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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

ホラー小説

血まみれの女

作者:しまうま
 私が住んでいる部屋は、駅から近い。
 建物は、五階建ての古いマンションだ。
 交通の便を追求していって、この部屋に引っ越すことになった。

 外から見ると、薄い茶色の外壁には水の流れた跡がついている。
 がっしりとした立方体のシルエット。
 造られた当時は流行のデザインだったのかもしれないけれど、いまとなってはやぼったいだけだった。

 駅から遠ければ、こんなマンション、半分の家賃もしないだろう。
 1DKで、オートロックでもない。
 古いし。
 オシャレでもなければ、可愛くもない。
 成人しているとはいえ、れっきとした女性である私が、大喜びで住むような種類の建物ではなかった。

 繰り返しになるが、家賃だけが、無駄に高いのだ。

 ……とは思うけれど、ターミナル駅から徒歩五分以内というのは、住んでみると、とてつもなく便利だった。

 好きなところへ行ける。
 いつでも好きなときに。
 帰りの電車の時間も気にしなくていい。
 すばらしく自由な毎日を過ごすことができる。
 ほかの場所に住むことは、これに慣れてしまうと、もうとても考えられなかった。


 マンションの入り口からは、高層マンションが見える。
 壁一面にガラスが並んで、キラキラと日射しを反射している。
 私の住んでいるマンションとは、まるで違う。
 ほんの少し先の未来を想像させるような、都会にふさわしい最新鋭の高層マンションだった。

 これが何十階の建物なのか、正確には知らない。
 とにかく高い建物だ。
 三桁の階数なのかもしれない。
 商業施設なども入った、複合型のマンションだ。
 ちょっとした観光名所にすらなっている。

 ――あそこの家賃は、さすがに出せないよね……。

 目をそらして、ため息をついてしまう。
 いつか住めるようになればいいんだけど、などと思いつつ、私はマンションの階段を上がった。
 いちおうエレベーターもあるが、運動のために階段を使うことにしている。
 私の部屋は四階だ。
 だから、ちょっとした運動にはなる。

 ――あの高層マンションに住んでたら、こんなことはできないだろうな。

 数十階の階段を登るというのは、もはやちょっとした運動ではない。
 拷問だ。
 だから、いま住んでいるマンションのほうがいい。
 ……と言い張るのはあまりにも惨めだけれど、実際、このマンションを気に入っているのも事実だった。


 階段は、密閉型とでもいうのだろうか、左右を壁に挟まれ、段と段のあいだにもすき間はない。コンクリートで造られている。
 古い建物だが、当然、歩いてもギシギシと軋むようなことはない。
 ずっしりとした、安定感のある階段だ。

 左右に壁があるから、足音は響く。
 いま聞こえているのは、スタスタトントンという、ヒールのない靴を履いた私の面白みのない足音だ。
 それに混じって――。

 ペタン、ペタン。

 という音がした。
 階段を登っている音のようだ。

 私はふうーと息をはいた。
 この状況。
 怖がりな女の子なら、「ひいい! お化けえええ!」と悲鳴をあげてもおかしくない。
 それほどに不気味な音だった。
 だが私はそういうタイプではない。

 ペタン、ペタン。

 ちょっとしたことをすぐにお化けに結びつけて、やたらと怖がってみせたりしないのだ。
 そういうのは、馬鹿らしいと思ってしまう。
 そもそもお化けなんているはずがないし。
 私は常識人なのだ。

 いまも、たまたま私と同じタイミングで、誰かが階段を登っているだけだ。
 音が反響しているから、ちょっと不気味に聞こえているだけ。
 たしかにホラー映画の一場面のような音だ。
 でも、そう聞こえるだけなのだ。

 ペタン、ペタン。

 あれ? と私は立ち止まった。
 この音――。

 ――なんで、「ペタン」なの?

 まるで、裸足で歩いているみたいだ。
 そんなわけないのに。
 こんな駅近くのマンションの階段を、裸足で歩くひとなんているわけがないのに。

 ペタン、ペタン。

 普通、裸足で外を出歩かない。
 そんなひとはめったにいない。
 でも、ひとじゃないなら――。
「お化け」という単語が頭に浮かぶ。
 一歩ずつ、確実に、それは近づいてきている。

 ペタン、ペタン。

 私は階段を登ってくるそれを、そっと待ちかまえた。
「ほら、やっぱり。お化けじゃなかった」と心の中でつぶやくために。

 まず頭が見えた。
 肩ほどの長さの髪。
 たぶん女性だ。
 お化けではないようだった。

 ――ほら、やっぱり。

 透けていないし、そもそも足音がするということは、足があるということだ。
 ちゃんとそこにいるという、存在感もある。
 お化けじゃない。
 人間が、階段を登っているだけなのだ。
 なぜだか裸足になってしまっただけなのだ。

 ペタン、ペタン。

 それがゆっくりと振り返る。
 その顔は、赤黒く膨れあがっていた。
 目は充血して、こぼれ落ちそうに飛び出ている。

 ペタン、ペタン。

 服はもともとはスーツだったのだろう。
 ボロボロに破れて、原型をとどめていない。
 その服にも、すき間から見える肌にも、赤い血がこびりついていた。
 特に左腕がひどい。
 血まみれで、ところどころ、黒く固まっていた。

 ペタン、ペタン。

 首には紫色の、太いチョーカーのようなものが巻き付いている。
 右手には、包丁。

 ペタン、ペタン。

 そして、裸足だった。

「ふえぇ……」

 情けない声を出して、私は階段に座りこんだ。
 腰に力が入らない。
 たしかにお化けではなかった。
 でも、それ以上に恐ろしいものだった。
 血まみれの女だった。

 ――私を殺しにきたんだろうか。

 そんなことをされる覚えはまったくないのだけれど、相手は包丁を持っている。
 殺すのは誰でもいいのかもしれない。
 あの血まみれの様子では、ここに来るまでにも、きっと何人も――。

 ペタン、ペタン。

 近づいている。
 それに気づいて、慌てて階段を登った。
 よつんばいで、動物のようにかけ上がる。
 みっともない姿だが、そんなことは言っていられない。

 ペタン、ペタン。

 どうにかして逃げないと。

 ――どこに?

 と思って、パニックになりそうになる。

 ――落ち着いて。自分の部屋に入ればいいんだ。

 ドアを閉めて、鍵をかける。
 そうすれば入ってこられないだろう。

 ――本当に?

 という不安がよぎって、泣きそうになる。
 なぜだか笑いそうにもなった。

 そんなことを考えていたから、私は気づかなかった。
 階段はドアに突き当たった。
 屋上へ続くドアだ。
 私は通り過ぎてしまったのだ。
 自分の部屋がある、4階を。

「あっあっ」

 と声をあげて、私は泣き出してしまった。
 床に座りこむ。
 もう逃げられない。
 逃げる場所がない。

 ペタン、ペタン。

 それはゆっくりと私に近づいてきた。
 一定のスピードで。
 私を見つけても、なんの感情もわいていないようだ。
 そして、腕を伸ばして――。

 カチャリ。

 ドアを開いた。
 なぜだか、それは私を無視して、屋上へ出ていってしまった。

「んひぃー」

 とまた情けない声をあげながら、私は自分の部屋へ走っていった。


 ***


 ドアの鍵は、ちゃんと閉めた。
 チェーンもかけてある。
 だから、大丈夫なはずだ。
 ここから入ってくることはできない。

 ――ここから?

 不意にそんなことを思った。
 もしも、あの女がほかの場所から入ってきたら。
 ドアは鍵を閉められ、チェーンもかかっている。
 これだと逃げられない。

 ――まさか、そのために……。

 私は振り返った。
 そこには、誰もいなかった。

「そうだよね。そりゃあそうだよね」

 静かな部屋。
 窓から差す光が、ぼんやりとまぶしい。
 その窓を黒い影が通り過ぎていった。
 あの女だった。
 あの女が落ちていった。

 ――何で? 屋上から?

 遅れて、ドスンという大きな音。
 駅の近くだから、この部屋はある程度騒音対策をしてある。
 それでも音は聞こえたし、震動も届いていた。
 窓に駆け寄り、階下を探す。
 あの女は地面に倒れていた。
 窓を開いて確認する。
 左の手首はぽっきりと折れて、ぶらぶらと外れそうになっていた。
 足もおかしな方向に曲がっている。
 そして、女は立ち上がろうとしていた。

 ――なんなの、これ。何をしているの? 何で落ちるの? 何がしたいの?

 駅に向かう人々の声。
 電車の走行音。
 構内放送。
 それらの音が、一瞬、消えた。
 音が途切れるタイミングが奇跡的に重なりあったのかもしれない。
 そこには不思議な力が働いていたのかもしれない。
 おかげで、あの女のつぶやきが、私のところまで届いてしまった。

「これでも、まだ死ねない」

 女はようやく立ち上がる。

 首に巻き付いたチョーカーのような、紫の痣の意味がわかってしまった。
 充血して膨れあがった顔。
 服についていた血は、きっと自分のもので。
 左の手首は、始めから切られていたから、ぽっきり折れてしまったのだろう。
 服がボロボロだったのも、たぶん理由があるのだ。

 消えていた音が押し寄せてくる。
 カンカンカンという、踏切の警告音。
 それに向かって、女が歩いていく。

 私はそれを見送った。
 これから何をするのか、予想はついてしまった。
 だがここから、見ているしかできない。
 あの女は――。

 今度は死ねるのだろうか。

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