第五十二話 組み合わせ
エリカ・ソレイユは生徒会室で今回のランキング戦の予選におけるデータを眺めていた。
ほとんどのギルドはまあ予想通り、『上位者』率いるギルドに倒されてしまった。
ただ、今回一番驚いたのは――――参加した五人全員が一年生で構成された新興ギルド、『イヌネコ団』である。
「まっさか、ヒューゴのやつを倒しちゃうなんてねぇ」
実際、あれには驚いた。『上位者』はエリカを頂点とする学園内でも屈指の実力者たちのことだ。しかも相手は三年生。経験値も一年生より積んでいるはずだし、習得している魔法の数も違う。だが、ソウジはあのソフィア・ボーウェンの弟子。さすがは『世界最強』の弟子といったところだろうか。
転移魔法はかなり高ランクの魔法であり、たった十六歳程度の子供が習得しているという点も驚きだが、更に驚きなのは繰り出している数々の魔法。どれを見ても全て高威力・高精度。星眷魔法にしたってそうだ。あの星眷から感じる力強い魔力。数々の魔法を斬り伏せる性能。そして――――あれらの魔法を軽々と連続して使えるほどの圧倒的な魔力量。
「つーか何者よ。あの黒のガキは。この私様と良い勝負が出来そうなぐらい強いなんてどういうことかしらね」
実際、お互いに全力で戦った場合どうなるか……エリカ本人にも分からない。問題なのはソウジは現時点で全力をいまだ見せていないという事だ。まだ何かしらの力を隠している。現時点での分析でどうなるかは分からないのだから、その隠しているものを使われた場合どうなるか。
「あなたが『最輝星』を使っても、勝てるかどうかってとこかしら?」
「……なに言ってんのよ。『最輝星』使うなら私が勝つっての」
ぶすっとした表情のままエリカは友人に向かってそう言う。
これでも一応、ソレイユ家の人間であり、『学園最強』と呼ばれているのだ。
一年生に負けてはいられないというプライドから素直な感想を口にはできない。
だがこの友人、コーデリア・エアハートはその辺りのエリカの気持ちを知っていてあえて口にした。
「素直じゃないわね」
「うっさいわね。それで、何の用?」
「その件のソウジ・ボーウェンくんに対するスカウトが殺到してる件についてなんだけど」
「ああ、そういえばやたらと騒がしかったわね」
「そうよねぇ。そりゃあれだけの大勢の生徒が見ている前で一年生が第七位くんを倒しちゃったんだもの。あれだけの戦力ともなるとどこのギルドも獲得に必死でしょうね」
「入学してから散々、嫌味言ってたらしいのに、手のひらが忙しい連中ね」
「まあ、そう言わないで。今は校内の彼の風向きも変わってるみたいだし」
「学園襲撃事件の時の一件とエルフのお姫様の護衛を務めた件も大きいわね。ていうかアイツ、自分の置かれている状況を分かってるのかしら?」
コーデリアが淹れてくれた紅茶に口をつけつつ、エリカは書類に目を通す。
「エルフのお姫様を邪人とかいうやつから身を挺して守った部分が評価されているし、そうでなくともあのソフィア・ボーウェンの弟子ってことで他の国や各大陸の要人からも詳細情報の提供要求やスカウトがとんでくるんだけど……面倒だわ」
「でもそれ全部をエリカのところでシャットアウトしてあげてるんだから、口で言っている割にあなたも優しいわねぇ」
「べっつにぃ。あのガキはどうせ断るって目に見えてるし、それにあのガキがどこかに行ってしまうかもしれないと思うとフェリスたんが夜も眠れなくなりそうだし。私のかわいい女神を不眠症にしたくないだけよ。アホらしい」
エリカとしては本当に面白くない。フェリスはソウジに小さな頃からご執心なのだ。つい最近までは家でもどこか暗い影を見せていたし、それをさせているのがソウジという少年だと知っているフェリスとしてはソウジの事が嫌いだ。フェリスの笑顔を曇らせるソウジが嫌いだった。だが、フェリスに笑顔を取り戻させたのもまたソウジなのだ。それが気に食わない。
「うぎぎぎぎぎぎ……こうなったらタイムマシンでも作って過去に戻ってフェリスたんと会う前にあのガキを抹殺してこようかしら」
「一応聞くけど、それ本気じゃないわよね?」
「タイムマシンなんて作れるわけないでしょ。作れるならとっくに作ってるわよ」
「そうよね。うん。ありえないはずなのにどこかほっとしている私がいるのが恐ろしいけど」
「でも、シスコン力を高めれば空間の一つや二つは操れるかも」
「…………エリカが言うと否定できないのが辛いところね」
「ご期待にお応えして、今度挑戦してみるわ」
「しなくていいからね?」
「今ちょっといいところまでいってんのよ。もうちょいで空間を引き裂けそうなぐらい」
「既にやってたの!?」
「やっぱりシスコン力が足りないわね。もう実家から持ってきたフェリスたんの下着のストックも底をついてるし……どうしよう」
「いい加減にしないと騎士団につきだしますよこの変態」
「変態!? 違うわ、私はただのシスコンよ!」
「度が過ぎると人はそれを変態って呼ぶのよ?」
これ以上、この話題の事を話すのは疲れるのでコーデリアは中断するようにして頼まれていた書類をエリカに差し出した。
「頼まれていた明日の本選の詳細よ」
「ん。ありがと」
コーデリアから書類を受け取り、ざっと目を通す。
書類をすぐに目を通す能力はこの学園の生徒会長にとっては必須技能である。
「……こりゃまた、大変そうね」
「そうよねぇ。組み合わせはランダムだし、残ったギルドが四つしかないからこうなる確率も高いから仕方がないと言えば仕方がないのだけれども……」
書類に記載されていたトーナメントの組み合わせ。
それはフェリスの所属するイヌネコ団にとって、とても大きな壁となる。
☆
祝勝会も終わり、明日に備えて解散……となったのだが、今日はよほど疲れたのか揃いもそろって眠ってしまった。ルナもクラリッサとチェルシーと一緒にすやすやと眠ってしまっている。試合を観ていた時によっぽどドキドキと不安げに緊張していたらしいし、祝勝会のための料理も張り切って作ったりしていたので疲れがたまっていたのだろう。そうでなくとも普段からよく働いているのだから仕方がない。
起きているのはソウジとフェリスぐらいなもので、二人はみんなに毛布をかけてまわっていた。レイドとオーガストに毛布を掛けてひと段落がついたソウジはふう、と息を吐いた。
「ソウジくん」
そして、そんなソウジにフェリスが声をかける。振り向いてみると、彼女はいつの間にか二人分の紅茶を淹れていて、それがテーブルの上に並んでいた。
「紅茶、淹れてみたんですけど……どうですか?」
「ん。ありがとう。せっかくだからいただくよ」
フェリスの淹れてくれた紅茶をありがたくいただく。しばらく二人の間に沈黙が流れる。だがその沈黙は決していやなものではなく、むしろ心地良さすら感じられた。テーブルを挟んで二人は紅茶を飲んでいると、不意にソウジはフェリスの異変に気が付いた。
何やらさっきからソワソワとしていて、チラチラとこちらの様子を窺っているような気がするのだ。
「フェリス、どうかしたのか?」
「ふぇっ!? え、えっと、その……」
きょとんとした表情のソウジに見つめられて、思わず俯いてしまうフェリス。
この状況、実質的に二人きりと変わらない。それだけでフェリスにとってはとても緊張することなのだ。
(でもでも、ソウジくんはぜんぜんそんなの気にしていなさそうだし……)
だから今回はちょっと大胆になってみようかななんて思っていたりする。今、自分がやろうとしていることを考えるだけで今にも顔から湯気が出そうだ。だが、やらねばならない。なぜならばこのままだといつも通り何も進まずにただただ時間だけが過ぎていくだけなのだから。
(あ、でもでも、ソウジくんと一緒の時間をただ過ごしているだけっていうのも、なんだか夫婦みたいでそれはそれで素敵というか……って違いますっ!)
割と魅力的な考えだとは思うのだけれども、この場合は相手に問題がある。ソウジがそんなことを考えるわけがない。
(…………よしっ!)
フェリスは意を決すると立ち上がり、ぎこちない動きでそのままソウジの隣に腰かけた。ソファに二人分の重みがかかり、ぎしっとクッションに身を沈める。
「あ、あの……隣に座っても、いいですか?」
「いいも何も、もう座ってるけど……」
(し、しまった――――――――!)
隣に座ることを考えすぎて座る前に声をかけるのを忘れていた。
内心で失敗したと思ったフェリスだったが、ソウジが「別にいいけどさ」と言ってくれたので安堵する。
ソウジは相変わらず淡々と紅茶を飲んでいるが、フェリスはそれどころではない。
隣。隣にいるのだ。
八、九年前もこうしてこの距離でいることは多かった。よく二人で身を寄せ合って本を読んだりしたし、遊んだりもした。でもあれからかなりの時間が経った。その年月は決して少なくはない。
ソウジはもう格好良い男の子になっているし、今でもその変わりように慣れない時がある。あの子供の頃と同じ距離にいると、ドキドキと胸の鼓動が高鳴ってしまう。
髪型が変じゃないかとか、身だしなみはおかしくないかとかをつい確認してしまう。
「あ、そうだ。今日はお疲れ」
唐突に、ソウジが声をかけてきたのでフェリスはあやく手元のティーカップから紅茶をこぼしてしまいそうになったものの、なんとかキャッチする。
「あ、お、お疲れ様です。ソウジくん」
「うん。お疲れ……って大丈夫か? なんか顔が赤いけど……」
「え!? そ、そそそそそそうですか? わたしはぜんぜん大丈夫ですよー。あはは……」
「今日は疲れたからなぁ。フェリスも自分では気が付かないぐらい疲労がたまってるんだろうな。とりあえず、お風呂入ってきたらどうだ?」
「え、えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
驚きのあまりつい大きな声を出してしまった。だけど今はそんなことを気にしている暇はない。
「お、おおお、おふ、お風呂ですか!?」
「? そうだけど……え、何か変か?」
「へ、変じゃないですけど! で、でででででででもなんでこのタイミングでお風呂を……!?」
「いや、このタイミングだからこそだろ」
何しろ外はすっかり夜で、このギルドホームでは実質二人きり。その状態でお風呂を勧められてはいろいろと勘ぐってしまう。あと、距離が近いせいで耳元で囁かれているような感じだ。妙にくすぐったくて、いつもよりドキドキが三割増しになっているのがいけない。
(そ、ソウジくんならぜんぜん構わないのですが……う~。でもでも、もうちょっと、こう、順序というものがっ……!)
「お風呂にでも入ればちょっとは疲れがとれると思うんだけどさ。そんで、そのあとはベッドに入ってぐっすり眠る。明日は本選だし、俺たちもそろそろ休んだ方がいいしな。俺もそろそろ寝ることにするよ」
フェリスの甘い妄想を、ソウジはアッサリと打ち砕いた。
「………………………………あ、はい。そうですね。そうします」
そうだ。ソウジという少年はこうだった。戦闘の時とか、ルナにプレゼントを渡した時もそうだが、妙なところが勘が働いたり気が効いたりするのに肝心なところが鈍いのだ。
それを完全に失念していた。
フェリスはそのままトボトボとお風呂場へと向かい、シャワーを浴びる。この世界では勇者が持ち込んだ文化の影響からか湯船にお湯を張ることも珍しくは無いのでフェリスはゆっくりと湯船につかり、疲れを癒した。その後、女子部屋へと向かう。このギルドホームにはいくつか部屋があって、男子部屋と女子部屋なるものも存在する。そこには各々のお泊りセットのようなものも持ち込んでいて、常に着替えも常備させてある。ギルドホームに泊まることも珍しくないからだ。
だがその女子部屋には先客がいた。
ソウジだ。
「ソウジくん?」
お風呂上がりのパジャマ姿。大丈夫かな、とちょっと思ったりもしたところでソウジが、
「あ、フェリス。あがってきたのか」
「は、はい。今、ちょうど」
「そっか。あ、そのパジャマ、かわいいな」
パジャマ姿ならばここ最近はお泊り続きだったので見知っているはずなのだが、今日のこのパジャマはつい最近、寮にあるクローゼットから新しく持ち込んできたものだ。つまりソウジは見たことがないはずで、新しい服に身を包んでいるとしっかりと褒めてくるところは嬉しい。
ただ、そのしっかりとしたところがもう少し恋愛方向に向いてくれるといいのだけれど、もはやどうしようもない。
「えと……ありがとうございます。ソウジくんは、ここで何をしていたのですか?」
「念のために言っておくけど勘違いするなよ。俺はクラリッサたちをベッドに運んだだけ。あの場所で寝かしていると風邪ひかしちゃうし。レイドとオーガストは流石に重いから転移魔法でベッドまで運んだけど、これ以上、魔力を使っちゃうと明日に響くかもしれないしな。それにクラリッサたちなら軽いから、運ぶことにしたんだ」
本人が聞いていないのにもかかわらずちゃんと軽いと言ってくれる辺りやはりそういうところに気は効く(クラリッサたちは本当に軽いので本心を言っただけなのかもしれないが)。
「そうだったんですか。まあ、そんなところだろうなとは思いましたけど」
ついクスッとした笑みが漏れてしまう。流石のソウジも今の状況は勘違いされそうだと思ったのかちょっと焦っているようだった。そんなところがフェリスからすればかわいい。
「とりあえず、俺も寝るよ」
「ソウジくん」
部屋を出て行こうとするソウジをフェリスは呼び止める。
「明日、みんなと一緒に頑張りましょうね」
なんとなく。
その言葉を今、彼に伝えたかった。
もうあなたは一人じゃないと、みんながいるから、一緒に頑張ろうと伝えたかった。
「うん。頑張ろう」
そんなフェリスの気持ちが伝わったのか、ソウジは優しい笑みを浮かべて頷いた。
部屋を出ていくソウジを見送って、フェリスは一人ベッドに潜り込んだ。
一緒に頑張る。
彼と一緒に頑張るために、自分は今ここにいる。
だから明日も、彼の力になれるように……頑張ろう。
フェリスはそんなことを考えながら、静かに眠りについた。
☆
翌日。
本選出場ギルドのギルマスに本選の詳細が届けられた。
ギルド対抗のトーナメント戦。
一回戦を勝つと次は決勝戦となっているが、その一回戦の相手。そして、決勝で当たるであろう相手が問題だった。
「一回戦の相手はギルド『スコーピオ』。そんで、たぶん決勝戦にはギルド『大空同盟』が勝ち上がってくると思うわ」
クラリッサの口から告げられたギルド名を聞いて、ソウジ以外のイヌネコ団のメンバーは全員、押し黙った。
「ソウジ以外は分かってると思うけど、この二つのギルドはどっちも『上位者』が率いているギルドよ」
「つまり……最大で二回戦連続『上位者』が相手ってわけか」
「そういうこと。それと、試合形式なんだけど……今回は、各ギルドが代表者一命を選出して戦う一対一みたい」
「確か、過去の交流戦の試合形式にもあったらしいですね。代表者一名を選出しての一対一というのは。今は無いそうですけど」
「そういうこと。で、問題は相手として出てくるであろう『上位者』をどうするかなんだけど」
それについての話し合いを行い、案が固まったところで、本選がはじまる時間が訪れた。