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同居人のユーレイさん
作:奇壱



第一話  朝と僕とユーレイさん


 
 目覚めの悪い朝だった。頭も重いし、目蓋も重いし、やる気も出ない。多分あのせいだろうと龍之介は働かない頭の中で、ふと思った。
 昨日、いや今日の夜中に起こったあの幽霊(?)との信じられないやり取りのことだ。
 あまり深く考えないでおこうと、あの時は無理やり目蓋を閉じて眠りについたのだが、もちろんまともな睡眠なんてとってられない。元々朝に弱い龍之介にとっては、かなりのダメージである。

 とりあえず着替えようと上半身を起こした。軽い頭痛に、一瞬ふらつく。
 おぼつかない足取りのまま、龍之介は服を取り出そうとクローゼットの前に立った。…そして、クローゼットを見た瞬間、昨夜のことを鮮明に思い出してしまった。
 
「…朝だし、いるはずないよな?」

 自分を無理やり納得させて、クローゼットに手をかける。その手は若干緊張で震えていた。
 もし、この中にまたあの幽霊がいたらどうする? 昨夜とはうって変わって、いきなり襲い掛かってきたらどうしよう。もし死んだときの状態、例えば首を吊った状態とかでクローゼットの中にいたらどうしよう。
 龍之介の心配は尽きなかった。なぜ、あのときの自分はあんなに落ち着いていられたのか、今になって不思議に思う。

 しかし、クローゼットを開けなくては着替えられない。大学には友人や気になるあの子もいるわけだから、いつも家で着ている変文字Tシャツを着ていくわけにもいかない。
 ちなみに今、彼が着ているTシャツには『にぼし殺人事件』と白地に赤で書かれている。龍之介お気に入りの一枚だ。
 しかし、そんな彼の奇抜なセンスについてこれる人間はなかなかいない。だからこそ、龍之介は普通の服を手に入れるために、クローゼットを開けなくてはいけないのだ。

「……よし……」

 そう一言意気込んで、龍之介はなぜか台所に向かった。そして、しばらく棚をがさがさと漁る。そして、クローゼットの前に戻ってきた彼の手には、味塩が握られていた。
 塩は塩なので、これでもいいだろうと勝手に判断したらしい。

 片手に味塩を握り締めながら、龍之介はクローゼットに手をかけた。
 そして、浅く深呼吸をした後、思いっきりクローゼットの扉を開いた。




「……ぅ……」

 扉を開けると、幽霊がいた。龍之介の落ちているコートを、枕にして眠っている。

「………ん〜………」

 入り込んできた光に気付いたようで、幽霊は眠たそうな目をこすりながら起き上がった。伸ばした手が、龍之介の服に触れる。しかし、伸ばされた手は服を揺らすことなく通り過ぎた。その透けた手を見て、やっぱりこの世のものではないのだと龍之介は思った。
 一方の幽霊はのん気なもので、いまいち開かない目をこすりながら欠伸を繰り返す。なんて人間くさい幽霊だろうか。

 幽霊は、昨日の口調で想像していたとおり、女性だった。見た感じの年は、だいたい二十代前半。
 真っ黒な腰まで伸びた髪に、白い着物。見た目だけなら完璧に幽霊なのだが、彼女の雰囲気が幽霊らしからぬものだった。
 垂れ目がちの髪と同じく真っ黒な瞳はなんだか憂鬱そうで、前髪の寝癖らしきはねが人間くささを全面に出していた。こんな幽霊じゃ、どんな怖がりでも怖がらないだろう。

 そんな彼女の姿を見て、今まで龍之介を支配していた緊張感が一気に薄れた。


「はぁ……」
「…どぉしたの? ため息なんかついて……ふぁあ……眠いわぁ……」

 何度目になるかわからない幽霊の欠伸に、龍之介は何度目になるかわからないため息をついた。怖いのも嫌だが、ここまで幽霊の威厳がない幽霊というのも、なんだか物足りないのである。


「あの、さ」


 眠そうな幽霊をしばし眺めた後、龍之介はおもむろに口を開いた。

「なぁに?」
「服、とってもいい?」
「あら、邪魔だったかしら? ごめんなさいね」

 そう言って幽霊はふらふらとした足どりで、クローゼットから出た。長い黒髪の毛先が、龍之介の腕に触れて透けた。なんだか少し、不思議な感覚に襲われた。
 しばらく、まじまじと幽霊の髪が触れた腕を眺めていると、幽霊が眠たそうな口調で話しかけてきた。

「ねぇ、その塩なぁに?」
「あ〜…その、君がもし襲ってきたりしたときの撃退用にと思って。……全然必要なかったみたいだけど」

 幽霊にこんなこと言ってもいいのだろうか、と一瞬思ったが、この幽霊ならいいだろうとなんとなく龍之介は感じたようだ。もちろん、幽霊も怒る様子ひとつ無く、逆に不思議そうな口調で返事を返してきた。

「でも、私お塩好きよ? おにぎりとか、ラーメンとか、塩が一番好きだわぁ」

 のん気な口調で、己の塩好きをかたる幽霊。なんとも異様な光景で、なんとも愉快な光景だ。


「まぁ、幽霊にもいろいろあるんだね」
「そうよぉ。幽霊だっていろいろなんだから。分かってるじゃない」

 ふふん、と笑う幽霊の顔が、普通の女の子に見えて一瞬ドキっとしてしまった。まあ、お盛んな時期の男性なわけだし、仕方ないさと自分を納得させた。

 

 クローゼットの中にある外出用の服を取り出して、ベッドの上に放り投げる。そして、服を脱ごうと上着に手をかけて、あることに気がついた。

「……あのさ、いつも着替えとか見てたの?」
「いつもじゃないわよぅ、失礼しちゃうわ。テレビがついてるときはテレビ見てたわよぉ。ついてないときは見てたけど」
「結構淡々と言うねぇ。罪悪感とかそういうの無いの?」
「幽霊だもの。そんなものとっくの昔になくなっちゃったわぁ」
「いいねぇ、幽霊って」
「そんなことないわよぉ」

 そう言う幽霊の口調はなんだか嬉しそうだった。どうやら龍之介に褒められたと勘違いしたらしい。多分、生前から少々人とずれた暮らしを送ってきたんだろうな、と勝手に龍之介は想像した。
 とりあえず、幽霊と言えど着替えを見られるのは、やっぱり嫌なのでテレビをつけてやると、幽霊は嬉しそうにテレビのある居間のほうに移動していった。
 



 幽霊がニュースの司会者の解説に夢中になっているうちに、着替えを終え、龍之介はカバンを持って玄関に立った。
 いつも通り、扉を開けて外に出ようとする。すると奥のほうから、扉の開く音を聞きつけた幽霊が駆け寄ってきて、一言、龍之介に言った。

「いってらっしゃいねぇ」

 久しぶりに言われた『いってらっしゃい』に、不覚にも龍之介の心の奥がふわりと暖かくなった。たとえその言葉が幽霊の言葉であっても、嬉しいものは嬉しいのだ。

「…行ってきます」
 
 少し照れながらも龍之介が返事を返すと、幽霊は満足そうに笑い、テレビを求めて部屋の奥へと去っていった。


「行ってきます……か」

 
 まだ実家を出て半年もたってないのに、何年もやっていなかったように感じられたこの二言の会話。
 久しぶりの暖かさを感じて、ニヤけてしまっている口元を隠しながら、龍之介は大学へ向かって歩き出した。


「……こういうのも、悪くないかな……」


 少しだけ、幽霊とのこれからの奇妙な同居生活に、楽しみを感じた龍之介だった。












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