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  恋なのか 作者:
色男の劇的な一目惚れ
 芯谷商事本社ビルの7階に、営業課営業部はある。

 花形の部署らしく、勤務する社員は仕事ができ語学も堪能なエリートだ。
 目指すのは専務か常務。
 成績と勤務態度で査定は決まる、査定次第でどこまでも登っていける男社会だ。

 ただ、7階には日中ほとんど部署に誰もいなくなる営業課営業部とは対照的に、常に部署に籠りPCや部品の帳簿と向かい合う庶務課があった。
 その立地条件のためか、女性の“婚活対象”である営業部の社員とお近づきになりたい女性社員は、必然的に意味なく(意味を作ってまで)庶務課に部品の依頼や無意味な多量のコピーを依頼に来る。

 そして、今日もそんな女性社員で溢れていた。

「あーぁ……、折角用事作って7階まで来たのに、営業部が全部出払っているなら意味ないじゃない」

 20分前からシャープ芯が欲しいと入り浸る設計課の村野 沙織が、パールに輝くマニキュアを右手小指に塗りながら言った。

「馬鹿ねぇ、昼少し前がチャンスよ。だってよほど出先が離れてたりしない限り、社食があるから帰ってくるじゃない」

 30分前からコピー200枚を理由に入り浸る経理課の白沢 理絵が、手鏡片手にグロスを塗りながら壁の時計を見る。

 AM10:30。昼には少し早過ぎるようだ。

 庶務課の片岡 遥は朝からコピーに掛かりっきりだった。
 もう一人の女性社員は「3Hのシャープ芯が欲しい」という依頼を果たすべく文具店に走っている。
 違うブランドなら在庫として持っていたのだが、決めたブランドがあるらしい。
 自分で購入して領収書を出して欲しいと頼むと、「忙しくて出られない」と言い返された。
 勤務終了後に文房具店が閉まっているとも思えないが、揉めるのも時間を消費するので買いに行かせたのだった。

 コピーの依頼はAM11:30迄。

 インクの出が悪いコピー機でも、残り1時間で何とか150枚コピーできるだろうか。

 遥は眉を少し寄せて考える。
 眉間に皺ができるからやめなさいと母に注意されたこともあるが、癖となってしまっているので無意識だ。

 早いうちに修理に来てもらうべきかもしれない。

 考え込みながらも、遥の手は止まらない。
 2枚コピーが出てくると、トナーボタンが点灯した。
 手早くコピー機からトナーを出すと補充する、庶務課のコピー機は使用頻度を全く考慮されずかなり昔の型のままだ。
 細かいトナーの粒子が辺りに飛び散って、マニキュアを乾かしていた村野が金切り声をあげた。

「ちょっと! アンタ、何やってんの? 爪に黒いのついちゃったじゃないの!」
「ごめんなさい」
「そんなトロいから庶務課のままなのよ!」

「あの、白沢さん」
「……何?」
「コピーなんですけど、12時過ぎそうなので終わり次第届けますけど」

 白沢が眉を跳ね上げた。
 
 そうなると営業部の面々との鉢合わせ等あり得なくなる。心の声が聞こえてきそうな般若の面だった。

「あんたが仕事遅いからでしょ! 困るのよね、会議があるんだから11:30迄に終わらせてくれないと」
「でもコピー機の調子が悪くて、白沢さんの部署のコピー機では出来ないでしょうか?」
「む……無理ね。今日は確か、そう確か……誰か使ってるの」
「そうですか」

 こういう場合の庶務課の男性社員は、全くと言って当てにならない。
 数名いる“彼ら”は実際窓際と呼ばれる部類で、座っていてもパソコンで通販サイトを見ているかゲームをしているか。
 いない場合はそのほとんどがトイレ、という最悪な部署である。
 庶務課の女性は片岡を含め2名で、明らかに仕事量に反比例する人数配置だった。

 大体、終業時間17:30に帰宅できたことなど皆無だった。
 黙り込んだ遥に、畳みかけようと白沢が口を開いた時、だった。

 乱暴に庶務課のドアが開く。

 入ってきた男を見て、白沢と村野は慌ててマニキュアと手鏡を各々仕舞って居住まいを正した。

 濃紺のパンツに包まれた長い脚が目に入る。
 かなり急ぎの用らしくジャケットを脱ぎベスト姿で庶務課に駆け込んできた鈴木 正は、営業部のエリート社員の中でも一際目立つ一人だ。

 女の噂は絶えない割には悪い噂は無い所を見ると、どうやら上手に遊んでいるようだ(某警備員談)

 女性には無条件で優しいフェミニストで、人当たりも良くかつ仕事は有能(某部署事務員談)
 
 男性社員も妬むよりは尊敬している方が多いらしい(某部署社員談)

 ネクタイを指2本ほど緩めていてもだらしがなく見えないのは、持って生まれた見栄えの良さのお陰といえる。
 細く長いけれど骨ばった手には目測2センチ近くの紙束。

「悪い、庶務課! これコピー2枚ずつお願いできるかな!」

 女性社員の名前ならほぼ全員に近く記憶しているはずの鈴木が、同じフロアにある庶務課の遥の名前を知らなかったのは仕方なかった。
 営業という立場上、近づいてくる(仕事外も含む)人の名前は覚えてしまう。
 つまり、同じフロア内とはいえ庶務課の女性社員が営業部に近づくことは全く無いまま今まで仕事をしてきたことになる。
 その点においては、庶務課の社員の采配は成功していたといえる。

 通常であれば7階のフロアにはどこかしら部署の女性社員がいるはずなのだが、10:30という中途半端な時間のせいか誰一人として鈴木は見つけることができず、焦って庶務課に駆け込んだのだった。

 遥はうつむき、睫毛に影を落として。
「無理です」
 一言、答えた。

 今まで女性社員の厚意(好意を過剰に含む)に甘えてきた鈴木は、あっさり断られる事を考えもしてなかったらしく一瞬手が止まった。

「無……理って。ごめん、何とかならないかな? 俺も仕事があって誰にも頼めなくて」
「こっちもコピーの仕事が入っているんです、ごめんなさい」

 謝罪の言葉の割には、申し訳なさそうな声音ではない。
 ちら、と鈴木を見たものの遥はすぐにコピー作業に戻った。

「い、いいのよ。片岡さん、先に営業部のコピーをやっても」
 慌てた白沢が精一杯の作り笑いをして、遥の作業を止める。
 
 一瞬非常に迷惑そうに、遥は白沢を一瞥した。

 鈴木とのきっかけを逃したくない村野も同意する。

「そ、そうよ! 鈴木主任がなさっているプロジェクトの方が大事よ!」
 互いに出来るのならば自分がコピーしたいのだが、仕事を庶務に持ち込んでいる手前自分が手伝うとは言いづらい。
 他のフロアの部署も決算が近いせいでそれなりに忙しく、コピーを頼める社員を探し回る暇は鈴木には無いようだった。

「白沢さん、村野さん……」

 鈴木は視線で2人の厚意(好意含む)に感謝をし、遥の返事を待った。のだが。
 遥はちらりと鈴木を見ることも無く、言い放った。

「仕事に重要度はありません。庶務課は持ち込まれた仕事を順序を追って終わらせます」

 とんでもない頑固者である、誰もがそう思った。

 遥は次々と持ち込まれる仕事に、正直気持ちが追いつかないでいた。
 焦っている、焦りから苛立ちもあった。

 庶務課のコピー機は遅かれ早かれ壊れるだろう。営業課の仕事を手伝ってあげたい気もなきにしもあらずだが、請け負うだけ請け負ってコピー機が壊れたのでコピーできないという様な無責任なことはしたくなかった。
 このコピー機では、間に合わずに迷惑をかけるのがオチだろう。

 遥は手元ではせわしなくコピーをしつつも、一方で鈴木の無遠慮な視線が気になっていた。
 やはり仕事を断ったのが悪かったのか、遥はその名前の分からない営業課社員をチラと見ると考え込む。

 その時、遥の視線を真っ向から受けた鈴木が大きくビクついたのだが、気付くことは無かった。

 小さく、ため息。
「そう、だね」
 沈黙の中、意外にも遥に同意したのは鈴木だった。
「ごめんね、無理を言ってしまって」

 ガガガ
 鈴木の声に被さって、コピー機の中に紙が詰まる鈍い音が響いた。
 ガガガガ
 
 旧式のコピー機である庶務課の“それ”は今日を含め今後使用できることはないと思われた。おそらく、寿命である。
 だが、1日の業務がコピーと帳簿、日用品の管理の仕事で費やされていたのでコピー機が無ければ仕事の半分が滞ってしまう。

 遥の考え込む様子に白沢と村野は余計な口をはさむこともできず、鈴木もつい庶務課と廊下をつなぐドアを開けるきっかけを失ってしまっていた。
 握ったままのドアノブが汗ばんでいくのを理解できるものの、鈴木は回すことが出来ないでいる。

 沈黙が、痛い。

「提案が、あるんですけど」
 重い沈黙を、遥自身が壊した。
 手に持った紙束は有に2センチはある。修理するか、もしくは新しくコピー機を買わなくてはコピー機は使えないがどちらにしても今日中は無理だろう。
 苦渋の選択だった。

 その提案はのちに営業課の男性社員を色めき立て、本社ビル(庶務課除く)の女性社員ほぼ全員の怒りを買うことになるのだが。


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