アイコン三国志 人物名鑑 22(一一七~一二一)
ここでは一一七~一二一のアイコン三国志の登場人物を紹介しています。
魏の将。なかなか出世できず御者をしていたが司馬師に見出され、最終的には三公の位にまで上った。
筆者曰く――
初登場した諸葛誕の反乱編が書き上がった後にアイコンが出来たため、無理やり後からねじ込んだ。
基本的に怠惰でやる気はなく、有能な部下に実務は任せきり。しかし面倒だから怠惰を装っているだけで、いざとなれば辣腕を振るう眠れる獅子である。きっと細い目は開くと全く笑っていない。
魏の将。蜀の制圧後に鍾会が反乱した際に歯向かったため投獄されたが、一計を案じて味方を蜂起させ、反乱を鎮圧した。
その後、禿髪樹機能の反乱により戦死した。
筆者曰く――
一見してドラクエⅢの主人公に見えたのでドラクエのセリフを連発することはすぐに決まったが、それを極端にしてみた結果、アイコン三国志末期を彩る馬鹿キャラが誕生した。
まだまだ言わせたいセリフは山ほどあるので、もっと長く登場する人物にこのキャラを与えたかった。
諸葛誕の配下たち。反乱に従うが、寝返りを疑われたためともに脱走し魏に出戻った。
蒋班はその後、呉征伐でも活躍している。
筆者曰く――
絵師が彼らのアイコンを描いてくれたため、諸葛誕の反乱パートで一話丸々使うことができた。
錯乱した諸葛誕に濡れ衣を着せられても、最後の最後まで見捨てることを迷い、一度は命を捨ててもいいと考えた好漢たちである。
呉征伐パートにも登場予定。
蜀の将。北伐で合流地点に現れなかったため姜維は大敗した。
筆者曰く――
間に合わない男。基本パラメーターは低くないし実績もそれなりに上げているが、大事な場面でいつも間に合わない。
きっと本編終了後の人生でも何かにつけて常に間に合わない。
呉の最後の丞相。諸葛一族(諸葛瑾か?)に見出された。
呉の滅亡に際しては将兵や民が怖気づかないようにと、あえて不利な野戦を挑み玉砕した。
筆者曰く――
呂拠や孫峻に言及されたり、孫綝の成敗に顔を出したりと登場を早めた。
今のところ無個性だが呉の滅亡ではもっとキャラ付けがされるだろう。
呉の丞相と重臣。孫休と昵懇だったため棚ぼたで出世し、孫休が政治に無関心なのをいいことに好き放題した。
孫休が死に孫皓が立つと廃位を目論んだためすかさず粛清された。
筆者曰く――
腰巾着AとB。こんなに濃いアイコンで重臣中の重臣なのに一緒くたに説明できてしまうこと自体が、末期呉のやばさを物語っている。
しかし一番やばいのは意識高い癖にこいつらに政治を任せてしまう孫休だという噂もある。
呉の3代皇帝。学者肌だが孫綝の隙をついて暗殺し実権を奪い返した。
だがその後は政治を蔑ろにして学問に没頭。挙句に急死して三国屈指の暴君である孫皓に跡を継がせてしまい、呉滅亡への引き金を引いた。
筆者曰く――
息子4人に自分で考えた漢字によるDQNネームを付けたり、世俗を離れて学問に没頭した逸話から意識高い系だと絵師に伝えたところ、イノベーションをソリューションするアイコンが誕生。
セリフには「意識高い ビジネス用語」で検索して出てきた単語を片っ端からぶち込み、楽しすぎて孫綝と話す頃にはストックを使い切ってしまった。なおいちおう意味の通じるように単語は使っているが、内容にはほとんど意味はない。
蜀の臣。国政に携わるも、黄皓が政治を壟断するのを止められなかったが、私腹を肥やしたり、手を貸したりはしなかった。
滅亡後には魏に仕え、蜀を滅ぼした鄧艾の名誉を回復させるなど人格者だった。
筆者曰く――
末期蜀の政治を支えた一人。とはいえ毎月のように黄皓が各都市パラメーターを-100させる中、+10させる焼け石に水状態。
危機感だけは高く持っていたが、もはや彼にできることは何もなかった。
きっと魏に降ってからは仕事にやり甲斐を感じイキイキとしていたことだろう。
蜀の宦官。劉禅に重用されて政治を牛耳り、歯向かうものを左遷し、重要な報告を握りつぶしやりたい放題の限りを尽くした。
しかも滅亡時には賄賂をばらまき逃げ切った、小ずるい悪党である。
筆者曰く――
劉禅に面白半分に登用された人格破綻者。欲望丸出しの100%混じりっけなしのクソ野郎で、劉禅に出会うまで生きながらえていたのが不思議なほどである。
蜀の臣。あまり高位ではなかったが蜀の滅亡後に劉禅に随行すると完璧な補佐を務め「もっと早く重用すればよかった」と言わせしめた。
筆者曰く――
末期蜀の政治を樊建とともに支えた。というか樊建と全く区別が付かない没個性ぶりで、黄皓や諸葛瞻に政治をかき回され精神を病んだ樊建が、脳内に作り出した親友という噂もある。(※未確認)
逆に郤正が作り出した脳内友人が樊建という噂もあり(※未確認)そもそもこの世界は樊建が郤正に、もしくは郤正が樊建になっている夢の中なのかもしれない。(※荘子)
なお筆者からすると状況説明のため二人が会話する形式は書きやすく、二人いて助かっている。
魏の4代皇帝。司馬昭から実権を奪い返すため蜂起したが返り討ちにあい、謀叛人の汚名を着せられた。
筆者曰く――
戦う皇帝。陳泰・司馬孚という軍事・政治の当時のトップ級にも慕われているあたり有能だったのは間違いなく、曹一族に力がある時代に生まれていれば英雄に成り得たが、司馬一族に支配された時代ではそのあふれる行動力と使命感はあだとなった。
魏の将。鄧艾の副将として蜀征伐に貢献。しかし鍾会の反乱による混乱の中で戦死した。
粗暴で多方面から恨みを買っており、どさくさ紛れに集団リンチされたとの説もある。
筆者曰く――
本作では粗暴な外見に似合わず根っからの武人で命令は遵守する。
そのため鍾会から厄介払いのように鄧艾の副将に付けられ、強行軍に巻き込まれて右往左往するが、結果的に蜀を滅ぼした鄧艾の手腕を認めた。
きっと外見はこんなだが家族思いで面倒見の良い人物なのだろう。
魏・晋の将。戦わずして勝つ心を攻める名将とうたわれた。
筆者曰く――
本作では金銭欲が強かった面をクローズアップしたため、何かというと金を例えに出したり資金を気にするキャラとなり、要するに曹洪とかぶった。
裏設定では金を貯めるのが何より好きだが、使うのも大好きなため、部下に大盤振る舞いしたり、民に施したりと慈善事業を好むことになっている。
蜀の将。滅亡後も任地の永安を守り、孤立無援の中で呉の侵攻を何度となく跳ね返した。
やがて魏の援軍が到来すると降伏し、周辺の都督として取り立てられた。
筆者曰く――
末期蜀にも何人かは存在した、やるべきことをまっとうした隠れた英雄の一人。
国はすでに滅び援軍も望めない状況で、抗戦を選んだ彼の心境はいかばかりか。
本作での彼は少年のような風貌・口調だが、永安の防衛は蜀の滅亡に対して何もできなかった彼の罪滅ぼしというよりも、まだ力が足りなかった自分自身への怒りから始めた、意地っ張りの反抗だったのかもしれない。
蜀の臣。黄皓と昵懇でたびたび便宜を図られた。
蜀の滅亡時には兵を率いて都に戻ったとする記録だけが残り、以降は消息不明。
筆者曰く――
口調が「ザンス」か「ザマス」しか考えられないアイコンだが「ザンス」は袁術で使用していたため自然と「ザマス」に決まった。
任地の永安を発ちそのまま歴史から姿を消した記録から、本作での出番は当然のようにこういう形になった。
去り際に羅憲に詫びるあたり、さほど悪い人物とも思えないが、亡命先の呉で元気に暮らして欲しいものである。
蜀の将。鄧艾が蜀の桟道を抜けて現れると、泡を食って即座に降伏した。
コーエーのSLGでは全パラメーターが一般人の妻にも劣る。
筆者曰く――
諸葛瞻の友達だったため江油城主に抜擢されたが、作中屈指の無能かつ臆病で鄧艾にあっさり降伏。
鄧艾軍の5倍(5千)もいた兵をそっくり差し出してしまい、蜀の滅亡に大貢献した。
その後は左遷されたか現職に据え置かれたかはどうでもいいが、今も大汗かいてあたふたしていることだけは間違いない。
蜀の将。魏の侵攻に際して楽城を守った。以上。
筆者曰く――
本作では諸葛瞻の友達だったため馬邈とともに抜擢されるも、鄧艾が攻めてきた時にたまたま馬邈の城に遊びに来ていて奇襲に遭遇。
楽城ももう陥落したと誤解してあっさり降伏し、鄧艾へ楽城の兵5千あまりを献上した。
これにより江油城で得た兵と合わせ1万1千に膨れ上がった鄧艾軍は、綿竹関を守る諸葛瞻を普通に撃破し、成都に迫ったという次第である。
魏の将。老齢になるまでなかなか日の目に恵まれなかったが、羊祜に才能を見込まれともに呉征伐の準備を進め、いよいよ征伐が始まると主力を率いた。
そしてともに攻め上がった王渾の指示を無視して一息に呉の首都に攻め込み、孫皓を降伏させ三国統一の立役者となった。
筆者曰く――
優秀だが早とちりであわて者。基本的に他人の話を聞かないマイペースで、行き当たりばったりで動くが優秀なためだいたい結果を出してしまう。
人の上に立たせると大ポカをしかねないが、統率力のある人物に使われると真価を発揮するタイプである。
魏の臣。馬にも乗れず弓も下手だったが指揮官の才能はあり、羊祜に指名され呉征伐の司令官となった。その際に現在も使われる「破竹の勢い」の故事成語を放っている。
戦後は自分は文官であるとして恩賞を断り、乱世が終結し武官が冷遇されていく中、政治の道で出世を重ねた。
筆者曰く――
「破竹」の他にも「左伝癖」という言葉でも知られ、何かというと「春秋左氏伝」の名言を発するキャラに設定。
絵師がわかりやすく頭に付けてくれた竹ウンチクもそのうち連発することだろう。
なお装備はたけのやりを筆頭に竹製品で統一し貧弱だが、前線には出ないので問題ない。ペルソナシリーズで言うナビ役とでも思ってもらいたい。