伝説の始まり
思いつきで書いたので、細かい所は気にしないでいただけると幸いです。
「アーシェリア・タージュ。そなたとの婚約を解消する」
王家主催の夜会。1人の女性と向かい合いながら王太子が発した言葉に参加した者たちはざわめく。彼の傍らでは愛らしい顔立ちの少女が頬を赤らめていた。
対峙していた女性――アーシェリアは彼女を一瞥し、そして目を細めた。
「確か……ソクラン子爵の娘ですわね」
「うむ、マリアだ。愛らしいであろう?」
鍛えられた腕を傍らの少女の肩へと回し、そっと引き寄せる。マリアは恋する少女らしく頬を紅潮させ、ここまでの経緯を思い出す。
今年16歳となり、華やかな世界に足を踏み入れたのが2月ほど前。都から遠く離れた地で育ち、慣れない場所に戸惑うマリアに声を掛けてくれたのが、王太子、フェリオだった。最初は彼が何者かは知らず、相貌から武官であることは分かるが、無骨さはなく、むしろ品の漂う美しい人だと思った。
今までとは大きく違う環境に狼狽えるマリアに、社交界での立ち振る舞い方や常識について、下心は全く見せずに優しく教えてくれた彼にマリアが恋心を抱くのはすぐの事だった。王太子であると分かってからもフェリオは挨拶の度に何かと気に掛けてくれ、そして先日、妃になって欲しいと言われたのだ。
フェリオに婚約者が居ることは、田舎暮らしの長いマリアでも知っていることだった。しかも彼女は侯爵令嬢であり、大変美しく聡明な方であると評判だった。そんな女性に敵うはずがないと、最初は断ったマリアだったが、「アーシェとの婚約は解消するから」と言われ、頷いたのだ。
「……了承いたしました。約束を守って戴き感謝致しますわ」
侯爵令嬢として、未来の妃として身に着けた、完璧な礼の形を取るアーシェリア。『約束』と意味深な会話にマリアは王太子を見上げたが、彼は元婚約者の方に視線を遣っており、新たな妃の様子には全く気付いていないようだった。
「そなたを失うのは残念だが、無理強いするのは性に合わぬ」
「我慢するという考えは?」
「守れる自信がないからな」
「まぁ……そうでしょうね」
何の話かとソワソワするマリアだが、ふと辺りを見渡すと、騒動の傍観者たちの半数は突然の婚約解消に困惑しているが、残りの半数はなぜか苦笑している。全ては聞こえないが、後者の者たちは「ついにこの時が来たか」と話していた。
「一応確認いたしますが、彼女が正妃ではありませんよね?」
「当然だろう。アーシェが居なくなったとなると……メル辺りが相応しいか」
「メリーナ様も大変ですわね」
「え……?」
話しかけられてもいないのに思わず声を漏らすマリア。混乱のあまり頭が上手く回らない。
(では、なぜ、アーシェリア様との、婚約を、解消?)
彼女が蒼白になって震えているのに気が付いたフェリオは、「大丈夫だ」と彼女の背を撫ぜる。その暖かな手のひらに、マリアは少しだけ落ち着きを取り戻した。だが次に告げられた言葉が、彼女の上向いた気持ちを地に叩きつけた。
「そなたにはちゃんと第100王妃の座を用意しているからな」
「っ!? 100……!?」
「良かったですわね。きりのよい数字ならば人々の覚えもめでたいことでしょう」
「え、あ、は……?」
「ちなみに、地位の高さならば24番目ですわ。半数は殿下がお忍びの際に口説いた平民の娘てすから」
「え、ま、待って下さい!」
確かに歴代の王の中には、複数の妃を持つ者がいたと聞く。しかし、二桁に及ぶことすら稀であり、三桁など聞いたことがない。茫然としていると、アーシェリアは眉を少し寄せ、「もしかして」と呟いた。
「殿下に98の側妃が居ることをご存じなかったのでしょうか?」
その言葉に、マリアは首を何度も上下に振る。アーシェリアはため息を零し、そしてフェリオを睨んだ。男はなぜそうされるのか分からないようで不思議そうに元婚約者の顔を見ていた。
「説明しなかったんですの?」
「必要だったか?」
「はぁ……マリア様。心中お察しいたしますわ」
「殿下は乙女心を全く理解できないお方なのです」と同情の意が籠められた眼差しを向けられるが、嫌悪感よりも不安感が勝る。これから聞く話が、マリアにとって良いものとは到底思えなかった。
「私と殿下の婚約が決まったのは、7年ほど前でしょうか。私が11歳、殿下が13歳の頃です。その頃から殿下は可愛らしい女性には必ず声を掛けるようなお人でして。そこで、政略結婚であるとはいえ、私は陛下にひとつ約束をして戴きました。それが破られた際には、婚約解消を認めて欲しい、と」
「約束……」
先ほども聞いた、その単語を繰り返す。
「えぇ、『妃の数が100を越えるようならば、正妃の座は降りる』というものです」
マリアは世間知らずではあったが、賢い少女であった。なので流れからその約束が何かはおおよその予想が出来ており、そして告げられた言葉は想像通りのものだった。
つまり、アーシェリアとの婚約解消は、マリアの為ではなく、彼女との約束の為だったのだ。
「でもまさか、婚約中に達成するとは思いませんでしたわ。もしや、それほどまでに私との結婚は嫌でしたの?」
「いや? 今でもアーシェの許しがあれば正妃にしたいと思っておるぞ」
「お断りしますわ。増えた妃の世話をするのは正妃の役目なのですよ。私には100人も面倒は見きれません」
急激に、恋慕の感情が冷えてゆく。そして沸々と怒りが湧いてくる。それは愛しかった男性にではなく、自らの浅はかさにだ。
「増やすのは結構ですが、減らすことも考えた方が宜しいですわ。若い内ならば貰い手も見付かるでしょう」
「減らせば戻ってきてくれるか?」
「嫌です」
「そうか……残念だ」
素敵な人に少し優しくされたからと言って、簡単に絆されるとは。しかも相手も自分だけを唯一としてくれると信じていたなんて、そんな物語のようなこと想像はしても起こる筈がないと散々実家にいる時に思っていたのに。
「そういやアーシェ、そなたには妹がいなかったか?」
「妹には既に婚約者がいますわ。殿下対策として」
「嫌われたものだな」
慣れない環境に委縮していたが、元々マリアは気の強い性分の持ち主だ。近所に住む平民の子ども達を率いて、野を駆け回り、動物を追いかけ、大人に悪戯をしていた少女時代。
(慣れない場所での、周りじゃ見かけないタイプの男性だったから、調子が狂っちゃったのね。100なんてたかが数字に怖気づくなんて私らしくないわ)
「ふふふ……」
「マリア?」
考えてみると、唯一にはなれなくとも田舎令嬢が王太子の妃になれるなんて大出世だ。決して悪い話ではない。
結婚相手を見つけることは面倒だと思っていたし、結婚すると家から滅多に出ることは出来ないと父から聞かされたことでなんとつまらないものなのだと感じていた。
自分の他に覚えきれない程の妻がいるなど普通ではなく……つまらない結婚よりも余程楽しそうだ。
不気味な笑い声を漏らしたことで、周囲の視線はマリアに向けられていた。しかし決して狼狽えることなどせず、彼女はニコリと微笑んで見せた。
「殿下。私を妃にして下さるんですよね? 100番目の」
「うむ。そなたが望むなら」
「良いのです? これほど多くの妃がいることを知らなかったのでしょう、今ならまだ断っても許されますわ」
そう言うアーシェリアの表情は、本心からマリアのことを心配しているようであった。
マリアは思案する。
フェリオへの恋心の消えたマリアにとって自分以外の妻への嫉妬は無いし、アーシェリアのような重要な立場ではないので責任などもない。娘が王太子の妃となれば実家にも悪い話ではないだろう。
これといった問題は見つからず、マリアは笑みを深くした。
「いいえ。むしろ嬉しいことです」
その後の歴史家達は、当時の王家についてこう述べる。
時の王フェリオは、国土拡大の為に自ら先陣に立ち勝利を収める優秀な武人であり、広がった国土を滞りなく治める優秀な政治家であった。そして彼を支えた正妃メリーナは穏やかな人柄で、良妻賢母として名高い。
その他にも、大臣や騎士、商人、芸術家……様々な人物が時代を作る上で重要な役割を果たしたが、最も注目すべきは、白妃マリアだろう。
白妃という名は、第100妃であるが娶られた時点でアーシェリアとの婚約を解消しており、実質99番目の妃であること、異国の言葉で白が99という意味を持つことが、由来とされている。
彼女は子爵家の出であり身分は決して高いとは言えず、更に生涯彼女が子を成すことは無かった。しかし、既にいる97の側妃と自らの後に娶られた48の側妃を纏め上げ、後宮の主となったのだ。
多すぎる妃の数を減らし、新しい妃を迎える時には厳選する。妃同士の揉め事を解決する時は、国政に影響がないかまで考慮されている。
その手腕は素晴らしく、彼女が主であることを否定する者も、彼女の采配に不満を持つ者もいなかったと言われている。そこには本来の主である正妃も含まれる。
正妃メリーナは語る。
『彼女なくして、この国の平穏はない』と。
宰相の妻アーシェリアは語る。
『私が諦めたことを成し遂げた、最も尊敬する人物である』と。
王フェリオは語る。
『良い拾いものをした』と。
後の世の、娘を持つ者達は語る。
『白妃のような女性となって欲しい』と。
そして、白妃マリアは語る。
『自らの選択を悔やんではいない。だが、人生を今一度やり直せるならば決してこの道は選ばない』と。