだけの状態。手詰まりである。

 それに加え彼には気になる事が、彼女がこうなるきっかけになった話だ。
 翔太から事故の状況を詳しく聞いた時には、一笑に付した幽霊話。だが、思い返せば心当たりが田中にはある。
 恐らく翔太には……いや絶対彼には話しておかなければならないな、と老人は考えていた。
 ちょうど良い機会だ。今話そう。だが、この青年がその話をどうとらえるのか……それだけが気がかりである。

「実はねぇ、明菜ちゃんが気絶したきっかけを作った女性の事なんだけどね」

 そう切り出してきた院長の言葉に翔太は思わず苦笑する。
 明菜がこうなったきっかけ、つまり翔太の初恋の人あきなの事であろう。

 あれから何度も考えたが、彼女は確かにあそこにいた。あれは見間違えなんかじゃない。
 でも、病院内の医師もナースも誰一人信じてくれないのだ。院長とて同じだと翔太は感じていた。

 まぁ致し方ないとは思う。彼らは医者のみならず科学者でもあるからだ。
 超常現象には抵抗があるのだろう。

 それでも、彼女は確かにあそこにいた。翔太はそれを確かめるべく、妹が倒れて以来何度となくあの地下室へ足を運んだ。
 残念ながらあきなの姿は影も形もない。病院関係者に聞いてもそんな人間はここにはいないし、そんな家族友人も来ていないとのこと。
 これ以上、翔太には調べようがない。
 だが……事実なのだ!

「先生、確かに突拍子もない話に聞こえるでしょう。馬鹿にしたい気持ちも分かります。でもね、あれは本当なんですよ」

 なかなか信じてもらえないもどかしさに、悲痛な表情を浮かべる翔太。だが、院長は意外にも手を振ってこう答える。

「そんなことないよ翔太君。いや、最初は信じられなかったさ。君の目の錯覚だろうとも考えた。でもね……あの地下の標本室の事で思い出した事があるんだ」

 急に深刻そうな面もちで語りだした院長に、翔太は身を乗り出していた。いったい何を思い出したのだろう?
 固唾をのんで見守る。

「実はね、あそこには君の……お姉さんがいたんだよ!」

「ええっ、姉さんですって?」

「ああ、双子のね」

「ふ、双子?」

 意外な展開である。これまで一度も聞いた事のない話だ。もちろん、父親からも母親からも……

「驚くのも無理はない。そして何故隠していたのか疑問に思うだろう。それには理由があるのだ」

 それから、田中はポツリポツリと語り始めた。
 実は翔太は双子、それも結合双生児であったという。別名シャム双生児。
 20万組に1組という確率でおきる奇形児で、日本ではベトナム人のベトちゃんドクちゃんが有名だろう。
 双子の体の一部が結合して産まれるからこの呼び名がある。時には下半身を共有する双子や、あるいは胸だけがつながった双子などパターンは様々。

「君らの場合、残念なことに頭がつながっていた……つまり、脳が一つしかない双子だったんだ」

「頭がつながった?」

 信じられないといった表情の翔太。
 話す院長の方も、いかにも残念だとばかりに唇を噛む。

「本当なら君たち二人とも助けたかった。でもね……結合双生児の寿命は短い。しかも頭がつながっているなど、もって数年の命だと思えた。私は率直に君のご両親に言ったんだ。どちらか一人を選んで一つの脳を与え、どちらか一人は殺すしかないと」

 ショックだった。続きは聞かなくとも想像できる。翔太の両親は翔太を選んだのだ。

「君のご両親は大変悩み苦しんだよ。当然だ。初めて授かった子供。どちらも可愛くないはずがない。君のお父様にいたっては、もう君たち二人の名前まで考えていたのだからね」

「……そうですか」

「決めたのはやはり、お父様だったよ」

 ポツリと田中は言った。瞼の裏にあの時の情景が鮮明に蘇る。
 泣き叫ぶ母親がどちらも助けて下さいと懇願し、最後は自分の脳を子供に移植して欲しいとまで言ってきた。
 だが、そんなこと出来るはずもないし、出来たとしても倫理上問題のある行為。つまりは不可能だった。
 結局、父親の希望が優先され……矢神家の跡取り息子が一つしかない脳を得たのである。

「そうだったんですか」

 ため息が思わず漏れる。こんな事情があったのなら、両親も話しにくいはずだ。今にして思えば何となく両親は、翔太の出産の話しをしたがらないような気もしていた。そういうことかと合点がいく。しかし……

「このことと、妹のことには何の関係があるんですか?」

 翔太はふとそんな疑問を口にした。だがすぐその後で、はたと膝を打つ。
 大切な事に気がついたのだ。

「ひょっとして、あの部屋にあった標本の胎児……?」

「そうなんだよ翔太君。あのフォルマリン漬けにされた胎児たちの中に君のお姉さんはいたんだ」

「な、なんてことだ」

 翔太は絶句した。双子の姉がそんな変わり果てた姿になっていたなんて。だんだん腹がたってくる。

「酷いですよ院長先生! どうして姉さんを標本なんかにしたんですか?」

「本当に、すまない」

 田中は素直に頭を下げた。翔太の心情はよく分かるし、負い目もある。心から詫びた。

「君の両親はこのこと……つまり結合双生児が産まれた事も、手術の事も内密にしてくれと頼んできたんだ。まぁ、気持ちは分かるよ。あの頃は世間体というものが今よりずっと重かった時代だからね。でも、医師としては残念でもあったんだ」

「それは……どうしてですか?」

「それはね」

 少し考えてから海南総合病院院長は重々しくこう言った。

「史上例の無いことなんだよ。異性の双子の間で結合双生児ができたのは。必ずといって良いほど同性間でしか起きない症例だったのだ。それを君たちは覆した」

 そして老人は、今後の医学界のためにも発表したかったと付け加えた。だが、患者のプライバシーのためにこの事は完全に伏せられる事となる。そして、せめてその姉の遺体は、後世の学問のために標本にしたいという願いだけは認められたという。

「それが……あの部屋にあったんだ」

 呆然と翔太はつぶやいた。背中に冷たいものが走る。そして不気味な考えが脳裏に浮かんだ。

 あの部屋で彼女は一人残されていた。何年も、何年も……翔太に一つしかない大切な脳を奪われて。ひょっとして姉さんは?

 翔太は気になっていた疑問を院長にぶつけてみることにした。

「あのぅ、院長先生?」

「なんだい翔太君」

「先生のお話の途中から、気になっていたんですけど。父さんが姉さんにつけようとした名前って……?」

 予想していた質問だったのか、老人は間髪いれずに答えた。

「明菜だよ。君のお父様はあの時お姉さんにつけれなかったその名を、きみの妹さんにつけたようだね。よほどお姉さんの事を気にかけていたのだろう」

 やっぱりそうか。それが翔太の率直な感想だった。

「では、僕が会ったあの女の子……あきなという名前の人はひょっとして?」

 震える声で翔太は尋ねた。
 老人は少しだけ目を伏せたが、すぐに向き直り翔太にこう言う。

「私も信じたくはないし、認めたくもない。だけど……気になって仕方がないんだよ。ひょっとしてあの子は、双子の弟である君を呼んでいたのではなかろうかと……」

「そんな」

 そう答えた翔太であったが、身に覚えはありすぎるくらいにある。
 初めて会ったその日から、二人は息もぴったりで何をするにもうまがあった。双子ならば当然のこと。
 それに、翔太は何度も不可思議な病気や怪我に悩まされていた。そのたびにここに入院しては地下のあの部屋で彼女と会った。
 確かに……彼女は呼んでいたのかもしれない。
 だが、待てよ。

「そう言えば院長先生。僕は中学生になってから今までは入院していませんでした。つまり彼女には会っていません。姉さんが僕を呼んでいたとしたら……それはどうしてなんでしょう?」

 翔太の質問に老人は首を振った。

「実はな、君が中学生になるころ……あの標本は交流のあるとあるアメリカの大学研究室に貸し出されてたんだよ。珍しいものだからとね。つい3ヶ月前に帰ってきたばかりだ」

「そうなんですか……その間、僕を傷つけ入院させなかったのは、傷つけても僕に会えないからだったんですかね? だとすれば、ちょっと優しい人ですよね」

 翔太が笑って言った。重苦しい緊張感を少しでも払いたかったのだ。だが、院長の田中は笑うどころか沈痛な面持ちである。

「その代わり君のご両親は死んだ。ひょっとすると……」

「ま、まさかぁ」

 信じたくない。だが、姉にとって命を奪った憎むべき相手。もしかすると、もしかするかもしれない。

「今回の君の妹さん、明菜ちゃんの事で私は考えたんだ。もし君の姉さんの事がこの件に絡んでいるとすれば……あの標本の事も考えなきゃならんなと」

「考えるとは?」

 怪訝な顔の翔太に病院長は答えた。

「きちんとお墓に埋葬しようと。お経をあげて弔おうとね」

「それはいい!」

 翔太は叫んだ。いい考え。しかし、老人は悲しく頭を振る。

「それがだめなんだ」

「何故です?」

「昨日、地下のあの部屋に行ってみたんだが……どこにもないんだよ。君の姉さんの標本が」

 二人の間に重苦しい空気が流れる。
 だが、その時であった。
 沈黙を破るように院長室に一人の看護婦が飛び込んできたのだ。
 彼女は息を切らしてこう言った。

「大変です、207号室の矢神さんが、目を覚ましました!」


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。