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複雑に入り組んだ迷宮を壁に設置されている紫色の光源が不気味に照らしている。最新とは言え、何階層もあるこの広いエリア内は静かだ。ひんやりとした空気の中、俺はコツコツと小さく足音を立てながらこの第十三攻略エリア《ミミックメイズ》の第二階層をソロで探索していた。
《ミミックメイズ》。ミミックという半ばトラップの様なモンスターがこのエリアには大量に存在している。以前から宝箱やアイテムの形をしたミミックにプレイヤーが襲われる、という話はたまに聞いていたが、このエリアに出てくるミミックの数は半端ではない。
とは言え、《ミミックメイズ》という名前なのだから、最初からミミックが出てくることは予測出来る。宝箱に注意すればいいだけだ。
攻略組のプレイヤーはそう思い、攻略を進めた。しかし当然ながらこのエリアに出てくるのはミミックだけではない。それどころかもっと嫌らしいモンスターが出てきた。プレイヤーの外見をしたシャドードール、影から突然襲い掛かってくるシャドーアサシン、近付いただけで襲い掛かってくるミミックの亜種ブラックミミック、防御力も攻撃力も高いミミックの上位種ミミックロードなど、やりにくい相手が多い。まだ四階層までしか攻略されてないので、確認されていないモンスターもいそうだ。
それだけではなく、設置されている罠も今までより多い。状態異常系の罠や、モンスターを呼び寄せる罠など種類もそれなりにある。
そんな最新のエリアの中に俺はソロでいる。カタナやガロン達と行動すればいいじゃないか、と思うかもしれないが、俺はどこのギルドにもパーティにも属していないのだ。最近はパーティで行動することが多かったが、基本的に俺はソロだ。ガロン達に頼めばパーティに入れてくれるだろう。他にも当てはある。だけどギルメンでもないのにパーティに入れてもらうのは正直迷惑だろう。アイテム分配などの問題もある。みんな今は忙しいのだ。迷惑は掛けられない。
ソロというのは何かあった時にかなり危険だが、それだけ得るものも多い。アイテムは独り占めできるし、経験値も俺だけの物だ。《ブラッディフォレスト》から帰ってきた俺のレベルはそれなりに高いし、熟練値やその他ステータスも同レベルに比べれば高いはずだ。まあ俺よりもレベルが高い奴はそれなりにいるだろうし、ステータスはとにかく『技術』で上の奴もたくさんいる。いくらあの森で一人で頑張っていたとはいえ、実戦経験は攻略組のプレイヤーの方が多いのではないだろうか。
俺は強くならなければいけないんだ。ここから出るために。大切な物を守るために。
幸いなことに俺は《毒耐性》と《麻痺耐性》を持っているし、他の状態異常に対しても準備は抜かりない。すぐに転移して逃げられるようにもしている。ここに出てくるモンスターは嫌らしい代わりにそれほど強くはない。油断せずに冷静に対処すれば何体か同時に襲いかかってきても倒せる筈だ。
ゆらり、と光源によって出来た影が一瞬揺らいだ。見たところモンスターはいないし、《察知》に反応はない。しかし俺は大太刀を握る手に力を込め、警戒を高める。
そして影が揺らいだ辺りまで近づくと、突如壁から真っ黒な何かが飛び出してきた。全身が真っ黒な影で出来たそれの両手には、同じように影で出来たクナイが握られていた。真っ黒な影―――シャドーアサシンはそのクナイを俺に突き出す。
こいつの存在は予めしていたので、動揺はない。後ろに跳んでそれを回避し、大太刀で斬り付ける。シャドーアサシンは両手のクナイを頭上でクロスすると、大太刀を受け止めた。が、大太刀は止まらない。影で出来た二本のクナイを切断し、シャドーアサシンの腕を斬り落とす。そのまま頭まで刃が落ちていくが、不意にシャドーアサシンの姿が消え、刃に手応えはない。
次の瞬間、俺の背後からシャドーアサシンが現れ、いつの間にか再生した腕に握ったクナイを連続で投げつけてくる。向かってくるクナイは四本。大太刀は使わずクナイを躱す。ホーンラビット亜種のあの電光石火のような体当たりに比べればこんな物は大したことはない。
クナイを投げ切ったシャドーアサシンは動きを止めている。その隙を見逃さず、迷宮の床を蹴ってシャドーアサシンに迫る。さっき大太刀を避けた時のように影に潜ろうとするシャドーアサシンの胴体を刃が滑る。HPがオレンジ色にまで減少した。そのまま止めを刺そうと追撃するが、その大太刀を二本の小刀が阻む。シャドーアサシンは小刀で大太刀を受け止めるのではなく、受け流した。後ろに下がりながら大太刀の威力を殺したシャドーアサシンは、素早く影に潜ったかと思うと、次の瞬間には俺の斜め後ろ、死角から飛びかかってきた。これがシャドーアサシンの嫌らしい技、影移動だ。影を移動して瞬間移動に近い事をやってのける。HPが半分を下回ると小刀を取り出し、頻繁に影移動をするようになる。
大太刀での防御は間に合わないので、振り向きざまにシャドーアサシンの胴体に蹴りを叩きこむ。サンドバックに近い妙な感触が足を伝わる。シャドーアサシンのHPは全く減っていないが、それでも動きを止めることには成功した。仰け反って動きを止めたシャドーアサシンに、薄っすらと青く光る刃が煌めいた。
エリアに潜ってどれくらいが経過したか、そろそろ疲労が溜まってきた。さっき戦ったミミックロードで回復薬も消費したし、今日はそろそろ帰るか。ワープロープを使用し、俺は《ミミックメイズ》から脱出した。
エリアの外へ出ると、太陽が傾いていた。それなりに時間が経っていたらしい。神経を削るように戦闘に集中していると、時間がどれくらい経ったか分からなくなるな。時間は確認出来るとはいえ、エリアで見ている訳にもいかないし。
そのまま《ライフツリー》に帰ろうとして、そういえばリンが本を欲しがっていたのを思い出した。
この世界には二種類の本がある。ゲームの世界に元からある本と、プレイヤーが制作した本の二種類だ。現実世界で小説を創作していたプレイヤーが試しに本を出版してみたのが始まりらしい。
たしかリンの欲しがっている本は恋愛物だったかな。前に俺に隠れて男と男があれしてこうしてアーッな内容な本を読んでいた気がしたけど気のせいだねうん。なんでそんな気がするかというとちょっと覗いて見たんだけどそれも気のせい。全部気のせい。
《ライフツリー》でも本は買えるが、ちょうど欲しい本は無かったらしい。特に何かあった訳でもないが、お土産にその本を買っていってやるとするか。題名は確か『メビウスの環』とかそんな感じの奴だったと思う。
《バーサーカーグレイブ》の街には確か本を取り扱っている大きな店があった筈だ。そこで買っていこう。
ありがとうございました-というNPCの声を背中に、店から出てきた俺は手に入れた本の表紙を眺めてなんとも言えぬ気持ちになっていた。売り切れていたとかそういうことはなく、何の問題もなしで『メビウスの環』を手に入れる事は出来た。俺のアイテムボックスに収納されている。が、その『メビウスの環』の表紙がアーッな感じだった。イラストも小説も、一人の人物が書いているらしい。名前は『ららら剣・超・地』。どんな名前だ。ららら剣超地って。覚えやすいけれども……。
俺どんな顔してリンにこの本を渡せばいいのか分かんねえよ……。
先日、リンが書いたブレードオブほにゃららとかいう小説といい、リンは腐ってらっしゃるのだろうか。昔作られた言葉らしいが、男と男の絡みが好きな女の子を腐女子とか言うんだとか。なんとも嫌な響だ。
リンの一面を再認識して微妙な気分になりながら《ライフツリー》へ向かう。
すれ違うプレイヤーがチラチラと俺の顔を見てくるのは、やはり《イベント》に出たからだろうか。掲示板で二つ名付けられたりしてたけどどうなったんだろう。変なのじゃないといいけどな……。
「わわーー!!」
視線にむず痒い気持ちになりながら歩いていると、街に女の子の悲鳴が響いた。他のプレイヤー達も悲鳴のした方に視線を向ける。何事だろうと声のした方に向かってみると、女性プレイヤーが男性プレイヤー二人と何やら揉めていた。
おかっぱ頭の小さな少女が、黒い鎧を装備した二人の男に挟まれている。あの鎧は《連合》か。第一部隊が壊滅してから《連合》の評判はガタ落ちし始めた。自分より弱いプレイヤーに威張り散らすからだ。以前からそういう所はあったが、より酷くなってきているらしい。掲示板などでよく目にしていたが、《連合》が問題を起こしている所を直接見るのは初めてだ。
男達のやり取りを見ているプレイヤーは気の毒そうな顔をするも、皆何も言わずに通り過ぎていく。注目している者も男に「見てんじゃねえぞ!」と怒鳴られると顔を伏せて逃げていく。長引けば《不滅龍》や《照らす光》などのプレイヤーがやってくるかもしれないが、今見ている人は誰も助ける気配はない。
こういう光景は学校で見掛けたことがある。不良が気弱な生徒に絡んでいる所を、皆見て見ぬふりをして通り過ぎていく。後から「大丈夫だった?」と声を掛ける奴はいても、絡まれている時には何もしない。俺も見てみぬふりをする人間だった。こういう場面を見掛けたら助けるべきだ、と言う奴はいるが、実際はそんな簡単な問題ではない。声を掛ければ自分が注目される。もしかしたら今後、そいつらに自分が苛められるかもしれない。止められるのもきっと一時的な物だろう。そういう事を考えると、こういう場面で一番良い選択肢は見て見ぬふりをすることなのだ。
と、こんな風に頭の中で考えて、自己正当化を行う。自分には何も出来ない。誰か助けるだろう。だから自分は間違っていないんだ、と。
いつだっただろうか。俺はこういう場面で一度だけ、絡まれている子を助けようとしたことがある。もう殆ど覚えていないし、思い出したくもない。やめろよ、と声を震わせながらそこへ割り込み、胸ぐらを掴まれて地面に叩きつけられた。いつ、どんな状況でそうなったのかは曖昧だが、地面に叩きつけられた時に頭を打った痛みだけは覚えている。
それから、俺はそういう場面を見ても仕方ないと思うようになった。俺は弱いから、と。
だけど今は。
俺は弱くない。
弱いから、という言い訳はもう出来ないのだ。逃げられない。
どうする。
助けに入るか? 今の俺なら止められるかもしれない。だけどここでしゃしゃり出るべきなのか? 他の誰かが助けに入るかもしれない。俺がやらなくても……。
これがモンスターだったら、と思う。人間ではなくモンスターだったら、すぐにあの女の子を助けに行けるのに。
こういう時、ガロンや栞だったら迷わず助けに入るだろう。カタナだってヘラヘラしながら割り込んでいくはずだ。
レベルを上げても、やはりこういう所は強くなっていないんだな。
「お、おい」
「あ?」
その場にいた人達から注目され、男達から睨まれる。
「や、やめとけよ。嫌がってるだろ」
声が震えているのを自覚して情けない気分になった。
ゲームの中くらい、こういう場面でもう少し格好つけたかった。