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風花―かざはな―
作:暁月



◆ epi.026 不覚


 
「蘭さんが!? どういうことですか、佐藤さん! なんで蘭さんが!?」

「それは未だ判らないわ。わたしも何かの間違いだと思いたいわよ。でもあの事件の目撃証言を聞く限り、疑いようがないのも事実なの」

「そう、ですか。他に判ったことはありませんか? 犯人の特徴でも何でも良い。どんな些細なことでも良いから、あったら教えてください」

「じゃあ一つだけ。蘭さんを拉致したのは全身黒ずくめの男らしいわ。旧式のポルシェで逃走を図ったみたい。今、非常線を張ってるけど……未だ引っ掛かってないわ」

「そうです、か。とにかく今、ジョディ捜査官と心当たりを探っていますから。僕の方でも何か判ったら連絡します」

「そう。無茶はしないでね? ヤバい状況になったら指示を仰いで頂戴よ? 判った? 高木君」


 そう告げてから受話器を置き、佐藤は考えを巡らせた。正義感が服を着たような高木の事だ。いざとなれば突っ走ってしまうのではないか、と。
 そして上司としてではなく、一人の女としてそれを危惧していることに気付き大息をついた。
 判っていたからだ。例えそうであっても、今は高木と……ジョディに事の顛末を任せるしかないということを。
 ただ、だからといって胸中穏やかではいられない。


「お願いだから無茶はしないで。あなたに何かあったら、わたしはわたしでいられなくなるんだから」


 心の中でだけ呟いた佐藤は、物言わなくなった無線器を弱く睨んだ。それから、小刻みに肩が震えていることに失笑した。
 思わず零した本音が、そのまま胸の辺りを締めつけると、佐藤は堪らずか細い声を漏らす。


「お願い松田くん、彼を……高木くんを護ってあげて。お願い」


 かつて好意を抱いた相手に今の想い人の無事を託す浅ましさ。それが不条理だということは自分自身解っている。けれど理屈ではなかった。
 何故だか嫌な胸騒ぎがしたからだ。高木の行動云々に関係なく、とてつもない惨事を招くのではないだろうか、と。
 佐藤はその忌ま忌ましい感覚を振り払うために両手の指を組んで祈ると、一切の迷いを無理に打ち消した。
 そして、視線を上げた時には普段の凛とした光が瞳の奥を彩るまでに士気は高まっていた。


 と、機を狙ったかのように再び無線器から受信を告げるブザーの音が鳴り響く。煤けた赤色灯が佐藤の虹彩を瞬間的に絞った。


 ――まさか!?


 直感で解った。閃いた佐藤が無線器の液晶に目線を走らせる。すると思った通り、親友が使用している軽パトのチャンネルがデジタル表示されていた。
 目に力を入れて一つ生唾を飲み込んだ佐藤がレシーバを手に取ったその時だ。空砲だろう、スピーカー部から乾いた破裂音が連なって飛び出してきた。


「由美!? 何、今の! ……ねえ、由美ってば!」


 金切り声に近い叫びが無線室内で反響した。が、それに返ってくる言葉はなかった。





 再度流れが止まったことで、ジンは今来た道を引き返すべきか迷った。このまま進めば間違いなく検問に引っ掛かる。そうなれば厄介だと思ったからだ。
 別段、自分一人であれば無茶してでも突破出来ないことはない。しかし今は助手席に蘭を乗せているため、そこまで無謀な真似は避けたいのが本音だ。
 組織にとっては、いや、自分にとっては賓客である蘭をむやみに傷つける訳にはいかない。それがジンに迷いを生じさせたのだ。


「いや、ちいとばかし面倒だが……やはり引き返すか。万が一にでもパクられる訳にゃいかねえからな」

「無駄だと思いますけど? そんなことしたって逃げられる筈ないじゃないですか。日本の警察を甘く見たら罰が当たるんだから! 大体、こんな場所でUターンなんて出来る訳――きゃあっ!」

「しっかり掴まってやがれ。舌噛むぞ」

「ちょ、何を!? 乱暴な運転しないでください! って、聞いてますか? ――きゃあぁっ!」

「うるせー、気が散る」

「んー! あ、危な――」


 蘭があげた叫び声を聞いたジンが口の端でうすら嗤う。視線の先には対向車線をこちらに向かって走ってくるパトカーが間近に迫っていた。
 チィ……と舌打ちしたジンは、それでも構わずハンドルを切ろうとはしないでアクセルを踏み込み、加速する。


「ちょっと、何考えてるんですか!?」

「大丈夫だ」

「いやっ! 止めてぇ――っ!」


 血の気が失せた蘭の顔を尻目に、眉一つ動かすことなくせせら笑うジン。気が気でない蘭は狂気じみた行為に両手で顔を覆った。
 ふ、と動いた指の隙間から飛び込んできた警官の恐怖に満ち溢れた引き攣った表情が網膜に焼き付く。そのショックで蘭は再び意識を遠退かせた。
 ほぼ同時に、ポルシェの後方で烈しい衝突音がした。


「フ、事故りやがった。ザマぁねえ。恐怖などと、下らぬ感情を抱くからだ」


 ルームミラーに映る“今までパトカーだった鉄の塊"を冷ややかに一瞥すると、ジンは一旦車を止めて、助手席にしな垂れかかるようにして浅い息をつく蘭に目を向けた。
 けれど、それはわずか三秒にも満たなかった。事故に気づいた警官が駆けてくるのを目にしたためだ。ジンのポルシェは目立ち過ぎた。駆けつけた警官隊の顔が見る見る強張ってゆく。


「ポルシェの運転手、温和(おとな)しく降りてきなさい!」


 警官隊のうち一人が怒声をあげるがジンは一向に気に留めなかった。むしろ何事もないといった感じでアクセルに体重を載せて、車を急発進させた。
 冷静さを欠いていたとはいえ、あまりにも稚拙なリアクションだった。警官隊の抜いた拳銃は、空砲である初弾を一斉にポルシェに浴びせることしか出来ない。
 結果、まんまと逃げられる形となり、彼等のお陰で「毛利蘭拉致」が皮肉にも成立してしまった。
 












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