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魔法の肉屋さん

作者: 日向夏

 焼肉は美味しい。それは多くの一般人が考える共通事項であろう。


ちょっと特別な日、じゅうじゅうとホットプレートで焼く肉。家族団らんのひととき、食べ盛りの弟をどう制するかが勝敗を握るバトルロイヤル。


もしくは、みんなで部活の打ち上げで食べたバイキング、あれもわいわいがやがやと楽しいものだ。憧れの先輩の前で可愛らしくケーキを頬張る同級生の隣で、私は理想の肉を育成し続けた。


 一度だけ、都内の高級焼肉店に行ったこともあった。あれは美味かった。肉が蕩けるなんて現象が、私の舌の上でおこるという奇跡だった。この数切れを我慢すれば、秋物ワンピースがクリアランスセールを待たずに買えるという状況だった。おごりという言葉がなければ、私はその赤い宝石たちと出会えることはなかっただろう。


 その時食べた肉は、私の血となり、肉となり、そして頭まで侵食していた。あのとき輝かんばかりの肉、添えられた茄子とピーマンまで、私の頭のフォトフレームに永久保存されている。


 その後、親戚からお歳暮でもらったという高級肉を食らう機会があったがあれには及ばなかった。店の味付けもさることながら、肉の根本が違う気がしてならなかった。


 アスリートとして推薦を貰っていた大学を蹴って、調理師専門学校に進学した。親は泣いた。泣いたが仕方ない。一度、特待生となってしまったが最後、寮に入り、高タンパク、低カロリーの食事をとらねばならない。肉は肉だが、鶏肉だ。いや、鶏肉は悪くない、でもその美味しい皮をはぎ取る権利がどこの誰にあるだろうか。さしが入った肉が在学中食えないなんて想像もしたくない。


 私は授業料免除より、肉を選んだ。

 

 おごってくれた相手は八歳年上の従兄弟だった。放蕩者と親戚の中でもつまはじきにされていた彼であったが、私は好きである。なぜかといえば、肉の恩だ。それだけだ。


 浮き沈みの激しい従兄弟は、羽振りがいいときはとことん羽振りがいい。過去、羽振りが良かった波は三回、焼肉の他に、三ツ星フレンチと高級料亭に連れて行ってもらったことがあった。どちらも美味しかったが、私にとって焼肉に勝るものではなかった。なにより、ドレスコードやマナーがうるさく食べた気がしなかったのもある。


 そして、先日、私の携帯に着信があった。従兄弟からだった。


 内容は……。


『アフリカみたいなところにいるんだけど、当てちまった。今度、美味い肉食わせる』


 だった。


 仕事の内容は聞かないでおこう。聞いては、美味い肉がまずくなる。


 というわけで――。






 私はここにいる。






「アフリカみたいなところといえば、大体、その周辺の国々をさすと私は思う」


 アフリカ大陸にある『アフリカ』の名称がつかない国のどれか、もしくはアフリカを思わせるジャングルやサバンナがある国という認識だった。


「アフリカみたいだろ? ナオミ」


 従兄弟こと比呂ヒロ兄が言った。


 『直美』ではなく『ナオミ』と少しなまった発音で言うのは、比呂兄の癖だ。当人曰く、ナオミとは本来外国由来の名前で、その発音に合わせているというが、残念だが私は日本人だ。


「サバンナじゃなくてジャングルか」


 比呂兄のいう『アフリカ』のような国という意味は、アフリカ大陸の国を示したわけではなかったらしい。確かに、映像だけ見せれば、皆、アフリカもしくは東南アジアといってしまうような鬱蒼とした森である。


 肉につられた。


 つられて連れてこられたのが、ここだなんてちょっと飛躍しすぎていると思う。


『包丁持って来いよ』

 

 なぜ、それを言ったのか理解できなかった。きっと比呂兄のことだ、当てた山で牛の一頭買いなんて無茶をしたに違いないと思った。

 

 そんなもんさばけるかよ、と思いつつ、バイトでやってた肉解体を何度も反すうしてイメトレを繰り返していた私がいた。


 アスリート時代から私は、イメトレによって精神面を調整することに長けていた。


 しかし、ジャングルのイメトレは考慮していなかったので、それなりに動揺している。


 服はロングスカートにパーカー、下にストッキングをはいている。アスリートとして、筋肉質になった足はいまだ衰えず、私服はスカートを愛用している。足が細いと言われるが、それはふくらはぎといったひざ下であり、太腿はごつい。ジーンズがビチビチになるのはとてもつらい。


 ジャージを着てくればよかったと考えたところでもう遅い。

 

 せめて、スカートに深くスリットが入っているだけマシといえよう。


 比呂兄は慣れた様子で煙草をふかしながら、身体につくヒルを落としていく。私は比呂兄から煙草を奪う。


「おっ、そういや成人おめでとう」

「吸うか!」


 そのにやついた無精ひげの面に、根性焼きをきざんでやりたい衝動をおさえて、前に進む。


 ここで、比呂兄という先駆者がいなければ私は遭難ということになる。


 私はなぜ、ここにいるのか、それすらわからない状況なのだから。


「セスナにでものせられたのか?」


 パスポートは一応あるが、当人が気絶していても税関を通してもらえるものだろうか?


 そうなると密航か。


 大体、どこの国だよ、となる。


「いや、ちょっと輪っかくぐればこっちに来れる」

「そうか、夢なら覚めろ、くたばれ、馬鹿比呂」

「諦めろ、現実だ」


 比呂はじゅっとヒルを焼きながら前へと進む。


 羽虫がうるさい、肌がジメジメする、喉が渇く。


 なんで私がこんな目に。


「なんで私までここに来る理由がある」

「マグロ漁船に乗らねばマグロは食えぬ」

「食えるよ!」


 さっきからどこの国かと聞けば、アフリカみたいなところとしか言わず、帰ろうにも気が付けばジャングルの中という始末。このあほ男の首を絞めて宙吊りにしてやるところだ。体格的、身体能力的には私に不利だが、足はまだ走り込みは続けているし、なによりこっちには武器がある。専門学校入学の際、十万円で買った包丁セット。錆びないようにちゃんと手入れしたその品の切れ味は恐ろしい。


 殺意と理性の間で揺れ動いているうちに、ようやく鬱蒼としたジャングルの切れ目が見えてきた。


「おおう、集まってるな」


 そう言って、比呂兄は手を振っている。なんだ、現地のガイドにようやく合流できたのか、と思った。

 

 しかし。


 アフリカというと現地人が槍を持っているイメージだが、実際は違う。携帯電話は必需品だというし、街で煙草やコーヒーも買うらしい。


 なので、腰みのをつけて槍を持っている姿を想像するのは、はなはだ失礼だとわかる。


 でも。


 なんで鎧なんだ?


 まだ、革でできた部分鎧くらいならわからなくもない。しかし、フルプレートとなるとなんでだ、としか言いようがない。


 そんな集団がいた。


 私のつたない知識の中で、フルプレートを着こんだ動きというものは、まるでゾンビのごとき遅さである。RPG風に説明するなら、守備力100を得られる代わりに、素早さが100減る代物と考えている。


 それをわざわざジャングルで着る意味はあるのだろうか。


 分厚い鉄板の中には、それこそ筋肉が素晴らしそうなにいちゃんたちが詰っていた。そのうちの一人が、がしゃんがしゃんと音を立てながらやってくる。なぜだろう、こんな蒸し暑いジャングルの中にいるのに、その肌はコーカソイドのそれであり、金髪に碧眼という代物だった。一体、この熱帯の気候に順応できるのかという疑問が浮かび上がる。


「よう、ミカエル」


 ミカエルとな。なんともわかりやすい宗教圏の名前だろうか。しかし、ミカエル氏はへらへらした兄と違い、むっつりしている。色男が台無しだが、私としてはもう少し百メートルを十秒切るくらいの素早さが欲しい。


「何をやっていた! もうそろそろ奴はくるぞ!」

 

 比呂兄の襟をつかみ、唾を飛ばさん勢いである。なんか日本語喋っているので、バイリンガルかなとか思ったが、なぜか口の動きがずれている。


 はて、まるで映画の吹き替え版みたいだ。


「おいおい、助っ人連れてきたってのにそれはないだろ?」

「助っ人だと? 婦女子ではないか」


 助っ人、嫌な響きだ。しかし、婦女子と聞くと照れくさい。


 町内会で何度こき使われたことか。地域対抗リレー、なぜ私が最初に走り、アンカーも兼ねなくてはいけない。

 せっかく一位でバトンを渡したのに、また自分にまわってくるころにビリなんて嫌がらせに違いない。今度は絶対やらない、報酬は黒毛和牛一キロとかいって、外国産混ぜてたの知っているんだぞ。


「ほら助っ人の……」

「断る」


 私は断言する。

 なぜこんな目にあった挙句、なにか手伝いをしなくてはいけないのだろうか。

 

 ここがジャングルで、なぜか鎧のにいちゃんたちがいて、んでもってなにか手伝わされそうだということに、疑問は浮かぶしはっきりさせたい気持ちもあるが、もうどうでもいい。


「早く帰せ。でないと、なますにしてやる」


 私は唯一の荷物を手にする。ケースの鍵をかちゃりと開けると、そこにはきらりと職人の腕が光る包丁が見える。


「おい、やめろ。そこでそんなものを出すな」


 比呂兄は歪に笑う。私はわざわざ金髪のにーちゃんにまで喧嘩を売るつもりはない。あくまで馬鹿従兄弟に対して脅しをかけるつもりだった。


 しかし。


「そ、それは!?」


 きっと漫画の原稿であればここに、背景ベタフラッシュ、顔と髪に集中線少し入れて、ホワイトちょっと飛ばしたやつ、写植の指定は大きめにとなるかもしれない。


 その程度に驚きを隠せないミカエル氏はわなわなと手を震わせながら近づいてくる。その怪しげな動きに、いくらそこそこイケメンであろうとも後ずさってしまうのが婦女子というものであろう。


「これは……、どこで手に入れた?」

「かっぱ橋」

 

 たしか学校はそこで仕入れている。けっこうお安くいいものを入れてくれるので助かる。


「どんなブラックスミスがこんなものを……」


 ブラックスミス?


 たしか、刀鍛冶の人だったろうか。


 しかたなく包丁に紋が入ってないか見るけど、そんなもの見たことない。


「無銘ですね」


 物が良い割に安いのはそこのところが関係しているのかなと思う。


 なんかじろじろ見られるのも嫌なので、屈んで包丁をケースに片付けようとしたときだった。


「!?」


 今度はウニフラッシュに『!?』の吹き出しに顔にグラデーショントーンを張り、緊張をあらわしている。


「失礼、ぶしつけで申し訳ない。ところで、お名前をうかがいたいのだが。服装を見る限り、闇系統かと思われる」

 

 服装が黒いのはセンスがないからだ、悪かったなと殴りたくなる。


 いきなり恭しくなったミカエル氏は、私の前にひざまずいて私の手をとった。そして、あろうことか、手の甲に唇をつけて大変紳士らしい挨拶をした。


「比呂兄、これってセクハラ? 勝てる?」

「現代日本ではほっぺにちゅーなら捕まるらしいけど、これくらい許してやれよ」


 なぜいきなりそんな真似をしているのかと思えば、なぜか彼はじっと私のスカートを見ている。いや、正しくはスカートからのぞく足を見ている。


「これはセクハラでいいよな?」

「いや、見ているのは多分ストッキングだ」


 ストッキングだと?

 たしかにそこにはジャングルを歩いてびりびりになったストッキングがある。一部の好事家が好むそれだが、金髪にーちゃんもまたこの道の人なのだろうか。


「そいつらから見ると絹の靴下ってやつで、それを穿いた貴婦人を守るのが騎士の役目なのだと。なお、相手が見せてきた場合に限る」


 つまり騎士道の中にストッキングフェチが含まれているとなる。しかし、私がわざわざ見せたみたいな言い方は大変腹立たしい。むっとなって立ち上がり、スカートの裾をなおす。


 残念そうな顔をするミカエル氏。なんというむっつりさんだろうか。


 そんな彼に鎧騎士その一が駆け寄ってくる。鎧装備のおかげで本当に動きが鈍いが、それでも走っているつもりだろう。


「ミカエル隊長! 奴が! 奴が現れました! 囮部隊が今、こちらへと誘導しています!」

「よし、準備しろ!」


 さっきまでのフェチ顔もどこへやら、ミカエル氏はきりっとして部下に命令する。


 部下たちは、ジャングルの中で広がった一画に陣形を組む。森が途切れているかと思ったら大きな湖があるせいだ。その周りに人がかたまっている。


大体六人一組くらいで、それが十以上ある。鎧にばかり気をとられていたが、一組に一人は長いローブのようなものを着ている。大体、白や黒で、そのまま魔道士とつけばジョブ名になりそうだ。


 私は比呂兄を見る。比呂兄は何やらはたきのようなものを組み立てていた。あれだ、地鎮祭とかで使う、棒の先に白い紙のぴらぴらがついてるやつだ。それを持って、頭には烏帽子をかぶっている。


「どっから取り出した? ってか、袴も着てるし!?」

「うん、下に着てた。着やせするタイプでな」


 この道楽息子の実家は神社だ。だから、その神主装束を持っている理由はわかるし、着付けも得意だ。


 いやしかし、この場面で着替える理由がわからない。


 なにがやりたいんだ?


「時間ねえから手短に話すぞ。お前、魚の鱗とり得意か?」

「あんなん簡単だろ」


 包丁の背でばりばりやってしまう。下手な子は専用の道具を使うが、私は面倒くさいのでそれで終わらせる。


「じゃあ、肉の解体はできるか?」

「バイトで一通り」


 いいバイトだ。グロテスクだから無理と辞めるバイトたちの中で私は平気だった。女の子だから止めておいた方がいいといっていたが、泣きを見たのは一緒に入ってきた野郎どもだった。


 私の思考はかなりばっさりとしていて、それが生き物だったかそうでなかったかより、食えるか食えないかで判断する。


 牛を殺して食べることについて牛に悪いと思うが、それで残したところで何になるというのだ。

 綺麗に解体して肉を余さず使うことが大切だろう。


 そのうちマグロの解体もやってみたいと思う。


 なんだか風が急に強く吹き始めた。蒸し暑かった空気が、さらに温く、いや暑く感じる。


 私は鼻の頭に浮いた汗を袖で拭いた。

 

「ふーん、なら教えてやるな」

「何が?」

「今から来るやつは、ネックを狙え」


 ネック、牛の肉の部位でその名の通り、首の肉だ。味は濃厚だが筋が固く焼肉には向かない。

 正直、それほど興味がわかない部位である。


「どうせならロースか、バラがいい」

「いくらでも、食わせてやる。ただ、仕留められたらな」


 そう言うと、比呂兄ははたきを大きく振った。


 その瞬間、兄の周りで大きく風がふく。ぐるりと綺麗な円形を作るとともに小石や砂が弾き飛ばされ、かわりになにかふわふわと光るものが見える。


 目をこする。

 

 やっぱなんか浮いている。


「なにこれ?」

「精霊だ」

「そうか、幻覚か」


 きっとこれは夢に違いない、きっとそうだ。そのうち、目覚ましの音とともに、ベッドから落ちて目覚めるに違いない。


「ほっぺつねろうか?」

「いらん、お世話じゃ!」


 そんなことを言っている隙に、ぱさりとはたきで頭を叩かれた。


 それとともに、ふわふわ浮いていた光が私の周りにまとわりつく。


「なにした?」

「加護だ、加護。これがないとさすがに丸焦げになっちまう。ほれ、あれだ」


 比呂兄が指した先を見る。


 熱風が身体を吹き飛ばさんとする。


 顔を手で覆いながら、ゆっくりその先を見る。


 巨大な影が空を覆っていた。白い腹の部分には堅い外皮が見える。外皮といっていいのだろうか、爬虫類の腹の、あの部分だ。


 そこからかぎ爪を持った手足が見え、長い尻尾がぶら下がっている。羽、鳥というより蝙蝠に近く、でもそれよりもずっと強靭な骨組みをしている。しかし、その巨体を浮かすにはかなり物理法則を無視しているといってもいい。


 そして、ぎょろりとした金色の目がみえた。

 大きな顎から尖った歯と長い舌が見える。粘った唾液には赤い血が混じり、息を吐くとともに火が噴き出る。


「……プテラノドンにしては大きいな」

「うん、ドラゴンな。さっきの熱風、炎だから。加護がなかったら、丸焼きだったから」


 そう言って比呂兄は、周りを指す。


 陣形を組んでいた騎士たちの列がすでにいくつか崩れている。

 

 ある者は湖に飛び込み、ある者は白いローブを着た者になにか治療してもらっている。


「お前が逃げるのはいいけど、たぶん逃げられねえ。あんなでかいトカゲに空から丸焼きにされたいか? その加護は長く持ちやしねえぜ」


 にやにやと笑う比呂兄。こういう時の兄はたちが悪い。私にどうしようもない選択肢しか与えず、その中でマシなものを選ばせることで自分に有利なものへと導こうとする。それ以外を選択するという手もあるが、イコールゲームオーバーなのだ。


 結果、私のすることは決まっている。


「何をすればいい?」

「なあに、簡単さ。あいつをさばけばいいんだよ」


 そう言ってドラゴンを指す。


 さばく?


「魚じゃないぞ」

「うろこはあるけど」

「そんな規模じゃねえ」


 でかい、でかすぎる。


 空をおおう位だ。数十メートルはこえている。


 やってられない。

 何を言っている、この馬鹿従兄弟が。


 逃げられないなんてことはない、この足でなんとか逃げてやる。森を這いずり回ってでも逃げてやる。


 ぐっと拳に力を入れてクラウチングスタートを決めようとしたときだった。


「あれ、うまいんだぞ」


 ぴくりと私の耳が動いた。


「舌の上で蕩けるような肉。適度に霜が降り、柔らかさと歯ごたえのハーモニーが溜まらない」


 ごくんと喉が鳴る。


 なんだ、その例えは。

 まるで、あれではないか。

 あのとき、おごりで食べた焼肉のそれではないか。


「なあ、ナオミ。もう一度、あの肉、食いたくないか? 食いたいよなあ、なあ」


 その言い方はなんだ。


 そして、自然と唾液があふれてくる私の口はなんだ。


「あんだけ美味い肉、ただの肉だと思ったのかよ?」


 挑発するような声に私は従兄弟を睨みつける。睨みつけるがあふれる唾液は抑えられない。

 

 わかっている。


 私だって陸上競技は好きだった。毎日、走り込みをして、馬鹿みたいに竹刀を振り回すロートルな先生に黙って言う事を聞いていたのも、より早くより遠く行くためだった。


 それを捨てて私は肉を選んだ。


 肉、それを手に入れるためにきついバイトも平気でこなした。


 不器用だったが、肉のために包丁も練習した。いかに、肉を美味しく切るか、それを追及した。


 私の最優先事項は肉だった。


「あれが、あの時の肉だっていうのか?」

「ああ、あれほど大きくもない、病気で弱った個体だったけどな。それでもあの美味さなんだ、ドラゴンってもんは」


 空を仰ぐ。


 ドラゴンは火を噴き、隊列を組んだ騎士たちを蹂躙している。


 騎士たちの中で一番健闘しているのは、あのストッキングフェチのミカエル氏だ。彼にも加護がかかっているのだろうか、それとも元々の身体能力だろうか。あの巨大なドラゴンに飛び掛かり、重い剣を振り回している。その度にドラゴンの鱗が剥げているが、あれでは大したダメージではない。


 なによりあんなやり方では無理だ。


 右手がうずく。


 黒いケースの中の包丁が呼んでいるような気がした。鍵を開け、その中の一本を手にする。

 濡れた刃先が、まるで炎が燃えているように見える。

 

 斬らせろ、切らせろと刃が語りかけているように思える。


「おまえには二つ武器がある。一つは脚だ。それに俺がもう少し力を与えてやる」


 比呂兄がはたきを振る。光が私の足にまとわりついてくる。なんだか軽く、同時に重い。軽くはねてみると二メートルくらい身体が浮かび、降りたいと思うと地面に吸い付くように着地した。


「そして、もう一つ。これはお前自身の力だけでいいだろう。ただ、引き出すためのおまじないを教えてやる」

「おまじない」


 そう言うと、比呂兄はにかっとウインクした。きめえよ、と私は顔を歪めるが兄は無視してドラゴンを見る。


「あれはネックが弱点だ。そんでもって美味しい肉だ」

「美味しい肉?」

「ああ、そうだ、あれが肉だと確信するんだ」


 肉、肉、あの動いている巨大な生き物が肉?


 理性でそう理解するのは難しいだろう。しかし、それを上回る肉の魅力に私の本能は突き動かされていた。


「あれは肉だ」


 そう断言したときだった。


 ぎゅっと頭が痛くなった。


 まるで全身の血が一気に頭に上ったようなそんな感覚がして、そして、再び目を開けると。


「ネック、肩ロース、ロース、リブロース、サーロイン……」


 牛の図に書かれた肉の部位の名称が、そのままドラゴンにうつっている。いや、私の脳内がそう見せている。


 牛のそれと多少ずれがあるものの名称と位置はほぼ同じ。しかし、一か所だけ聞きなれない部位がある。

 ネックのすぐ下、そこにコアと書かれている。


「コアって」

「それが見えるんなら上等だ。奴の弱点はネックだが、正しくはそれだ。首の近くに大体あるんだけど、それを正確に判断できるやつはいねえ。それを狙え。希少部位だぞ」


 ごくんと喉がなる。


 希少部位。なんていい響きだろうか。


 前に食べたときはそんな部位はなかった。


 どんな味がするんだろう。


 そう思ったらいてもたってもいられなかった。私は、クラウチングスタートを決めていた。


 ドラゴンに向かいひたすら走って近づいた。


 周りに火傷を負った騎士たちがいる。

 しかし、知ったことではない。


 彼らにかまうよりなにより、未知なる肉に出会うことのほうが大切だった。傲慢な私の性格をなんとでも思ってもいい。ただ私は肉を食らうためだけに今走っている。


 走り幅跳びの応用で地面を思い切り蹴る。まるで空に舞いあがったかのように身体が浮く。浮くが、それを薙ぎ払おうとドラゴンが翼をはためかせる。


 落とす気か。


 羽の部位名が見える。手羽先、こちらは牛ではなく鶏に準拠している。


 ならば。


 私は包丁を振るった。鶏の解体、そんなものクリスマス前のバイトでいくらでもやっている。手羽先と手羽元の関節を外すように包丁を振るう。


 もちろん、包丁は手持ちサイズでドラゴンをさばこうなんて考えるものじゃない。でも、私は本能的にそれができると確信していた。


 持った包丁に光が宿っている。その光が私の手を覆い、そして包丁の輪郭を巨大な刀へと作り変えている。


「ドラゴンキラーだと!」


 説明口調にミカエル氏が言った。


 おそらく今の形状はそのドラゴンキラーという武器によく似ているのだろう。

 

 光の刃はドラゴンの関節の中に刺しこまれる。斬るというより、捻る。関節がずれる。


「浅いか」


 捻るところまでは上手くいった。しかし、ドラゴンがもう一枚の手羽先で身体を浮かせる。包丁はそこではずれ、関節はとれなかった。


「いや、効いているぞ!」


 ドラゴンの片翼はだらんと下がっている。もう一つの翼では身体はささえきれず、重い身体は湖に浸かる。


 じゅうじゅうと音をたて、湖の水が沸騰し蒸発していく。魚が浮いて、白く濁った眼球を見せる。


 私は、一度着地した。


「奴は炎竜だ、水に浸かると鱗が脆くなる」

 

 騎士たちが一斉にドラゴンに襲い掛かる。しかし、炎を吐かれ、近づけない。


「おい、もう一度加護をかける!」


 比呂兄がいつのまに近づいていた。もう一度はたきを振るう。


 こんなアホそうなやつがかける加護でも、他の魔道士っぽいのがかけているものよりずっと強力らしい。


 私は、加護がかかったことをいいことに、炎へと突っ込む。


 熱風、あついが我慢できないこともない、我慢する。

 

 それがコアまでの最短距離だ。そのまま口の中に突っ込む前に、包丁を振るう。ドラゴンの鱗が落ちるがそれは攻撃ではない。方向を微調整し、ドラゴンの肩に乗る。

 

 足が張り付く感覚、不安定な鱗の上を走る。邪魔な蠅を落とすようにかぎ爪が私を襲うが、そんなもの軽く避けてやる。そんなとろい動きに反応できないとでも思ったのか。


 コアが間近に見える。

 

 あの鬣に覆われている下にある。


 私は包丁を逆手に持ち、鱗とりのように振るう。


 それで、簡単に鬣がとれるはずだった。


 ガキッ!


 嫌な金属がぶつかる音がした。


 火花が散っている。

 

 飛び散る鱗と鬣の奥になにか光るものが見えた。


 ドラゴンの首になにか埋まっている。


 これはなんだ?


 金属のプレートだった。ドラゴンの首に埋まっている、肉に食いこんで、その周りに細い紐のようなあとがある。


「これって」


 たまにテレビで見る動物虐待の番組を思い出した。


 子犬や子猫の頃、可愛がって首輪をする。でも大きくなって可愛くないからそのまま捨ててしまう。野良となっても犬猫は成長する。その首輪が小さくなっても成長し続け、苦しめ続けるのだ。


 プレートには『ルビイ』と書かれてあった。なぜ読めるのかわからない。でもそう読めた。


 巨大なドラゴンを飼うことなんて無理だった。捨てられたドラゴンはどんどん大きくなった。食い込んだ首輪は引きちぎれたが、その名を刻んだプレートだけは呪いのように身体に埋まっていた。


 皮肉なことに、それが今、このドラゴンを助けた。


 でも、ごめんな。


 私は包丁を持ちかえる。


 まっすぐつき下ろすように、刃を向ける。


 向けた刃はネームプレートを突き破り、皮膚を貫通し、そして、コアへと至る。


 ドラゴンの咆哮が間近で聞こえる。炎をまきちらし、苦しみの声をあげる。


 知っている。


 美味しい肉を食べるには、犠牲がつきものなのだと。

 

 そのために、殺すという行為は必須なのだと。

 

 せめて私にできるのは、その苦しみをできるだけ軽くしてやれることだった。


 




 ドラゴンは倒れた。


 騎士たちの歓声が聞こえる。

 

 倒れたドラゴンから飛び降りた私は、ふらふらだった。

 加護が切れたのだろうか、やたら暑く、そのうえ頭が痛い。


 喜んだ騎士たちが私のもとにかけよろうとしたが、目で制した。たとえ、少しでも触れようものなら痴漢容疑で逮捕してもらう。社会的に殺してやると目で訴えた。


 よく見るとところどころ服が破けて、スカートはスリットがもう一か所できていた。ストッキングはもう身に着けているレベルでもなく、熱い湖の水に濡れて気持ち悪かった。

 

「どうだ、気分は?」

「最悪」


 もうこんな格好では恥じらいもなにもない。ストッキングを脱ぎ捨てて裸足になる。


「肉はいらんか」

「食うわ!!」


 食って食って食らいつくす。

 そして、無駄がなかったと言ってやる。

 

 ただ殺されて無駄に捨てられたなんて、ないように。


「ならよかった。じゃあ、行こうか?」

「どこへ?」

「肉を料理してくれるとこだよ」


 そう言って、魔法陣が宙に浮いたような変な輪っかを指した。






 肉は美味しかった。


 もう死んでもいいといううまさだった。


 最初の一口を食べたとき、まさに昇天しようという気持ちだった。


 どこで食べたかといえば、なんか簡単に言えばお城で、偉そうな人の前だった。長いテーブルの先に偉そうな髭のおっさんとか年増だけど綺麗なおねえさんとか、南瓜パンツはいてそうなブロンドの糞餓鬼とかいた。なんで糞餓鬼といえば、「そなたは本当に女性か?」と胸を揉んできたからだ。


 包丁の錆びにできなかったのは、その瞬間、比呂兄および騎士たちが私を止めにかかったのと、ミカエル氏のフォローがあった為だ。


「あんなすばらしい太腿とふくらはぎを持ったかたが男性なわけありません」


 こいつ、ストッキング脱ぐの見ていやがったんだなと、殺意がミカエルに移行したためだ。


 結果、王子の命は助かった。忠臣といえば忠臣だろう。


 私はドラゴンを倒した英雄として、扱われている。

 比呂兄もそうだけど、比呂兄の場合、もうすでに何度か勲功を受けているらしく慣れたものだった。


 好きなだけ肉を食らいお腹がぷっくりなった。なんか晩餐会だかなんだかにはもう興味はなく疲れたので部屋に戻ると、比呂兄がいた。


「一応、この世界の説明聞いとくか?」

「なんか面倒くさいからいいや。それより、これのこと教えてくれない?」


 そう言って私は、マイ包丁が入ったケースと自分の目を示した。


「なんであんなものが見えたわけ? それに、包丁に」


 包丁は無銘だった。しかし、今は『竜殺』と物騒な銘が入っている。こんな銘が入ったら調理実習のとき恥ずかしくて使えないだろう。

 新しいものを買ってもらわねば。


「前に何度か飯連れてっただろ。実はあれ、こっちの化け物を食材として使ってんだよね」

「ろくでもねえな!!」

「うまかっただろ?」


 いや、うまかったけど。

 そんな怪しげなもん黙って食わせると言いたい。


「俺も違う奴にそんな風に食わせてもらってさ。そして、俺が食べて適合した食材がグリフォンってやつで、芽生えた力があの加護みたいなのかな」


 食材が適合すると、その食材の天敵になる。そして、なにか能力が芽生えるのだが、それは人によって数も系統も違うという。


 なにより問題なのが。


「一度、その食材を食べると、中毒症状になっちまう。食わずにいられなくなり、それを求めてやまなくなる」

「それって……」


 好きだった陸上をやめてまで肉を取った私。両親に何度も考え直せといわれても、決意は変わらなかった。

 自分でもおかしいと思いつつ、でも変えることはできなかった。


「ああ、俺が食わせた肉が原因だ」


 その瞬間、比呂兄に助走つけてドロップキックを食らわせた私に罪はあるだろうか、いやない。


「うん、俺だって巻き込みたくなかったよ。でもな。抗いきれないものってあるんだよ」


 鼻血を噴きながら比呂兄が弁明する。


「俺も中毒者になっていた。ずっとあの時食べた鶏肉が食べたくて、養鶏場経営して潰すくらいおかしくなってた。そして、あのときの鶏肉食べさせてくれた奴がもう一度、俺の目の前に来てこう言った」


 肉屋になれ、と。

 

 そのためには、戦力がいる。巨大な肉を屠る能力がある戦力がいった。


「俺はこの通り補助系で、なおかつグリフォンしか倒せない」

「なるほど、つまりもっと直接攻撃ができる前衛が欲しかったと」

「……そういうことだ」


 ぐっ、と親指を立てる比呂兄。


 ドロップキックといきたいところだが、同じ技だと面白くないので、ソバットにしておいた。


 いい肉を食べたため、実にいい動きだった。

 

「待て、俺だって被害者だぞ!」

「いや、私を巻き込んだ時点で加害者だろ!」

「仲良くしようか! あと半年は、元の世界とのゲートは開かないから、それまで肉を集めればいい!」

「半年って、学校留年しちまうだろうが!!」


 飛び膝蹴りで、膝を赤く染めながら、夜はふけていった。






 翌朝、真剣な顔をしたミカエルに、


「二人がそういう関係とは知らず。夜の営みはもう少し静かに」


 と言われたことに上段回し蹴りを食らわせたかったが我慢した。せっかくメイドさんたちが、ドレスを準備してくれたので淑女らしく振舞おうと思った。


 でも、凱旋の旗として、破れたストッキングが使われたと聞いて、その決意はプリンより脆く崩れ去った。


 


お題、焼肉、アフリカ、靴下、首輪でした。

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[一言] 面白かったです
[一言] ふざけ過ぎだろ、と思ったらちゃんとした設定があった。
[一言] GJ!それだけを送らせていただきたいです。 そして猛烈に肉が食べたくなりました。私食べるとお腹が緩くなるのに…。 続編希望します。
感想一覧
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