第五話 消えたユーレイさん
その日大学から帰ると、いつも部屋の奥から響いてくる眠たそうなお出迎えの声がなかった。
なんだか心配になり、早足でいつもレイが暇そうに寝転んでいる居間へ向かう。彼女の名前を呼びながら、ゆっくりドアを開ける。
また、剥製ーなんてギャグをしているんじゃないかと思って、壁を見回す。しかし、レイの姿はない。いつも陣取っているテレビの前にも、その姿は見えない。
「…出かけてるとか?」
幽霊が出かけるなんて、なんだか変な話だが、あの変な幽霊ならやりかねないと龍之介は思った。
薄ぼんやりとした不安が心の中に広まっていたが、気づかないふりをして、いつもはレイが陣取っているテレビの前に座る。
チャンネルをせわしなく回しながら、レイの帰りを待つ。最近、話し相手がいることに慣れていたので、どうも一人が落ち着かない。
「早く帰ってこいよー…」
少し大きめの声で独り言を言う。心のどこかで、レイが返事をしてくるんじゃないかと期待していた。
しかし、そんな淡い期待は軽々と裏切られ、龍之介は一人赤面した。
「どこいったんだろ…」
もしかしたら、成仏してしまったのではないか、と一瞬考えた。しかし一般的に考えれば、それは別に悪いことではなく、むしろ良いことだろう。
でも、龍之介にとっては仲の良い同居人との突然の別れでしかないわけで。
こんなこと考えないでおこうと思っても、一度頭に浮かんでしまったものはなかなか消えてくれない。龍之介はただ、帰ってくるかわからないレイを待つことしかできなかった。
時刻はすでに十時を回っていた。レイのお気に入りのドラマはもう半分近く終わってしまっている。
ここまでくると、本当に成仏してしまったのではないかと心配になってくる。龍之介は立ち上がって、窓を開けた。そしてなにをするでもなく閉めた。
そして台所まで歩いていき、冷蔵庫をせわしなく開け閉めする。何度も水を飲む。
ご覧の通り、龍之介は完全に挙動不審に陥っていた。
「…どうしよ…」
どうすることもできないとわかっているが、とりあえずそう呟いてみる。
その独り言は龍之介も知らないうちに、明らかな落胆の色を宿していた。それと同時に諦めの色も見え隠れしていた。
ずっと一緒にいられるなんて思ってはいなかった、でも、これは少々いきなりすぎやしないかと、心の中で思う。
その心の中の不安の塊を、ため息にして吐き出した。
その瞬間、聞きなれた声が耳をつんざいた。
「きゃあぁぁぁあ!! 今日ドラマあるの忘れてたわぁぁ!!!」
「うっわぁぁあ!?」
いきなり窓から飛び込んできたレイに驚いて、思わず叫び声を上げた。ご近所様には大層変に思われただろう。
今まで龍之介を包んでいた切ない雰囲気は一瞬にして一変していた。
「ああっ! 終わってる! 今日はアイコがのぼる君にストロベリーパイを投げつける超展開な回だったのにぃ…」
テレビの前でしょんぼり肩を落とすレイ。そんなレイの後姿を、龍之介は心底安心したような目で見つめた。
彼女はまだ自分の前から消えてなかった、という安心感が龍之介の中に広がる。しかし、その安心感もつかの間のことだった。
次に彼の心の中に溢れてきたのは、こんな遅くまでどこ行ってたんだという父親的な怒り。他人、しかも幽霊がどこに行こうか勝手だが、レイとなれば別だった。
「…こんな時間までどこ行ってたの…」
「え…、ちょっと、ね?」
「言いにくいところなの?」
「べ、別にそういうわけじゃないけどぉ…」
恥ずかしそうに口ごもるレイを見て、龍之介はなんだか和んだ。怒りの温度も少しずつ下がってきた。
もじもじとしているレイを微笑ましい気持ちで眺めていると、レイがどこに行ってたかを詳しく話し始めた。どうやら話しづらいことではないらしい。
「えっとね、自分のお墓を見に行ってたのよぉ…今日は妹がお墓参りに来てくれる日だったから…」
「へぇ、妹さんなんていたんだ」
「かなり年がはなれてるんだけどねぇ、可愛い妹よぉ。…もう、しわくちゃのおばあちゃんになっちゃったけど…」
どこか寂しそうに目を伏せ、レイが呟いた。
かける言葉が見つからず、へぇ、とそっけない返事しかできない自分が、妙に腹立たしかった。もっと気が利く男に生まれたかったものだと、龍之介は思った。
「ねぇねぇ」
しばらくの沈黙の後、レイが龍之介の顔を覗き込んできた。
その瞳は、どことなく憂いのようなものに満ちていて、普段の彼女からは感じられない『幽霊らしさ』が漂っていた。
「…貴方も私のお墓参りに来てねぇ。今度、道教えてあげるから」
似合わない寂しげな口調で言われて、龍之介はまた口ごもる。
そしてやっと吐き出せた言葉が、うん、だけだった。再び、深い自己嫌悪に陥る。
しかし、レイはその返事でも納得したらしく、言葉を続けた。
「約束よぉ、絶対によぉ」
「わかってるよ」
「…来たときには、松屋のおはぎをお供えしてくれると嬉しいわぁ」
また松屋か、と龍之介は呆れたように苦笑する。それにつられたのか、レイもぎこちなく笑顔を返してきた。
いつもの笑い合いとは違った、根底になにか切ないものが眠る笑顔の交し合い。
しかし、二人ともわざとその切ないものには触れようとしなかった。
「…それにしても、ホント貴方って気が利かないわぁ。録画くらいしておいてくれてもいいじゃなぁい」
「だって僕、このドラマ見てないもん」
「私が見てるのよぉ! 同居人の気持ちくらい考えなさい」
先ほどまでの雰囲気が嘘のようにかき消された。それがお互いの照れ隠しなのかはわからないが、今まで漂っていたシリアスさが打ち消されたのは確かだ。
そしていつもの憎まれ口を叩きあいながら、二人の夜はいつものように更けていった。
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