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死ねない

作者: 東堂柳

初投稿作品。どうかお手柔らかに。

 多額の借金と取り立て。異常な労働時間と賃金の安さ。これ以上生きていくのは、ただの苦痛でしかなかった。これまでの25年の人生で、良いことなんて一度もなかったのではないか。そんな風に思いながら、駅のホームを歩く。


『三番線、ご注意ください。電車が、通過いたします』


 アナウンスが構内に響くが、向かいのホームを電車が通過し、殆ど聞き取れない。

 俺は一歩踏み出し、ホームから身を投げた。

 突然のことに、ホームにいた他の利用客は驚き騒いでいる。カメラのシャッター音が聞こえた直後、目の前に電車がやってきた。

 死を前にしているというのに、思い出されるのはやはり辛く苦しい時間だけだった。

 電車の警笛が耳をつんざいた直後に、俺の意識はなくなった。



 目が覚めると、眼前が真っ白だった。一瞬、ここが死後の世界なのかと思ったが、俺の顔を覗き込んだ白衣の男の顔で、ここが病院であることに気付いた。

 

「こ、ここは……、俺、いや、僕は……助かったんですか?」


 起き上がろうとする俺を制しながら、白衣の男は落ち着いた口調で、


「君は、倉田洋介くんだね。ここは武蔵野病院だ。私は君の担当の石岡という者だ。大丈夫、治療はうまくいったし、君は無事だ。だが今は安静にしていないとダメだ」


「ど、どうして……。僕は確か、電車に飛び込んで……」


 まさか助かるなんて思ってもみなかった。俺は急行電車に飛び込んだはずなのだから。


「確かに君は急行電車に飛び込みました。しかし、現代の医学というのはかなり進歩していて、電車に飛び込んだくらいでは、殆ど死ぬことはありませんね。知らなかったんですか?」


 金がないせいで、ネットはおろか新聞もテレビも見ていないので、最近のニュースなど全く知らなかったが、まさかそんなことになっているとは……。


「どうして助けたんですか! 僕は自殺しようとして飛び込んだんですよ!」


 俺は死に損ねたことに苛立ちを覚えた。あの時あんなに覚悟して飛び込んだというのに、なんという無駄なことだったのだろうか。しかし、石岡は全く動じることなく言った。


「そんなこと言われてもねえ。私も仕事だから、運ばれてきた人を治療しなければならないし、仮に列車事故ぐらいで患者を死なせてしまったら、ここの病院の信用にかかわるので」


 確かに彼の言うことにも一理ある。俺が死にたかろうが何だろうが、医師である彼は仕事をこなすだけ。彼には一切関係ないのだ。


「私は他の患者の見回りに行かなければならないのでこれで」


 そう言うと、石岡は病室を出ていった。


 それから少しして、鉄道会社の男が俺に会いにやってきた。賠償金のことだ。まさか助かるとは微塵も思っていなかったので、そんなことは考えてもいなかった。

 1000万。

 重くのしかかったその言葉。どうしようもない。どうにか別の方法で早く死のう。それだけだった。


 退院までには、それほどの日数はかからなかった。しかし、保険にも入っていなかったので、病院からも多額の医療費を請求された。もちろん、払うことはできない。結局、病院側にも配慮してもらい、ローンを組むということになった。


 それからというもの、何度も何度も死のうとした。首吊り自殺。飛び降り自殺。練炭自殺。入水自殺。服毒。そのどれもが失敗に終わった。それもこれも、無駄な正義感を持った通行人と、こちらの都合など一切考えない医師のせいだ。おかげで残されたのはさらに金額が増した借金だけ。家も失った。最早住むところもない。こうなったらもう、国に殺してもらうしかないと悟った。


『本日午後五時頃、東京都武蔵野市でバスジャックが発生し、運転手を含めた乗客3名が死亡。容疑者は住所不定無職の倉田洋介、25歳。現在警察では倉田の取り調べを行っていますが、意味不明な供述をしており、その動機は未だ不明のままです』


『今月25日に発生したバスジャックの被疑者、倉田洋介が本日未明に東京拘置所へ移送されました。この事件は、3名もの死者を出した、近年では稀に見る残虐な事件で、現段階からその裁判にも注目が集まっています』


『間もなく、武蔵野バスジャック事件の終審が開かれようとしています。最高裁判所前には、多くの報道陣が押せ寄せ、今か今かとその判決を待ち望んでいます』


 待ちに待ったこの日が来た。ついに判決が下される。あの凶行に至ってから1年余。今までの人生の中で最も長い1年だった。これでようやく死ぬことが出来る。 

 重苦しい空気を裁判長の言葉が切り裂く。


「主文、被告人は……」


 裁判長が溜めた一拍が余りにも長く感じられた。傍聴席を埋め尽くしている大勢の報道陣も同じ気持ちだろう。皆が早くあの言葉を聞きたくて仕方がないのだ。

 しかし、次に飛び出した言葉に、その場にいた誰もが驚いた。


「無罪」


 一瞬の静寂。

 我に返ったように、後ろの報道陣がどよめき、ざわつきだした。何人かが、その判決を伝えに法廷を飛び出す。わけがわからなかった。何故。


「ど、どうして無罪なんですか! 3人も殺しておいて、おかしいでしょう!」


 俺は思わず叫んだ。

 しかし、裁判長は落ち着き払った口調で、


「静粛に。みなさんどうか静粛にお願いします。これから、判決の理由について述べます。

 精神鑑定により、被告人は犯行当時、正常な判断を下す能力に欠けており、あのような凶行に至ったという結果が出ました。よって、被告人には責任能力がないと判断し、無罪という判決に至りました」


 まだ裁判長が話を続けようとしているのは分かっていたが、いても立ってもいられず構わず声を上げた。


「そんなバカな! だからってこんなことあっていいわけがない! 早く死刑にしてくれ!」


「被告人は静粛に! これ以上騒ぎを立てるようなら、退廷を命じます」


 裁判長は警告したが、俺はそれを無視して喚き続けた。


「なんでどいつもこいつも俺を死なせてくれないんだ! いい加減にしてくれ!」


 まだまだ言いたいことがたくさんあった。しかし、ついに警告通りに退廷を命じられ、警備員に両脇を抱えられながら無理やり法廷から引っ張り出された。廊下には俺の叫びだけが響いた。


「死なせてくれよ! 頼むから、俺を殺してくれ!」

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