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「いらっしゃしませ」とウエイトレス型のNPCが店に入ってきた俺へにこやかに出迎えの挨拶をする。普通の人間と殆ど変わらない人間味溢る女性のウエイトレスからは、ロボットが人間の動作や表情に近付いた時に起こるという『不気味の谷現象』というのは起きていない。現実世界で作られている人間型ロボットや動作や表情を設定したバーチャル映像は今や限りなく人間に近いものとなっているが、それでもやはり気持ち悪いと感じてしまう。だが、この世界のNPCからはそれが感じられない。本当に普通の人間と区別が付かないのだ。今まで発売されたVR技術を利用した《ドリーム》のゲームに登場するNPCからは現実と同じく、NPCは人間に限りなく近い別の物としか認識する事ができなかった。
この世界に俺達が入ってきた時、確か運営は『思考を加速する技術』や『電波を送ってショック死させる技術』を持っていると言っていた。現実世界の身体に電波を送るなんて話は聞いたことがないし、ここからでは確かめようが無いがもしかしたら『思考を加速』させているのは本当の事かもしれない。三万人ものプレイヤーがゲームに囚われるなんて事件が起きたら、すぐに助けが来る筈だ。それが一年以上経った今でも救助は来ていない。何か助けに来られない事情があるのかもしれないが……。
運営は一体何の目的で俺達をここに閉じ込めているのだろうか? そして、本当に運営の言っていた技術は存在しているのだろうか。仮に存在しているとして、技術はそれだけなのだろうか?
……あーダメだ。全く分からん。VR技術とかゲーム関連についてはちょっとした知識を持ってはいるが、やはり専門的な事については知らないし、ほぼ素人の俺が考えても何か分かる訳がない。よく小説とかに出てくるとんでもSFと同じ様なもんだ。知識がないと無理だと笑うこともできん。
NPCのあまりにリアルな姿を見てちょっと考えこんでしまったが、考えても無駄な事はよく理解しているので早々に思考を現実世界に引き戻す。
ウエイトレスの案内に従ってその後ろに付いて行く。
現在時刻午後八時二十分。
俺がいるのは第八攻略エリアの街にある料理店だ。
第八攻略エリア《ライフツリー》。生命樹と呼ばれる巨大な樹がそびえ立っているのが特徴のエリアだ。生命樹からは生命力が放出されているらしく、周囲には自然が溢れている。森では何種類もの果実が入手出来るし、湖では釣りをして魚を取る事も出来たりと、色々な物を入手することが出来る。街はどこかのんびりとした雰囲気が流れており、夜になると生命樹が光り輝いて神秘的な風景を見ることも出来る。それ故人気が高く、多くのプレイヤーが生活している。
俺もこの街の宿を拠点にして生活をしている。
この料理店の名前は《鈴音亭》。つい最近オープンしたばかりの料理店だ。和食がメインの料理店だが、洋食も多くメニューに入っている。どちらも俺は美味しいと思う。ひっそりとしていてそこまで知名度は無いし、店がオープンしている時間もそこまで長くはない。
ウエイトレスの案内で俺が付いていったのは席ではなく、厨房だ。コック型のNPCのサポートを受けながら厨房で料理を作っていたのはリンだった。手際よく素材アイテムを調理し、料理を作り上げている。
その様子を微笑ましく眺めていると、リンが俺に気付き、今まで浮かべていた真剣な表情を崩し嬉しそうな笑みを浮かべながらこちらに走ってきた。
そう、この店はリンの店だ。
イベントが終わった後、リンは俺に言った。もう自分はエリアに出る勇気がない。だけどお兄ちゃんに迷惑を掛けたくない。だからどこかの店で働いて金を稼ぎ、自分で料理店を作りたい、と。
リンは現実世界で料理を作るのが好きで、よく作っていたらしい。この世界に入れられてからもよく料理を作っていた。だから自分で店を出してみたい、と。
それを聞いて俺は持っていた大量の金を使ってリンの為に店を作ってあげることにした。リンは猛烈に反対して断ってきたが、俺が何とか説得して、このエリアにリンの店を構える事にしたのだ。リンがしたいと思ったことを、全力で応援してやりたかった。
と言っても、小さな店だし建てるのにそこまで金は必要なかった。一ヶ月ごとに払わなければならない維持費もそこまで高くないし、雇うNPCもそこまで多くなくていい。食材はある程度の金が必要だったが、俺の《ブラッディフォレスト》のアイテムを売って手に入れた金なら問題なく仕入れることが出来た。それに《イベント》で三位入賞したことで賞金も貰っていたしな。
まだ作ったばかりだから客は多くないが、ガロンやカタナを誘ってたまに食べにこさせている。俺も殆ど毎日ここでご飯を食べている。
開店して一人目の客は前の俺のように仮面を付けていて、「一人目の客だー」と俺とリンが出迎えると何だかものすごく挙動不審になったのを覚えている。髪の長い男の人だったがあの人は何だったんだろうか。
今日来たお客さんについて嬉しそうに語るリン。髪の表面を優しく撫でてやると、目を瞑って俺に身体を預けてくる。サラサラとした髪の感触。こうしていると本当の兄妹みたいだな。だけどリンは俺の妹じゃない。俺はリンを栞の代わりにしている訳じゃない。言葉では上手く表せないが、こいつを守ってやりたい、俺はそう思っている。リュウとの約束もあるが、ただそれだけじゃなくて、何というか、うん。
この店は午前九時に開店する。ラストオーダーは午後八時三十分だ。俺はリンから離れる。俺は毎日ラストオーダーギリギリにここに来てご飯を食べている。
「じゃあリン、俺もお腹減ったから何か注文するよ」
「うん分かった!」
俺は厨房から出て適当な席に腰掛け、メニューを見て適当に注文する。
朝から夜までエリアで活動し、帰ってきてリンのご飯を食べる。
それが最近の俺の生活だ。