「マサキ。マサキ?」
彼女の柔らかい声が聞こえる。
そうか、もう朝か。オレは寝てしまっていたんだ・・・・。
昨夜、帰ってきたのは1時頃。
暗くて何も見えない家の中を歩くと、何だかわからない柔らかいものがつま先に触れた。
思わず驚いて足を引っ込めたが、それが生きているのか動かないのか解らない以上はつまんで避けることもできない。
明かりを点けようと手を伸ばした。
『カチ、カチ。』
手探りで紐を引くとパッと明るくなる。
足元に触ったのはカバンだった。
オレの?ではない。彼女のもののようだ。
落ちていたかばんと持っていたカバンをまとめてテーブルの上に投げて、ソファに倒れこんだ。
それにしても今日は忙しかった。
朝早くから出かけたのに40分で着くはずの会社に着いたのは2時間も後。
どれもこれも、昨日の夜に降った雪のせいだ。
動かない電車を駅で待った。今の状況を連絡するため、会社に電話をした。
時間を持て余し、久しぶりに小説を買った。
街で話題になったものでも、好きな作家のものでもなかったが面白く、気に入った。
一通り読み終わると、やっと電車が到着。
それからも何度か電車は止まり、やっと会社に着いたのはいいが、人が少なくて仕事にならない。
外はまた雪だ。こんなに寒いのに暖房が停止している。
聞くと、壊れているという。
売店でカイロを見つけて懐に入れる。
そんなことをやっているうちに昼休憩になってしまった。
外に出る気はしなかったので社食で済ませ、机に戻る。
今朝、買ったばかりの小説を取り出して最後の5ページほどを読んだ。
「珍しいな。」
同僚の一人が話しかけてきていたようだが聞こえない振りをした。
今はこれに集中していたい。物語の心地よさに浸っていたい。
読み終えた頃に休憩の終わりを告げるベルが鳴った。すっきりとした気分で仕事ができた。
帰りには雪も凍り、足元の滑る中、家に帰った。
家の中は珍しく散らかっていて、彼女が疲れていることを現していた。
近所の雪かきを手伝うとか言っていたっけ。
あとからあとから降ってくる雪を片付けるのは大変だっただろう。
着ていたスーツをハンガーにかけて、シャツを洗濯機に放り込んだ。
リビングに落ちていた服もついでに入れて、自分で料理をした。
夜食を食べて、お風呂に入り、リビングに戻ると窓の向こうに雪がちらついていた。
「まだ降るのか・・・・。」
先刻使った食器を洗おうと思い、キッチンへ行くと彼女が起きていた。
食器を洗っている。
「起こしたか?悪いな。」
冷蔵庫からビールを取り出し、彼女の手元に置いた。
「何言ってるの?ずっと起きてたじゃない。」
クスクスと彼女は笑った。
彼女は寝る前に本を読む癖がある。推理小説なんかを読み始めると2時間は寝ない。
「そうか。」
気が付かなかった、と思いながらソファに腰掛ける。
ビールを一口、二口飲んで、テレビをつけた。
この時間は何をやっているだろう。
「今、何時だ?」
遠くの彼女に声をかけた。
「10時半くらいじゃないかしら。」
チャンネルを変える。確かにそうだが、何かおかしい。
オレが帰ってきたのは1時だ。昼ではない。夜中の。
風呂に入る前までは2時より少し前くらいだったはずだ。
帰ってから一度きりしか時計を見ていない。確信がなかった。
だが、戻っているだなんて・・・・・そんなこと・・・・。
テーブルの上を見ると、先刻置いたはずのカバンがない。
「カバンは・・・・片付けたのか?」
「えぇ?」
彼女が笑いながらオレの隣に座った。
「お気に入りのカバンが昨日壊れちゃったから、明日買う予定だって言ったでしょ?」
「でも、それは昨日の話だ。」
「そうよ。昨日壊れちゃったの。今日はお客様がきたから・・・・明日行くわ。」
テレビから臨時ニュースが入った音がする。
「大雪で電車が動かないんですって。明日のお仕事は?大丈夫かしら?」
そんな彼女の言葉は、オレの耳に入ってなかった。
このテレビは昨日、二人で見たはずだ。
たった今入った臨時ニュースも昨日のものだ。
「具合でも悪いの?顔が真っ青。」
彼女が心配そうにオレの顔を覗き込んだ。
「いや、大丈夫だ。」
大丈夫ではないかも知れない。そう思った。
「でも、顔色が悪いわよ。今日はもう眠ったら?」
心配そうに微笑む目の前の顔を直視できない。
彼女はこのあと、とても重大なことを言うんだ。
「何か、オレに言いたいことがあるんじゃないか?」
彼女の表情が固まった。
そうだ。彼女が言いかけた言葉を明日の仕事の心配をしていたオレは聞いていなくて・・・・
「わかっちゃった?そうなの。実はね・・・・・。」
怒った彼女は雪の中を裸足で走っていく。
当然、追いかけたオレが次に見たものは・・・・・飛び散る血と・・・・血の中に沈む彼女の姿。
「う・・・・・うわあぁぁぁ!!!」
「マサキ。マサキ?」
愛する妻の柔らかい声がする。
あぁ、オレはいつの間にか眠ってしまったんだ。
先刻まで見ていたあれは夢だった。
時間が戻ってしまうなんてあるわけないじゃないか。
「よか・・・・った・・・・。」
彼女が泣いてる。
「どうか・・・したのか?」
目を開けると真っ白な天井と、白いベッド。
泣き腫らした目を手で覆い隠すようにしてオレを上から覗き込む彼女。
「死んじゃったら・・・・どうしようって・・・・。」
オレは彼女を追いかけて走った。上着も着ずに、ひたすら走った。
右に折れた彼女を追いかけてオレも右に曲がった瞬間。
飛び散る血。死ぬほどの苦痛。彼女の悲鳴。
そうか。あの時事故にあったのはオレだった。
あの時から今までの出来事が全部夢だったんだ。
「あ、マサキがリビングのテーブルに置いてた本。
持って来たから暇だったら読んでね。」
そこにあったのは、あの日駅で買った・・・・・。
Is this a dream or a reality?
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