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  初恋 作者:後藤詩門
夏ホラー2008、百物語編投稿作品です。淡い初恋の思い出が恐怖の体験となってかえってくる、静かなホラー。どうぞご覧ください。
第一章 
 さっきまで猛烈な暑気を振りまいていた太陽は、厚い雲に覆われてすっかり姿を隠し、代わりに大粒の雨が焼けた大地を叩き始めていた。
 夕立である。
 真っ黒なアスファルトは水しぶきをうけ白く煙り、時おり鳴り響く雷が暗い街中を明るく照らす。まさに恵みの雨。
 気温にして4度は下がっただろう。時折吹く風が何とも涼しげになる。
 そして八神翔太やがみしょうたのいる病室にも、開け放たれた窓からその涼風が舞い込んできた。

「わぁ、いい風だねぇ、お兄ちゃん」

 翔太の妹、八神明菜やがみあきながベッド脇の丸イスに座りながら嬉しそうに言った。大学生の彼女はとっくの昔に夏休みに入っている。

「あのなぁ明菜、別に窓なんか開けなくても……エアコンを入れれば涼しくなるだろう?」

 天井を見上げるように寝ころんだまま、翔太が口を尖らせて不満を呟く。
 この夏日にエアコン無しで過ごすなんて。
 病院のベッドでじっと寝ているしかない彼にとっては地獄のような環境であった。

「だってぇ、私エアコンの風って苦手なんだもん。それくらい知ってるでしょう、お兄ちゃん」

 明菜がさも当然とばかりに言う。もちろん翔太は知っていた。これまで父親代わりとして、そして時には母親代わりとして彼女の面倒をみてきたのだ。妹の性格などお見通しである。
 我がままで気まぐれで甘えん坊。ショートカットの髪型からも分かるように、元気はつらつな娘である。そして、怪我をして入院している兄の面倒を看るため、夏休み返上で看病してくれる優しい子でもあった。

「だけどなぁ、こんな時くらいは俺に合わせてくれよ。見ろ、暑くて死にそうだ」

 そう言って翔太は宙吊りにされた自分の両足を指さした。哀れにも、膝から下を石膏で固められトイレに行くのもままならない状態。骨折であった。

「ダメ、私がここにいるからにはエアコンはつけさせません。お兄ちゃんの骨折は自業自得でしょ! それに私は夏休み返上で看病してあげてるんだからね。感謝してほしいくらいよ」

 とりつく島もなく妹が答えた。まったくこの妹には叶わないな、と翔太は苦笑いを浮かべる。
 でも、確かにこの骨折は自業自得。言い訳のしようがない。

 そもそも何故こんな事になったのか?
 簡単に言えば交通事故が原因である。趣味で乗ってる大型バイクで転んでしまったのだ。
 なんの変哲もない見晴らしの良い一本道。天候は快晴、人通りすらない。そんな所でいきなり横転してしまった。そして自爆、全治3ヶ月の重傷であった。
 訳が分からない。素人でもなければ、運動神経だって悪くないのに……

 だが翔太にとってはこんなこと日常茶飯事なのである。

 実は子供の頃から摩訶不思議な怪我や病気で何度も入退院を繰り返してきた。
 それこそ、まだ両親が生きていた頃は毎年のように。
 そして、そのたびにここ海南総合病院にお世話になっている。まるで悪いモノでも憑いているみたいだ……

 だが、その時。そんな兄の思索を打ち破るかのような、素っ頓狂な声が聞こえてきた。

「あっ、そうだ! ねぇねぇ、お兄ちゃん。ここで私もお兄ちゃんも産まれたんだよね?」

「ああ、そうだよ」

「じゃあ、じゃあ……お兄ちゃんの初恋の人に会ったのもここだったんじゃない?」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて妹が兄の顔を覗き込む。
 以前、翔太に聞かされた不思議な恋の話。明菜は何となく覚えていたのだ。

「ねぇ、話してよぅ。お兄ちゃんの奇妙な恋バナ!」

 興味津々の明菜に兄は渋々うなずいた。我が儘が服を着たような娘だ。かなうわけない。

「分かったよ、だけど途中で笑うな」

「もち、笑わないって」

 調子の良い明菜の返事に兄は話し始めた。
 翔太の初恋、それは彼がまだ4歳だった頃の話。
 あの日、彼は生まれて初めて一目惚れというものを経験した。人が聞けば、ずいぶんおませな子供だなぁと感じることだろう。
 無理もない、翔太自身もそう思う。まさか、まだ幼稚園にも行ってない鼻たれ小僧が恋なんて……
 だけど、これだけははっきりと言える。彼は確かにあの日恋に落ちたのだ。

「いや、正確に言えば恋とは少し違ったのかもしれないよ。だけど、それによく似た感情だったのは間違いない」

「へぇ、4歳の子供がねぇ」

 さっそくさっきの約束を反故にしたかのような茶化した妹の声にもめげず、真面目な顔で兄は続ける。

「それはまるで、昔無くした大切な何かが戻ってきた時のような、そんなノスタルジックな感じがする出会いだったよ」

 そして、子供心にこの子は特別な人なんだとすぐ理解できたほどの衝撃的な邂逅でもあった。

「彼女と初めて出会ったのはこの病院の中だ。いや初めてもなにも、あの子と出会うのはいつもここなんだけど……」

「いつもって、お兄ちゃん、その人と何回くらい会ったんだっけ?」

「うーん、確か中学に入る前までは毎年会ってたなぁ」

「ずいぶん長いこと入院している子なんだね?」

「そうだなぁ、もしかすると病院関係者のお子さんかもな」

「そっか、その線もあるか」

 明菜が名探偵よろしく、細い顎を撫でながら何度も頷く。
 幸か不幸か彼女はあまり頭が良くない。だからこんなときは兄として面目躍如となる。

「で、それからどうしたの?」

「ああ、それからな……」

 翔太はその日、父親に連れられて母親が入院しているここ、海南総合病院にいた。母親の入院は妹、明菜の出産のため。そして彼らはそのお見舞いである。

「ひどく退屈だったのを今でも覚えているよ。生まれたばかりのお前は、ガラス張りの新生児室の中だろ。4歳児の僕に触れさせてくれるはずもないし、僕はただ猿みたいに赤ら顔のお前を遠目に眺めてただけ。あとは母さんの病室で大人しく四方山よもやま話でもするしかなかったんだ」

「あっ、ひっどーい! 赤ら顔の猿ってなによぅ? こんなかわいい妹をつかまえてさ」

「仕方ないだろ、客観的な事実だ。それに産まれたばかりの赤ん坊なんてみんなそうなんだよ」

 翔太は怒れる妹を何とか言いくるめ先を続ける。

「わんぱく盛りの4歳児には退屈な時間だった。いやむしろ、それは拷問に近い感覚だったな。そんな絶望的に暇を持て余していた僕が、病院の中を探検したいと考えたのも当然のことだと思わないか?」

「うーん、確かに私も退屈なのは苦手かも。それでどうしたの?」

「すぐに僕は父さんにお願いしたんだ。すると意外なことに、すんなりOKしてくれた。退屈で死にそうな僕を哀れに思ってくれたんだろうね」

 父親の職業は地方公務員である。超がつくほどの頑固者であったが、優しい一面も持ちあわせる良きパパでもあった。

「あの時、父さんは“危ない所には行くんじゃないぞ”って言ってくれた。僕は“うん、分かってる”って答えたんだ」

「お父さん……優しいね」

 明菜が感激して少し涙目になる。
 彼女には父親の思い出があまりない。小学6年生の時、突然の病で父親を亡くしたのだ。
 翔太が高校生の頃である。
 だから、兄から父親の話しを聞くとついこうなってしまう。
 そんな妹を優しく眺めながら兄は続きを話した。

「そんなやり取りを父さんと交わした後、僕は母さんの病室を飛び出していた。何か素敵な事が起こりそうで、期待に胸を膨らませていたよ。大きな病院だからねぇ。お前も分かるだろ? ここは大人でも迷子になるくらい、かなり大きな建物だ。あの頃の僕には巨大な迷路のように映ったよ。歩くだけでワクワクドキドキが止まらなかった。しかも、身内に入院患がいる特権で、僕は普通の外来なら絶対に入れないような場所にも出入りできた。まぁ、本当は入っちゃいけなかったんだろうけどね」

 いたずらっぽく軽くウインクする兄に、明菜も笑いながら答える。

「ああ、いけないんだぁ、お兄ちゃん。で、どうなったの?」

「うん、そして僕が探検の末にたどり着いたのが病院の地下にある奇妙な部屋だった。そこは本当に不思議な場所でね。窓は一つもないし、部屋中に本棚が並んでいた。まるで図書館みたいに。だけど、そこには本と呼べる存在は一冊も無いんだ。代わりにあるのは何だと思う? それはね、色んな形の瓶だよ。そう、ガラス製のあの透明な……ジャムや蜂蜜なんかを入れるあの瓶だ。その部屋にある瓶はもっと大きかったんだけど、それが木製の棚に行儀よく並んでいた。そして、その瓶の中身なんだけどね……これが曲者でなぁ」

「ええっ、何、何、何だろう?」

 もったいぶった翔太の言葉に、妹の明菜が続きを急かす。一方、兄はこれから起こるであろう彼女の反応を予測して、密かに胸を高鳴らせていた。
 その中に入っていたもの、それは当時の彼が見たことも聞いたこともない得体のしれない物体。

「確かあの時、僕はこう言ったんだ。“わぁ、水族館みたい。お魚がいっぱいだぁ”ってね」

「水族館? お魚? 病院にそんなものあるのかなぁ」

 不思議そうに首を傾げる妹に翔太はにやりと笑う。
 実際、それは魚に見えなくもないものだ。だが、今なら分かる。
 それは決して魚などではない。それは……

「それはね、フォルマリン漬けにされた人間なんだよ」

「ええっ人間? 嫌だぁ、気持ち悪い!」

 しゃがみ込んで耳を塞ぐ妹の明菜。予想通りの反応だった。彼女はこの手の話に極端に弱い。
 そんな明菜の様子に思わず吹き出してしまう翔太。
 彼は、いつも我がままでお姫様のように振る舞うこの妹が、こんな時に見せる弱々しい姿が大好きだった。
 ちょっとSっ気があるのかもな、と自嘲気味に呟く。

 だが、これも本当の話だから仕方ない。人間の内臓や胎児、それが瓶の中身の答えなのだ。
 例えばその中には、癌になった肺とか機能が衰えた肝臓などが入っていた記憶がある。
 さらには堕胎された胎児や出産の時に死んでしまった未熟児たち、そして珍しい奇形児なども含まれていた。
 それらは一見すると変な魚に見えなくもない。特に堕胎された胎児なんかは……少なくともあの時の自分にはそう映った。

 薄暗い室内で、スーパーの売り場のようにきちんと陳列された肉、肉、肉の塊。
 そのサーモンピンクの肉片が幼い翔太には何だかおかしくて、最高に楽しかったのだ。

「それって絶対に変だよお兄ちゃん! 異常だよ、そんな子供」

 泣きそうな顔で叫ぶ妹に言われるまでもなく、今なら翔太にも不気味な思い出だ。
 普通なら逃げ出すシチュエーションだろう。だけど……

 凄い、凄い、凄い! と当時の彼は興奮して叫んでいた。先入観のない子供には、人間の死体といえども怖くなんかない。
 むしろそこは、彼にとって初めて見るテーマパークにも劣らない夢の遊園地。
 逃げ出すどころか、何して遊ぼう? などと考えていた。
 だが、その時である。

「はしゃぐ僕の視界にね、突如、人影が飛び込んできたんだ。ささっ、とね」

「ええっ、人影ぇ? もう怖い、怖い、お兄ちゃん。もう言いよぅ、その話は!」

「まぁ、待て。もう少しで終わるからさ」

 パニクる妹をなだめ、にこやかな顔で兄は続ける。

「たくさんの死体に囲まれた中だろう? 常識的に考えれば幽霊か何かだと思うよな。悲鳴の一つも上げて部屋から飛び出すところだけど、あの時の僕はそうはしなかった。いやそれどころか、その人影をまじまじと観察したんだ。それは誰かだって? そう、それが……彼女なんだよ」

「彼女? 初恋の? ひょっとして……幽霊?」

「いやいや、幽霊じゃないさ」

 恐る恐る尋ねる妹に、兄は安心させるかのように強く否定する。
 これ以上怖がらせると明菜は家に帰ってしまうかもしれないからだ。それは困る。
 それで翔太は、なるべく明るくこう言った。

「それが、僕の初恋の人。運命の女の子だったんだよ、明菜。笑った時のえくぼが可愛い、長い黒髪の少女だった」

 それ以来……翔太は何度も彼女に会いに行ったのだ。彼が入院する度に。
 そして彼女は、いつもその部屋にいた。


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