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「《ブラッディフォレスト》……」
忘れられる訳もない。この世界に来てから今まで殆どの時間をこの森で過ごしたのだ。忘れたくても忘れられる訳がない。
生え並ぶ樹木が日光の光を遮っているせいで薄暗い森の中。しっとりとした地面から露出している樹の根っこ。そして肌を刺すようなピリピリとした感覚。この森に落とされた時はこの雰囲気がとんでもなく恐ろしかったが、今となっては懐かしい。
「うわー入っちゃったけど私達大丈夫かなあ」
《ブラッディフォレスト》の風景を懐かしんでいると、高い女性の声が後ろから聞こえてきた。振り返ってみると、俺達の前に穴に跳び込んだ五人のプレイヤーが周囲の風景を見回していた。男性三人、女性二人とパーティーで、盾を装備した片手剣プレイヤーが二人に双剣一人、大剣が一人いる。声を出した女性は槍を装備していた。
パーティーを観察していると、あちらも俺達の方をチラリと見てくる。
俺達がトレインしたせいで半ば強制的に穴の中に入れてしまったのだから、何か言わなくてはならない。何て話し掛けたら良いものか、と考えていると隣に立っていたカタナが話し掛けてきた。
「いやぁ……『事故』のせいで森を走り回ったけど運が良かったね。まさかお目当ての場所にたどり着けるなんてさ!」
まずはその頭に思い切り拳骨を落としておく。落とすといってもカタナの方が身長が高いから、俺は背伸びして腕を伸ばさなければならなかったが。
「カタナ、悪ふざけが過ぎるぞ。今回は幸運だったから良かったものの、場合によっては死人が出ていたかもしれないんだぞ。それに俺達はレベルが高かったから逃げ切れたんだ。不用意に罠を踏んで、お前も死んでいたかもしれないんだぞ? もっと気を付けろ」
そう言うと、カタナは少し驚いたような表情をした後に「僕が悪かったよ」と素直に謝ったきた。てっきり何か屁理屈を返してくると思っていたので少し意外だったが、分かってくれたのならそれでいい。「そんな風に怒られたのは初めてだよ」とカタナは何か小声で呟いたが、上手く聞き取れなかった。
「あの……」
俺達が話していると、後ろからさっきのパーティーのリーダーらしき男に話しかけられた。
「あー……すいません。ちょっと罠を踏んでしまってモンスターから逃げていたんです。すいませんでした」
「すいませんでした」
カタナと二人で、そのパーティーに頭を下げる。そのパーティーは困ったような顔をして「いやいいんですけど……」と何か他に言いたい事があるようだった。
こちらはトレインして危ない目に合わせたのだから、何を言われても文句は言えないな……とその男の人の次の言葉を待っていたが――――その言葉を最後まで聞く暇は無かった。
このエリアに入ってからずっと発動していた《察知》にモンスターの反応があった。それはまっすぐに俺達の方に向かってきている。カタナが俺の方に目配せしてくるのにうなずき、その反応が向かってきている方向に二人で太刀を抜き、構える。
「おいおい。いきなりお前かよ」
樹の間から姿を現したのは、燃えるように赤い毛を持った巨大な熊だった。この森に出没するモンスターの中でも因縁が強いあいつだ。
ブラッディーベアーは俺達を睨みつけると、大声で咆哮する。凄まじい音量に周囲の樹が揺れ、後ろのパーティー達が怯んだような声を上げる。この人達は一体何レベルなんだろうか? まあそれは後で聞くとして、今はこの懐かしき熊をどうにかするとしよう。
「カタナ、お前はこの人達と一緒に見ててくれ。あいつは俺一人で十分だ」
「……さっきから反応を見ていると、まるでアカツキ君はここに来たことがあるみたいだね? ま、任せるよ」
普段はすっとぼけたような発言をするカタナだが、妙に勘が良い。後で説明する必要がありそうだ。
カタナは頷くと、パーティー達の方に歩いて行って「えーっと、取り敢えずあの熊は彼に譲ってくれないかな?」と話し掛けた。モンスターを倒せば経験値が入るし、アイテムも手に入れられる。獲物を奪うのは申し訳無いが、久しぶりにこいつと戦ってみたい。
交渉はカタナが上手くやってくれると信じて、俺はブラッディベアーに向かっていく。それによってブラッディベアーも俺を標的と定め、牙を剥き出しにして襲い掛かってくる。
鋭く長い爪が生えた腕を俺に向かって振り下ろした。ゴウ、と風切り音を出しながら腕が向かってくる。
俺はそれを避けず、太刀でそのまま受け止めた。爪が刃に当たって火花を散らす。だが俺の身体は動かない。ブラッディベアーは小さな人間に攻撃を止められたのを目を見開いて驚愕した後、怒ったように獰猛な叫びを上げ、もう片方の腕も振り下ろしてくる。
「遅い」
俺は太刀を握る腕に力を込め、受け止めている腕を弾いてもう片方の腕が来る前にブラッディベアーの懐に潜り込む。そして太刀を振りかぶり、がら空きの腹部に《断空》を叩き込んだ。太刀が光を帯び、システムのアシストを受けて高速でブラッディベアーを叩き斬る。
ブラッディベアーが悲鳴を上げる。その巨体が《断空》の威力を受けて大きく後ろにのけぞった。そのHPバーが四割程減少していく。
俺はもう一度間合いを詰め、腹部を連続して斬り付ける。太刀が赤い毛に覆われた腹を斬っていくたびに、ブラッディベアーが悲鳴を上げる。
そして、ブラッディーベアーのHPがレッドゾーンまで減少した瞬間、その身体に赤い紋章が走った。ブラッディベアーが絶叫し、より鋭く長くなった爪を、懐に潜り込んでいる俺に向かって突き出してくる。《ステップ》で後ろに跳び、余裕でそれを回避する。
グルァアア、と苛立ちを含んだ唸り声を上げながらさっきよりも早く腕を振る。
「っ!」
太刀で受け止めるが、受け止めきれず地面に靴の跡を残しながら、後ろに後退する。俺のHPが少し減っている。やはりこれを何もせずに受け止めるのはまだ無理か。完全に止めたかったらスキルの《受け流し》をする必要があるな。
成長した自分とブラッディベアーの力の差を分析しながら、再び振るわれる腕を躱す。勢い良く振られた腕が地面をえぐる。
後ろの方から悲鳴が聞こえてきたが、あのパーティーにいた女の人の声だろう。俺が追い詰められていると思ったのかもしれない。
【赤き紋章】を発動したブラッディベアーは簡単に倒せる相手というわけでは無さそうだ。この森にいる間も、急所を攻撃して発動する前に倒していたからな。
ブラッディベアーの両腕が連続して向かってくる。両方向から跳んでくる攻撃に逃げ場はない。
「よっと」
だから俺は跳んだ。《空中歩行》を発動し、ブラッディベアーの頭上まで上がる。突然消えた獲物に狼狽するブラッディベアーの頭に向かって、太刀を振る。
一刀両断。
頭から下まで太刀で斬られたブラッディベアーは光の玉になって消滅していた。
「まあこんなもんか」
あの時よりは間違いなく強くなっている。ただひたすらに避け、攻撃するあのテクニックは多少衰えたかな、なんて考えているとカタナとさっきのパーティーの人達がこちらに向かってくる。
「お疲れ様」
カタナがにっこりと笑みを浮かべて労ってきた。それに続いてパーティーに居た女の人が興奮したように声を上げる。
「ほら! やっぱりこの人達、掲示板とかで話が出てる二つ名持ちの人達だよ! こっちの人が《嵐帝》さん!」
「太刀に変えたから元、だけどね」
カタナが苦笑してそう言う。あれからこいつは《嵐帝》という二つ名を捨てて太刀使いとして頑張っている。恐ろしい勢いで太刀捌きを上達させ、ある程度使ったら太刀が普通に使えるようになったとの事。やはり、太刀は熟練度を上げれば普通に使えるようになるみたいだな。運営のミスか何かしらないが、一定の熟練度以下の場合は当たり判定に異常がでるようだ。
それから、と女の人が俺の方に輝いた瞳を向けてくる。
「こっちの人は前のイベントの三位の人!」
ああ……俺達の事を知ってたのか。
「二つ名は掲示板の方で議論されてて、《 赤き閃光》《 仮装乱舞》《龍星》《 仮 面》《 銀影》とか色々候補があるんですよ!」
やめてくれ、と思わず叫びそうになった。人が二つ名で呼ばれてるのを見て、格好いいと思ったけど自分が呼ばれてみるとものすごく恥ずかしい。枕に顔をうずめてジタバタじたくなる。
つーか……掲示板の奴ら、厨二病過ぎるだろ……。頼むから無難なのにしてください。
掲示板で上がってる二つ名の英語は、使い方とかは正しさよりも響き重視です。
栞は二つ名候補に《 銀 姫》とかあったとか何とか。