『貴方と初めて出会った日』
七都海。
《Blade Online》の世界で『七海』と名乗っている私の本名だ。
綺麗な感じがして好きな名前。付けてくれた両親に感謝。
さて。
一目惚れという言葉がある。一目見ただけで相手に惚れ、恋に落ちてしまうという意味だ。
今日は私がある男の子に一目惚れしたという話をしたいと思う。
いや、これはちょっと一目惚れとは違うかもしれないけれど。どのタイミングで私があの男の子を好きになったのかは、正直覚えていない。一目見た瞬間かもしれないし、二目三目もしくは四目くらい見てから好きになったのかもしれない。まあ何目で惚れたかは正直あまり物語に関係ないので、取り敢えず一目惚れした、という事にしておこう。
私が小学四年生だった時の話だ。
自分で言うのも変な話ではあるが、私は基本的におとなしい。無口という程喋らない訳ではないけれど、そこまで口数が多いわけではない。そして読書が好きだ。小さな頃から色々な本を読んでいた。
だからだろうか、ぎゃーぎゃーと騒ぎ回る同級生や、それと大して変わらない上級生に比べてみても、私は大人びていた。身長がそこそこ高いこともあって、小学生の時点で私の外見は中学生位の物だったらしい。
この話では、私のその容姿が災いする事になる。
ある日、私は本を買うために外出した。目的の本屋に行くにはちょっとした商店街を通らなければならない。その商店街にはガラの悪い高校生がたむろっている事で有名で、親からはあまり通っては行けないと言われていた。しかし本屋に行くにはその商店街を通らないと行けない訳で、ちょくちょく私はその言いつけを破っていた。
ガラの悪い高校生が多いのは事実だが、しかし今まで一度もトラブルに巻き込まれた事が無かったので、私はその日も大丈夫だろうと思っていた。
錆びた看板の付いているシャッターが下りた店が並んでる。今開いているのは小さな古本屋くらい。人通りが少ない訳では無いが、この商店街はとても閑散としている。違う言い方をすると寂れている。
夏に行われる祭りではこの商店街に幾つも提灯が付けられ、夜店も沢山開かれる。その時はかなりの数の人がここに来るのだが、その時以外は静かな物だ。
こういった寂れた商店街はかなり昔からあるらしい。時代が進むに連れて商店街の数も減ってきているらしいけど。
私はそんな事を考えながら、ぼーっと商店街を歩いていた。
「あっ」
角を曲がった所で、背の高い男の人にぶつかってしまった。男の人の手にあったコーヒーカップからコーヒがこぼれて、その人が着ている制服にこぼれてしまった。
「あーあーあ」
男の人は自分の制服を見て顔をしかめ、不機嫌そうな声を出した。
男の人の周りには数人の男女がいて、彼らは「どうしたんだ?」「大丈夫?」などと声を掛けている。
外見的に高校生だろう。
「あ、あの……」
ワックスで尖らせた頭に、着崩した制服、ポケットから覗いている煙草の箱。男の人達の外見はどこからどう見ても不良で、それに私よりもかなり年上の高校生だ。私は怖くなってしまって声が上手く出せなかった。
「あのさぁ、一言謝れないの?」
高校生が私を睨み付けてキツイ口調でそう言ってくる。彼の周りに居た人達は私と男の人を囲むようにして広がり、その様子を面白そうに見ている。
謝ろうとするけれど、私は声が出せなくて、俯いて黙っていることしか出来なかった。それが余計に気に食わなかったのか、高校生が目つきを鋭くする。
「あのさぁ……君どこ中? 見たところ中学生だよね? この辺だったら林音中?」
「え、あの……」
「取り敢えず何年何組? 後なんていう名前? 俺あそこの中学出身なんだよね」
どうやら私を中学生だと勘違いしているらしい。買い物に出かけるために当然ランドセルは家にあるわけで、私服に着替えた今の私の外見は確かに中学生くらいに見えるかもしれない。
「ち……」
違う、と言おうとしても目の前の男の人が怖くて、周りで様子を伺っている人達が怖くて、上手く言葉が出てこない。舌がもつれる。
「なんとか言えって!」
小声でぼそぼそと呟くだけの私に、高校生が声を大きくした。ビクリと身体が震えて、泣きそうになる。
周りにいる人達は「欠点を取ったからって八つ当たりすんなよ-」と言いながら、面白そうに見ている。
「あー何も言いたくないならさ、取り敢えずぶつかった事を謝ろうよ。コーヒーこぼれちゃったしさ」
「ごっ……ごめんなさぃ……」
「ぼそぼそ言っても聞こえないわ。あのさ、もういいや。土下座したら終わりにするから」
土下座、という言葉に私の頭が一瞬真っ白になる。何故、ぶつかってしまっただけで土下座しなければならないのだろう。訳が分からなかった。そんなに私は悪いことをしてしまったのだろうか。分からない。
周りの人達は「かわいそー」などと言いながら止める気配を見せない。
誰かに助けて欲しくて、周りを見回す。商店街はそこそこ人が通るのだ。
何人もの人が私達の方に視線を向けていた。
「え……」
しかし、みんな私と視線があうとそっぽを向き、早足で去って行ってしまう。大人の男性も、女性も、お年寄りも、みんな去って行ってしまう。誰も私を助けてはくれない。
高校生の睨み付ける視線におびえて、私はゆっくりと膝を下ろしていく。土下座なんてしたくなかった。なんでこんな事になってしまったのだろう。私の目から堪え切れなくなった涙が溢れる。
「わー泣かせたー」「ひでーわー」。周りの人はそういうけれど、言葉にはどうしようもない喜色が含まれている。誰も彼もが醜悪な表情で私を見ている。
何人かの人が私に携帯を向けた。
「ツイッターにでも投稿するか」
「うっわマジ外道だわ」
「さいってー」
その頃の私にはツイッターというのが何か分からなかったけど、私の写真を取ってそれをどうにかしようとしている事だけは分かった。こんな私の姿を見たら、両親やおじいちゃんおばあちゃん、学校の友達が見たらどう思うだろう。そう考えるとますます涙が出てきて、それでも私は土下座をするしかなくて。誰も助けてくれなくて。
その時だった。
私が好きになった男の子が現れたのは。
「あの、やり過ぎじゃないですか?」
――――――
私を囲む人達を押しのけ、男の子は私の横にやってきた。そして左手を伸ばして私を庇うようにし、高校生を睨み付ける。
男の子は学ランを着ていた。中学生くらいだろうか。これと言って特徴の無い平凡そうな顔付きだったけれど、助けに入ってくれた男の子が凄く格好良く見えた。
「はぁ?」
高校生は眉を顰め、不愉快そうな表情を浮かべる。路上にペッと唾を飛ばした。
男の子はビクリと身体を震わせながらも、私を庇った姿勢のまま、男の人を真っ直ぐ睨みつけている。
「誰? この子の彼氏?」
「違います。でも、土下座までさせるのはやり過ぎじゃないですか?」
「で? お前関係ないなら口出すなよ」
「い、いや、でも」
男の子の言葉を取り合わず、高校生は自分の胸を男の子にぶつける。周りの人がそれを見て騒ぎ立てる。
「文句あるならタイマンはるか?」
「タイマンとか、そういう話はしてないじゃないですか。もう後ろの子、帰らせてもいいですよね?」
そう言って男の子は私の手を握ると、その場から連れだそうとした。しかし高校生がそれを見逃す訳もなく、男の子の腕を掴んで無理やり引き寄せた。
立ち止まった男の子は目付きを鋭くして、冷たい表情で高校生を睨み付ける。
「何ですか?」
「まだ話は終わってねぇだろうが」
「貴方は一体、この子に何を求めているのですか? 女の子に土下座なんてさせて恥ずかしく無いんですか?」
「何だと!?」
男の子の冷静な言葉に、高校生は青筋を立てて怒鳴る。周りにいた仲間達は高校生の雰囲気を流石に不味いと感じたのか、「そろそろやめときなって」と声を掛けているが、高校生の方は頭に血が上っていて言葉に耳を貸さない。
「舐めてんのか?」
高校生が男の子に顔を近付け、低い声で脅す。さっきよりも強く男の子に自分の胸をぶつけている。男の子は軽蔑した表情で高校生を見ている。その視線が余計に気に入らないのだろう。高校生は低い声で口汚く男の子を罵る。
「てめぇも黙ってんじゃねえぞ!」
二人の様子を見ていた私に、突然男の人が手を伸ばしてきた。胸を押され、私は悲鳴を上げて地面に転がってしまう。
「大丈夫か」
男の子は倒れた私の手を掴み、起き上がらせてくれた。転がった時にぶつけた頭と背中がジンジン傷んで、収まっていた涙が再び溢れてきてしまう。
「おい、泣けばすむとおもってんじゃねえぞ」
そんな私に高校生がまた私に手を伸ばしてきた。
伸びてくるその腕が怖くて、私は悲鳴を上げてしまう。
「いい加減にしやがれ!」
次の瞬間、私の隣にいた男の子が高校生の顔にパンチした。ゴッと鈍い音がして、高校生が悲鳴を上げて蹌踉めく。男の子は全身を左に捻りながら、右手で高校生のみぞうちに拳を叩き込んだ。身体を折り曲げて動きを止める高校生の股間に男の子は膝蹴りを入れる。
連続した男の子の攻撃をモロに受けた高校生だったが、流石に年齢が離れすぎていたのだろう。男の子の攻撃はそこまでだった。
顔を抑えたままの高校生が片手で男の子の胸ぐらを掴み上げると、激しく地面に叩き付けた。男の子は頭を強かに地面で打ち付け動きを止める。
「ふざけんなァ!」
倒れた男の子の横腹に高校生が何度も蹴りを入れる。男の子は苦しそうに息を吐き出しながら、グッタリとされるがままになっている。周りの仲間の制止の声を無視して、苛立ちのままに蹴りを入れる高校生。
「や、やめてぇ! 私が悪かったんです! 許してください!」
このままじゃ、助けてくれた男の子が死んでしまう。そう思った私は高校生の前に立って頭を下げた。もうどうしていいか分からなくて、私の顔は涙でベタベタだった。
「うるせえ!」
しかし高校生は私の頬を張った。渇いた男が響き、私の身体はまた後ろに倒れてしまう。
「てめぇがぶつかってきたのが悪いんだぞ!」
どうやら、男の人の怒りの対象が私に向けられたらしい。高校生は倒れこんだ私に近づいてくる。私をまた叩こうと、右手を振り上げる。
「ひぅ」
私には悲鳴を上げて、目を瞑って縮こまることしか出来なかった。だけど振り上げた腕が私を叩くことは無かった。
「やめ、ろ……」
地面を這うようにして、男の子が高校生の足元まで来ていた。右手で高校生の足に爪を立てて動きを止めていた。
「う、お」
その時の男の子は目が赤く光っている様な錯覚をするほどの迫力を放っていた。手負いの獣を連想するような双眸に、高校生は怯えたように一瞬動きを止める。
「こ、のォ!」
しかし動きを止めたのは一瞬で、高校生は男の子に蹴りを入れようと足を持ち上げる。男の子は足を掴んだのが精一杯だったのだろう、もう動こうとしない。私も動けずに、もうどうする事も出来なかった。
「何やっとんじゃァアアアアアアアアアアアアア!!」
その時だ。
すぐ近くから大人の人の大声が聞こえた。見ると杖を片手に持ったお爺さんが年齢を感じさせない恐ろしい勢いでこちらに向かってきていた。よく見るとその後ろに白髪をなびかせながら鬼のような形相をしたお婆さんが、同じように恐ろしい勢いで走ってきている。
その異様な光景に高校生や周りの仲間、私も思わず悲鳴を上げてしまう。そして次の瞬間にはお爺さんが跳び上がり、高校生に飛び蹴りを食らわしていた。
そこから私の記憶は曖昧だ。
色々な人に色々な事を質問されたけれど、ずっと泣きじゃくっていたと思う。
その後、病院に行ったり、警察の人と話をしたり、学校の先生と話をしたり、両親にこっぴどく説教されたりした。
その時に聞いた話だと、私を助けてくれたあの男の子の名前は『矢代暁』というらしかった。最後に走ってきたお爺さんとお婆さんは、男の子の祖父母だったらしい。あの後、高校生達に対して鬼のように怒り狂っていた様だ。
あの高校生達についてはよく分からないけど、今回の件だけでなく色々と問題行動を起こしていたらしくて、退学になったと聞いた。喫煙していたのがバレたんじゃないかな。煙草の箱を持ってたし。
矢代暁さんとそのお祖父さん達に対してお礼に行く機会が合ったのだけれど、結局私は行くことが出来なかった。お母さんは怖い目にあった後だから仕方ないか、と言っていたけれど、私が行かなかった理由はそうじゃない。
その時の私は完全に矢代暁さんに惚れてしまっていたのだ。多分、矢代暁さんと会ったらお礼を言うどころか、恥ずかしくて顔も合わせられないだろう。
流石に何にもお礼を言わないのは失礼なので、お礼は手紙に書いて送っておいた。何十回も書きなおして送った。お母さんに何度もチェックしてもらって、一緒に郵便局に出しに行った。
それから、結局私は矢代暁さんに会うことは無かった。
だけど数年後、矢代暁さんの妹である栞と出会い、仲良くなった。
矢代暁さんが初恋の相手で、しかも一目惚れしていて、ずっと忘れられなかった私は、運命じゃないかと悶たりしたものだけど、それは恥ずかしいから詳しくは言わないでおこう。
―――――
「あぁ……あの時の女の子が……」
アカツキさんと鈴ちゃんが開いているお店の二階。
アカツキ君の部屋の中。
私は彼と初めて会った時の話をしていた。
案の定というか何というか、アカツキさんはすっかり私の事を覚えていなかった。何となく地面に頭を叩き付けられた記憶があるなあ、と苦笑いする顔面にパンチを入れたくなった。
「栞から貴方が引き篭もったと聞いて、びっくりしましたよ」
「いや……はは……。その話はちょっとやめてくれ」
頭に来たので言葉でチクリと刺してやった。ざまあみろ。お前は鈍感系主人公か。
「あの時の俺はひたすら頑張らなくちゃって思ってた頃だったからなあ。勢いだけで生きてたようなもんだよ。その結果、でっかいたんこぶ作る羽目になったけどな」
「改めて、あの時はありがとうございました。助けてくれて凄く嬉しかったです」
「礼なんていいよ。結果的に助けたのは俺の爺ちゃん婆ちゃんだしな。あの人達、俺と栞の事になると冷静さを失ってさ。栞が男に襲われかけた時なんて、怒り具合がやばかったよ」
「その時に、栞を襲った男を一番にぶん殴ったのは貴方と聞きましたけど」
「あはは……」
「そういう所が、格好いいんですけどね」
「え、えっ」
ぼそっと呟いてみると、顔を赤くしてうろたえるアカツキさん。鈍感系主人公だと、こういう時に「え? なんだって?」と台詞を聞き逃したりするけれど、流石にそんな事は無かった。
「あなたに言っておきたい事があります」
「な、なんだ?」
今、アカツキさんは違う女の子と一緒に暮らしている。その猫かわいがりっぷりを見れば、だいたい何となく事情が分かってしまう。
だけど。
「私は、貴方の事が好きです」
だけど、私はまだ諦めていない。
顔を真赤にして、さっきよりも更にうろたえるアカツキさん。
今日の所は取り敢えず、この可愛い反応を見れただけで良しとしよう。