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書籍版ブレードオンライン発売日になりました。ここまでやってこれたのは読者様の応援のお陰です。本当にありがとうございました。
そして一部の方にご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
書籍版とWeb版、どちらも頑張っていきますのでこれからもよろしくお願いします。
お互いに目を合わせたまましばらく硬直する。気まずい雰囲気が漂い、表情が引き攣る。
栞の目を見たまま刺激しないようにゆっくりとベッドから下りる。栞は黙って俺を見ている。ベッドから下りた俺はしばらく立ったまま栞と見つめ合っていたが、沈黙に耐え切れなくなり口を開いた。
「あ、あの、栞さん? これはですね、違うんですよね、断じて。ええ。けして、けっしてやましい理由でここにいるわけではなく、わたくしは不幸な事故に巻き込まれたとイイますか、不可抗力と言っても間違いではない状況だったりするわけなのです」
思わず口調がおかしくなる。ゴクリと喉を鳴らしながら必死に何を言おうか頭を回転させるけど、浮かんでくるのは何故かカタナの「あはっ」という笑い。頼むから今は引っ込んでいてくれと脳内のカタナに懇願している間に、黙っていた栞も口を開いた。
「はあ……。多分あの子達が連れてきたのでしょう。これからは部屋の鍵を掛けておかなければいけないかもしれません」
溜息を吐き、頭痛を抑えるようにして栞はそう言った。どうやら妹のベッドで寝転がって喜んでいるシスコン野郎、という勘違いはされていないようだった。安堵の息を吐いて、俺は硬直させていた身体を動かす。いつまでも栞の部屋にいる訳にもいかないしな。
「じゃ、じゃあな。部屋に入って悪かった」
そう言って栞の横を通り過ぎ、ドアに手を伸ばす。
出て行こうとして、後ろから服を掴まれて俺は動きを止めた。振り返ると栞が俺の服に手を伸ばしていた。
「いいですよ……出ていかなくても」
「え?」
視線を地面に向けながら栞は躊躇いがちにそう言った。言ったことが理解できず呆けた顔をしていると、栞は顔を赤くして「だから……部屋から出て行かなくていいですよって言ってるんです」と早口で言った。
「話したいこともありますし……」
「じゃ、じゃあ……」
俺は開きかけていたドアを閉める。静かな部屋の中でドアの音がいやに大きく聞こえた。栞は黙ったまま掴んでいた服を離すとベッドの方へ歩いて行く。俺はどうしていいか分からなかったが取り敢えず栞の後ろについていく。大きなベッドに栞はボフッと座り込む。
「兄さんも座っていいですよ」
隣に座っていいか悩んでいると栞がそう言った。お言葉に甘えてベッドに座らせてもらう。ベッドはそこそこ大きいから離れて座ればいいのに、緊張のあまり栞のすぐ横に座ってしまった。俺の肩が当たり、栞の肩が少し跳ねる。
「…………」
「…………」
隣に座りあったのは良かったが、お互いにどう接していいか分からずに再び沈黙。栞を横目でチラリと見ると身体を縮こまらせ、表情も強張らせていた。どうやら栞も緊張しているらしい。
俺から話を切り出そうと思ったが言葉が出てこない。栞の方も同じみたいだ。
俺はまだ栞に対しての距離が掴めていない。《イベント》以来何度も顔を合わせて話しているし、メッセージも時々している。だけどまだ根本的な問題は解決していないと思う。《イベント》で俺は栞に謝った。だけど俺はあれで許して貰おうとは思っていない。祖父、祖母、そして栞の言葉を無視して俺は逃げていたのだ。一度落ちた信用は簡単には戻らない。態度で示さなければならないのだ。……とはいえ、ドルーアや七海達のお節介のお陰で栞と少しずつ打ち解けられているとは思う。昔程とは言わないが距離も縮まった筈だ。だからこそどういった態度で接したらいいのかが分からない。
「兄さん」
お互いを包んでいた沈黙を破ったのは栞だった。助かったと思う内心、自分から切り出せなかった不甲斐なさを恥じる。
「今日は、助けてくれてありがとうございました」
「あ、ああ」
「ちゃんとお礼を言えてなかったので……」
「あ、ああ」
「剣が振り下ろされる瞬間、死んじゃうのかなって思いました」
「あ、ああ」
「もう、兄さん。緊張し過ぎですよ」
「わ、悪い」
栞がふふと笑いを零す。その時、俺達を包んでいた緊張が解れたような気がした。
「ちょっと、嬉しかったです」
「?」
「約束、覚えていてくれたんだなって」
約束――――。
いつか、栞を抱きしめて俺は言った。
――――栞は俺が守る。
だけど俺は栞を守るどころか、現実から逃げ出したんだ。
「当たり前だろ……なんて、言えないけど。覚えてるよ。ちゃんと」
「ふふ」
栞は頬をうっすらと赤く染め、下を向いたまま嬉しそうに笑った。何が嬉しいのだろう。俺にはよく分からなかった。
それから一時間以上、栞と色々な事を話した。この世界で今まで栞がどうやって過ごしてきたか。俺が今までどうやって過ごしてきたか。最初はぎこちなかった会話が昔のように戻っていくのを感じた。段々打ち解けていき、お互いに笑いながら話をする。
俺とリンがどういう関係なのかを聞かれたり、栞に彼氏はいるのか、ドルーアかところてんが彼氏なのか、という話をしたり。リンの話をする時栞は少し不機嫌そうで、俺が彼氏の事を聞くと何故か嬉しそうだった。最初は彼氏? どうですかねーみたいな曖昧な程度で、俺が焦って色々聞くと最後にはいませんよ、と笑いながら言われた。
久しぶりに話せて幸せだった。
俺なんかが、栞とこんな風に話していていいのか、と少しだけ思った。まだ俺は何もできていないのだ。口だけならなんとでも言える。栞は今の俺をどう思っているのだろう。
「……兄さん」
「……ん?」
「この世界を出てから、兄さんはどうするつもりですか?」
「……もう一度勉強をし直したいって思った。だけど俺にはもうそんな事をする資格は無い。だから、この世界を出たら就職しようと思う」
「……」
「大した会社には入れないかもしれないけど、一生懸命働いて、金貯めて、じいちゃん達に育ててくれたお礼をしようと思う」
栞は俺の腕に自分の腕を絡ませると、身体を寄せてきた。頭を肩に乗せてくる。栞は潤んだ瞳で俺の目を見た。
「今度こそ……応援させてくださいね……?」
「……ごめんな」
栞の頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。長くて綺麗な髪の感触は現実とは少し違ったけど、懐かしかった。
「もう、寝ましょうか」
そう言って栞はベッドで横になった。
「今日はボスとも戦いましたし、疲れました……。それにちょっとだけお酒も飲んでいるので、そろそろ眠たくなってきました」
ふわぁあ、と可愛らしく欠伸をして、ベッドをポンポンと叩く。
「一緒に、寝ましょうか」
「あ、ああ……」
俺もベッドの上に乗る。だが枕は一つしかないので、俺は自分の腕を枕にして横になる。すると栞が枕を差し出してきた。
「兄さんはこれで寝てください」
「そしたらお前はどうやって寝るんだ?」
「……久しぶりに兄さんの腕枕で寝てあげてもいいですよ?」
仮想空間だというのに心臓がバクバクしてやばい。ちょうやばい。懐かしい言い方をすると、っべー、まじっべーって感じだ。
俺は恐る恐る栞に腕を差し出す。栞はゆっくりとそこへ頭を乗せ、身体を動かして俺のすぐ横までやってきた。栞の体温を感じで心臓がより一層鼓動を早めた。
妹だっていうのに情けない。
「兄さん」
栞が俺の耳元で囁く。
「兄さんがしたことを、私はまだ許していません。ですが……許したい、って思ってるんです。だから応援させてください」
「もう、同じ事は繰り返さないから」
「はい……」
栞は俺の胸に腕を伸ばして抱きついてくる。柔らかい感覚が伝わってきて身体が硬直する。俺の胸に頬擦りしてくる。昔はこんな風に栞は甘えてきていたけど、今やられるとどう反応したらいいか分からない。
「……栞、ちょっと酔ってる?」
「だから言ったじゃないですか。ちょっとお酒飲んだって」
「そ、そうか」
「兄さんは昔みたいにあれシないんですか?」
栞は少し意地悪そうな顔をする。
「あ、あれって?」
「なんでしたっけ? 確か、むにむにとか言ってませんでした?」
「あ、ああ……あれね」
「やらないんですか?」
「えっと」
「兄さん、もしかしてあの子にむにむにとかしてませんよね?」
「やはは」
「兄さん」
「はい」
この世界から出て、俺は頑張ろうと新しく決意した。
栞との距離は縮まったと思う。むにむにしたいんじゃないですか? むにむにしたいんですよね? むにむにしますよね? と段々言い方が変わってきて怖かったけど、色々な事が話せて嬉しかった。
翌日、栞と一緒に部屋から出る所を《照らす光》のギルメンに目撃されて騒ぎになり、それを聞きつけたリンが不機嫌になりつつ「仲直りできましたか……? ……良かったです」とか言ってくれて天使だったりして大変だった。
この無礼者がァアアと怒鳴りながら決闘を申し込んできたおっさん数人をなだめるのに大分時間が掛かったが、なんとか俺とリンは店に戻ることが出来たのだった。
今回でちょっと一区切り。ここからは時間の進む速度が早くなります。物語も終わりに近付いてきました。