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カグヤ
 ところが。
 ツヌミの居室まで戻ってくると、ずっとぐったりとして動かなかった筈のヨミがひょい、と起き上った。
 あたしが驚いて動けないでいると、ヨミは満面の笑みで抱きついてきた。
「テラスだ! 本物のテラス!」
 何で、とか、しまった、とか思う余裕もなくヨミの腕の中に捕らえられてしまう。
「よかった、無事でいて……」
 心の底から安心したその声は、あたしの胸をキュッと締め付けた。
 あたしはこの人の元を逃げ出したんだ。
「怪我しなかった? ナミに苛められなかった?」
「うん、大丈夫。大丈夫だから、放して!」
 必死でもがいて腕の中から逃れようとするのだが、力の差はどうしようもない。
「やだよ〜。もう二度と放さないもんね!」
 どうやって逃れようか本気で考えていると、ふっとその圧力が消えた。
「やめろ、ヨミ。テラスに近づくな」
「何すんの、ミコト。邪魔しないでくれる?」
 あたしとヨミを力尽くで引き剥がしたのは奥で寝ていたはずのミコトだった。
 昨日までくっきりと浮かび上がっていた顔の痣がだいぶ薄れている。顔色もよく、体調もよさそうだ。
「お前のせいでテラスがタカマハラに捕まったんだぞ、ヨミ!」
「何言ってるの? 元はと言えば君がタカマハラに残ったからでしょ」
「違う。今回は、俺じゃなくツヌミのせいだ」
「ツヌミが?」
 ヨミの視線が今度はツヌミに突き刺さる。
 ツヌミは漆黒の瞳に全く感情を映さず、その刺さるような視線を受け止めた。
「テラスがずっと連れてたあのカラス、いただろ」
「いたけど……まさか」
「そうだ、アレ(・・)がツヌミだ」
 それを聞いたヨミがこの上なく深いため息をつき、ツヌミに向かってぼそりと吐いた。
「ストーカー」
「貴方に言われたくはありませんよ、ヨミ」
 しれっと流すツヌミは、どうやらヨミとも面識があるらしい。
 と、いうよりかは、この3人がとても仲良しに見える。ミコトとヨミだってあの時、トツカとハクマユミを閃かせて戦ったようには見えないほど和やかに喧嘩しているし、ツヌミに至ってはそのやり取りを楽しそうに観察しているようにも見える。
 と、いうことは先ほどのツヌミとヨミの攻防も。
「第一、あの場でナミに切りかかること自体があり得ませんよ、ヨミ。もう少し考えなさい」
「ツヌミが止めなかったらあのまま仕留められたのに」
「そんな事をしてみなさい、私が貴方を殺します」
 言葉はひどく物騒だ。ツヌミとヨミの間に散っている火花も本物。険呑とした空気も二人の本気――だと思うのだが。
「ナミを殺すのは俺だ。手を出すな、ヨミ」
 そこへミコトが参戦する。
 て、いうかナミはひどく嫌われてるんだなあ。いや、あたしもどっちかというと好きじゃないけど。
「昔から貴方たちはそうです。ナミを殺してしまったら誰が太陽を取り戻すのですか?」
 ツヌミが愛想の欠片もない声で言い放つ。
「確かにあいつの研究家としての手腕は認めるが、ナミが俺やカグヤの人間にしてきた事を忘れるつもりはない」
「僕も残念ながらミコトに賛成。ツヌミも早くナミのところ、やめなよ。そうすれば街とタカマハラの均衡を崩す事だって夢じゃないのに」
「それはあり得ません。それよりもミコト、早くナミに謝ってしまいなさい」
「嫌だね。誰が謝るか」
「テラスがいなかったら、貴方は今頃どうなっていたのか分かっていますか?」
「本当だよ、そのまま死ねばよかったのに」
 悪態をつくヨミだが、あの時ナミに刃を突き付けた理由は、ミコトを傷つけられたからに他ならないはずだ。
 なんだかんだ言って、ナミの事さえ絡まなければこの3人は仲がいいのかもしれない。
 何だかあたし一人だけ置いて行かれた気分だ。
 あたしの心配はいったい何だったの?!
「しかもヨミ、貴方は先ほどわざとテラスにぶつかるように吹き飛んだでしょう? テラスが怪我をしたらどうするつもりです」
「テラスは怪我なんてしなかったよ」
「私は可能性の話をしているのです」
「あーやだやだ。これだから研究者は細かい上にねちねちとしつっこいんだから!」
「誤魔化さないでください」
 下らない事で喧嘩しないでよ!
 ああ、苛々する。
「そんな事どうでもいい。ヨミ、お前は何でタカマハラに戻ってきたんだ?」
「……テラスがここにいるからだよ」
「何やってんだよ、俺達がここに揃ったらナギが街に出た意味がないだろ!」
「だからそれはツヌミに言いなよ」
「私はテラスの身の安全を最優先しただけです」
「お前は自分がテラスに会いたかっただけだろう!」
 ああもう……
「いい加減にしてよ!」
 その鬱憤うっぷんがそのまま爆発した。
 ここ数日で急にたくさんの事を知らされたのもそのストレスに一役買っていたに違いない。
 あたしの叫びで、一瞬その場がしん、と静まり返る。
「ヨミもミコトも……あたしがどれだけ心配したと思ってるの?! しかもツヌミまで2人と知り合いだったわけ?!」
「え、テラス、僕の事心配してくれたの〜?」
「してない!」
「え、でも今、心配したって……」
「うるさいっ!」
 いったい自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
「何よ何よ! 3人とも……分かってます、みたいな顔してあたしだけけ者にして……!」
「お、落ち着けよ、テラス」
「そうです、とりあえず落ち着いてください」
「何をそんなに怒ってるのさ〜」
 おろおろとうろたえる男共が3人。
 またか、という表情をしながら何とか宥めようとするミコト、狼狽の表情も露わに自分の方が慌てているツヌミ、にこにこと楽しそうなヨミ。
 ああ、平和過ぎてなんだか泣けてきた。
 はらりと雫が頬を伝う。
「なっ……」
「……!」
「えっ? どうしたの?」
 言葉を失ったミコト。蒼白なツヌミ。半笑い顔になってしまったヨミ。
 三者三様の反応は、どこか滑稽な感じがした。
 何しろミコトもツヌミもヨミも、全く違った系統ではあるが綺麗な顔立ちをしているのだ。その3人が慌てふためく様は、それなりに見物みものだ。
「待てって、テラス、ちょ、落ち着け! どうした! ヨミか?! またヨミが原因なのか?」
「何で僕なのさ。絶対ミコトのせいだよ。だって一番顔怖いもん」
「そんな事はどうでもいいでしょう?」
 冷やかな言葉を2人に投げつけたツヌミは、あたしの目を覗き込んだ。
「どうしたんです、テラス」
「……バカ」
「え?」
「バカっ! ミコトもヨミもツヌミも大っきらいっ! 何にも分かってないっ!」
 あたしはそう叫ぶと、同じ顔で驚いている3人にくるりと背を向けると部屋の奥に駆け込んだ。
 先ほどツヌミがやっていたように扉を閉め、勘でパネルを操作し、ロックをかける。
「テラス、待ってください、いったい何が……?」
 混乱したツヌミの声が扉の向こうから響いている。
「知らないっ!」
 自分でもいったい何に苛立っているのか分からないのだから。
 あたしは一人で生きていくって決めたのに。
 ツヌミを利用するって決めた。
 ヨミを完全に拒絶した。
 ミコトの事を信じないと宣言した。
 それなのに。
「どうして……」
 口汚く物騒な言葉の応酬をしながらも、どこか心の底がつながっているように見えた3人を見て、何かが壊れた。
 自分の身は自分で守る。表面上は信じているふりをしても心の底では信じない。彼らの関係とは正反対の態度で臨むつもりだったのに、ミコトもヨミもツヌミもあたしが捨てたもの全部拾って押し付けるんだ。あの3人と肩を並べていたいって、失くしたはずの心が求めるんだ。
「これ以上近づかないでよ……!」
 掻き乱さないで。揺らがせないで。
 あたしは生きなくちゃいけないのに。
「お願いだから……」
 涙が止まらない。
 思い出すのは優しかった育て親の顔と、穏やかな声。
――生きなさい
 助けて、ナギ。どうしたらいいの?
 壁にもたれかかって座り込み、膝に顔を埋めた。
 背中から、誰かが叫びながら扉を叩いているのが感じられたが無視した。
 今はただ、誰にも会いたくなかった。誰とも話したくなかった。
 ただ、涙を流したかった。



 それからどれだけの時間が過ぎたろう。
 泣き疲れたあたしはいつしか横になっていた。
 ひんやりとした床があたしの頭を冷静にしてくれて、ゆっくりとこれからの事を考える時間が出来た。

 この街が出来たのは100年以上も前だという。原因は分からないが、街の外は『放射能』が蔓延する世界と化した。だから、誰かがそこから逃れるために『防御壁』と『タカマハラタワー』を作った。
 タカマハラは大きく分けて3つの部分がある。一つ目は一般人が住む場所。二つ目は今も様々な研究がおこなわれるこの場所。そして三つ目は唯一太陽の光を受け入れる『カグヤ』と呼ばれる場所。
 カグヤは太陽の光と引き換えに放射能も引き入れてしまう。そのため、放射能によって遺伝子を破壊される『異形オズ』の発生が絶えない。それでも、人は太陽を忘れて生きていくことなどできず、異形オズ化の危険を背負ってでも生産をカグヤに頼っているのだ。
 それに対してタカマハラを取り巻く暗闇の街は、カグヤで発生した異形オズの始末を引き受ける代わりに生きる術を得る。
 そんな中で、あたしの育て親ナギは、放射能で破壊された細胞を補うプログラムを開発した。そしてそれをあたしとミコト、ヨミにそれぞれ埋め込んだ。

 一度冷静になってみると、分からない事はいくつも残っている。
 放射能はどこから来たのか?
 いったい誰が防御壁とタカマハラを作ったのか?
 ナギはどうしてプログラムをすぐに使わずに、分割してあたしたちに埋め込んだのか?
 あたしを連れて街へ逃げたのは何故か?
 どうして『岩戸プログラム』を作り、あたしの能力コードを抑制したのか?
「もしかして、全部ナミが原因なの?」
 ミコトとヨミが毛嫌いしているナミ。彼はまだ肝心な事をあたしに教えてくれてはいない。一番大事な部分だけは、まだ開示していない気がするのだ。
 何だろう、何かが引っ掛かる。
 ナミの言葉のどこかに、不自然な点はなかった? 何か手掛かりは?
 考えるんだ。考えるのをやめたら、歩みを止めたらあたしは終わりだ。
「一人でも、負けないから」
 あたし一人でも戦ってやる。
 生きなさい、というナギの言葉を破ることはしたくない。
 もう一度、その誓いを心の中に刻み込んだ。

 その時、扉の向こうがにわかに騒がしくなった。
「テラス!」
 3人とは違う声が響く。
 この声は、ここにいる筈のない街医者の声。
「開けてください、お願いです。貴方の力が必要なのです」
「……カノ?」
「ええ、そうです。お元気そうで何よりですね、テラス」
「どうしてここに?」
 そう問うと、一瞬の沈黙の後、扉の向こうで小さな声が答えた。
「……すみません、私はいくつか嘘をつきました。貴方に謝らなくてはいけない事があります」
「……!」
 唐突に、扉越しの懺悔が始まった。
「私は……タカマハラの人間です。街を監視するため、ヨミを逃さないよう派遣された、第4層に属する者です。元々は医学分野を専門にした研究者でした」
 もう、聞きたくないよ。
 ヨミはこれをいったいどんな顔で聞いているんだろう。ミコトは、どう思いながら聞いているんだろう。ずっとあたしを監視していたというツヌミはすべてを知っていたんだろうか。
「ですがテラス、貴方をタカマハラに渡したくないと言ったのは真実です。私はタカマハラにいた頃からナギとは懇意でした。それはウズメも同じです。タカマハラから街へ派遣されたウズメは、貴方とナギをかくまっていました」
 ウズメ――その名にどきりとした。
 ヨミのもとを去った時、あたしに残された最後の居場所は雇い主のウズメの元だった。育て親のナギが死んでしまってからずっと、養ってくれた異形オズ狩りのボス。
 彼女もまたタカマハラの人間だったのだ。
「その事が今回、貴方が捕まったことで露呈したのです」
 ウズメはあたしを匿っていた。タカマハラの人間でありながら、あたしの味方でいてくれた。
 それがナミにばれてしまった――『罰を与えないといけないね』と言った時のナミの狡猾な笑みがフラッシュバックする。
「ウズメがカグヤに送られました……どういう意味か分かりますね、テラス」
 カノの声が遠くに響いている。
 ウズメが、カグヤに。
 頭を殴られたようなショックがあたしを襲う。
 あたしやミコトと違って、ウズメは何のコードも持たない人間なのだ。このままにしておけばどうなってしまうかなど、火を見るより明らかだ。
「お願いです、テラス。今、ウズメを助けられるのは貴方とミコトとヨミが持つコードだけなのです」
 こういう時、あたしの体は理屈と関係なしに動く。
 信じるとか信じないとか、誰がどこに属するとか、敵だとか味方だとか――そんな事は後回しでいいんだ。
 ミコトを助けるためにカグヤへ乗り込んだ時のように。
 叩きつけるようにパネルを操作し、すぐに扉を開けた。
「テラス!」
「テラス」
 カノ、ミコト、ヨミ、ツヌミ。
 4人分の視線が一気にあたしに集約したのが分かった。
「ナミはどこ?」
 自分でも驚くほど心がいでいた。それと裏腹に、少しでも触れば弾け飛びそうな怒りが自分の中で膨れ上がっている。
 もう、好きなようにやらせてもらうわ。知らないところで何もかもが進められているなんて、認めない。
 あたしの中にあるコードが必要だというのなら、それを盾にとってやる。
「テラス、待ってください。ナミは今……」
 ツヌミが慌てて止めようとしたが、視線一つで黙らせた。
 代わりにミコトがにやりと笑う。
「そういう事なら俺も行く」
「殴り込みだ、殴り込み〜」
 ヨミも嬉しそうに手を叩いた。
「ありがとう」
 素直にそんな言葉が出た。
 その瞬間、あたしの中で何かが弾けた。
 仲間とか損得とか、敵とか味方とか、裏切ったとか――そんなの、今はどっちでもいい。
 そう、最初からこうすればよかったんだ。
 自分が思ったように動こう。そうしないと、あたしはあたしでなくなってしまう。抑えつけられ、縛り付けられ……そんなの、とても生きているとは言えない。
「……ありがとう」
 それは、解除呪文アンチ・コード
 あたしの中で凝り固まっていたものが、少しずつ解けていくのが分かる。

――生きなさい

 ナギはそう言った。
 答えはもう出ていたんだ。
 ごちゃごちゃと下らない事を考える前に、あたしは動かなくちゃいけなかったんだ。
 行動する事を諦めた時点であたしは死んでいるのと同じ。『生きる』っていうのは、自分の意志を『生かす』ことと同義なのだ。
 信じない、と言いながらもずっと心は信頼できる人を探していた。
 『分かってない』と叫んだあたしは、理解者を求めていた。この人たちが自分を理解してくれるはずだと信じていた(・・・・・)
「ミコト、ヨミ、カノ、ツヌミも。ウズメを助けるわ。ウズメだけじゃない、この街の人みんなを助けてみせる」
 信じる――信じない、敵――味方、好き――嫌い。
 言葉で表すことに何の意味があるというのだろう。
 いま大切なのは、あたしが、カノがウズメを助けようとしている事。ミコトとヨミがそれを支持してくれること。
「だから、手伝って」
 こうやって自分の気持ちを正直にぶつければ、この人たちが手を貸してくれる事は分かっていた。
 あたしはまた利用したのかもしれない。
 それでもいい。あたしが、『そうしたいから』。
 久しぶりに心から笑えた気がした。
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また、あした。
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