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雪降る夜の贈り物〜喫茶エンジェルへようこそ〜
作者:文樹妃
 サンタさん、サンタさん、どうかお願いします。
 クリスマスプレゼントに絶対ほしいものがあるんです。
 そのために、ずっといい子にしてました。
 だからお願い、あたしにプレゼントをください――。

 小さな手を合わせて、一生懸命雪の降る窓を眺めながらお祈りしてた。
 そんな光景を覚えてる。
 小学校に入る前の冬だった。
 祈り続けてたら、優しい手があたしの頭を撫でてくれた。
 もう顔は思い出せないけど、すごく温かい手のひらだった。
 見上げたあたしにその人はこう言ったんだ。
『大丈夫、君は一人じゃないよ』って。
 曖昧な記憶の中、その言葉と手の感触だけは覚えてる。
 まだサンタクロースを信じていた、無垢だった頃のあたし。
 でも今のあたしにはわかってる。願ったプレゼントは、もうもらえないってことを――。








「早坂さん、遅くまで悪かったね〜もうあがっていいよ!」
 店長の声で、あたしは掃き掃除をしていた手を止めた。
 見ると最後の客――名残惜しげにコーヒー一杯で粘っていた学生らしきカップルが帰ったところだった。
 時刻は11時。
 商店街の他の店舗も少しずつ明かりを消している。
 普段はろくにお客も来ないこの地味な喫茶店も、今夜はさすがに賑わっていて、残業をお願いされたのだった。
「さすがに夜道は暗いし、家が近いって言っても危ないでしょ。早く帰らないとご家族の方も心配して――」
 言いかけてから思い出したのか、申し訳なさそうに言葉を止めた店長に、あたしは平気な顔で笑ってみせた。
「大丈夫です。人通りの多い道通って帰りますから。じゃあ、片付け終わったらあがらせてもらいますね」
 ――それに、待ってる人なんて、誰もいませんから。
 さすがにその言葉は飲み込んで、あたしは残りの片づけを始める。
 店の前に飾ってあった小さなツリーを店内に入れて、エプロンを取ったあたしに、店長が笑いかけた。
「じゃあ、これ売れ残りで悪いけど――よかったら持って帰って食べてよ。お疲れさん!」
 差し出されたのは白い箱。
 遠慮しようとしたあたしの手に持たせて、店長はいつもの人のよさそうな笑顔で店の奥へ引っ込んでしまった。
「……ありがとうございます。お疲れ様でした」
 少し迷ったものの、結局受け取ることにして、あたしは店を出た。


 店からの帰り道は徒歩で十分もかからない。
 この近さがあの寂れた喫茶店でのバイトを決めた一つ目の理由。
 あともう一つの理由は、あまり詮索もしなさそうな飄々とした店長の態度、だったんだけど――。
 やっぱり彼にも人並みに気を遣わせてしまったらしい。
 それもこれも、今日がクリスマスだから、だろうか。
 施設で育ったあたしには、クリスマスが特別な日だっていう感覚がない。
 いや、もちろん園母さんやスタッフの人たちが頑張ってクリスマス会をやってくれてたし、ケーキも食べて、ささやかながらみんなでプレゼント交換をしたりもした。
 小さな時にはそれなりに楽しかったものだけれど、中学に入る頃には段々その日を避けるようになった。
 家族みんなでケーキを食べたり、プレゼントを贈りあったりするという友達の話を聞いて、余計に悲しくなるだけだったから。
 そして高校に入った今は、クリスマスは恋人と過ごす行事に変わっている。彼氏と過ごす初めてのクリスマスだとか、どんなデートをするかとか、はしゃいでいる友達の話は、あたしの頭を素通りするだけだった。
 家族から恋人へ――相手が変わっても同じことだ。
 そんな温かなものはあたしにはない。
 ううん、必要ないんだ。どうせ消えてしまう、儚い夢――そう、まるでこの白い雪と同じように。
 はらり、はらりと落ちてくる雪を見上げていたあたしは、ふう、と一息ついて、人通りも少なくなった商店街から、大通りへ抜けた。
 商店街の横道を通ったほうが近いんだけど、さすがにこんなに遅くなったことはなかったし、さっきの店長の言葉が頭にひらめいて、明るい大通りを選んだのだ。
 舞い落ちてくる雪は段々と多くなり、後ろを歩く恋人同士らしい男女が、わあ、と歓声を上げているのが聞こえた。
 ホワイトクリスマス――ロマンチックにそう呼ばれている雪の聖夜――この光景があたしに思い出させるのは、悲しい記憶。
 あたしが親に捨てられた、その夜の――。
 思わずため息がもれて、あたしは足を止める。手にした白い箱がやけに重く感じて、急にわずらわしくなった。
 少しだけ開けて覗き見た中には、予想に反して生クリームのホールケーキが入っていた。
 てっきり切り分けたケーキが一つか二つ入ってるのかと思ってたのに、ご丁寧にメリークリスマスの文字が書かれたチョコとサンタの人形ものっている。
「店長ってば……こんなの、一人じゃ食べきれないよ」
 思わず苦笑して、呟く。
 捨ててしまおうか、と一瞬頭によぎった考えは、店長の笑顔を思い浮かべたことで罪悪感につぶされて消えた。
「……さっさと帰ろ」
 曲がり角に差し掛かり、信号を渡ろうかと辺りを見回した、その時だった。
 角を曲がる前の路地に、小さな明かりが見えたのだ。
 いつもなら気にすることもなく、家路を急いでいるだろう。
 なぜかこの日に限って足を止めたのは、明かりに照らされたクリスマスツリーのせいだろうか。
 喫茶店で飾っていたよりも小さい、ほんの申し訳程度の大きさのモミの木だった。
 ニセモノの雪をところどころに被って、金と銀のモールが巻かれ、てっぺんに一つだけ星の飾りがつけられた、シンプルなツリー。
 住宅街の誰もいない路地で、薄明かりに照らされてひっそりと佇むその木が、空から落ちてくるホンモノの雪を受け止めている。
 早く帰って、温かいお風呂に入って、寝なければ――明日も朝からバイトが入っているんだから。
 そう思う心とは裏腹に、あたしの足は進んでいく。
 気づいた時には、ツリーを見下ろすぐらい近くに立っていた。
 自分の吐く白い息だけが夜の中に規則的に流れていき、音が消えたかのような錯覚に陥るぐらい静かだった。
 目の前の光景が、記憶の中のものと交錯したような、そんな気がした瞬間。
「こんばんは、お嬢さん」
 背後で突然低い声がして、あたしは思わず飛びのいた。
「驚かせるつもりはなかったんですが――こんなところに立っていては、風邪を引きますよ」
 優しく言ったのは、二十代ぐらいの背の高い男の人だった。
 手にしていたビニール傘をそっとあたしに差しかけるようにして、にっこりと微笑む。
 突然言葉をかけられたことよりも、その笑顔の優しさにあたしは驚いていた。
 まじまじと見てしまってから、我に返ってあわてて頭を下げる。
「あっ、あの、ごめんなさい。あたし、ただツリーをちょっと見てただけで……」
 きっとこの付近の住人なんだろうと、あたふたしながらまるで言い訳するように呟くあたしに、その人は気にしないように笑ってツリーを見た。
「いいんですよ、見てもらうために置いてあるものだから」
「あ、じゃあこのツリーはあなたの――」
 最後まで言い終わる前に、ビニール傘を閉じ、彼はツリーの置かれていた先にあるものを手で示した。
「よかったら、ちょっと寄っていきませんか。さっき店じまいしたところだけど、あったかい飲み物ぐらいはご馳走しましょう」
「え……」
 急に何を、そう思いつつも動かした目線の先には、緑色の看板。電気は消されていたけれど、書いてある文字は読み取れた。
 喫茶エンジェル――あなたの家族や恋人になります、店名の下に小さく、でも確かにそう書いてあった。
 


 
 どうして、中へ入ってしまったんだろう――。
 自分でもまだ不思議な気持ちがしながらも、あたしはなぜか誘われるままにカウンター席に腰掛けていた。
 カウンターの他に二つのテーブル席があるだけ、というこじんまりとした店内で、差し出されたのはあったかいココアだった。
「ありがとうございます、えっと――」
芹崎(せりざき)、といいます」
 カウンターの中から優しく微笑んだその人――芹崎さんは、自分用に入れたらしいブラックコーヒーを飲んでいる。
「芹崎、さんは――このお店のオーナーさんなんですか?」
 しばらく考えてからあたしは訊ねた。
 白いセーターに黒のエプロンをつけた芹崎さんは、すらりとしてスタイルもよく、モデルでもしたほうがいいのでは、と思うくらいに整った顔立ちをしていた。
 やわらかそうな栗色の髪が明るい店内で綺麗に見える。
 こんなに若くてかっこいい人がどうして小さな喫茶店なんか、そんな正直な印象から来た質問だった。
「ええ一応――両親が遺した店なんですけどね」
 何気なく答えられて、あたしは思わず言葉につまる。
 そうか、この人も――。
 声には出せない問いの代わりに、あたしは表のほうを見やった。
「さっき看板に書いてありましたけど、あなたの家族や恋人にって……」
「ああ、あれですか。決して変な意味じゃないんですよ」
 冗談めかしたように芹崎さんは笑って、店内を見渡した。
「うちのお店にいる間は、ここを自分の家だと思ってくつろいでほしい――家族や恋人のような温かな存在でいることができたら、そう思って書いた言葉なんです」
「温かな、存在……」
 呟いたあたしの言葉に芹崎さんは頷く。
「一人きりで悲しい人も、ここに来れば一人じゃない。そんな場所になれたらな、なんて思ってるんですよ」
 照れたようにそう言った芹崎さんを見上げながら、あたしは黙ってココアを飲み干した。
 あの雪の夜に聞いた、誰かの優しい声を思い出す。
 心のどこかから出てこようとする、すごく懐かしい、あったかい気持ちにあたしはいつものように蓋をした。
 ――そんなのは嘘だ。結局、あたしは一人なんだから。温かなものなんか、欲しがっちゃいけない。
 膝の上に載せたままの白いケーキの箱を、あたしはただ凝視していた。
 無言でいるあたしに気を遣ったのか、芹崎さんは立ち上がってカップを片付け始めた。
 どんな気まぐれだか知らないけれど、もう帰らせようと思っているんだろう。
 立ち上がりかけたあたしは、聞こえてきた音楽に顔を上げる。
 古びたレコードの音が、優しく奏ではじめるメロディー。
 英語の歌詞はよくわからないけれど、確かによく耳にするクリスマスソングだった。
「……ホワイトクリスマス」
 独り言のようにあたしが呟くと、芹崎さんは窓の外に目をやりながら頷いた。
「こんな時間に引き止めるのはおかしいかもしれない。でも、よかったらあともう少し――クリスマスを楽しんでいきませんか?」
 芹崎さんの笑顔は優しくて、それでいてひどく悲しげだった。
 足を止めてしまったのは、そのせいなのか、それとも――。
「ああ、でもいいんです。早く帰らないといけないなら……」
 遠慮がちに言いかけた芹崎さんに、あたしはつい首を振ってしまう。
 腕時計は十一時半を示している。あともう少しでクリスマスが終わる。今日という特別で、特別でない一日が――。
 思った瞬間、口を開いていた。
「あの――芹崎さん」
 胸の奥でちくちくと何かが痛んでいる。慣れたはずの痛みがなぜか今日は鮮やかに蘇っていた。
「あたしの、家族になってくれますか? あの……あと三十分だけ、クリスマスが終わるまで――」
 小さく、少し震えたあたしの声に、芹崎さんは一瞬目を(みは)って、そしてゆっくり微笑んだのだ。
「ええ、もちろん。じゃあ、何をして過ごしましょうか?」
 優しく承諾してくれた芹崎さんを、ほっとしたような、苦しいような、不思議な気分で見つめ返したあたしは、ずっと手にしていたケーキの箱をカウンターに置いたのだった。



「一緒にケーキを食べてくれ、だなんて、そんなことでいいんですか?」
 今度は紅茶を入れてくれた芹崎さんは、不思議そうにそう訊ねた。
「いいんです。あの、バイト先でもらったものの、一人じゃ食べきれないし、困ってたから……」
 言い訳のようにもぞもぞと呟きながら、切り分けたケーキを口に運ぶあたし。
 不思議な感覚がさめたら、なんて変なお願いをしてしまったのかと恥ずかしくなってきて、ただ黙々と食べるのに集中していたのだ。
「偉いんですね、こんな遅くまでバイトだなんて。世間じゃクリスマスなんて、どう遊んで過ごすか一生懸命なのに」
 感心したような目で見つめられ、あたしはあわてて手を振る。
「そんなんじゃないんです、バイト代のために頑張ってるだけで……下宿代くらいは自分で払わないといけないし」
「下宿?」
 余計なことまで言ってしまったと思いつつも、不思議そうな瞳で見られたら、ごまかす言葉も浮かばなかった。
「あの、春から下宿してるんです。本当は大学生しかだめなんだけど、園母さ……知り合いの親戚がやってる下宿だから特別に」
「そうですか――」
 何か聞かれるかと思って身をすくめたあたしに、芹崎さんは何も聞かなかった。
 紅茶のお代わりを勧められて、あたしも黙って受け取った。
「もうすぐ、クリスマスも終わりですね。他には、何かしたいことはありませんか?」
 せっかくの芹崎さんの言葉にも、何も思い浮かばない。
 困ったまま、砂糖をいれた紅茶をスプーンでかきまぜていたら、芹崎さんが時計を見て、立ち上がった。
「少し、僕の用事に付き合ってくれませんか。すぐ近くなんで、十二時までには帰って来れますから」
 言って黒いジャケットを羽織った芹崎さんは意外にもバイクのヘルメットを手渡したのだ。
 こんな夜に、どこへ――?
 聞きたい思いも、ためらいも、芹崎さんの優しい微笑みに吸い込まれたように、消えてしまった。
 そしてあたしは、知り合ったばかりの、不思議な『家族』の背中につかまって、初めてのバイクに乗ることになった。


 ものの五分程度でバイクが止まった先の建物に、あたしは驚きを隠せなかった。
 児童養護施設安らぎの家――そう書かれた門をくぐって、芹崎さんはすたすたと慣れた様子で歩いていく。
 その後ろに戸惑いながらくっついていたあたしは、急に立ち止まった芹崎さんの背中にぶつかる。
「――芹崎さん?」
 訊ねるあたしに、人差し指を立てて、静かにするように促した芹崎さんはいたずらっぽく笑って、持ってきていたリュックから何かを取り出して見せたのだ。
「あ……」
 あたしが何か言う前に、芹崎さんはさっさと着替えて、裏口らしき扉へ進んでいく。
 にこやかに出てきたおばさんたちと言葉を交わすと、あたしを手招きして明かりの消えた施設内に入っていった。
 赤い衣装に身を包み、ご丁寧に帽子とひげまで付けた芹崎さんは、各部屋を回って重たそうな袋から、丁寧に包まれた袋や箱を置いていく。
 規則正しい寝息をもらす子供たちの顔を優しく見つめて、扉を閉める。
 そんな芹崎さんにあたしは何ともいえない気持ちでついて歩いていた。
 ようやく全部配り終えた芹崎さんとまた裏口へ向かう途中、先ほど閉めたばかりの扉から、男の子が急いで出てくるのが見えた。
「おい、待てよ!」
 手には戦隊もののフィギュアらしきものを持って、芹崎さんの行く手に立ちはだかる。
 小さな体で通せんぼをするその子に、芹崎さんは足を止めた。
「おっ、おまえ、そんなカッコしてるけど、芹崎の兄ちゃんだろ! わかってんだぞ、去年は寝ちゃったけど、今年は起きてたしかめてやるって待ってたんだからな! サンタなんてうそなんだ! ショータたちが言ってたもん! おれたちをだまそうとしたってだめだぞ!」
 立て続けにわめく様子を、芹崎さんは優しく見下ろしている。
 何も答えない彼に困ったのか、一瞬口ごもってから、気を取り直したように男の子は口を開いた。
「なっ、なんとか言えよ! サンタなんていないんだ、そうだろ?」
 半ば睨みつけるような目で赤いサンタの格好をした芹崎さんを見上げる子供。芹崎さんは、目線を合わせるようにしゃがみこむと、そっとその頭に手を置いた。
「大丈夫――サンタはね、本当にいるよ。君たちみんなを、いつも見守ってる」
 ためらったように勢いをなくしたその子に微笑んでから、芹崎さんは扉のほうへ歩き出した。
 裏口へ続く通路の闇にすっと消えてしまったように見えて、思わずあたしまで目をこすった。
 扉が閉まる音がして、あたしが急いで後を追おうとした時、つん、と引っ張られる感触に引き止められる。見ると、男の子があたしのコートのすそをつかんでいた。
「おっ、お姉ちゃん――さっきの……」
 彼が本当に消えてしまったかのように見えたのか、さっきまでの怒ったような顔はどこへやら、あたしをまん丸い瞳で見上げてくる。
 あたしは芹崎さんがしていたように、しゃがんで微笑んであげた。
「あのね、さっきの人はホンモノのサンタさんだよ。お姉ちゃん、頼まれたんだ。遅くまで起きてるいたずらっ子がいないか見張っていてくれって――いつまでも起きてる悪い子からは、プレゼントを取り上げちゃうんだって」
 いたずらっぽく笑ったあたしに、その子はあわてたように持っていたフィギュアを背中に隠した。
 それでも半信半疑のように、芹崎さんが消えた通路のほうを見つめている。
 純粋な瞳にあたしはなぜか答えたくなって、口を開いていた。
「サンタなんか嘘だって言った子はね、忘れちゃったんだ。大人たちと一緒。サンタさんはいるのに、信じられないと心の中から消えてっちゃうの。だからね、信じていよう?」
 そう言って笑ったら、男の子は目をぱちくりさせた後、嬉しそうに満面の笑みを見せてくれたのだ。
「うん――あっ、あのね、じゃあさ、サンタさんにありがとうって伝えといてくれる――?」
 もじもじと両手でフィギュアを握り締めながら、恥ずかしそうに言われて、あたしはしっかりと頷いた。
「あっ、お姉ちゃん!」
 呼び止められて振り返ったら、男の子が笑った。
「メリークリスマス!」
 晴れ晴れとした笑顔に見送られて、あたしは裏口へ歩き出す。
 自分で言った言葉が不思議で、どこか気恥ずかしかったけど、口元がほころんでいる自分がいた。



 サンタの服を脱いで、待っていてくれた芹崎さんのバイクに乗って、あたしは施設を後にした。
 黙ったままのあたしをどう思ったのか、芹崎さんはまた何も言わなかった。
 喫茶エンジェルにまた戻った頃には、あと数分で十二時になろうとしていた。
 静かに降り続いていた雪はいつの間にかやんで、その代わりのように、地面に白い絨毯ができている。
「クリスマス、楽しんでもらえましたか?」
 店のツリーの前で、芹崎さんはヘルメットを脱いで笑った。
「あの、芹崎さん……どうして、あんなこと――?」
 どう訊ねればいいのかわからなくて、曖昧になった質問。芹崎さんは足元のツリーを見下ろしてから、あたしに目線を戻す。
「僕にはね――ずっと心に残っていることがあるんです。十二の年に両親を亡くして、一時的に面倒を見てもらっていた施設で、出会ったある女の子のことなんですが……聞かれたんですよ、さっきの子のように。サンタさんは本当にいるのかって」
「え……」
 話す芹崎さんの瞳は、悲しい光を宿し始める。黙って見上げたあたしに、芹崎さんは続けた。
「クリスマスの夜、その子は一生懸命お祈りをしていました。雪の降る外の景色を眺めながら、一人で窓辺に立って――いい子にしていたら、サンタさんがプレゼントを届けてくれる。だから自分はサンタさんにお願いしたんだと。その子の願いは、『お父さんとお母さんとクリスマスを過ごせますように』だった。五歳ぐらいにしかならない子が、ただそれだけを願っていたんです。本当にサンタさんは叶えてくれるのか、そう聞かれて、僕はどう答えたらいいのかわからなかった。家族のいない寂しさは、よくわかっていたのに……ただ笑ってあげることしかできなかった。頭を撫でて――僕はこう言いました。『大丈夫、君は一人じゃないよ』って」
 息を呑んだあたしに気づかなかったのか、俯いたままの芹崎さんは悲しい顔のまま、微笑む。
「本当は、スタッフの人に聞いて、その子の両親がもう戻らないことは知っていたのに。気休めの言葉ぐらいしか、僕にはあげられなかった。次の日には、外国に住んでいた叔父が帰国して引き取られることになって、施設を出てしまったから――その子がどうしているのかは、わかりません。ただ知っているのは、その子の名前だけ。クリスマスに生まれたから、(ひじり)と名づけられたんだと――施設の名前も場所も、引越しのどさくさでなくしてしまって覚えていないんですが、ずっと気になっているんです。あの子は大きくなって、どんな想いでクリスマスを過ごしているのかと。一人で寂しく泣いているのではないだろうか、と。それで近くの施設でボランティアをしたり、せめてもの償いのように、店の中で孤独な人を温かく迎えられたらと、こんなことを――君に声をかけたのも、その子のことを思い出したからかもしれないな……」
 そこまで言った芹崎さんは、あたしの顔を見て驚いたように言葉を止めた。
「どっ、どうしたんですか、なぜ泣いて――」
 堪えきれなくなって、あふれた涙を両手でぬぐいながら、あたしはその場にしゃがみこんでいた。
「あの――?」
 困ったようにあたしの前にしゃがみこんで、芹崎さんが問いかける。
 その優しい瞳に、あたしは言った。
「あたしの名前は(ひじり)、今日、クリスマスが誕生日なんです――」
 嗚咽の合間に、なんとか声にしたその言葉を、芹崎さんはただ呆然と聞いていた。


 本当は、ずっと思ってた。
 あたしは世界中でたった一人きりで、誰も気にかけてくれる人なんていないんだって。
 記憶の中の両親は、いつもケンカばかりしていた。
 幼すぎてよくわからなかったけど、あの夜母親に連れられてあたしは施設に預けられたのだ。離婚して、もう自分を引き取りには来ないんだと、そうわかったのはもっと大きくなってからだったけれど。
 若すぎた両親は、経済的にも苦労してあたしを育てられなかったんだ、とか、祖母も亡くなっていて、誰も引き取れる親戚がいなかったんだ、とか、あとから聞いたどんな話も、ただの言い訳にしか聞こえなかった。
 そしてあたしはサンタを信じなくなった。他のどんな大人のことも。
 親切にしてくれる園母さんたちにも心を開けなくなって、学校でも黙り込むことが多くなった。
 自分には誰もいない。いらない、って思ってた。ううん、思おうとしてたんだ。
 けれど、心の奥にはいつまでもあの頃のあたしがいた。両親の愛を、誰かの愛を、必死で求めてる自分が――。
 施設のわずらわしさに耐えられなくて、頼み込んで下宿に移ったのも、一人になりたかったからだった。
 でも本当は……ずっと寂しかったんだ。
 誕生日を、クリスマスを一人で過ごす孤独が悲しくて、辛くて――そんな自分がみっともなく思えて、気づかないふりをしてきた。愛されたい、って気持ちに蓋をしてきた。
 だけど、こんなあたしを気にかけてくれる人がいた。たった一度出会って、言葉を交わしただけの子供のことを、こんな風に優しく考えてくれている人がいたんだ。
 

 そう思った途端、心の内にずっと溜め込んでいた想いがあふれ出てくるのを、あたしはもう止められなかった。
 ひたすら泣き続けるあたしのそばに、じっと座り込んでいた芹崎さんは、長く、長く思えたような数分の後、そっとあたしの頭に手を置いて、こう言ったのだ。
「……メリークリスマス、そして、誕生日おめでとう――聖ちゃん」
 ずっとずっと求めてきた何かをもらったような、押し込めていた自分が解き放たれたような、そんな気持ちがあたしを包む。
 優しい笑顔で、芹崎さんは片手を差し出した。
「僕の名前は、芹崎 (そら)。両親が、天使のように人を愛せる子になるように、と名づけたそうです」
 握ったその手は、とてもあたたかくて――天使が舞い降りたように、あたしには思えたのだ。
 送ってもらう帰り道、積もった雪の上に静かに足跡をつけながら、芹崎さんは言ってくれた。
 きっと、お父さんとお母さんも、クリスマスが来るたびに君を想っているはずだよ、って。
「僕の両親が、いつも言っていたんです。名前は、親が子供に送る最初のプレゼントだって。世界でたった一つしかない、かけがえのない贈り物だから、精一杯の愛を込めて、一番いいと思う名前を付けるんだよ――とね」
 その言葉にまた泣き始めたあたしの隣で、芹崎さんは優しく頭を撫で続けてくれた。まるで、素直に泣いていいんだよ、って言ってくれているみたいに。
 だからあたしはほんの少しだけ思えたんだ。
 お父さんもお母さんも、きっと泣いてくれているんじゃないだろうかって。
 愛されて生まれてきたんだって、思ってもいいのかもしれないって――。










 あれから、あたしは喫茶店のバイトをやめた。
 といってもバイト先を変えただけだ。喫茶エンジェルへと――。
「おはようございまーす、芹崎さん」
 元気よく挨拶をしてカラン、と鈴のなる扉を押したあたしに、芹崎さんは読んでいた新聞を閉じて苦笑した。
「あれ、今日はいいって言ったのに――いくら冬休みだからといっても、学生の本分は勉強でしょう? こう毎日毎日働いていては、勉強がおろそかになりますよ」
 真面目な芹崎さんの形だけの説教も聞きなれてしまったから、あたしは平気で笑い返す。
「大丈夫、芹崎さんに勉強見てもらいますから。どうせ、今日も暇でしょう? バイト兼勉強ができて、一石二鳥ですもん。それに喫茶店の仕事には慣れてるから、あたし役に立ってるでしょう?」
「そりゃあお客さんが少ないのは事実だし、それに助かってもいますけど――だからってね、聖ちゃん」
 半分あきらめたような顔で、それでも最後の抵抗のように別の説教を始めようとする芹崎さんにあたしは店の外を指し示した。正確には、外に置かれた看板を。
「あなたの家族や恋人になります、でしょう? 誰でもあたたかく迎えるのがこの店のポリシーじゃないんですか?」
 両手を腰において、得意げに返してみせたあたしに、芹崎さんは言葉をなくしたようだった。
 カウンターを拭きながら、なんかどんどん強くなるな、とかなんとか、ぶつぶつ呟いている。けどその表情はどこか楽しげだった。
 コーヒー豆の袋を店の奥に運ぶ芹崎さんの背中に向かって、あたしはそっと小声で言ってやる。
「……でも、誰かの『恋人』になるのは、やめてほしいんですけどね」
「え? 何か言った? 聖ちゃん」
 袋を持ったまま振り向いた芹崎さんに、あたしは素知らぬ顔で笑ってみせた。
「いいえ、何でも。じゃあ、今日も頑張って働きましょう!」
 腕まくりをしたあたしは、芹崎さんとお揃いの黒いエプロンをつける。
 ちょうどその時店の扉が開いて、この二週間ですっかり見知ったものになった小さな顔が覗いた。
「あ、聖姉ちゃんだ〜今日も来てたんだ」
「ねえねえ、聖姉ちゃん、芹崎の兄ちゃんと付き合ってるって本当?」
 がやがやとあっという間に店内を騒がしくする子供たちに、芹崎さんはあせったように顔を赤くした。
「ばっ、何を言ってんだ、ショータ! それにケンも。変なこと言うもんじゃない!」
 あたし相手では滅多に見せてくれない照れたような芹崎さんの顔をにやにやと見つめながら、あたしは仲裁に入った。
「まあまあ、いいじゃないですか、芹崎さん。子供たちの言うことですよ?」
「あっ、さっすが〜姉ちゃん、心が広い! サンタの知り合いなだけあるよなあ」
「本当かよ、それ〜!」
「本当だよ、だっておれ見たもん、なっ、姉ちゃん?」
「うん。そうだよ」
 途端に興奮したようにざわめく明るい子供たちの顔を、芹崎さんもいつの間にか優しく見つめている。
 施設にボランティアにも行くようになったあたしは、すっかり子供たちとも仲良くなっていた。
 暇な時間にやってくる彼らも、たまにやってくるお客さんも、みんなが私の『家族』なんだ。
 芹崎さんのおかげで、あたしは寂しくなくなった。だからあたしは、彼の『家族』になりたい。ううん、願わくば……。
 ちらり、と見上げた先で、芹崎さんはいつものようにコーヒーを入れ始める。
 優しい、優しい、あたしだけの天使を心ゆくまで見つめた後、あたしは走り回る子供たちを追い立てながら、店の掃除に取り掛かった。
 



 サンタさん、サンタさん、どうかお願いします。
 今まで忘れてしまってたこと、お詫びします。
 だからどうか願いを叶えて――あたしにプレゼントをください。
 来年のクリスマスは、素敵な恋人と一緒に過ごせますように。
 ひそかに祈りを込めるあたしの隣で、芹崎さんが笑った。
 
長いお話を読んでくださり、ありがとうございました。
今回のテーマは「聖夜に愛を…!」ということで考えたのがこのお話。恋愛要素はかなり薄め、というよりも恋が始まる前の話、といった感じになってしまいましたが、読み終えてあったかい気持ちになってもらえたらいいなと思っております。

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