◆ epi.005 素直に零れた雫
気付いた時には遅かった。蘭の踵は男の手で受け止められていて、見開かれた目に見据えられていた。
気恥ずかしさと申し訳なさで顔を真っ赤に染め上げ、蘭は穴があったら入りたい気分だった。
けれど、そんな蘭の動揺振りとは対照的に、蘭の脚を解放した男は、口端を微かに引き上げて冷ややかに言い放つ。
「最近の女子高生ってのは随分と凶暴なんだな。それとも、俺が怪しい奴に見えたのか?」
「い…いえ、そんなんじゃありません! ――あっ!」
「? 何だ? 俺の顔に何かついてるか?」
男の顔を見て固まった蘭に、怪訝そうな問いが向けられた。幾分投げやりな態度が気に障る。
ましてや男は、まるで蘭に興味を示す様子がない。あの雪の日に目が合った時のように、何処を見ているか分からないほど遠くを見据えているようだった。
「あなたは、あの日の――。覚えていませんか? こないだ雪の日に遊歩道で見掛けましたけど」
「いや、悪いが記憶にねえな。それより急いでるんだ。俺はこれで失礼する」
そう言って立ち去ろうとする男を、蘭は呼び止めた。どうしてだかは自分でも解らない。けれど何となく話がしたいと思った事も確かだった。
「何だ? 急いでいると言っただろう。女子高生の暇に付き合うほど――」
「お願いします! そんなに引き止めたりしませんから」
必死に食い下がる蘭に、男は半ば呆れたように口許を歪めた。しかし解せないとも思う。少女がそこまで言うには余程の理由があるに違いないが見当が着かないのだ。
男は蘭の顔を窺って、朧げながら行き当たって息をついた。
「何か嫌な事でもあったのか? お前の瞳の奥にはそんな陰を感じるが」
「え? 解るんですか?」
「これでも他人を見る目は確かなんでな。どうせ気晴らしに暴れ狂っていたんだろう?」
「あ、暴れ狂ってなんか! ……いません。でも、ホントにすみませんでした」
思い出したように謹礼する蘭を見て、男が微かに笑みを浮かべた。その意外な爽やかさに、蘭は思わず顔を紅潮させて目を丸めた。
「どうした? 珍しいもんでも見たような顔して。俺が笑うとおかしいか?」
眉一つ動かす事なく、男が蘭に問う。慌てて否定の言葉を探した蘭は、言葉を詰まらせた。
何も浮かばない苛立ちは直ぐに最高潮に達した。蘭は唇を噛んで地面を強く睨んだ。
そんな蘭に呆れ顔を向け、男は仕方なしといった感じで口を開いた。
「変わった奴だ。じゃあ少しだけ付き合ってやるさ。……おい、今度は何だってんだ?」
男が投げた言葉に返事は無く、蘭の押し殺した感情が瞳に映るだけだった。つい今までの我慢が限界を超えていた。
男の存在を憚る事もしないで、蘭はその場に座り込んで静かに涙を零した。
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