三雨
はたはたと揺らめくカーテン。
哀は瞬時にハオが出て行ったことを悟った。
「――ちょ、哀くん! どこに行くんじゃ! カサ!」
スリッパを履いたまま家を飛び出した哀に、博士は声をかける。
取り残された博士は、少しの間ぼうせんと立ち尽くしていたが、テーブルに置かれたマグを見てふぅとため息を吐くと、朝食の準備でもしようかの。
そう考えてかばんを置き、エプロンを手にキッチンに立った。
開けられた窓から雨が打ち込む。
雨は激しさを増していた。
……どこ、どこに行ったの?
哀は雨にずぶぬれになりながら、息を吐く。
春先の冷たい風が、体を通り抜け、その寒さに身を震わせた。
さっき会った人をどうしてこんなに気にかけるか全くわからない。
けれど。
その気持ちに、瞳に見覚えがあるから。
どこか似ている私と彼。その哀しみの奥にあるものが掴めないとしても。
阿笠邸にきた当初、雨の日や夜、哀は度々家を抜け出していた。
公園や、堤防にいる自分を迎えに来たのは、ほっとした様に微笑む博士か、あきれ顔で「見つけたぜ」と零すコナンだった。その両方がいるときもある。
昼から続いた雨が止んで、空気を洗い流し、星が瞬く初夏の夜。
「勝手に出て行ってんじゃねーよ」
公園のブランコを漕いでいた哀の頭上からパーカーがぱさりと落ちてくる。
「それ着てろ。……ったく、んな薄い格好でほっつき回ってたら風邪ひくだろー。そしたら博士が心配するっての」
「帰るぞ」
言って、哀の手を取るコナン。
哀は動かず、首を振った。
はぁあ。と聞こえるように盛大なため息を吐いてコナンは哀の隣に座って、ブランコを揺らし始めた。
「だ・か・ら着ろってば」
頭に置かれたままのパーカーを手にとって、強引にジッパーを閉め着せられた哀はただ黙っている。
さっきから専らしゃべっているのはコナンだけだった。
「んなに心配かけて、博士の寿命が縮んだらどーするわけ?」
ようやく顔を上げた哀の潤んだ瞳に見上げられてコナンは思わずどきりとした。
「な、なんだよ」
「泣いてなんか、ないわ」
「そーかよ」
横目で見た哀の瞳に何も浮かんでなくて、心底ほっとしたコナンは軽く流して返す。
哀の肩が僅かに震えている。
手を伸ばそうかと一瞬考えて、自分の考えにコナンは苦笑した。
そして、立ち上がって哀を一旦抱き上げ、ジャングルジムの上に乗せると、くるりと背中を向ける。
「なによ」
相変わらずの素っ気ない返事にくっとコナンは笑う。
「ほーら、帰るぞ」
「あなたにおぶさって……?」
「灰原軽いしぃ。とっとと乗った乗った。――ぐぅお! いきなり体重かけんな!」
「いいっていったのはあなたじゃない」
持たれかかる哀の手を首の前で組ませて、コナンはゆっくり歩き出す。
「今日はそーいや七夕だな」
「もうお願いなんて年じゃないわ」
「帰って寝たら、明美さんに会えるかもしれねーぞ。会いたいんだろ? ちょうど空も晴れたし、願い事の一つ叶うさ。ま、俺はもう叶ったし」
「どんな?」
「灰原が見つかりますよーにってさ」
「いつだって、見つけるのに?」
「――何度でも、何回でも、いなくなったら見つけるからさ。出て行く前に一報してくれ」
「それじゃ、意味ないじゃない」
哀の声は震えていた。
「灰原」
「見てみろよ、星がキレイだぜ」
顔を上げた哀はひと時瞳を閉じた。そして、瞳を開ける。
「……よく、見えない、わよ」
いた……。
米花中央公園の脇を抜けたハオの手首を哀は後ろからぎゅっと掴んだ。
「どこ行くのよ! あなた熱あるでしょう!」
強い声音に、ハオは一瞬肩を震わせ、おずおずと振り返る。
「――哀?」
「僕はあそこにいちゃいけないんだ」
独り言ともつかない声がハオの口元から零れる。
雨なのか、それとも涙なのか、絶え間なく瞳から雫が落ちていく。
額に張り付く前髪を払って哀は言った。
「……いなくなったら心配するわ。――それって居場所があるってことよ」
ハオは、虚をつかれたように、哀を見つめ、それから顔を歪ませて笑った。
「帰りましょう」 |