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凍った死体をのせて

作者:和泉あらた
 
 死体を乗せていると、少しだけ特別な存在になった気分になる。

 狭い路地につかえ、後ろから凄い剣幕でクラクションを鳴らされたとしても。

 このトラックの荷台には死体が積んであるんだぞ、と。
 その事実が気持ちを強くさせた。


 練馬区の端の住宅街を中心に、冷凍物専門の宅配ドライバーになって一年。
 どの仕事も長く続いた事がなかったにしては、順調な方と言える。
 配達時間の指定に合わすのは大変だけれど、毎朝積み上げられた荷物を見て、どのようなルートで行くのが効率が良いか考えるのはゲームみたいで楽しかった。
 死体は最初から乗っていた。
 二週間程の同行研修を終え、専用トラックとして渡された時からだ。
 暫らく使っていなかったから軽く掃除をしてね、と言われて最初に荷台を開けた時からだ。
 後ろの扉から一番奥に大量の霜に覆われて、死体はいた。
 ブランケットのような物に包まれて、体育座りをするように静かに佇んでいた。
 冷気に晒された顔や首、手足の先は醜く膨張し黒ずんでいたけれど、それは明らかに人間の形をしていた。
 でも不思議と怖くも気持ち悪くもなかった。
 匂いはなく、どこかで嗅いだことのある特徴的な花の匂いがした。
 事務所に戻って、誰かに言おうとしたけれど皆既に出発した後だった。
 事務のおばちゃんに、「どうしたの?早く行かないと間に合わないわよ」と言われ僕はとりあえず今日を終えてから報告する事にした。
 それから一年、まだ誰にも言えず、死体は乗せたままだ。


 今日も死体を乗せたまま配達をするべく会社に向かう。
 山積みになった荷物の伝票を確認し一日のルートを決める。
 日課のストレッチを終え、いつものカフェオレを買う。
 甘過ぎるから明日は普通のコーヒーにしよう、などと思いながら。
 一番遅い時間帯を希望した荷物を死体の側まで運ぶ。
 その時見慣れないものに気付いた。
 昨日まではなかった、伝票が死体に直接貼りつけてあったのだ。
 死体に直接触れぬよう、恐る恐る伝票を引き剥がす。
「ひっ!」
 剥がした隙に、真っ黒な皮膚が少しだけめくれて小さな悲鳴を上げる。
 伝票は濡れていて住所は滲んでいたけれど、届け先の名前には見覚えがあった。
 “佐藤みつ子”
 在り来たりな名前だけれど、担当地区でこの名前は一人しかいない。
 毎週月曜日、北海道に嫁いだ娘から届く産地直送の品々を楽しみにしている老婆の名前だ。
 広い一軒家に一人で住んでいて、いつも荷物を冷蔵庫の前まで運んであげている。
 お若いですね、などと見え透いたお世辞を言おうと年齢を聞いたら「女性に年齢を聞くのは失礼よ」なんて笑って言うようなチャーミングなおばあちゃんだった。
 もしかしたら佐藤おばあちゃんの荷物を運んだ拍子に貼り付いてしまったのだろうか。
 いや、それは考えにくい。
 いつも午前中の早い時間を指定していたから、こんな奥まで運ぶはずはない。
 分厚い荷台のトビラを開いたらすぐ目に入る所が、おばあちゃんの荷物の定位置だった。
 恐る恐る伝票の配達日を確認する。
 日付は一ヶ月後の月曜日をさしていた。
 僕は探りを入れて見ることにする。
 次の月曜日、その次の月曜日、そのまた次の月曜日。
 いつもより世間話を多めにしたりなんかして。
 仏壇に飾ってある遺影を確認したりなんかして。
 けれど何も手掛かりは得られなかった。
 死体から漂うあの花の匂いが、おばあちゃんの家に咲くキンモクセイの花の匂いだといいうこと以外は。


 死体に貼りつけられた伝票を見るのは、これで何度目だろう。
 何度見ても変わらない。配達日は間違いなく本日を指定している。
 それに今日は月曜日でもある。
 佐藤おばあちゃんには、いつもの北海道の娘さんから届いた新鮮な冷凍食品もあった。
 本来なら一日に二つもの荷物が届いたなら、おばあちゃんは喜ぶだろう。
 でもこんな黒くなった凍った死体を配達されて嬉しいのだろうか。
 そして本当に僕は、あの優しいおばあちゃんにこんなグロテスクなものを渡せるのだろうか。
 いつものように佐藤おばあちゃんの所に向かう。
 チャイムを鳴らさず、庭先の窓から「佐藤さん、お荷物ですよ」と声を掛けると笑顔で出迎えてくれる。
 美味しい物と娘さんからの愛情でギッシリ詰まったであろう重い荷物を、綺麗に片付いたキッチンの冷蔵庫の前まで運んだ。
 その時、僕は今まで見た事が無い物を見付けた。
 人が一人入るのではないかと思うくらい大きなクーラーボックス。
 旦那さんが亡くなった時に、娘に全て買い替えてもらったという一人用の家具が並ぶ中で、それは異彩を放っていた。
「佐藤さん、これ……何が入ってるんですか」
 僕は驚きを隠せず、思ったまま口に出してしまう。
 失礼な質問にも、おばあちゃんは喜びを隠せないと言った風に、口元に手をあてて可愛らしく笑って答えた。
「まだ空なのよ。実は今日もう一つ大切な荷物が届くの。ずっと待ってたのよ」
 僕は決心する。
 これは佐藤おばあちゃんの合図なのだ。
 死体を入れるクーラーボックスを僕の見える所に置いてくれた。
 なかなか死体を配達する勇気のでない僕のために。
「実は佐藤さん、その荷物僕のトラックに積んであるんですよ」
 今持って来ますと、トラックに戻ろうとした時、おばあちゃんは僕を呼び止めた。
「ちょっと待って、それ配達時間は何時?」
「え?それは……」
 そうだ、いつも配達時間を確認するのに、おばあちゃんの名前を見た時に僕はすっかりいつものように朝だと思い込んでいた。
「もう一度確認していらっしゃい」
 おばあちゃんはゆっくりと微笑む。
「指定された時間に配達してね。待ってるから」
 そうして僕は死体とともに配達する最後の一日を過ごした。


 伝票には21時〜22時という、一番遅い時間帯に丸がついていた。
 なんかおかしい。
 確か前におばあちゃんは、20時には夕飯を食べ終え寝てしまうと言っていた。
 いやそんな事はどうにでも捉えられる。
 それよりも何よりも、この夜遅い時間帯が加わったのは、つい一ヶ月程前の事だ。
 冷凍便は宅配ボックスに預けておく事は出来ない。
 一人暮らしのサラリーマンやOLは、希望された時間に行っても残業や急な予定で不在の事が多い。
 そうすると何日もトラックの中や会社の大型冷凍庫で保管するのだが、やはり鮮度が落ちてしまう。
 それに毎日毎日居るかわからないのに、届けに行くのは不効率だとして、新しく加えられたのだ。
 不景気でどうなるかわからない中で、社会のニーズに合わせた会社の素早い判断だった。
 僕は死体を乗せて、もう一年以上走り続けている。
 やはりこの伝票は一ヶ月前に見付けた時に貼られたものなのだろうか。
 でもそれも愚問だった。
 そもそも死体と共に走って来たこの一年自体がおかしいのだ。
 一年前に死体を乗せたまま配達をすることを選択した時から、僕は日常とはかけ離れるた世界に足を入れているのだ。


 こんな夜遅い時間にくるのは初めての事だった。
 散々見なれたはずの家も、時間が異なると全く違うものに感じる。
 朝は綺麗に手入れされていたように見えた広い庭も、夜は不気味に見えてしまうのだ。
「佐藤さん」
 少し遠慮がちに声をかける。
 暫くすると暗い部屋から「はあーい」と声がした。
 それがいつもの佐藤おばあちゃんの声で僕はホッとする。
 でも笑顔で出てきたおばあちゃんは、月明かりに照らされて色白く浮き上がり、やはり僕は不気味に感じてしまうのだ。
「待ってたわ、早く運んで。そっとね、誰にもみつからないように」
 固まっていた僕を急かす。
 トラックの荷台に戻り、ブランケットに包まれた死体を抱きかかえる様に運ぶ。
 キンモクセイの香り中に、一瞬だけ混じって臭う死臭に吐き気をもよおしながら。
 月明かりに照らされる死体の皮膚を見ない様にしながら、キンモクセイの木の間を運ぶ。
 そのままいつものように玄関を抜け、キッチンのクーラーボックスの前まで直行した。
 佐藤おばあちゃんは笑顔だった。
 ありがとう、ありがとうとしきりに嬉しそうに言いながら。
 その笑顔を見て僕は良いことをしたのだと思うことにする。
「来週の月曜日からは、荷物は玄関の前に置いてくれればいいわ。後はこの子が運んでくれるからね」
 そう言って僕を送り出したのだった。

 次の日、当たり前のように会社に向かう。
 いつものように山積みになった荷物を、配達時間別にわける。
 昨日の事はまるで夢のように感じるくらい、いつもの日常だった。
 いや、実際夢だったのだろうか。
 繰り返される日常に刺激を求め、自ら創り出した幻想だったのかも知れない。
 日課になっている荷積み前のストレッチを終えると、自販機でカフェオレを買う。
 甘過ぎるから明日は普通のコーヒーにしよう、そう思うのも毎日の事だ。
 ただ昨日までと違うのは、もう僕のトラックの荷台には死体が積まれていないという事。
 それが現実であったとしても、幻想だったとしても変わりはない。
 何だか、少し寂しい気がした。
 もう普通の人間なのだ。
 普通の配達トラックに乗って、普通に冷凍食品を届けるのだ。
 想いに耽っていても、何も変わらない。
 確か最初の配達は、ここから三十分程かかるはずだ。
 午前中でのお届けと伝えているのに、十時を過ぎると文句を言ってくるからよく覚えている。
 重い腰をあげ、荷物を積み込む前の点検でトラックの中に入る。
 そこで目にしたものに喜びを隠せなかった。

 昨日までとは違う、でも同じようにブランケットに包まれた凍った死体が積まれていたからだ。

 くまなく探したけれど、伝票はまだ貼られていなかった。

 だから僕は今日も凍った死体を乗せて走り続けている。


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