瑞穂の日常『左を制する者は…』
「瑞穂!」
またおやじが私を呼んでいる。
「瑞穂!寝たのか?起きてるんだろ?」
今日こそ絶対寝たふりしてやる!
「おい、瑞穂!」
おやじの足音が近づいてくる。
そして襖が開けられる。
「おい、瑞穂。起きてるんだろ?寝たふりはやめろ」
今日はなにがあっても絶対起きてやらないんだから。
「まだ起きないのか?いい根性だな」
そう言ったおやじが私の勉強机の辺りで何やらガサゴソしている。
こっそり薄目をあけて見てみると、机の引き出しを開けてなにやら探してるようだ。
「あった、あった。これだこれ」
おやじ、なにしてるんだ?そこの引き出しには確か……
「瑞穂さん、僕は高校に入学して同じクラスになって以来ずっと好きでした」
げっ!
「お父さん!なにしてるのよ!勝手に人の手紙読まないでよ!」
「なんだ。やっぱり起きてるんじゃないか」
なんておやじだ!人を起こすためにこんなことするなんてあり得ない。
「人の部屋でそんなにごそごそされたら起きるわよ」
「ふん、言いわけか?まぁいい」
なにが『まぁいい』よ。こっちは全然よくないわよ。だいたい言いわけってなによ。なんで私が言いわけしなきゃいけないのよ。
「今日も深夜番組で面白い漫画をやってたんだよ」
だ、だからなによ…… もうあんなこと嫌だからね。
私は思いっきり警戒して身構える。
「お、今日はもう既にやる気になったか」
「な、なに言ってるの!やる気になんてならないわよ」
「実はな、今日はあしたのジョーといのをやってたんだが知ってるか?」
私の反論なんてまったく意に介さず話が進む。
「知ってるけどそれがなんなのよ」
「俺の事をジョーと呼べ!」
「は?」
またわけのわからない事を……
「いいから早く呼べ!」
「嫌よ」
「貴様~。呼ばないと酷い目に遭うぞ」
目がマジだ。これだから酔っ払いは嫌いなのよ。
仕方なく呼ぶことにする。
「ジョー……」
「俺をジョーと呼んだな力石」
「へ?」
「かかってこい力石!」
どうやら私は力石というキャラクターらしいが誰だか分からない。
明日のジョーなんてボクシング漫画ということ意外殆ど知らないし……
「痛っ!」
おやじがいきなり殴りかかってきた。
「なにするのよ!痛いじゃない」
「貴様が俺をジョーと呼ぶからだ!力石」
おやじが無理やり呼ばせたんじゃない!ホントなに考えてるのよこのバカおやじ!
「力石!かかって来ないなら俺からいくぜ!」
おやじが私の二の腕めがけて『ジャブ、ジャブ』と連呼しながらマジで殴ってくる。
「痛っ!痛い!やめてよ」
「どうした力石!逃げてばかりじゃ勝てないぜ」
バカおやじは完全にジョーになりきっているようで、殴る手を全くゆるめようとしない。
いくら二の腕とはいえ、これだけ殴られればそうとう痛い。
「力石、その構えはなんだ?やる気があるのか?」
「ないわよ!」
「はっ!そうかノーガードでクロスカウンターを狙っているのか!危うく突っ込んでいくところだったぜ。やるな力石」
バカおやじ!いつまでなりきってるのよ!ちょっとは私の言うことも聞いてよ!
「もうやめてよ。痛いんだから」
私は半べそをかきながら絶叫する。
「そろそろ終わりにしようや力石」
終わりにするもなにも初めからやる気なんてないんだから。
「いくぜ力石、最後のラッシュだ」
マジで殴りすぎよ。私は反撃なんて出来るはずもなく、ただ殴られ続けている。
「ジャブ、ジャブ、ジャブ」
おやじのラッシュが止まらない。
いつまでこのラッシュが続くんだろう。泣きながらそう思ったその時。
「ジョー!そこだ!アッパーだ!!!」
え?何?振り向くとそこには…… お母さん?
襖の陰から出てきたお母さんがジョーにアドバイスを与える。
「今よ!アッパー!」
それに反応したおやじが!
「これで最後だ力石ぃ~!」
そう言いながら右手でアッパーを繰り出し私の顎を見事にとらえる。
「っっ!」
言葉にならないうめきと共に私は仰向けに倒れこむ。
一瞬脳震盪でも起こしたかのようなめまいと、激しい顎の痛みに大泣きしてしまう。
「うぅ~痛いよ。お父さん酷いよ」
泣きながら二人を見ると。私のことを心配するどころか、お母さんはお父さんの腕を高々と突き上げている。
「勝者、矢吹ジョー」
お母さんに勝利者宣言されおやじは満足顔だ。
そしてそのおやじの放った一言。
「瑞穂、もう夜も遅いし早く寝ろ」
は?なに言ってるのこのバカおやじ!
私は寝てたのよ!起こしたのはあんたでしょ!
「そうよ。あんた明日学校でしょ?あんまり夜更かしばっかりしてちゃだめよ」
お母さんまで…… もうなんなのよこの夫婦。
私のことなんて欠片ほども心配しないで、二人は寝室に入っていく……
高校卒業したら絶対すぐに働いて家を出てやるんだから!
ばかぁー!