◇ epi.020 天網恢恢疎にして漏らさず
「──秀一! 秀一ってばっ!」
麗女の叫びが何度となく空に突き抜ける。その度に空しく、木霊のようにビル壁にぶち当たって辺りに響き渡った。
駆け寄って細腕に抱きかかえた頭が、やけに重く感じた。それでも蒼ざめた赤井の顔に、意識に必死で呼びかけた。けれど欲した言葉が返ってくる事はなかった。
恨めしそうに睨みつけたアスファルト舗装の地面にどす黒い血の池を見とめた麗女が肩を落とす。わなわなと震える様は怒りを過ぎてただただ悔しさだけを湛えた。
「……ジョディ捜査官? 大丈夫……ですか?」
場に似つかわしくない言葉を掛け、恐る恐るジョディの肩越しに覗き込んだのは警視庁捜査一課の巡査部長である高木渉だった。
高木は掛けてからその言葉が不適切である事に気付き、決まり悪そうに冷笑いした。もちろん自分に対しての自嘲だったが、ジョディにとってはそうは映らなかった。傍目にはヘラヘラとした態度に見えなくもなかったからだ。
「何言ってるの! 大丈夫な訳ないわよ! どこに目を付けてるの!?」
気が動転していたジョディは、高木が自分に対して掛けた言葉を赤井の状態を指しているのだと思った。だから余計に怒りが込み上げたのだ。冷静になって考えれば優に判断は付く筈だのに、それさえも出来ない。いかに感情が昂っているか、当人には判別不可能な域に達していた。
が、ジョディとてプロの端くれだ。いつまでも聞き分けの出来ない訳ではない。ギリギリ……と噛んだ奥歯の痛みに怒りを中和させると、深く大きく息を吸い込み、時間を掛けてゆっくりと吐き出した。
そうする事で漸く幾らかは気分が落ち着いた。そして、失態を咎められた子供のように意気消沈する高木に振り返り、溜め息混じりの厭味を叩きつけた。
「言葉を選んだ方が善いわよ? 日本語のニュアンスって微妙で難しいんだから。誰に対しての言葉かなんて、受け取る側からしたら掴み難いんですからね。特に今の場合は──」
「すみません、配慮が足りませんでしたね。同僚の方がこんな状況にある時には不適切でした。まったく面目ないです」
「……判れば良いの。私もきつく言い過ぎたし、あなたの気遣いも本当は解ってるのよ。ごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ本当に──」
そう返して今尚謹礼する高木に、ジョディは半ば呆れ顔で小さく息をついた。その顔からはもう怒りの色は消え去っていたが、代わりに憂いが満ちていた。改めて赤井の状態が至極危険である事を認識したからだった。
この時初めてジョディは赤井の身体を隈なく調べた。そしてその事で憂いは消し飛び、焦りのみが心を支配した。
「……右肩と左大腿、それにこれは心臓至近ね。辛うじて逸れたってところかしら。でも、このままだと時間の問題だわ。早急に処置を施さなければ秀一は──」
それ以上は言葉に出来なかった。いや、したくなかった。言ってしまう事で現実になってしまうような気がしたからだ。だから途中で飲み込んだ。真一文字に唇を引き結び、ジョディは飲んだその言葉を意識から抹殺した。
それで少しだけ楽になった気を、他の捜査員の固まった方へ運んだ。刹那、中心から驚嘆に裏返った声がジョディに向けて走ってきた。
「うわっ、こりゃひでぇ! 胸の骨が粉々に砕けちまってるぞ! もしかして……心臓に突き刺さってんじゃねーか!?」
「かもな。こんな小さな子供相手に、エグい事しやがるぜ、まったく。……多分もう助からねーな、かわいそうに」
「おいっ、こっちにも女の子が──! 頭からの出血が尋常じゃないぞ! ……って、息してねーし──!」
次々と飛んでくる言葉の矢がジョディの胸元に深く突き刺さる。猟奇的で凄惨な様は見ずとも容易に想像がついた。一体誰が何故こんな冷酷無情で無慈悲な凶行に及んだのか、そして理由さえ思いつかない。
単なる通り魔的な犯行なのか、それとも必然的な事故なのか。全てに判断が追いつかないこの状況を、ジョディはただただ辛酸を舐めるような気持ちでその場に立ち尽くして考えた。が、所詮は情報が少ない……というより皆無な為、時間ばかりが無駄に流れてゆく。
けれどこのままにはして措けない、その思いだけがジョディを突き動かした。
「とにかく、あちらの状況も見ておかないと。秀一も危険だけど、あの子達も同様。それにしても、年端もいかない子供にまで手を掛けるなんて……血の通った人間のする行為じゃ……。──な!?」
「どうしました? ジョディ捜査か……。──コ、コナン君! と、灰原さん!?」
「どうして!? 何故この子達が? 一体誰がこんな惨い事を」
絶句しかかった言葉を強引に突き出したジョディの顔が怒りで紅潮する。普段はマイペースで温厚な高木でさえ、こめかみに浮き立った青筋がその胸の内を克明に表していた。今にも沸騰しそうなぐらいに、頭頂からゆらゆらと白煙が立ち上ってさえいる。
“怒髪天を衝く”を地で表現しているようで、握り締めた拳からは紅いものが滲み出ていた。
「ふざけやがって……! こんな事する奴は人間じゃねー。絶対に赦さねーからな。てめぇの血は何色だ──!?」
「フ……、案外紅いかも知れないわよ。ね、落ち着きましょ? 熱くなってるだけじゃ、何も見えてこないから。それに……そんな時間はないし、奴らにだって与えないわ」
「え? “奴ら”って、心当たりがあるんですか? ねぇ、ジョディ捜査官!? 黙ってたら解かりませんよ」
「私としたことが、こんな簡単な事に漸く気付くなんてね。あなたが熱くなってくれたお陰で、逆に私は冷静になれた。そしたら直ぐに思い当たったわ。奴らに」
言葉通り、ジョディの表情からは一切の無駄な感情は消えていた。透き通った濃青色の瞳には確信の光が宿り、引き結んだ薄紅のルージュも艶々と輝き、その自信の深さを引き立たせている。
そして、そうと決まったら採るべき行動はジョディの中では一つしかなかった。
「行きましょう、高木刑事。もう奴らの好きにはさせて措けない。……また後でね秀一、そしてCool-kid」
そう言ってジョディは、踵を返して力強く歩を前に出した。
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