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春の約束
作:工場長


 八分ほど咲いた桜の木の下に一軒の喫茶店がある。店員はマスターと大学生のアルバイトが男女一人ずつの計三人。
 今日はマスターが材料の仕入れに出かけているため不在である。しかし二人のアルバイトは高校生のときからこの店で働いているので、マスターがいなくても店を切り盛りできるほどの腕を持っていた。
 モップで木目調の床を拭きながらショートヘアーの女性アルバイト――山本晴美やまもと はるみが呟いた。
浩太郎こうたろうー、今日はお客さん来ないねー」
 浩太郎と呼ばれた角刈りの男性アルバイト――平賀浩太郎ひらが こうたろうはコーヒーカップを手馴れた手つきで拭いている。
「たまにはこういう日があってもいいんじゃないの。いつも忙しいんだし」
「それはそうだけど……。静か過ぎるというのもちょっと嫌よ」
 晴美はつまらなそうにモップの柄をまるでメトロノームのように左右に動かした。

 その時、風に舞う桜の花びらとともに、黄色のワンピースを着た一人の少女が店に飛び込んできた。薄茶色の髪を三つ網にまとめている。走ってきたのか少女の顔は赤く、息が荒い。少女は二人の姿を確認すると、
「助けてください、追われているんです!」
 と、叫んだ。追われている、と聞いて浩太郎は危うくコーヒーカップを落としそうになったが、晴美は冷静に対応した。
「どうしたの、お嬢ちゃん。誰に追われているの?」
 少女は肩で息をつきながら苦しそうに答える。
「フ……フラッシャー星人です」
「フラッシャー星人?」
 フラッシャー星人、という聞きなれない言葉に二人は首を傾げた。とりあえず少女を落ち着かせて詳しい話は後で聞こうと言うことで、浩太郎はコーヒーを入れて砂糖を多めに混ぜて彼女に飲ませた。
「これがコーヒーと言う飲み物ですか……」
 少女はコーヒーを見るのは初めてらしい。しかし彼女はためらいもせずに一気に飲み干した。入れたてのホットコーヒーを一気に飲めるなんて少女の舌は相当丈夫らしい。
 コーヒーを飲んで落ち着いたのか、彼女は自分の名前を名乗った。
「私の名前はティナと言います」
「へー、ティナちゃんって言うんだー。どこの国から来たの?」
 外国から来たらしい黒い瞳の少女に晴美は興味を持ったようだ。まだ掃除の途中であるのに少女の隣の席に彼女は座る。
「パリーナ星です。私はパリーナ星の王女です」
「パリーナセイ? 聞いたこと無い名前だな……。最近独立した国?」
 少女のための二杯目のコーヒーを注ぎながら浩太郎は再び首をかしげた。疑問に思うことがあるとすぐ首を傾げるのは彼の癖である。
「地球の国ではありませんパリーナという星です。私は宇宙人なのです」
 そう言うと、少女は自分の肩についていた桜の花びらを二人に見せた。
「私の星にもこの花に似ている花がたくさんあります。ピンク色でとても綺麗な花です。……だけど今この花が……私の星が……フラッシャー星人にめちゃくちゃにされているのです」 
 少女は自分の生まれた星の現在について語りだした。

 一年前――パリーナ星は突然隣の星であるフラッシャー星より攻撃を受けた。軍事力・技術力・体力ともにフラッシャー星人に大きく劣るパリーナ星の住人はあちこちで敗北し、現在ではパリーナ星の九割近くがフラッシャー星人に占領されているという。

「それでティナちゃんはパリーナ星からこの地球に逃げてきたわけね」
「はい、そうです。それでもフラッシャー星人に見つかってしまって……、いつも側にいた執事のナルーンが殺されてしまったのです。私はフラッシャー星人に捕らえられていたところを、彼らの隙をついてやっとのことでここまで逃げてきたのです」
 二杯目のコーヒーを口にしながら、少女は物騒なことを話している。二人は目を合わせて「最後まで少女の話を聞く」ことを確認しあった。
「しかし……どうしてこの星までフラッシャー星人は追いかけてくるんだい? 君はパリーナ星にもういないのだから、そのままにしてもよさそうなのに……」
 まだ熱いはずの二杯目のコーヒーを飲み干して、少女はその問いに答えた。

 パリーナ王家の血をひく女性は呪文によって敵を撃退する魔力が備わっている。敵を攻撃する呪文は幾つかあるが、最強の呪文の威力は地球でいう核爆弾数発分に相当するらしい。フラッシャー星人としてはその呪文を発動されてしまっては、パリーナ星に侵略している者はおろか、自分の星さえも危険な状況に陥ってしまう。
 ちなみにその呪文はパリーナ星人には通用しないという。まさに味方を助けながら敵を倒せる一石二鳥の呪文――。少女はその便利な呪文を唱える資格を持つ唯一の女性なのだ。

「だけど、私はまだその呪文を唱えることはできないのです。パリーナ王家の女性がその魔力を身につけるのは八歳になってから、私は今七歳。あと一年足りないのです」
 だからその一年間は逃げ回っているのだ、と少女はコーヒーカップを抱えながら叫んだ。
「お願いです。私を助けてください。私だけでなく、パリーナ星の人々を、綺麗な花たちを助けてください」
「助けてくれと言っても……、具体的にどうすればいいのか……」
 晴美が少女の対応に困り始めたその時、店の扉が開いて桜の花びらとともに白衣を着た女性と、同じく白衣を着た男性二人が入ってきた。三人とも茶色のサングラスをかけている。
「あ、いらっしゃいませ……」
 三人を席へと案内しようとした晴美の腕を少女がつかんだ。
「お姉さん、この人たちがフラッシャー星人です。この人たちが私達の星を侵略し、ナルーンを殺したんです」
(フラッシャー星人……)
 浩太郎と晴美に緊張が走る。フラッシャー星人と呼ばれているが、白衣を着た三人はどう見ても地球人である。これは彼らが変装しているのか、それとも元々地球人と似た体系のためなのか。
「お姉さん、助けて……」
 少女は晴美の右腕にしっかりと抱きつく。しかし晴美にはどうすることもできない。
 白衣姿の女性はにっこり微笑むとこう言った。
「ごめんなさい。またこの子が逃げ出してしまって……、迷惑だったでしょう」
「い、いえ……そんなことは……」
 丁寧な言葉遣いに晴美は気の抜けたような返事をして頭を下げる。

 白衣姿の女性の言うには、少女は三ヶ月前に両親とともにドライブに出かけていたところ、事故に遭遇してしまった。彼女は軽傷ですんだが不幸にも両親は還らぬ人になってしまった。 体の傷は癒えたが、親を失ったショックという心の傷は癒すことはできず、時々訳の分からないことを言っては病院を抜け出している。ということだった。
「そのたびに私達がこうして追いかけているというわけです……玲奈れいなちゃん、早く病院に戻りましょう。恐らく別の名前を名乗っていたと思うんですが、この子の本当の名前は宇佐美玲奈うさみ れいなと言うんですよ」
 逃げ出すたびにいつも違う名前を名乗るんです。おそらく別の名前を名乗ることで別人になりたいんでしょう、と女性は付け足した。
「嘘です、お姉さん。フラッシャー星人が作ったでたらめです。お姉さん、私を助けて!」
 少女は激しく晴美の右腕を揺らす。晴美は少女の右頬をそっと優しく撫でて微笑んだ。
「だめでしょ玲奈ちゃん、先生を困らせちゃ……。病院へ戻りなさい」
「お姉さん、ダメ! 騙されちゃダメ! フラッシャー星人は今までそうやって人を騙して仲間達を殺してきたの」
 少女は晴美の手を払い叫ぶ。晴美は少女を思いっきり抱きしめると耳元でささやいた。
「私も、小さい頃お母さんを事故で亡くしたんだ……。その時はものすごくショックだった。お母さんが死んだなんて信じられなくて、いつかお母さんが帰ってくるような気がして……、学校から帰ってきたらいつもお母さんを呼んでた。返事が来ないことを知って毎日泣いた。だけど……そんな私でもこうして生きているんだよ……。だから玲奈ちゃんも現実から逃げないで……。いつかきっと立ち直れる日がくるから……」
 そう言って晴美は少女を優しく話した。少女はまだ幼いせいか晴美の言っていることが理解できていないようで、
「そんな……」
 と、顔を青ざめて足元がおぼつかない状況になっている。段差に足を取られて倒れそうになった少女を白衣の男性の一人ががっしりと受け止めた。
「そうよ、お姉さんの言うとおりよ、玲奈ちゃん。あなたもいつか立ち直れる日が来るんだから……」
 女性がやさしく少女に話しかけるが、少女にはそれに応える気力は無かった。

 少女は三人が乗ってきた黒いベンツに乗せられた。ドアが閉まる直前、晴美が叫んだ。
「玲奈ちゃーん、きっと良くなるんだよー。よくなったらまたこのお店へコーヒーを飲みに来てねー、約束だよー」
 浩太郎も叫んだ。
「君でも一気に飲み干せないほどの熱いコーヒーを用意しておくよ」
 少女の変わりに女性が二人に応えた。
「その約束、確かに了解しました。なんとか彼女の心を元の状態に戻してこのお店に普通のお客として来られるようにしますので」
 そう言って女性は最後に「お釣りはいらないです」とコーヒーの代金として千円札一枚を晴美に渡した後、車の窓を閉めた。
 ベンツは勢いよく走り去った。道に散っていた桜の花びらが舞う。
「あの子元気になるかなー」
「大丈夫だろう。あの熱いコーヒーを一気に飲めるほどのタフな舌を持っているのだから」
「舌の強さと心の強さは関係ないわよ」
 二人は冗談を言い合いながら店へと戻っていった。

 一年が過ぎた。桜の季節になっても少女は店に現れなかった。
「玲奈ちゃん、まだ来ないねー」
「心の傷はそう癒えないものなんだろう」
「でも……必ず癒える日が来ると思うんだ。もう少し待ってみようよ、浩太郎」
 晴美は少女との約束の日を待っているが、浩太郎は別にどうでもいい気持ちになっている。

 あの日から二年たっても少女は店に現れなかった。
「玲奈ちゃん今年も来なかったねー」
「約束なんか忘れているんじゃないの」
「やっぱりそうなのかな……」
 晴美の中でも少女との約束はそれほど重要なものではなくなってきている。

 三年も経つと、晴美も浩太郎も少女のことや約束のことなどすっかり忘れていた。少女はついに店に現れることは無かった。そもそも店に来られるわけが無かった。

 少女の言っていることは全て真実だった。
 少女――ティナはパリーナ王家の魔力を発揮できないままフラッシャー星人にあの黒いベンツの中で殺される。ティナの死によって最後の希望を失ったパリーナ星は完全にフラッシャー星に占領された。
 パリーナ星人の大半は殺され、運よく生き残ったものは奴隷として酷使されるという辛い生活を強いられることになった。
 ティナのいう桜に似た花の園はフラッシャー星人の侵略により一時荒れ果てたものの、虐殺され土に埋められたパリーナ星人の死体を養分として復活し、フラッシャー星人侵略以前よりも多く、そして妖しく綺麗に咲き誇っている。
 
 しかしそんなことを晴美と浩太郎の二人は知る由も無い。
 二人はティナと会ってから間もなく恋人同士になる。やがて結婚し、大きな桜の木が庭にある一軒家を購入した。
 毎年桜の季節になると二人は縁側で桜の木を眺めていたが、ティナのことを思い出すことは二度となかった。
 二人はその後も穏やかにそして幸せに暮らし、浩太郎、晴美の順に家族に見守られながら安らか息を引き取った。それは桜が綺麗に咲き誇る季節のことであった。














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