12 ヘッドフォンと秘密
二文字はもう無理。
また見直し考えよう……。
「カナンちゃん、ちょっとこっちに来てもらえるかなー?」
最近の俺の唯一安らげる場所、自分の部屋。
そこで自分自身に起こったことやこれまでの出来事なんかをタブレットPCを使って考察していたところで、ノックと共に摩耶姉さんの顔が覗き、呼び出しの声をかけられた。
ちなみに欲しい物、道具なんかは自ら買いに行ったことはなく全て姉さんが手配してくれたものだ。もちろん姉さん自らがそれを行うわけもなく、すべては百貨店の外商やネットショップの宅配、あるいは家の使用人任せなのは当然のこと……だ。俺自身にも、お、お父様(こう言えってうるさいんだから、し、仕方ないだろう)からカードをもらって、姉さんから渡されはしてるけど未だ使ったことはない。何より使えるところに出してもらったこともないんだからな。(着る物ですらさっきも挙げた百貨店の外商を呼びつけてリビングで……、ああ、思い出すのも恥ずかしい)
ほんと、とんだ箱入りもいいところだぜ、俺って。
――それにしてもチタンプレートで出来たカードなんて……いったい。ああ、考えるだに恐ろしい。
いかんいかん、つい思考の海にのまれてしまう。
「……にしても、今いい感じで考えがまとまってきてたのになぁ……」
とにかく、俺はぶつくさいいつつも、言うことを聞かなかった場合に後で被る面倒を考え、重い腰をあげ、姉さんの居るであろうやたら広いリビングへと向かった。
「あ、やっと出て来たわね。遅いわよカナンちゃん。とりあえずそこに座ってくれる?」
だだっ広いフローリングのリビングに置かれた、これも馬鹿でかい真っ白なソファーセットの一角を示し座るように言う摩耶姉さん。俺はソファーセット周りのフロアに敷き詰められたすっごく柔らかい肌触りの絨毯の上をちょこちょこ歩きつつ言われた場所に素直に座った。俺の背丈だと座ると足が届かず、お尻の位置を調整するのに両手やお尻を使っての移動作業が必要になる。ああほんと、めんどくさい。
「ふふ、もうちょっとこっちに座ってくれるかな?」
摩耶姉さんがそんな俺を見て笑いながら、後ろから俺の脇に手を差し込んで持ち上げ、座る位置を修正する。
「はわっ、ちょ、ちょっと姉さん、いきなり脇に手を入れないでくれよー。びっくりするじゃないか」
振り向いて抗議する俺の声にも姉さんは無反応だ。顔を見ても素知らぬ顔。
ううっ、これは……いつもの……か。うぜぇ、うざすぎる。だいたい突然だと、どうしても地が出てしまうんだよなぁ……。
「姉さん。その、急に脇の下に手を入れられるとビックリするからやめてもらえませんか?」
「あら、ごめんなさい。なんだか一生懸命座る位置を直してるカナンちゃんを見てると……かわいすぎちゃって。ついお手伝いしてあげたくなってしまったの」
今度は普通に返事してくれる姉さん。やっぱこれかよ。もうたまらん……。ああもう、俺の負けだ、負けだよ。好きにしてくれー。
「それで姉さん、ご用ってなんですか?」
俺はさっさと用件を済ますべく、そう問いかけた。
姉さんはおれの問いかけに微妙に表情を曇らせ、いやそんな表情は一瞬で、すぐ答えを返してきた。
「そ、そうね、カナンちゃんに渡したいものがあってね。これなんだけど……」
姉さんは手に持っていたものを俺に差し出し、俺はそれを素直に受け取った。
手に取ったものを確認してみれば、それはヘッドフォンのようだった。大きさは俺の頭を想定してかそれほどでもないが、耳に当てるイヤーパッドの部分は幾分縦長な形をした大ぶりなもので俺の人より長い耳でもすっぽり収まりそうだ。ヘッドバンドはイヤーパッドのハウジングと一体になってて、そこから続く滑らかな孤を描くヘッドバンドは細く、それでいてしなやかで、全体の見ためは随分おしゃれな感じだ。明るいクローム調の仕上げも俺の白っぽい銀髪になじみそうで……なんか癪だが、似合いはしそうだ。
「へ、ヘッドフォン? なんなのこれ。お、私、別に音楽聞く趣味ないんだけど……」
「うん、それは知ってるけど……、カナン、あなた耳がちょっと変わってるじゃない。それに周りの音が聞こえすぎて困るってこぼしてたでしょう?
だからこれはその対策品。どう、なかなかスタイリッシュでおしゃれでしょ? これならずっと付けててもおかしくないと思うんだけどなぁ」
俺の表情を探るように見ながら、説明する摩耶姉さん。
な、なるほど、そういう理由ね。確かにいくら髪の毛で隠してるっていってもちょっとした拍子に耳なんて簡単に出ちゃうし、音が聞こえすぎてウザいって、姉さんに愚痴った気もする。
「でも、これだと逆に目立つんじゃない? っていうかこんなのして学園になんて行けないよね? 授業なんかもっての外だよね?」
「そ、それは大丈夫。おばあ様にもちゃんとお話して学園内でも使える許可をいただいてるから。だから安心して使っていいのよ? だからほら、一度付けてご覧なさいよ」
摩耶姉さんがそう言うや、俺の手からヘッドフォン? を奪い取りそのまま頭にかぶせようとしてきた。
「わ、ちょ、ちょっと姉さん、強引すぎ。じ、自分で付けるからー!」
「そんなに遠慮しなくてもいいじゃない。お姉さんにまかせなさいって、ほーら……」
「もう、やー!」
本能的に出た俺の変な声。
その声すらも糧になったかのように、表情の緩み切った姉さんの顔が近づき、手に持ったヘッドフォンが抵抗虚しく俺の頭にすっぽりと収まった。ま、そもそもこんなことで抵抗するのもあれなんだが……、なんか姉さんがすることには抵抗したくなってしまうんだよなー。これも姉さんの今までの所業のせいに違いない。
「ふふっ、やっぱり似合う、可愛いわー。
……でもカナン。これはちょっと、ひどいんじゃないー?」
俺を褒めつつ文句を言う摩耶姉さん。その顔色はちょっと血の気が引いて来てる。
でも同情はしない、そんなの当然の結果だ。いつもいつも嫌がる俺に、む、無理矢理……色々するからだ。
「知らない。お風呂にでも入ればいいんじゃない?」
「カナンったらひどいー、せっかくお姉さんがかわいい妹のためにプレゼントしてあげたのにー。こんな仕打ちったらないわ……、くしゅん」
あ、くしゃみ。
……やっぱ、ちょっとやりすぎちゃったかな?
摩耶姉さんはキャミソールにショートパンツって姿で、しかもノーブラなもんだから脇から覗いたりなんかした日にはその豊満な胸が覗きたい放題だ。いくらこの場に俺しか居ないとしても、とてもいいとこのお嬢様ってかっこじゃない。そもそも俺の存在はまったく男としては認められてなくてすべてがあからさま。風呂だって何回一緒に……入らされたことか。もうお互い隠すところなんてまったくないって間柄だ。だから恥ずかしいなんて感情はとっくの昔に湧かなくなってる。つうか、この体になってからというもの、女性の体を見てもいやらしい想像だの、エッチな妄想だの、しようとも思わないしそんな衝動すら起こらない。
精神的にも俺、変わってしまってるんだろうか?
……って、今はそんなことが言いたいわけじゃなく、姉さんの状態を説明したい訳で。
姉さんの薄っぺらなキャミソールは氷漬けになってる訳で。
それをやったのはもちろん俺な訳で。
これには色々、紆余曲折あった訳だ。
「ああもう、ちょっとシャワー浴びて来るからそこで待ってるように!」
「なんなら乾かしてあげようか?」
「うっ、いい。髪の毛焦がしちゃったらいやだもの。それよりカナンちゃんも一緒にどう?」
「あはは、遠慮しときます。ちゃんと待ってるからごゆっくりどうぞ」
摩耶姉さんはいい年して俺に向かって折角の美人の表情を「いーっ」とゆがめて見せてから、パタパタと小走りで浴室へと向かっていった。
「はぁ」
なんか日を追うごとに姉さんのベタベタ甘々度が増していくような気がする。
それにしても……。
俺は渡されたヘッドフォンを頭から外してじっくりと見つめる。
「これ絶対普通のヘッドフォンじゃ……ないよね」
姉さんが何を考えてこんなものを俺に付けろって言ってるのかわからないけど……。最近、このマンションの警備が更に厳重になったことといい、学校の入門のセキュリティが強化されたことといい……、何かあるのは間違いない。
きっとそれは俺にも関わりのあることなのかも知れない。
俺は姉さんが戻ってきたらいかにして問い詰めようかと、あの手この手と考えつつ、ソファーの上で胡坐をかき、膝に乗せた手をかた頬に当て思案する。ワンピースの部屋着のせいで股間がスースーする。ピンク色した部屋着も当然摩耶姉さんが用意したものだ。これ以外に着る物もない。いやあるけどみんな同じ種類のものばかりだ。こんなことからでも俺に女としての自覚を持たせたいらしい……。俺はジャージかフリースの上下でいいんだけどなぁ。
ま、スカート履かされてからというもの、この感覚にもだいぶ慣れたけど……、ほんと心もとないぜ。
「やれやれ……」
姉さん遅いなぁ……。
そんなことを思いつつ、俺はまたため息をつきながらいつものように思考の海に漂っていくのだった。