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どうやら、これは…本当に、本格的に嫌われているらしい。
少し離れたところで、侍女頭のマアサと笑顔で話しているホタルを見て、知らぬうちにため息が零れた。
マアサが特別なのではない。
あの娘は、この屋敷内の至る場所で、笑顔を振りまいている。
シキ以外の者には、等しく愛想が良いようだ。
別に、構わないではないか、と思う。
虫が好かないということは、誰にだってある。
同じ屋敷内にいるとはいえ、主の側近と、主の妻の侍女。
仕えられる者同士の関係は深いが、仕える者同士の関係は希薄。
何も支障はない。放っておけばいい。
そう思うのに。
だが、気がつけば視界の隅っこにいたはずの娘が、中心で笑ったり怒ったりしている。
働き者の侍女は、一時として一所にじっとしてはいない。パタパタと動き回ってすぐにどこかへと姿を消す。
なのに、ふと気がつけば、また。
「若い娘さんが屋敷にいると、華やかでいいねぇ」
でっぷりと太った体を揺らしながら、料理長のレンがしみじみと呟く。
おいおい、おっさん。
シキは心でツッコミを入れながら、ホタルから目を逸らした。
また、気がつかないうちに、あの侍女を見ていたのか。
「華やか、か?」
どちらかといえば、地味だろう。
お仕着せの侍女の衣装はもちろん、化粧気もない。
シキの知る、どの女性よりもホタルの装いは地味で質素だ。
華やかとは程遠いと思われる。
「…我が家は息子が5人ですから…あんな娘の一人もいたら、と思いますよ」
レンのそれは心からの言葉のようだ。
確かに、その家にはあまり近付きたくない。
小さく笑ったシキに言うでもなく、「おや…奥方様だ」とレンは呟きを続けた。
それに、シキは視線をホタルの方へ戻した。
主人の妻である…それはつまりホタルの主な訳だが、サクラがホタルに笑いかけている。
ホタルが、満面の笑みで…それこそ、シキには絶対に見せないだろうと確信できる顔で、それを迎えている。
確かに、これは。
「華やか、かもな」
こうして、二人揃って楽しげにしていれば。
それは、今まで、この屋敷になかった明るさかもしれない。
年頃の二人の娘がじゃれ合うように庭を歩く姿は、見ていてつい笑みを誘われるものだった。
しかし、なぜ、嫌われているのだろう。
見慣れたホタルの笑顔…ただし、それはシキに向けられたものではないのだが、それを眺めながら、気にしなければ良いとは思ってはみても、何度も繰り返さずにはいられない疑問がまた浮かぶ。
嫌われる理由は、まったく浮かばない。
何もしていない、筈だ。
さほど交流がある訳でもないが、それでも数少ない接点において、極めて紳士的に騎士道に則って、接していると思う。
「…ホタルは…どんな娘だ?」
思わず尋ねると、レンはすらっと答えた。
「素直な良い娘ですよ。良く働くし、気がつくし…マアサはうちの息子のどれかに嫁に来て欲しいと言ってましたよ」
そういうレンも、その意見には賛成のようだ。
なるほど、レンとマアサの夫妻にいたく気に入られているらしい。とすれば、この屋敷内でのホタルの地位は上々。
「…シキ様はホタルに興味がおありで?」
今度はレンが尋ねてくる。
シキは微笑んだ。
「いや、ないよ」
あっさりと口から出たその言葉の真偽は、シキ自身も分からなかった。


「あ」ホタルはしまったという顔をしたし、「お」シキだって内心タイミングの悪さを呪った。
「…失礼します」
立ち去ろうとする娘が、シキの横をすり抜けようとして、その足が止まる。それが、自分が彼女の腕を掴んだからだと気が付いたのは、ホタルが掴まれた腕を、涙が浮かぶ瞳で凝視していることに気が付いてからだった。
「あの…」
不審げに見上げてくるのに、にっこりと微笑んで見せた。
「もう少し落ち着いてからの方がいい…その顔じゃ、泣いたのが明らかだから」
ホタルは俯いた。
一体、歳は幾つなのだろう。
小柄な上に全体的にほっそりしているから、まるで年端もいかない少女にも見える。
「何がそんなに泣けるんだ?」
つい尋ねる。
ホタルは、俯いたまま答えない。
だが、ポタリと雫が零れ落ちて、地面に水玉を一つ描く。
また、こうやって泣くのか。
肩を震わせることもなく。
声一つ出さず。
ホタルは、しばらくそうしていくつかの水玉を足元に描いていたが、やがて「…離して頂けますか」呟いた。
「泣き止んだのか?」
離すと、そのまま逃げられてしまいそうだ。
逃げる?
つまり。
逃がしたくないのか?
「もう、大丈夫ですから」
ホタルは腕を離して欲しそうにしながらも、頷いた。
「…で?」
促すと顔を上げる。
「何を泣いてた?」
再び俯く。
「なんでもない、はなしだ。2回も泣いてるところに遭遇したんだ。理由ぐらい聞いてもいいだろう?」
離れたげに腕が引かれる。
それを、自分自身でも思いがけない強さで引き戻した。
「…奥方か?」
どういう訳か、目が離せないから。
ホタルの感情の起伏がどこにあるのか、知らず知らずの内に気が付いていた。
どうやら。
「どうやら君は奥方が絡むと、えらく感情的になるな」
他のことではそうでもないようだ。
常ににこやかに、やり過ごしているように見える。
ただ一つ、サクラという主だけだ。
何の特徴もない普通の娘にしか見えないあの妃が絡むと、ホタルは、喜怒哀楽の感情という感情の全てに制御がきかなくなるようだった。
「いけませんか?」
ホタルは予想外の冷たい口調で答えてきた。
涙で潤んだ瞳が、強く非難めいた彩りでシキを見上げてくる。
どうして、こんな瞳で、見られるのだろうか。
「いけなくはない…か」
見事な忠誠心だと、むしろ称えられてしかるべきかもしれない。
だが、面白くない。
そのやけに敵意を感じる視線は何なのだ。
別に、妃並みの応対をしろとは言わない。
しかし、もう少し、他の使用人と同様程度には笑みで応対してくれも良いのではないか。
「ちょっと確認したいんだが、君は…私が嫌いなんだな?」
突然の問いかけだったかもしれない。
さすがに、ホタルもたじろいだように、逃げがちだった腕から少し力が抜けた。
しかし、自分で口にしておきながら、『嫌い』という言葉に、少し落ち込んでいるのは何故だろうか。
「…嫌い」
ホタルは呟いた。
「…ではないのですが」
続く言葉に、シキは大人げなく続けた。
「じゃあ、苦手」
ホタルは困ったように眉を寄せた。
どう答えるのかと思いきや。
「…申し訳ありません」
薄紅さえ引いていない唇からは詫びが出た。
「否定なし、か」
つまり、それは肯定?
「結構、傷つくもんだな」
結構どころか、想像以上。
なのに、ホタルときたら「…あの…私、失礼してもよろしいでしょうか」と、立ち去ることばかり考えているようだから。
「ダメ」
と、腕を掴む力を強める。
「………ダメ?」
面喰らったような顔は、睨むそれよりは幾分愛らしい。
その表情を引き出せたことにそれなりの満足を得ながらも、ため息がでる。
「若い娘には受けがいいと思っていたんだが…」
だから、ちょっと落ち込んでいるのだろう。
そう、思うことにした。
シキの情けない呟きに、ホタルは少し笑った。
初めて、シキに見せる笑顔。
なるほど、これは確かに…華やかかもしれない。
「私の態度がシキ様のお気に障ったのならば、お詫びします」
だが、教科書にありそうな模範的な受け答えは、気に入らない。
これなら、先ほどの睨んだ態度の方がましだ。
「詫びはいいから、今度からもう少し打ち解けてくれ」
言えば「…そんな不相応なことは…できません」と返ってきた。
そして、俯いてしまった。
「失礼してもよろしいでしょうか」
さすがに、これ以上留めるのは無理だろう。
シキは腕を離した。
「どうぞ」
ホタルは一度も顔を上げないまま、いつものとおりの優雅な礼をくれて立ち去った。
やはり嫌われているのだ。
いや、違う。苦手だと言っていたではないか。
それは…嫌いよりも、救いがない気がする。嫌いは感情だ。もしかしたら、将来的に改善の余地があるかもしれない。でも、苦手は生理的なもの。基本的には、生涯苦手なものは苦手ではないか?
シキは小さい頃からどうしても食べられないものと、自分の姿を重ね合わす。
そして、ため息をついた。
それは、シキの想像をはるかに超えた深い深いため息だった。


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