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風花―かざはな―
作:暁月



◇ epi.037 とあるビル地下で


 
 赤井たちが『組織』までの道を疾走し始めた頃、当のビル地下に一台の車が飲み込まれた。黒塗りのクラシックな外産車、ジンのポルシェ356-Aだ。
 その車は、低い排気音を残しながらゆっくりと駐車場の最奥へとたどり着くと、高級車の並ぶ一角に停止した。
 それからもう一度じわりと走りだし、今度は全く車の駐まっていないスペースへと移動すると、ようやく落ち着くための白線内に収まった。そしてしばらくの間をおいて、運転席側のドアが開く。


「さて、どうしたものか」


 左側に位置するドアに手を掛け、顔は助手席に座る少女を向いて。ポルシェのオーナーであるジンは、一言そう呟いて思案するように小さな息を吐いた。
 ジンの目線が焦点を合わせた先で、少女は放心した感じでじっと窓の外を見ている。ピクリとも身体を動かすことなく、瞬きのひとつさえしないで。
 何かに心と身体を支配されているのは分かる。が、それが一体何のせいなのかは傍目には分からない状態だ。
 理由を知っているのはジン一人。そのジンが口にしていない以上、何らの『解』は存在しない。


「(まさかここまで効果があるとは、な。軽い脅しのつもりだったんだが)」


 一瞬浮かんだ負の言葉を、ジンは咽喉の奥に呑み下した。表に出したところで誰も聞いてはいないのだから、そうする必要はまったく無かった。けれど一抹の疑念は常にあったからそうしたのだ。
 どこで誰が聞き耳を立てているか分からない。『組織』とはそういったところなのだ。
 仲間であって仲間ではない。特に幹部連中は信用ならない奴らばかりなのだ。隙をみて蹴落としにかかることを好む、気を置かなければ付きあってはいけない冷徹な人間の巣窟。
 それが『組織』の性質、本性と言ったら正しい。
 いかなジンでも滅多に足を運ばない。それだからこうして戻った時には、えらく目立つ。ましてや今日は一人ではないから尚更目立つことに違いないと分かっている。


「(面倒だが、連れてきちまったもんは仕方ねえ。今更どこに返すってんだ。まあ……なるようになるだろう)」


 そう考えてもまだ行動には移せない。そしてその理由が見当外なのだ。
 周りを気にするなど、思ってもみなかった。好き勝手に動くのが自分の信条だのに、何故だか今は出来ずにいる。
 最悪、少女なぞどうなっても構わないはず。気にするほうがジンとしては正常ではないのに。


「(今日は本当にどうしたってんだ? ……あの男、赤井に会ったからなの……か? だが、それだけなのか──)」


 つかの間迷い込んでしまった過去の記憶を思う。あの温かい感覚は何だったのか、と。
 照りつける灼熱の太陽の下、手を引いて歩いた道。その小さな手と無垢な満面の笑み。
 自分を頼りきっているような眼差し。返す柔らかな笑顔。
 幼い頃の夢を、幻を見たのかも知れない。けれどそうではないようにも感じるのはどうしてだろう。
 ジンは、己の中に古い想い出が無いことを今までは気にしてはこなかった。『黒』に染まった悪党にそんなものは要らない。ずっとそう言い聞かせてきた。


「(が、あのガキ二人は一体……)」


 誰なのか。分からない。でも頭の片隅にその答えは眠っている。ジン自身が知らないだけ。正確には存在に気づいていないだけだ。
 そもそも、ジンは自分がどこの誰なのか分からないでいた。なぜ『組織』に身を投じ、幹部にまで昇進したのか……彼の中では謎なのだ。
 だから無意識にでも縋ってしまう。自分を知る機会なのではないか、と。知れば破滅へと向かうことを考えもせずに。
 けれど、そうしたいジンを押さえつけたのは、不意に振り向いた少女の虚ろな瞳だった。


「ここ……は、どこ? わたし……何、してたんだろ?」


 問いながらジンの顔色を窺い、少女──毛利蘭は一度だけ瞼を閉じた。
 眉をしかめて考えをめぐらせたが、何一つ思考が働かない。頭の中が痺れている感覚に、気分が下降してゆく。
 そんな蘭を見たジンは、全身で息をつくとやや遠慮がちに口を開いた。普段のジンなら一笑に付すぐらいの低姿勢でだ。
 

「(ウォッカにゃ見せられねえな)」


 ふ、と浮かんだ思いに困り顔で口端を歪ませるジン。思わずまた溜息がついて出る。
 違和感だらけの自分。ぼやけたままの記憶。目の前で自分を見つめてくる少女。虚ろな、生気の感じられないその瞳。
 幾つもの問題が複雑に絡み合い、苛立ちが募ってゆくばかりだ。ただ、蘭の件はジン本人に原因があったために、はけ口にすることは出来ない。
 またそのつもりも無い。
 どうしてなのかは分からない。けれども、蘭をどうにかするなど考えてはいない。少なくとも、今は──。


「今日からお前は我々のものだ、と言ったはずだ。まあ憶えちゃいねえか」

「……? ど……いう?」

「意味、か。そんなことは考える必要はねえさ。お前は黙ってここに居ればいい。ただ居れば、な」

「…………」

「悪いようにはしねえ。さっきはあんなことを言っちまったが、忘れてくれ」

「………………」


 一方通行の、会話とは呼べない会話の末に、蘭は無意識に華奢な肩を竦ませて顔を縦に振った。
 何も知らない状態で、抵抗すれば何をされるか分からないからだ。そして、目の前にいる男が悪い人間には見えなかったせいもある。
 みてくれではない。蘭の本能がそう思わせたのだ。この人は大丈夫、と。
 だからといって、少しも怖くないと言ったら嘘になる。事実、蘭の全身は微かに震えていた。
 まだまだ外気は冷たい初春だ。そのせいもあるかも知れないが、怖さと安堵の両方が今の蘭を包み込んでいるのは確かだ。

 その後も、何かを言いたそうに口を開きかけては閉じる蘭を、ジンは黙って見返すに止まる。自分からは応えず、蘭の口から出る言葉を、あくまでも待つ姿勢を貫く。
 重い時間がいたずらに過ぎ、小一時間も経った頃だ。固まったように向かい合う二人の乗ったポルシェの脇に、一台のバイクが近づいてきた。
 そして、丁度車の横を通り過ぎようとした刹那、急ブレーキをかけてジャックナイフ気味に止まった。


「どういうこと!? ジン……あんたこの娘をどうするつもり?」


 この状況を全く予期していなかったのか、バイクから飛び降りた女がジンに食ってかかる。そして返事を待たずに荒々しくフルフェイスのヘルメットを脱ぎ捨てて、蘭を凝視したまま立ち尽くす。
 艶やかな、ウェーブの利いた明るめの金髪(ブロンド)を湛えたその麗女は、少しして気が落ち着くと今度はジンを氷点下の目線で刺し貫くように睨みつけた。
 












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