放課後の夕闇。
手を繋ぐわけでもなく、かといって離れることすら気まずくて、ただぼんやりと2人で歩く。
いつのまにか一緒に帰るのが習慣になっていた頃のことだった。
僕の少し前を歩いていた唯子が急に立ち止まり、振り向きざまに言った。
「別れてほしいの」
朱に染まった空の下、一年半ほど付き合った彼女の顔を、久しぶりに間近で見た。
最近は、一緒にいても、見つめ合うことすら出来なかったから。
「うん、わかった」
いつか終わりが来ることくらい、わかってたし。
だから、唐突に切り出された別れ話にも、僕は全くと言っていいほど動じなかった。
素直に頷いて、それらしい微笑を浮かべてみせる。
「好きな人が出来たんでしょ。隣のクラスの、…山田君だっけ?」
「知ってたんだ。…山田じゃなくて山口君だけど」
言って、唯子は苦笑した。
肩にさげた通学用の鞄をかけ直すふりをして、そっと目をそらす。
何か気まずいことがあったとき、唯子は必ず僕の顔を見なかった。
デートの約束をど忘れしたときも、財布を落としてお昼ご飯を食べられなかったときも、借りものの本を汚してしまったときも。
こんなふうにして、さり気なく僕から目をそらし、そして背を向けていく。
普段の僕なら、彼女を追いかけて振り向かせようとしたと思う。でも、もうそんなことは出来なかった。
相手を嫌いになったわけじゃないし、はっきり言うとまだ好きなんだけれど、振り向かない相手をいつまでも追い続けるほど僕は根性のある人間ではなかった。
疲れてしまったのだ。
唯子を追いかけることにも。
唯子の気を引こうと、頑張り続ける自分を見るのも。
もう、すべてに疲れ切っていた。
初めての恋人で、初めてキスをした相手でもあって、数え切れない想い出は色あせることがない。
けれど、もう駄目だった。想い出だけが眩しくて、現実のむなしさに付いていけなかった。
終わりにしたかったのは唯子だけじゃない。
僕も同じだった。
相手を傷つけないように、そして自分も傷つかないように、どうやって別れるか。
ここ最近、唯子の隣にいながら、僕はそのことばかりを考えていた。もちろん彼女も同じような感じだったんだろうけど、彼女と僕では立場が少し違う。
「山田君は、知ってるの? …唯子と僕が付き合ってたこと」
「だから山田じゃなくて山口君だってば。…聞いたことはないけど、たぶん、知ってると思う」
「そっか。ごめんね」
「マサトが、謝ることじゃないよ。…謝るべきなのは、私の方で」
「謝らないでよ」
「え」
「謝らないで、頼むから」
あれ、どうしたんだろう。
少しだけ涙が出そうだった。
唯子はきっと、山口とかいうヤツと付き合うんだろう。
いつかまた、そいつとも別れるかも知れないけど、そのときにはきっと僕のことなんか忘れてる。
だから、もうこれ以上そばにいたって無駄なんだ。
待っていたって、駄目だ。
僕が苦しいだけで。
「マサト」
唯子が、僕を呼ぶ。
僕の名前を呼ぶとき、唯子は必ず口を開いてから一拍おいた。
以前それを本人に言ったところ、唯子は「癖なの」と言って、はにかむように笑った。
‥‥‥山口のことを呼ぶときも、そうなんだろうか。
「マサト?」
「っ、ごめん」
訝しそうな唯子に、慌てて首を振る。
胸の奥に潜む、じくじくとした痛みに気づかないふりをして、いつものように笑ってみせる。
うまく笑えているのか、いまいち自信はなかったけれど。
なるべく明るい口調で、彼女が自分に気を遣わなくてもいいように。
「頑張って、ね。山田君とお幸せに」
「山口君だってば」
呆れたように、諦めたように、唯子が苦笑する。
ああ、よかった。これで僕らはもう、友達に戻れるんだ。
じわじわと、胸の奥が熱を持つ。
時間はのんびりと過ぎていき、せまってくる夕闇のせいで、彼女はたぶん気づかなかっただろう。
僕が泣きそうになっていたことなんて、きっと。
ああ、なんて。
なんて愚かで優しいんだろう、僕は。
徐々に闇へと変わっていく空の色を、ぼんやりと眺めた。
家に帰ろう、と思ったけど、なぜか歩き出すことが出来なくて。
結局、2時間近く僕はそこでボーっとしていた。
「これだから、女の子にも優柔不断だなんて言われるんだろうなぁ」
相手を傷つけたくないなんて、相手に気を遣わせたくなかっただなんて。
そんなの、嘘。
本当は、醜くなっていく自分を見たくなかっただけで。
ああ、なんて臆病なんだろう、僕は。
初めての別れ話ですら、彼女に主導権を任せてしまった。
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