本編 由美の3つの鍵
―10 委員長の答え探し2 ~回想~
翼が無い。
この事実はありえないことだった。天使である以上必ずしも背中の肩甲骨あたりから大きな白い翼が二つ生えているはずなんだ。なのに今、私の背中には……背中には……翼がない。
翼が無くなって過ごす天使の話を少しだけ私は聞いたことがあった。まず、それはほんとに昔の話らしいし実際あったかどうかの真意は知らない。でもその話からその天使の事は堕天使と呼ばれるらしかった。
実際、私が生まれてからも生まれる前も翼を失った天使はその場で死に絶えるのが普通なのだ。天使が存在するために必要な生気の吸収は主に翼で行われる。それが不可能になる状態が堕天使ということだ。すぐに天国や地獄に堕ちていく天使。堕天使。でも私は生きている。
錯覚……そう思った。だから腕を必死にひねり、肩甲骨に手を押しやる。そこに翼の根元があれば私の目が悪くなってるだけなんだから。
まず、ないとおかしい。じゃないと私はもう堕ちているということになる。
……もしかしてもう堕ちている?
そう思った瞬間だった。私の手は肩甲骨に触れ布地をゆっくり摩った。布地越しでも分かる……当たり前だあれほど大きく生えていた翼が今、私の触れてる所には無い。
布の奥は平らな皮膚。肩甲骨でぼっこり出っ張ってはいるけどこの出っ張りは翼からのものじゃない。
それがなにを意味するかはひとつしかなくて……でも認めるわけにはいかなかった。だから何度も何度も肩甲骨を撫でる。
「天使さん……動ける?」
「……嘘よ……」
小さくつぶやく。それしか出来なかった。現実逃避、目を背けたかった。翼がなくなるという事態を無視したかった。目の前の真っ赤な瞳を持った知らない少女に嘘だよと言って欲しかった。
少女が私の様子を見かねたのかこっちに歩み寄ってくる。それに私は対処することなんてできなくて……なによりショックだったから。
私の目の前にやって来た少女はそっと自分を抱くようにしてうずくまってしまった私の頭を撫でた。
いきなりすぎる行動に体がピクっと反応する。
「……何? なんなのよ」
「天使さん……大丈夫? 翼が無い事が辛い?」
弱々しくなってしまった私の声に少女は心配してるかのような声を出して私の頭を撫でてくる。今すぐにでもこの手を払い除けてやりたかったが今、それをする気力も浮かばない。
辛い……そう聞かれたら首を縦に振るだろう。でもなにか違う。これは辛いのだろうか? 悲しいのだろうか? このやるせない気持ちは一体なんなんだろうか?
「大丈夫? 痛いところない?」
「うるさい……」
「……え?」
「うるさいのよ……一体なんなのよあんた」
声が……震えてしまってる……。
少女は私の頭から手を離した。
そして小さく私に言ってきた。
「シズクは《鳳凰》の長の契約者! 水又シズクだ!」
「……」
私はなぜか誇らしげに名前を名乗り出した少女に向かって顔を向ける。予想通り、無い胸を反らして両手を腰に「えっへん」とでも言いたげな態度で仁王立ちして私を見下ろしてきている。
その背中には綺麗な真っ白い等身大の翼。本当に、綺麗な形をして輝きを放っている。ここまで綺麗なのは珍しい。
「白い髪の毛だけどシズクだよ! えっへん!!」
「……」
言った……本当に言ったわ。
「大丈夫? ボーとして?」
「……あなたのせいよ」
「え!?」
「あなた……天然なの?」
「うん!! 自然から生まれた天然のピチピチ天使だよ!!」
「いや、そっちじゃなくて……」
だれも人工的に作られたかどうかなんて聞いていない。まったくこの子は。
天然……その言葉の意味を深く知った気がする。
「あ、天使さん笑った! やっと笑ってくれたね」
「あ……うるさい」
「そんなふくれっ面は似合わないよ! 笑顔笑顔!」
そう言ってニコーと笑顔をこちらに振りまいてくる。こういう子がそばにいると絶対に場が和むと思う。今のように。
にしてもさっきこの子が言った《鳳凰》とは一体なんのことなんだろう?
私はゆっくり立ち上がりながら少女に聞いた。
「それで……《鳳凰》ってなんのことなの?」
「それについてはお爺ちゃんが教えてくれるよ! ……歩ける?」
「え、えぇ」
頷いた私の右手を少女はしっかり握って私を引っ張っていく。まだ体の感覚が戻っていないからしっかり歩けているか分からないけど、引っ張られるから自然に足が前に出る。
そしてあの暖かい布の敷かれた個室から私は外に出た。
扉を抜けたそこは大きな広間になっていて下には真っ赤なカーペットが敷かれていた。そしてちょうど私のまっすぐ前にいる大きくて綺麗に金や赤で彩られた椅子に座った白髪を長く伸ばした老いぼれた人間……。
そしてその隣には翼を生やした青髪の女が着物姿で立っていて腰には刀がささっている。逆には金髪をつんつんに尖らした人間の成人するかしないくらいの男が小さい椅子……というかパイプ椅子に腰を下ろしてこっちを見てきている。よく見ればそこだけじゃなくて広間の至るところに天使や人間の姿がある。
ここは一体どこなんだ? なぜ人間がいる? 色々質問が浮かぶ。それを声に出す前に私の手を引く少女は声をかけた。
「はい! お爺ちゃん!」
「うぬ。ご苦労シズク……こっちへおいで」
ちょっと喉に詰まるように出ているがでも線がしっかりした声をちょうど私が後10歩くらい歩けばたどり着くような距離にある大きな椅子に腰を下ろしている老いぼれた人間が言った。その声を聞いた少女は私の手を離し、その人間の所に走っていく。後ろに生えている翼がピコピコ動いているのがよくわかる。
老いぼれた人間の目の前まで行った少女はその人間に頭を撫でられて嬉しそうに顔を和ませている。意味がわからない……なぜ人間が天使の上に立つ? 自ら頭を差し出すなど忠誠に値する者にしかしないものだ。それはもちろん天使に対して。なのになぜあの少女は……。
若干パニックに陥っている私に少女の頭を撫でている老いぼれた人間は言ってきた。
「どうやら死なずに生きれたようじゃな」
「……あんたは……?」
小さく言い放つ。
こっちに向けられた目はほんとに細くて顔にはシワが寄りまくっていた。
「あんただと!? 誰に向かって口聴いてるんだよ!!!!」
「!!」
老いぼれた人間の隣でパイプ椅子に腰を下ろしていた金髪の男が大声で怒鳴った。その目には歴とした殺気が篭っていて私はすぐに右手に力を入れた。だが、cubeが無いから武器を召喚できない。この男が今すぐこっちに襲いかかってくる気配がないからまだ大丈夫だが、どのみちcubeを奪われている以上こっちからは手出しできない。
「良い。最初は誰だってこうだ。おぬしもそうだったであろう? 和希よ」
「そ、そうだけどさぁ……」
「わしは気にしとらん。大丈夫だ」
「は、はい」
あの金髪を老いぼれた人間がいとも簡単に止めた。どうやらあの老ぼれがここのトップみたいだ。
「それで、色々質問したいこともあるじゃろうがまずはわしの話を聞けぇ」
「……意味は……?」
「何……聞いて損は無い。……まずは自己紹介からさせていただこう」
老いぼれた人間はゴホンと一回咳払いした。
「わしはこの《鳳凰》の長を務めるルドルフ・ルービックと言う。この《鳳凰》内ではお爺と呼ばれている」
「鳳凰ってなんなのよ……」
「まぁ待てと言っただろう。いまから説明してやる……」
ルドルフと言った人間の男はシズクの頭を撫でながら言葉を続ける。
「《鳳凰》とはわしが組織している対悪魔の天使結託組織じゃ」
「対……悪魔……?」
人間が悪魔と戦う? 人間が組織している悪魔と戦うための組織? そんなものあるはずがない。まず人間は天使と干渉すること自体が難しい。大抵の人間は私たちの存在にも気づかない。もちろん悪魔にも。だからこそ固有結界に引きずり込まれた後、悪魔から逃げ延びて生還するなんて事がありえないと言える。
人間からすればそれはただ急に消えた失踪事件に過ぎず、悪魔の仕業だと微塵も感じたりしない。
エクソシストとかいう悪魔祓いも生きている人間に乗る移ろうとした頭の悪い悪魔だけしか払えない。本当の悪魔を殺すことも死んでしまった人間に取り付いて本物の悪魔になった悪魔を殺すことも出来ない。悪魔を殺し、消すことができるのは天使だけなのだ。
それに気づく人間がこのルドルフ……というのか?
「そうだ。わしたちは天使たちと契約を交わし悪魔を消すために動く組織だ。表面上、天使を崇拝する宗教団体として活動している」
「契約……? という事はシズクさんはもう契約して本物の天使になれたと言う事?」
「うん!!」
シズクが振り向いて返事してくる。にっこり微笑んだ顔はすごく幸せそうだった。
幸せという感情をしらない私にでも理解できるような笑顔に映る幸せという言葉。シズクは……この人間たちと契約して幸せというのだろうか……。
実際天使が人間に乗り移った悪魔を殺すには目には目を、歯には歯をという言葉通り、天使も人間に乗り移らないといけない。だが、天使は生気を吸い取って生きなければならないから死体に乗り移ることは出来ない。
だから生きた人間に乗り移ることが必要になる。
でも生きた人間に乗り移るにはかなり労力を消費するし、動かしづらい。その体で悪魔と戦うなんて滑稽すぎる。だからこそ人間側に許可を得て乗り移る。それが契約の姿だ。
そして……契約した人間はaccess状態に入っている間が特に契約した天使に生気を吸い取られる。
つもり、自分の命を天使に捧げていることになるのだ。
だからこそ自分たちに協力する人間がいることなど無い。こちらからなにかしらの条件を出さない限り協力する者はいない。はずだった……。
それが……それが……。
「わしたちは悪魔を倒したいと願っておる。人間を殺し自分の入れ物とするなど許せん」
「……そして……この組織を……」
「そうじゃ」
「……そう」
この組織については分かった……。
では、そろそろ本当に聞きたいことを聞こう。
「それじゃ……どうして私がここに……?」
「……何を言う。助けただけじゃよ。歴史上初めての生き延びた堕天使よ」
堕天使、という言葉に私はもう一度顔だけ後ろに振り返り、翼が無い事を確認した。
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