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矢代暁は高校時代まで妹を守るために見栄を張ってきた。嫌な事や辛い事に耐える事が出来たのは、妹を守りたいという意志があったからだ。その意志の為に溜め込んできた物が、大学受験に落ちた時、彼の中で爆発した。結果、彼は全てを投げ出して部屋に閉じ籠もった。
それはアカツキになってからも同じだ。命を掛けた攻略を彼が戦い抜いてこれたのは、栞とリンの存在があったからこそだ。
アカツキは弱い人間だ。
しかし、何かを守ると自分で決めれば、自分を殺してでもそれを守ろうと尽力する事がで出来る。
だからこそ、リンという存在が死んだ時、アカツキの心は完全にへし折れた。完膚無きまでにへし折られ、アカツキは再び全てを投げ出した。
しかし、アカツキは今、運営との決着を着けるために戦っている。
アカツキは強い人間ではない。けして立ち直ることが出来た訳では無いのだ。
では何故、アカツキが再び剣を握る事が出来たのか。
それは《Blade Online》の世界が開始されてから初めて運営の管理下から外れた、十分間の中に答えがある。
――――――――――――
死んだ。
リンが死んだ。
目の前で死んだ。
カタナに殺された。
俺が居たのに。
すぐ近くに、目の前に俺が居たのに。
リンを守るって決めたのに。
リュウにリンを守ってくれって頼まれたのに。
死なせてしまった。
守れなかった。
約束を破ってしまった。また約束を破ってしまった。
ごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。許してください。
もう嫌だ。なんでこうなるんだ。こんなつもりじゃなかった。こんな筈じゃ無かった。リンに告白するつもりだった。リンと現実で合って楽しく過ごす筈だった。もう手遅れだ。もう助けられない。後の祭りだ。
もう疲れた。
もう外に出たくなかった。色々な人が協力してくれ、力を貸してくれ、と俺の所に来た。どうでも良かった。煩い。静かにしてくれよ。もう嫌なんだよ。目の前で人が死ぬのは見たくないんだよ。
時間が経つに連れて、俺の所に来る人が少なくなってきた。現実で引き篭っていた時と同じだ。最初は優しく話掛けてくれる人も、時間が経つと見放すんだ。
俺はまた同じ過ちを繰り返しているのか。
死にたかった。
だけど死ぬ勇気は無かった。
だけど、前回と今回では違う所がある。
栞は、栞だけはずっと俺の所に来てくれるんだ。俺を見捨てなかったんだ。
ずっと側にいるから。私だけは、ずっと一緒にいるから。私がずっと、守るから。
そう言って栞は俺を抱きしめてくれた。優しく頭を撫でてくれた。
俺はその優しさに甘えてしまった。ズブズブとその心地よさに沈んでいった。
部屋に隅で丸まって、何もしないで過ごした。何もしたくなかった。
何かが渇いて行くようだった。何かしないといけないという焦燥感が身体を焼いていく。それを諦めが包む。栞が来てくれる時間だけが、俺に潤いを与えてくれる。
リンが死んでからどれくらい経っただろうか。
視界が不意に黒く染まった。身動きが取れなくなる。
何が起きたんだ? もしかして、俺は死んだのか?
そう思っていると、不意に視界が明るくなった。
「?」
最初にこの世界に入ってきた時と同じ、真っ白な部屋の中にいた。周囲には沢山のプレイヤーが居る。どうなっているんだ、と言葉を発しようとして、思うように口が動かない事に気が付く。それだけじゃない。身体を動かそうとしても、上手く動くことが出来ない。身体を軽くよじる程度の事は出来ても、その場から移動したり、喋ったりという事が出来ない。周りのプレイヤーも同じ状況の様で、困惑を顔に貼り付けていた。
『急に呼び出してすまないな、プレイヤー諸君』
部屋の壁にスクリーンが現れた。画面には砂嵐が映っていて、白と黒の線が目まぐるしく動き回っている。そして、そのスクリーンから以前と同じ低い男性の声が流れだす。
以前は何の疑いも無く、喋っているのも男性だと思ったが、当然声が加工されているだろう。スクリーンから話し掛けてきているのはもしかしたら女性かも知れない。
まあ、そんな事はどうでもいいのだが。
『これから言う内容に君達は酷く混乱するだろう。しかし、あまり詳しく説明している時間は無い。君達から投げかけられる質問にも答える時間は無い。だから、その様に私の話に専念出来るよう、身体の自由を制限させて貰った』
スクリーンの主は、俺達がゴチャゴチャと喋らないように身体の自由を奪ったらしい。やはりこの程度の事は可能なのか。
時間が無いとはどういう事だろう。
『私の言う話は全て真実だ。突然集められて、憎い運営の人間にそう言われた所で信じて貰えるとは思わない。だがそれでも言う。これから言う事は全て真実だ。だから心して聞いてくれ。まず最初に、今この場にいる君達を見ているのは私だけだ。運営には何人も人間がいるが、私以外はこんな状況になっているという事は知らない。これは私の独断だ』
彼、もしくは彼女の言葉に、周囲のプレイヤー達が身動ぎする。それもそうだろう。突然、自分の話は全て真実だ、それも仲間には内緒で話をしている、などと言われたのだ。驚いて当然だろう。
だけど、まあ、俺は特にどうでもいいや。早く話して部屋に返してくれ。
『まずこの世界、《Blade Online》の正体だ。ここは君達プレイヤーを利用して研究を進める、巨大な実験場だ。時間がないので詳しくは話せないが、我々はここ数年、君達の行動パターンや感情パターンなどを細かく採取し、色々な技術を完成させてきた。まあ数年と言っても、現実世界では大した時間は経過していないが』
実験。
そんな為に、リュウやリンは。
『今の話で気付いたかもしれないが、この世界からはどうやってもプレイヤーの力では抜け出すことは出来ない。第三十エリアをクリアしてもゲームは終わらないし、そもそも第二十九エリアのボスはHPが1より下にはならないように設定されている。つまり、君達ではどうあがいてもボスは倒せない』
モニターの奥にいる奴は一旦間を開け、再び話す。
『さて……ここで私の立場を明確にしておこう。私はこのゲームを終わらせて、君達を解放したいと思っている。だからこうして仲間を裏切り、君達と話をしている。もう一度言おう。私は君達を解放したいと考えている』
……。
『しかし、残念ながら私一人では君達を解放する事は出来ない。そして逆に、君達だけでもここから出る事は出来ない。だから私は君達に力を貸す事にした。君達も私に力を貸して欲しい。何を勝手なことを、と思っているは分かっている。だが私にはこうする他に手段はない。君達が私の話を信じず、この世界にとどまり続けたいと言うのなら、私の話は無視して構わない』
そこれ一度、俺達の反応を確かめるように区切ると、再び話を続けた。
『これから君達がこの世界から脱出する為の手順を説明する。まず最初に、今から数日の間、私は第二十九エリアのボス、ハーデスに細工をする。ハーデスの不死設定を解除するのだ。だから君達はその間にハーデスを倒して欲しい。いつ仲間に気付かれるか分からないから、出来れば早めに頼む。そしてハーデスを倒すと、第三十エリア……いや、我々運営が活動している施設への道が開く。君達はすぐにそこへ突入して欲しい。ここからが肝心だ。君達の侵入に気付いた運営は当然、君達を排除しようとするだろう。だから私は運営のシステムにロックを掛け、彼らの権限を出来るだけ封じる。だからその内に君達は妨害を突破して、施設内部に侵入、奥にいるラスボス……まあ黒幕と言い換えても良いだろう、君達をこの世界に閉じ込めた張本人、戦人針を倒して欲しい』
戦人針……?
『戦人針は運営のシステムから、君達プレイヤーの中に紛れ込んで活動していた事がある。だからそれなり……いやかなり強いだろうが、命懸けで戦ってきた君達なら、戦人針を倒せる筈だ。戦人針さえ倒せれば、君達はこの世界から抜け出す事が出来る。色々と省略して簡単にしか説明出来なかったが、これが君達がこの世界から脱出する為の手順だ。私の言葉を信じてくれるのであれば、頼む。戦人針を倒して欲しい』
ザザザと俺達を囲んでいる壁にノイズが走り出した。モニターもユラユラと揺れ始めている。奴は『そろそろ時間だ』と呟いた。
『最後に一つだけ言っておこう。多分、これを言えば君達は否が応でも行動せざるを得なくなるだろうからな。卑怯だと思ってもらってもいい。私も必死だからな。心して聞いてくれ。一文字足りとも聞き逃すなよ。これから言う事は真実であり、事実だ。いいか?』
『「この世界で死んだ人間は、まだ蘇らせる事が出来る」』
――――――――――――
――――では諸君、健闘を祈る。
その言葉と同時に、まるで深い水の底から無理やり引き上げられるような衝撃が身体を襲った。そのキツイ衝撃に呼吸を荒くしながら、周囲を確認すると、先程までいたあの白い部屋ではなく、俺が引き篭っていた部屋の隅に座り込んでいた。
クラクラする。
頭が痛い。
「く」
壁にもたれ掛かって息を整える。落ち着いてきた頃になって、俺はあの白い部屋での出来事を振り返る。奴が語っていた事は話半分に聞いていたが、それでも最後のあの言葉だけは焼け付くように俺の脳に残っている。
「くく」
何を忘れても、あの言葉だけは忘れられないだろう。何故なら一言の中に俺が求めていた全てが合ったのだから。
この時の俺はどんな表情を浮かべていただろうか。自分でも分からない。
「くくくくく、はははっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
口から抑えていたそれが溢れ出る。笑い転げて、壁を殴り、凄惨な笑みを浮かべながら、俺は立ち上がった。
地面を強く踏みしめ、俺はアイテムボックスに放り込んでいた自分の防具と武器を装備する。今まで装備していたレンシアさんに作ってもらったジャージは消滅し、鎧が俺の身体を覆う。ずっしりとした重さが伝わってくる。
装備を確認し、笑みを深め、俺は叫んだ。
「俺が……俺がァ! この手でェ!」
お前を、リンを。
「助け出すッ!!」