秋の入り口。
目の前の青はとても広大で、世界が青に包まれてしまう程だった。
目の前の大地は、数十メートルを残し、途中でプツリと切れていた。
後方2、30メートルには木が生い茂っているが、周囲には何もなく、ここは広く開かれた場所。
下から吹き上げてくる風が、絶えず強く体を打ち付けてくる。
ゴォォっ…と言う波のうねりが絶えず聞こえ、時折、大きな岩壁にぶつかる音も聞こえる。
世界が終わればそれでいい。
誰にも邪魔されなくて済むから。
この時間が、今……止まればいい。
これ以上、時を進む事はできないから。
……もう、生きたくないの……
目の前の景色を脳に焼き付けるように眺め、そして、一歩一歩、歩みを進めた。
「貴方、その先は崖よ」
突然、後ろから声がしてその場に固まってしまった。
まさか、他に人がいるとは思っていなかったから。
ここはいわゆる”心霊スポット”といわれ、"出る"ことで有名の場所だ。
米花町から、バスに揺られること一時間の所に位置している。
へんぴな所で、地元の住民も滅多に近寄らない。
ここから一番近い民家まで、徒歩で十分と離れている。
ここまで来るのだって、誰にも合わなかった。
幽霊だったらどうしよう。
一瞬背中に背中に悪寒が走った。
が、飛び跳ねた心臓を落ちつかせ、ゆっくりと振り返り、先ほどの声の主を探した。
「……小学生?」
10メートル程離れた所に、その声の主はいた。
身長は120センチ位の女の子。
赤みのかかった茶髪は肩にかかる位の長さで、ウェーブがかかっている。
背中には赤いランドセルを背負い、服はこの時期では薄着の部類であろう、水色のワンピースを着ていた。
「ここは子供が遊ぶ所じゃないわよ。危ないから早く帰りなさい」
思わず口調が強くなった。
一瞬ヒヤッとしたが、声の主がただの小学生の少女だと分かると、安堵とともに邪魔をされたという怒りが沸いてくる。
早く追い払ってしまおうと、その小学生の少女につかつかと近づいた。
「昔の私みたいね」
もう少しで触れる距離まで近づいた時、その小学生の少女がポツリと言った。
なにを生意気な!
変な事を言う子供だなと思ったが、全てを悟っているような、すかした態度が気に入らなくて、思い切り眉を吊り上げる。
こんな人生経験の少ないガキに……!
沸騰した水のように、腹わたが煮えくりかえる。
感情に任せて、小学生の少女の肩を、乱暴に掴んだ。
しかし、感情のバロメータは、小学生の少女の瞳を見た瞬間、少しづつ下がっていった。
真っ直ぐこちらに向けられた瞳は、小学生とは思えない、知的な力を宿している。
それに、小学生の少女にだぶって見える一人の女性……。
それは、少女がそのまま成長したような影だった。、
自分の目を疑ったが、瞬きを何回かすると、その影は直ぐに消えた。
狐に抓まれたような気分になる。
「何があって貴方がここにいるのかは知らないけど、辞めた方がいいわよ」
「そ、そういう君こそ、早く帰った方がいいんじゃないの?」
「…それもそうね」
鋭く突き刺さっていた視線はようやく外され、小学生の少女は、自傷気味に静かに笑った。
そして横をすり抜け、大地の切れ目に向かって歩き始めた。
「ちょっ、ちょっと!」
思わぬ小学生の少女の行動に、身体中の血の気が引けた。
その先は崖だ。
慌てて小学生の少女を引き戻そうと、追いかける。
「危ないったら!」
制止の声は届いているのか、小学生の少女はかまわず歩き続ける。
そして、とうとう大地の切れ目に到達した。
断崖絶壁。
ぱっくりと切られたその崖は、海の中から勇ましく切り立っていた。
波がうねり、絶えず崖に打ち付け、飛沫が飛び散る。
下から轟々と吹き上げる風は、小学生の少女の髪を激しく舞い上げさせる。
自然の猛威。
それは、人間の存在がとてもちっぽけに感じられるほどに。
小学生の少女を追って、ここまで来たが、下を覗き込むと思わず足がすくんでしまった。
遮るものが何もないここは、風の力を防ぐことが出来ず、真っ直ぐ立っていることも難しい。
先ほどまでここから身を投げようとしていた人間の考えることではないが、体が勝手に震えだす。
ごくりと、つばを飲み込んだ。
「ね、ねえ……戻ろうか」
急に恐くなって、隣に並んでいる追いかけてきた小学生の少女に話しかけた。
しかし返事はなく、小学生の少女に視線をやると、隣に並んで立っていると思っていた少女は、断崖絶壁に足を投げ出し、平然とした表情で座っていた。
「ちょっと!」
下手をしたら、ここから落ちて荒れ狂う海にのまれてしまう。
命はひとたまりもないだろう。
小学生の少女が今ここで死んだら、私は罪に問われるのであろうか?
平然と崖に座ってみせた小学生の少女に恐怖感を抱きながら、必死に呼びかけた。
「貴方、人を殺したことある?」
呼びかけは聞こえているのかいないのか、小学生の少女が呟いた。
「……えっ?」
もちろん人を殺したことはないが、場違いな台詞に思わず聞きかえす。
「私ね、始めは人の役に立つつもりでいたのだけれど、結果的にはたくさんの罪のない人たちを不幸にさせてしまったの」
そう言って、小学生の少女は遠くの海に沈もうとしている太陽を見つめた。
顔が赤く照らされる。
あ、また……
先ほども見た、小学生の少女を成長させたような女性が、大きく、今度ははっきりとだぶって見える。
「私、ここにはよく来るのよ。滅多に人は来ないし、俗世から切り離されたような感覚になれるから。
……それに、ここから一歩蹴り出せば、いつでも簡単に自分の命を絶つことができるしね。
でももう、そんなバカなことはしないわ」
風の音、波の音が強いが、話し出した小学生の少女の言葉を一字一句聞き漏らさぬようにと、神経を集中させる。
「もっとも、はじめここに来た時は死ぬ覚悟で来たんだけどね。
この断崖絶壁から荒れ狂う海を見下ろした時、恐くなったの。
私は人をこんなにも不幸にさせた、死神だというのにね」
小学生の少女はそこまで言うと、視線をこちらに向けた。
凛とした表情に、どこか、力強いものを感じた。
「逃げるのは簡単よ。貴方の人生に何があったのかは知らないけど。
……でも、逃げてばかりじゃ勝てないわよ?
悔しくないの? 人生と言う名の手のひらで弄られて、翻弄されるだけされて、お決まりのレールの上しか歩けないことを。 なんて詰まらなくてちっぽけな人生なの? 貴方の命は、たった小さな事で無に出来るほど、価値のないものなのね。 私は抗ってみせる。 それが私がしてきた事への、せめてもの償いにもなるの。
私は負けない、もう、決めたの」
一瞬、時が止まったような気がした。
小学生の少女は静かに立ち上がった。
「まさか、死ねばそれで楽になれると本当に思ってた?
……だとしたら、おめでたい人ね」
崖は荒れ狂う海から勇ましく切り立ち、波はうねりを上げて岩壁にぶち当たり飛沫を上げる。
風は下から強く吹き上げ、容赦なく猛威を振るう。
青かった目の前の景色は、赤い色で染め上げられていく。
「バカな事考えてたな……」
何も言わずに目の前から去っていく小学生の少女の背中を見つめながら、そっと呟いた。
その呟きは大自然の声にかき消されてしまったが、これから一生、心の中から消えることはないだろう。
あの少女は、たくさんの人を不幸にさせてしまったと言っていたが、その少女のおかげでこうして生を繋げる人もいるのだということを知ってもらいたい。
暖かい気持ちを心に灯し、この場を後にした。
海に切り立つ崖には、もう誰もいない。
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