第零話 初対面
田舎から上京してきたばかりの大学生、柊 龍之介にはちょっとした悩みがあった。
些細ながらも、少し変わった対処法のわからないその悩みに、龍之介は日々頭を抱えていた。
そして彼は今日、その悩みの種の解消すべく、とうとう行動を起こすことにした。
時計の針が深夜2時をさした。そろそろ例の悩みの種のお出ましの時間だ。龍之介はベッドから上半身を起こし、その悩みの種がいつも現れる、目の前のクローゼットを凝視する。
カチカチと時計の針の音だけが部屋に響く。今日は来ないのか? と龍之介が首をかしげた瞬間、突然のギィという音と共にクローゼットの扉が少しだけ開いた。
そして、その隙間からこちらを覗く、二つの目。
この目こそ、龍之介が頭を抱える悩みの種であった。
この部屋に引っ越してきて三ヶ月。その目は引っ越してきたその日から、ずっと龍之介を見つめてきた。毎日深夜二時になると、クローゼットの扉を控えめに開けて、何をするわけでもなく、龍之介の様子を伺ってくるのだ。
ちなみに、もちろん彼に同居人なんていないし、クローゼットの中に誰かが隠れているというわけでもない。俗に言う、『幽霊』というやつのようだ。
はじめのころは怖くて仕方がなかったが、ここまで何もされないと、自然と恐怖も冷めるというもの。しかし、その視線に慣れることはなく、睡眠の妨害になることには変わりなかった。
なのでとうとう今夜、龍之介は行動を起こした。いつまでも、このわけのわからない目に、睡眠を妨害されてはなるものかという一心ゆえの行動だ。
そして今、龍之介は、初めてその目と見つめ合っている。
どちらも目をそらさない。無言のまま、見つめ合っている。
そんな硬直状態を打破すべく、龍之介はゆっくり口を開いた。
「あの、どちら様でしょうか?」
…幽霊に対してこの発言はどうだろうとお思いになるだろうが、龍之介本人はかなり本気で語りかけているのだ。
幽霊だってもとは人間、それなりの礼儀は払わなければ、というお婆ちゃんっ子だった龍之介ならではの気遣いから生まれた、この一言。
もちろん、幽霊からの返答はない………と思ったのだが。
「…あらぁ、あなた。私が怖くないの?」
のんびりとした口調が、クローゼットの中から響いてきた。
さすがの龍之介も、まさか返ってくるとは思わなかった返事に、びくりと肩を震わせた。
そんな龍之介の姿を見て、のんびり口調の幽霊は相変わらずの調子で言葉を続けてきた。
「なによぉ。話しかけてきたのはそっちじゃない。幽霊が返事しちゃ変だっていうのぉ?」
少し怒ったように幽霊が話しかけてくる。
「えっ…いや、そういうわけじゃあ……」
なんと言っていいかわからず、しどろもどろと返事を返す。しかし、そんな返事でも幽霊は満足したのか、また話を続けてきた。
「…久しぶりだわぁ、こうやって人間と話すの。何年ぶりかしらぁ」
嬉しそうな幽霊の声が、クローゼットの中から反響して部屋に響いている。
どうやら、これは夢ではないらしいと、龍之介は朦朧とした頭で悟った。
「……ふぅ……久しぶりに話したら、なんだか疲れちゃった。もっとお話したいけど、今日はもう私、眠いからやめておくわ。
あなたも明日学校で早いんでしょ? 早く寝たほうがいいわよぉ」
「……幽霊が寝るの?」
「あら、失礼ねぇ。幽霊だって眠るわよぅ。お昼寝だってするわよ」
幽霊って昼間に寝て、夜中に行動するもんじゃないのか? と、龍之介の中で疑問が生まれたが、眠たい幽霊をこれ以上話につき合わせるのもかわいそうなので、その疑問はそっと心の中にしまっておいた。
「…それじゃあ、おやすみなさい。また、明日お話しましょうね」
そう幽霊は言い残すと、すっとクローゼットの扉を閉めた。
「………なんなんだ、アレ………」
閉じたクローゼットの扉を呆然と見つめて、龍之介はぽつりと呟いた。
もちろん、独り言のつもりだったのに、なぜかクローゼットの中から律儀に返事が返ってきた。
「ただのこの部屋に住んでる幽霊よぉ、同居人だとでも思ってちょうだい」
こんな奇妙な同居人いらんわ、と心の中で突っ込みを入れて、龍之介はベッドにもぐりこんだ。
深く考えれば考えるほど、沸いてくる疑問と突っ込みどころ。
しかし、明日は早いので、そんな思考はすべて放棄してとりあえず寝ることに専念することにした。
これが、ちょっと変わった大学生、柊龍之介と、
かなり変わった同居人、もとい幽霊さんとの、かなり変わった初対面だった。
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